外交における靖国神社「問題」の起源と歴史 Part 2 ‐小泉参拝と歴史認識の相対性‐
(写真はNikkei BPnetより)
前回の記事、「外交における靖国神社「問題」の起源と歴史 Part 1 ‐歴史教科書問題と同じ構図 中曽根参拝の罪‐」で論じたように、1985年の中曽根参拝以降、首相による靖国参拝は、1996年7月29日に橋本龍太郎氏が参拝するまで10年以上行われることはなかった。中曽根参拝の時のような騒動が再び持ち上がったのは、2001年、小泉純一郎氏が総理大臣に就任してからのことになる。
自民党総裁選の最中に行われた候補者による公開討論会において小泉氏は、「首相に就任したら、8月15日にいかなる批判があろうとも必ず(靖国に)参拝する」と明言していた。首相に就任した小泉氏は、「戦没者にお参りすることが宗教的活動と言われればそれまでだが、靖国神社に参拝することが憲法違反だとは思わない」、「心をこめて敬意と感謝の誠をささげたい。そういう思いを込めて、個人として靖国神社に参拝するつもりだ」と衆議院本会議でも表明した(Wikipedia参照)。
2001年8月13日、小泉氏は首相に就任して最初の靖国参拝を行った。同氏は私的か公的かについては明らかにしながったが、参拝方式は、1985年の中曽根康弘氏による公式参拝を踏襲したものであった。公約通り8月15日に参拝しなかったことに関しては、首相談話を発表し、中韓に配慮した結果であることを説明した。
小泉氏が首相である間、特に中国は首脳間の相互訪問を行わないなど、徹底的に嫌がらせを行った。それでも同氏は首相在任中、毎年靖国参拝を続け、退任の年、2006年には念願だった8月15日の参拝を果たした。
同氏はこの時のインタビューで、、「靖国神社参拝を条件にしてね、この参拝をしなければ首脳会談を行うと、するならば首脳会談行わないというのが、果たして良いのかどうか。 私は、これはよろしくないと思っています」、「中国に不快な思いをさせちゃいけません。中国のいうことを聞きなさい、韓国のいうことを聞きなさい、そうすればアジア外交が上手くいきます。私は必ずしもそうじゃないと思いますね。 一つや二つ、どの国も意見の違いや対立あります…」と述べ、中韓の対応を批判するとともに、国内の左翼勢力の主張に反論している。
また、「今までの日中首脳会談、日韓首脳会談においても、その考え(不戦の誓いと戦没者追悼の意で参拝しているということ)を伝えてあります、何回でも。いつでも会えば、中国側が、韓国側が、靖国参拝するなと言えば、いつも、中国側、韓国側の考えと私は違うということを説明している」と、日本と中韓との靖国に対する認識の違いを丁寧に説明していると述べている。つまり、歴史認識においては双方の違いを前提として、その上で、「そういうのを乗越えて未来志向で友好関係を進展させていくのが、日本としても他国にしても大事じゃないでしょうか」という小泉流の合理主義を表明。これは、中曽根参拝以降の日本の政治家が失っていた、外交のあるべき姿を示してくれたものであると考える(歴史認識については以下で再度議論させていただく)。
小泉氏の主張は全くの正論であり、中韓の主張に迎合したところで外交が上手くいくものではないということは、これまでの歴史が証明している。小泉政権時代、確かに中韓との関係は悪化したが、それによって何か日本の国益が損なわれたかといえば、そんなことはなかった。逆に民主党政権では、徹底した媚中韓外交が行われたが、それによって得られたものはあっただろうか。むしろ失ったものばかりだろう。
そうした事実にも関わらず、反日メディアは相も変わらず中韓に「配慮せよ」という主張を続ける。
朝日新聞は昨日、5月5日付の社説で、中国の指導部にせよ、一般市民にせよ、意見が決して一つにまとまっているわけではなく、
日本に対する強硬派がいると同時に、対日関係を重くみる協調派もいるとした上で、「日本と対立が強まれば、中国で対日強硬派の発言力が増し、協調派の発言力が低下する。そうでなくても日中には歴史問題があるから、注意しないと強硬派が優勢になる。ここに日中の陥りがちなわながある」、「対日関係改善を望む人が中国には少なからずいる。彼らを困らせる言動を慎むことが、わなを抜け出す第一歩になる」と主張している。
つまり、日本を大切に思ってくれている中国人がいるのだから、彼らのためにも中国が嫌がるような言動は慎め、といわけだ。中曽根康弘元首相は自著『自省録』の中で、改革開放・自由化・自由経済原理の導入などに積極的な胡耀邦氏が、保守派の巻き返しで苦境にあることを知り、自分が靖国神社参拝を続行すれば同氏をますます窮地に追い込むと考え、靖国参拝をやめた、としている。まさに朝日が主張する通り、中国の対日「協調派」に配慮したということだ。
中曽根氏の「配慮」にも拘らず、胡耀邦氏は保守派の巻き返しにあい、1987年に失脚した。この中曽根氏の行動について、政治評論家の屋山太郎氏は、「『古い友人が困った立場になる』と脅すのは中国外交の常套手段で、中曽根氏はこれにひっかかったのではないか」と論評している(岡崎久彦・屋山太郎著『靖国問題と中国』)。
結局のところ、日本がどう行動しようとも、それとは全く関係なく中国の政治は動いていく。それは主権国家として当然だろう。そうであれば、日本においても中国の言動に煩わされることなく、純粋に国益に基づいて政治が行われるべきだ。上述の朝日の主張は、そうした国際政治の現実を理解しない、あるいは理解しているにも関わらず、特定勢力を利するための荒唐無稽な主張であると考えざるを得ない。
ここまで、日本の首相による靖国神社参拝と、それに対する主に中国の内政干渉と考えられる批判、そして左翼勢力の動きを記してきたが、つまるところ、反日教育を行い、反日を唱えれば国内問題に対する批判を回避できると考えている国に対して、どれほど証拠を挙げ、論理的な説明を試みようとも、ほとんど意味はない。何故なら、日本の一挙手一投足から対日批判に使えそうな要素を探し、外交カードとして使おうとするのが彼らの目的であって、靖国問題に限らず、全ての(彼らが主張する)問題の本質など彼らにとっては「どうでもいいこと」なのだ。
重要なのは、そのような現実を理解し、日本には日本の思想や主張があり、中韓も同様だと認識することだと考える。彼らは自分たちの「歴史認識」を日本に押し付けようとし、日本の左翼勢力もそれをサポートするが、そんなことは不可能だ。全ての国々、あるいはその国に住むそれぞれの個人は、皆、独自の歴史認識を持っている。それをすべて同一にすることなどできるはずがない。
この点に関して、Ayakikki氏は、自身のブログの記事①「◇麻生副総理、韓国朴槿恵大統領に歴史認識の相対性を語る?」及び、②「◇靖国問題への反省。。。歴史認識の相対性理論」の中で、「歴史認識の相対性」という概念を語っている。これは、「『歴史的認識』も『空間軸』や『時間軸』における『相対性』を意識しておく必要性がある」という考え方だ(②参照)。
同氏は上記①の記事の中で、産経新聞の4月23日付記事を引用している。記事によれば、2月に行われた、麻生太郎副総理兼財務相と朴槿恵韓国大統領との会談の中で、朴大統領が「真の友好関係を構築するには歴史を直視し過去の傷が癒やされるよう努力しなければならない」と一方的な歴史観を押し付けるような発言をしたのに対し、麻生副総理は、米国の南北戦争の呼称が北部と南部で異なるとの持論を語り、「同じ国、民族でも歴史認識は一致しない。それを前提に歴史認識を論じるべきではないか」と主張したという。この考え方が、Ayakikki氏の言う「歴史認識の相対性」であり、歴史を客観的に見るためには必要不可欠な概念であると考える。
テレビのドラマにせよドキュメンタリーにせよ、例えば幕末をテーマにする際、徳川方の人物にフォーカスすれば、どうしても徳川目線になりがちであるし、薩長方の人物に焦点を当てればその逆になるのは止むを得ないことだ。それは現実の歴史でも同様であることは、民度が十分に高い国に生きる人間であれば、多くが理解するところだろう。それ故、靖国神社に日本の首相が参拝したからといって、それに抗議するのは中国、韓国、そして一部の中国系のシンガポールの人々に過ぎないわけだ。
上述のように、常に対日批判に使えそうな要素を鵜の目鷹の目で探している中韓に対して、「歴史認識の相対性を理解せよ」などとは言わない。言ってみたところでナンセンスだ。しかし、中韓の走狗となっている朝日・毎日を始めとする反日メディア、そして社民党などの反日政党には、正常な感覚を持った日本人であれば強く警告すべきだろう。「歴史認識の相対性」を認識せず、自虐史観に基づき日本の国益を損ねるのは即刻止めよと。
所詮、彼らは中韓と一枚岩なのだから、何を言っても無駄だということは分かっている。それでも、その異常性を指摘する日本人が一人でも増えれば、彼らの力を今より弱めることができると信じている。だから、決して彼らに対する批判を止めることはできない。
最後に、安倍首相による靖国神社参拝について。首相が春の例大祭の期間中に参拝しなかったことに対して、保守層から非難の声が上がった。もし8月15日も参拝を見送るということになれば、その声は一層大きくなるだろう。個人的には、できれば首相に、必ずしも終戦記念日である必要はないので、秋の例大祭辺りで参拝して欲しいとは思う。ただ、靖国に参拝しないからといって、安倍首相への支持を撤回することはない。
というのも、いわゆる「靖国神社問題」を単体の事象として捉えるべきではなく、日本の外交政策全体で、「日本は変わった。中韓からの理不尽な要求には屈しない」との姿勢を見せることがより重要であると考えるためだ。そのための戦略の中で、靖国をどう位置付けるのかによって、首相の動きは変わってくるだろう。よって、今年安倍首相が靖国参拝を行わないことを持って、首相に対する評価を定めてしまうのは早計だと考える。
さて、2回に亘って外交問題としての靖国を論じてきたが、小泉参拝は対中韓関係において、大きな功績を上げたと思われる。ひとつは、繰り返しになるが、中韓へ「配慮」してもしなくても、日本の国益にはほとんど影響はないという事実を日本人に知らせてくれたこと。さらには、自虐史観によって自縄自縛に陥っていた日本人に対して、「歴史認識の相対性」の重要さを示してくれたこと。総理大臣としての小泉氏に対する評価は様々だと思うが、こと靖国に関しては、日本を中曽根参拝による呪縛から解き放ってくれたことに対して、最大限評価したい。
今年の夏は、靖国ついてどのような議論が交わされるのだろうか(左翼メディアの主張は毎度のことだろうが)。それは参院選の結果に大きく左右されると考えられるが、いずれにせよ暑くて熱い夏になるだろう。それでも、少なくとも民主党政権だった昨夏に比べれば、少しは清涼感のある夏になるであろうことは間違いないと確信している。
(了)
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» ◇大統領でもわかる歴史哲学入門? [ブロブロガー@くつログ]
韓国の朴槿恵大統領が、米国でまたまた歴史認識騒動を繰り拡げている様子
ですね!
執念深くて、懲り無い特質は、流石・・・と言うべきですかねぇ…?
▼韓国・朴槿恵大統領、米議会で歴史認識について日本を厳しく批判(13/05/09)
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「◇大統領でもわかる歴史哲学入門?」拝読しました。理論派であり、学究的論説の切れ味鋭いAyakikkiさんならではの記事、感服しました。そちらにお邪魔させていただき、コメントさせていただきます。
◇大統領でもわかる歴史哲学入門?
http://blog.goo.ne.jp/ayakikki/e/6d514b01e254117066d51df21e11d060
投稿: Mich | 2013年5月12日 (日) 23時07分
◇新しい記事をUPしました。
本稿へのトラックバックを送りましたので、ご承認よろしくお願いします。
▼◇大統領でもわかる歴史哲学入門?
http://blog.goo.ne.jp/ayakikki/e/6d514b01e254117066d51df21e11d060
投稿: Ayakikki | 2013年5月11日 (土) 23時16分
◇トラックバック、ありがとうございました!
本文中でも、直接拙ブログの記事に言及頂いて、感激している次第です。
それにしても、隣国の大統領は、米国に行ってまで、対日批判にご執心の様子・・・。
誠に厄介な方です!
そこで、歴史認識に関して、もう一本記事を書いておこうかと思案しています。
題して、「朴槿恵でもわかる歴史哲学入門」。
少し表現が直接過ぎますかね・・・?
投稿: Ayakikki | 2013年5月11日 (土) 02時40分
伊阪ドンさん、こんばんは。いつもコメントいただきましてありがとうございます。
ご指摘の通りこのタイトルは、本来「問題」ではないはずのものを問題化させるのが朝日・毎日などの反日メディアであり、「反日」によって国内問題から国民の目を逸らそうとするのが中韓であることに対しての、ある種の皮肉です。
本当に日本のメディアは大きな問題ですよね。超反日(それが自国の利益になっているかどうかは別として)・韓国メディアのようにタブロイドレベルの排外的報道をする必要はありませんが、せめて中立であってほしいですね。
今日ツイッターを見ていたら、「日本にも(例えばネオナチのような)超右翼政党ができ、ある程度国民の支持を得ることができれば、安倍内閣を『極右』と呼ぶようなバカなことはしなくなるのではないか」という趣旨の主張があって、それくらいの「劇薬」が必要なのかもしれないと思いました。
仰る通り靖国はゴールではなく、あくまで新しい日本を創るうえでの'one of them'に過ぎませんね。そのことを超保守の皆さんにもご理解いただきたいと願う次第です。
投稿: Mich | 2013年5月 8日 (水) 21時17分
Michさんはタイトルで靖国神社「問題」と表現されています。これは、本来問題でもなんでもないものが問題であるかのようになっている現状への批判であると推察します。
結局は日本のメディアの問題なのかなと思います。
マスコミが中国、韓国と同じ方向を向いて靖国神社参拝を批判する事で「靖国参拝=右翼、軍国主義の肯定」というイメージを視聴者に刷り込んでしまった事が最大の罪な気がします。
それによって政府の支持率が下がり、選挙における投票行動にまで影響しかねないとなれば、政治家もナイーブになるのは仕方ないんじゃないでしょうか。
安倍首相は今年の8/15の参拝を強く希望していると確信します。もちろん首相一人の判断ではなく、信頼できる側近と、そのときの支持率や参院選の結果などを踏まえて判断されるのでしょうが。
ただ靖国神社参拝がゴールではなく、戦後レジーム脱却への一過程だということも忘れないようにしたいと思います。
投稿: 伊阪ドン | 2013年5月 6日 (月) 23時07分