安倍首相VS細野民主党幹事長 ‐最高権力者に表現の自由はないのか‐
(画像は安倍首相fbページより)
安倍首相は6月12日、自身のfbページで、同日毎日新聞に掲載された元外務省審議官・田中均氏へのインタビュー内での発言を批判した。以下、首相の主張を引用。
「毎日新聞のコラムで元外務省の田中均氏が、安倍政権の外
拉致被害者5人を北朝鮮の要求通り返すのかどうか。彼は被害者の皆さんの『日本に残って子供たちを待つ』と
私は職を賭してでも『日本に残すべきだ』と判断し、小泉総理の了解をとり5人の被害者は日本に留まりました。予想通りその判断は毎日新聞や一部マスコミからも批判的
しかし、その後 田中均局長を通し伝えられた北朝鮮の主張の多くがデタラ
外交官として決定的判断ミスと言えるでしょう。それ以前の問題かもしれません。そもそも彼は交渉記録を一部残していません。彼に外交を語る資格はありません」
安倍首相が何故、これほど強い言葉で田中氏を批判したのか。
それは上記インタビューでの、田中氏による「安倍晋三首相の侵略の定義や河野談話、村山談話をそのまま承継するわけではないという発言や、麻生太郎副総理らの靖国参拝、日本維新の会の橋下徹共同代表の従軍慰安婦についての発言などで、いわゆる右傾化が進んでいると思われ出している」、「(安倍内閣は)侵略の定義とか、村山談話、河野談話、憲法96条の改正などで現実的な道をとろうとしていると思う。しかし、あまりそれを繰り返すと、根っこはそういう思い(米国の利益にそぐわない歴史認識)を持っている人だということが定着してしまう」、「ロシアやインド、東南アジアとのパートナーシップを強化すること自体は正しい。だが、それを価値観外交と言えば、中国を疎外する概念になる。価値観外交と掛け声をかけることが正しいとは思わない。中国が将来覇権をとるようなことがないように共にけん制しようというのは、静かにやること。声を大にして『けん制しますよ』というのは外交じゃない。政治家は勇気を持って日中関係はいかに大事かを語らないといけない」などという発言。
とりわけ、「私が北朝鮮と交渉した時もそうだが、日本の課題があるから、すべてを他の国に相談してやっていくということではない。拉致問題は極めて重要で、日本が自ら交渉し解決していかなければならない。だが、核、ミサイルの問題は日本だけでは解決できず、関係国との関係を損なわないようにうまくやっていかなければならない。小泉純一郎元首相が常に言っていたように、拉致と核、ミサイルを包括的に解決するのが日本の政策なのだと思う。飯島さんの訪朝がスタンドプレーだとは言わないが、そう見られてはいけない」、そして「日本が自己中心的な、偏狭なナショナリズムによって動く国だというレッテルを貼られかねない状況が出てきている」とのコメントに憤りを感じたことによるものと考える。
彼が本当のところ何人なのかは知らないが、こうした発言は、中国・韓国・北朝鮮の利益を代弁していると思われても致し方ないだろう。
田中氏は(何故かは分からないが)日朝国交回復至上主義者であり、その妨げとなる拉致問題などについては、どうでもいいことだと考えていたようだ。
上述の安倍首相によるコメントを受けて、小泉内閣での拉致被害者家族担当の内閣官房参与・中山恭子氏の夫である中山成彬元国交大臣は6月13日、自身のツイッターで次のようなツイートをしている。
「かつて北朝鮮外交を担当していた田中均元外務審議官が安倍総理の外交姿勢を右傾化などと批判している。日朝国交回復という大義の前には拉致問題など小さいと言ってると妻から聞いて驚いた事を思い出す。五人の拉致被害者は帰さないと主張する中山参与に助け船を出してくれたのが安倍官房副長官だった」
つまり田中氏にとっては日朝国交正常化が大目的であり、そのためには国際犯罪である北朝鮮による拉致など大した問題ではなかったようだ。そして、彼の国益を損なう言動に異を唱えたのが、当時の安倍官房副長官だったのだという構図が見えてくる。そんな輩が、現在の安倍内閣を批判するのは誠に片腹痛いし、安倍首相が憤るのも当然だろう。
というのも、客観的にみて、当時の安倍氏は主権国家たる日本の国益という観点から(もちろん、同時に拉致被害者家族の方々の最大限の利益のため)北朝鮮による拉致問題を捉えていたのに対し、田中氏は国益云々より、まずは国交回復ありきと考えていたと思わざるを得ない。
以上の点から考えると、田中氏は、まさに外務省の官僚らしく国益などどうでもいい。それよりも、「日朝国交正常化」という歴史的「偉業」で名を残したいという名誉欲のみで行動した輩であり、一方安倍首相は、北朝鮮による究極の人権侵害たる拉致問題を絶対に看過せず、被害者家族の方々の利益を第一に考えていたと理解できる。
両者のつばぜり合いはよく理解できるが、これに「既に終わった」政党である民主党幹事長・細野豪志氏が「参戦」してきたのは、ホントもうどうでもいいのだが、民主党の存在感を主張するための「悪あがき」としか思えず、その主張の空虚さと相まって、沈みゆく政党の悲哀すら感じる。
同氏は自身のfbページで以下のようにコメントしている。
「安倍総理が、田中均氏について書いたFBを読みました。最高権力者のあり方、表現の自由について考えるところがありました。
田中均氏の北朝鮮外交については様々な評価があり、多くの論者がその是非を論じてきました。しかし、論じたのが最高権力者となると、次元の違う問題を生じさせます。
安倍総理は、エントリーの最後を『彼に外交を語る資格はありません』と締めくくっています。田中氏はかつて外務官僚でしたが、今は一民間人。当然、外交について語る『表現の自由』を有しています。最高権力者に『語る資格がない』と断じられた田中氏は語り続けることができるでしょうか。仮に、田中氏が最高権力者の言に逆らって語る勇気を持っていたとしても、メディアは彼の見解をこれからも伝えることができるでしょうか。そのことも私は危惧します。
今のところ、最高権力者のこのような発信に対して厳しい報道はでてきていません。報道機関は、高支持率を誇る安倍総理の発言を正面から批判することを恐れているのかもしれません。意識的にか無意識かは別にして。
最近の永田町、とくに表現の自由に対する制限を明確にした自民党の憲法草案や、日本維新の会のグロテスクな憲法観を見るにつけ、人権や民主主義という基本的な価値観が実は危機にさらされているのではないかと感じています」
率直に言ってこの主張は全く意味不明だ。仮に安倍首相が、僕のような何の権力も持たない一般人の発言に対して、「Mich Maruyamaという人物は信用するに値しない輩だ」と語ったのであれば、権力による表現の自由の圧殺と言えなくもない。何せ僕の後ろには誰も僕を支えてくれるような「権力」は存在しないのだから。
しかし田中氏は権力側にいた人物であり、現在も一定の肩書を持ち発言している人物だ。つまりテレビや新聞のコメンテイターと変わらないポジションにいると言っていいだろう。そのような人間が首相に対して批判的な論説を行い、それに対して首相が反論したからといって、それをあたかも僕のような一個人を首相が非難しているかのように議論するのは、明らかに「ためにする」議論であって、誰も彼に賛同しないだろう。しかも首相の反論を、抽象的に憲法論議と結び付けるのもフェアではない。
細野氏は確か京大法学部卒だったと思うが、彼は「表現の自由」という概念をきちんと理解しているのだろうか?その自由が保障されたこの国においては、現在の最高権力者たる安倍首相であろうと、一切権力を持たない僕のような人間であろうと、誰でも自由に自身の考えを主張する権利がある。
とは言え、上述のように権力者がそうでない人間の発言を握りつぶそうとするのであれば、それは表現の自由の過剰行使と言えなくもないが、首相の田中氏への批判はそういう次元のものではない。権力を持つ(あるいは持っていた)者同士の正当な議論だと言えよう。
安倍首相は本日(6月16日)ツイッターで、細野氏による批判に対して以下のようにコメントしている。
「ところで報道によると先日の田中均氏に対する私の批判に
総理大臣が『一個人を批判すべきではない』と、中身では
私の厳しく的確な(笑)反論を封じようとの意図でしょう
かつて貴方はNHKで『自民党には戦争をやりたがってい
あれから細野さん随分時がたちましたが、頬被りですか?『民主党は息を吐く様に嘘をつく』との批評が聞こえて来
民主党に対する安倍首相の強烈な「攻撃」が際立っている。
確かに民主党議員の発言は、具体的に誰の発言か分からないようなことを自民党に対する批判の手段として利用している。
例えば、2013年4月24日の参議院予算委員会で民主党の徳永エリ氏は、「(麻生氏らの靖国神社参拝により)拉致被害者の家族が落胆している」と発言した(以下の映像参照)。
その発言に対して、安倍首相、古屋拉致問題担当相から「拉致被害者家族の誰が落胆しているのか?」と問われた徳永氏は何ら明確な答えもできず、曖昧に質問を終わらせた。
メディアが、例えば閣僚などの発言を取り上げて、「今後議論を呼びそうだ」などという表現を使うことがよくある。それは、誰もそんなことを問題にしないとしても、メディア自身がそれを問題化するという、いわば「宣戦布告」だと考えられる。つまり、メディアがそうしたアジェンダを設定することによって、国民は否応なくそれを問題視するようになってしまうという、メディアによる権力濫用、あるいは世論操作だ。
上述、細野氏、そして徳永氏の主張も、無責任なメディア同様、特に国民が問題と思っていないことであっても、彼らが声高に叫ぶことによって、どうでもいい事柄を問題化させる。そのスタンスは、本ブログでよく批判させていただいているような、問題足り得ない事柄を国際問題に仕立てあげる朝日新聞と同様の遣り口である。
権力者は、彼/彼女が持つ権力ゆえ、弱者を圧迫しないような配慮が必要であることは間違いない。だからといって、権力者の表現の自由が、細野氏が主張するような意味で限定的なものであるとするのは誤った考えだ。細野氏の主張は、(自民党の)権力者は黙って叩かれていろということのように思われる。「ふざけるな」と言いたい。
首相であろうと誰であろうと、自身への批判については自由に反論する権利がある。そうしなければ、それを認めているのだと思われることもあるからだ。表現の自由には批判する自由も含まれるが、当然、その批判に反論する自由も含まれる。そして事実に基づかない「表現」に関しては、法的措置を含め様々な対応をすることもまた自由である。それは権力者でも弱者でも同様だ。
率直に言って、細野氏はホント頭が悪いと思う。彼は安倍首相が田中氏を批判したことに関して、メディアによる批判がないことに対して、「高支持率を誇る安倍総理の発言を正面から批判することを恐れているのかもしれません」としているが、そうではない。田中氏が単なる「一個人」でないことをどのメディアも理解しており、それゆえ、安倍首相による批判は少しきつめの言い方であったとしても、「一民間人」への圧力でないことは分かっているのだ。
それを、「人権や民主主義という基本的な価値観が実は危機にさらされているのではないか」などと言う細野氏の主張は、社民党や共産党によく見られる全く時代錯誤の、批判のための批判である。
「最高権力者」の表現の自由を牽制し、同様に日本人による正当な抗議活動を「ヘイトスピーチ」などと称して制限を加えようとする、有田芳生氏など民主党議員による「反日活動」を我々日本国民はしっかり見ている。
安倍首相の発言を咎める前に、細野氏は足元の自党議員による日本人への敵対行為を心配するべきだろう。もっとも、細野氏自身がそうした連中の「統領」なのかもしれないが…。
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