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2013年5月

2013年5月30日 (木)

「河野談話」を乗り越えて 従軍慰安婦「問題」の根本的解決に向けて Part 1 ‐橋下「騒動」を検証‐

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(写真は橋下徹大阪市長のツイッターより)


橋下徹大阪市長は5月26日、自身の従軍慰安婦に関する発言について、「私の認識と見解」とする声明を発表し、翌5月27日、日本外国特派員協会で釈明の会見を行った(以下の映像参照)。







上記声明において橋下市長は、慰安婦問題に関する自身の発言に関する報道について、発言の一部が文脈から切り離され、断片のみが伝えられることによって、同氏の真の「理念や価値観とは正反対の人物像・政治家像が流布してしまっていることが、この上なく残念」とした上で、「私は、21世紀の人類が到達した普遍的価値、すなわち、基本的人権、自由と平等、民主主義の理念を最も重視しています。また、憲法の本質は、恣意に流れがちな国家権力を拘束する法の支配によって、国民の自由と権利を保障することに眼目があると考えており、極めてオーソドックスな立憲主義の立場を採る者です」と説明した。

本ブログの記事「既存メディアに地殻変動? ‐産経・読売が朝日を名指しで批判‐」において、今回の橋下市長の発言に関する報道の流れについて、「日本の政治家の発言をメディアが不必要に大きく扱い、また反日勢力が大騒ぎし、それに中国・韓国政府関係者やメディアが過剰反応し、それをまた日本のメディアが『海外(=特ア)はこんなに日本に対して怒っている』と報じる。今回もいつもの構図が再現されている」とコメントさせていただいた。橋下市長もこのプロセスに怒りを感じているであろうし、それが上記発言に表れていると思われる。

従軍慰安婦について同氏は、「日本兵が『慰安婦』を利用したことは、女性の尊厳と人権を蹂躙する、決して許されないものであることはいうまでもありません」、「日本は過去の過ちを真摯に反省し、慰安婦の方々には誠実な謝罪とお詫びを行うとともに、未来においてこのような悲劇を二度と繰り返さない決意をしなければなりません」としながらも、中国、韓国等の海外でのロビー活動によって、あたかも従軍慰安婦は日本特有の問題であるかのように論じられている現状の問題点を指摘する。

「かつて日本兵が女性の人権を蹂躙したことについては痛切に反省し、慰安婦の方々には謝罪しなければなりません。同様に、日本以外の少なからぬ国々の兵士も女性の人権を蹂躙した事実について、各国もまた真摯に向き合わなければならないと訴えたかったのです。あたかも日本だけに特有の問題であったかのように日本だけを非難し、日本以外の国々の兵士による女性の尊厳の蹂躙について口を閉ざすのはフェアな態度ではありませんし、女性の人権を尊重する世界をめざすために世界が直視しなければならない過去の過ちを葬り去ることになります。戦場の性の問題は、旧日本軍だけが抱えた問題ではありません。第二次世界大戦中のアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍、ドイツ軍、旧ソ連軍その他の軍においても、そして朝鮮戦争やベトナム戦争における韓国軍においても、この問題は存在しました」。

「私の発言の真意は、兵士による女性の尊厳の蹂躙の問題が旧日本軍のみに特有の問題であったかのように世界で報じられ、それが世界の常識と化すことによって、過去の歴史のみならず今日においても根絶されていない兵士による女性の尊厳の蹂躙の問題の真実に光が当たらないことは、日本のみならず世界にとってプラスにならない、という一点であります。私が言いたかったことは、日本は自らの過去の過ちを直視し、決して正当化してはならないことを大前提としつつ、世界各国もsex slaves、sex slaveryというレッテルを貼って日本だけを非難することで終わってはならないということです」。

もし、日本だけが非難される理由が、戦時中、国家の意思として女性を拉致した、国家の意思として女性を売買したということにあるのであれば、それは事実と異なります」。

「過去、そして現在の兵士による女性の尊厳の蹂躙について、良識ある諸国民の中から声が挙がることを期待するものでありますが、日本人が声を挙げてはいけない理由はないと思います。日本人は、旧日本兵が慰安婦を利用したことを直視し、真摯に反省、謝罪すべき立場にあるがゆえに、今日も根絶されていない兵士による女性の尊厳の蹂躙の問題に立ち向かう責務があり、同じ問題を抱える諸国民と共により良い未来に向かわなければなりません」。

橋下市長の主張は、従軍慰安婦が日本だけの問題であるかのように矮小化された現実を明確に指摘している。一部には同氏の考えを、「他の連中が泥棒したのだから、日本がやったって構わないだろう」と罪を正当化するような議論だと批判する向きもあるが、それは曲解も甚だしい。氏の考えの主旨は、女性に対する人権侵害を日本が反省するのは当然だが、同時に、同じことを行った諸外国も同様に反省すべきであり、一人日本に罪を被せて頬かむりすることは、未来志向で女性の人権を考える上で障害になるということだ。それは、「未来に向けて、女性の人権を尊重する世界をめざしていきたい。しかし、未来を語るには、過去そして現在を直視しなければなりません」という同氏の発言に明確に表れている。

橋下市長はまた、上述のように、「もし、日本だけが非難される理由が、戦時中、国家の意思として女性を拉致した、国家の意思として女性を売買したということにあるのであれば、それは事実と異なります」と、従軍慰安婦問題で強制連行はなかったことを明確にしている。反日メディアによってこれほど押し込まれた中で、この点を明記していることは評価に値する。

従軍慰安婦に対する補償に関しては、「現在、元慰安婦の一部の方は、日本政府に対して、国家補償を求めています。しかし、1965年の日韓基本条約と『日韓請求権並びに経済協力協定』」において、日本と韓国の間の法的な請求権(個人的請求権も含めて)の問題は完全かつ最終的に解決されました」とし、元慰安婦(と称する女性)による請求が正当でないことを指摘している。

よく議論されていることだが、戦中の韓国に対する補償は正当な国際条約によって既に解決されたものであり、それをどう分配するかについては、あくまで韓国の国内問題だ。韓国内において、慰安婦とされる人々に対する補償がなされなかったからといって、個別の補償を日本政府に求めるのは筋違いであり、それが正当化されるのであれば、国際条約など意味のないものとなってしまう。まぁ、「法治国家」とは名ばかりの韓国が、そうした論理を理解できないのは止むを得ないのかもしれないが…。

橋下市長の声明、そして会見での発言は概ね賛同できるものだったと考える。しかし的確と思われる批判もある。

池田信夫氏はBLOGOSでの「無内容だった橋下会見」と題する記事で、橋下市長の会見は、「彼の準備不足と海外プレスの無知があいまって、ほとんど内容がなかった。前からいっているように、争点は慰安婦の存在ではない。それは自明であり、日本特有でもないのだから、70年もたって議論するような話ではない(戦時中はもっと悲惨な話がたくさんあった)。それなのに会見の大半は、これについての儀礼的な謝罪に費やされた」と批判。

「橋下氏が今やるべきなのは『女性の人権』について外交辞令を並べることではなく、河野談話に代表される日本政府の曖昧な態度を改め、『強制連行』がなかったという事実を確認することだ。特に河野談話の中の『官憲等が直接これに加担したこともあった』という根拠のない記述を修正する必要がある」と指摘。

橋下市長は会見で、河野談話を「否定するつもりはありません。ここに書いてあることは概ね事実だと僕は考えています。しかし、この河野談話は、肝心な論点については、曖昧不明確にしています。[・・・]国家が組織的に、国家の意思として、女性を拉致した、人身売買した、そういう事実はないというのが、日本の多くの歴史学者の見解であり、河野談話の後に出された2007年の閣議決定でも、日本政府の見解として出ております。韓国の皆さんが、もっとも関心を寄せている、この核心的な論点について河野談話は逃げているのです。これが日韓関係が改善しない最大の理由だと思っています。ですから私は河野談話を否定する、修正するというつもりはなく、明確化すべきだと考えています」との発言を行っている。

それについて池田氏は、「ここがわからない。河野談話の最大の問題は、軍が強制連行した証拠はないのに『官憲の加担』を認める矛盾した記述なので、2007年の閣議決定に従うなら、この部分は削除するしかない。どう『明確化』するのか。この問題を韓国と議論するのは無駄なので、重要なのは欧米の政府やメディアを説得することだ。その意味で今回の会見には期待したが、何も出てこなかった」と痛烈に批判している。

池田氏の指摘通り、「捏造」された従軍慰安婦「問題」を日本に押し付けようとする韓国とこの件について議論することはナンセンスであり、河野談話を元に日本を批判する欧米への情報発信こそが、この問題の「肝」であることは間違いない。その点に異論はない。しかし、慰安婦の存在は自明であり、日本特有の問題ではないため、「70年もたって議論するような話ではない(戦時中はもっと悲惨な話がたくさんあった)」という主張は、同氏一流の「傲慢」な論調であり、完全に誤っている。

池田氏のように、「何でも知っている方」にとっては「70年も前の問題」かもしれないが、欧米が自身の歴史は棚に上げ、現在も「過去の」日本による従軍慰安婦を問題にしていることは紛れもない事実だ。そうした観点から考えれば、橋下市長が欧米にも歴史的事実に蓋をしないよう求めたことは、意義のあることだと考えている。世の中、池田氏のようなご立派な方ばかりではないので。その点だけは付け加えておきたい。

いずれにせよ、河野談話が根本的な問題であるということは、(それを明言するかどうかは別として)多くの政治家、識者、国民が共有している認識であると言えるだろう。韓国がNYCのタイムズスクエアに看板広告を掲出し、「捏造された」従軍慰安婦「問題」を声高に世界に主張するのも、欧米の議会で慰安婦に関して日本だけが非難されるもの、行き着くところは白を黒と言い募った、1993年に発表された、いわゆる「河野談話」、正式には、「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」の存在にあることは間違いないのだから。

河野洋平氏は『朝鮮日報』(2012年8月30日付)の取材に対し、「私は信念を持って談話を発表した」、「(慰安婦の徴集命令を裏付ける証拠資料がないとする批判には)処分されたと推定できる」と述べたようだが(Wikipedia参照)、同氏の誤った「信念」、そして証拠資料は処分されたという、極めて主観的な「推定」によって、今なお日本、及び日本国民全体が汚名を着せられている。同氏が自己満足するのは勝手だが、それがこの国にどれほどの損害を与えたのかきちんと理解しているのだろうか。彼のような「反日」政治家が、国際社会におけるこの国の名誉を不必要に貶めてきたたという事実を、ここに銘記しておきたい。

最後に、今回の橋下市長による一連の発言に関しての評価についてまとめておきたい。ここまで「正論」を展開しながら、池田氏が指摘するように、「河野談話」を明確に否定しなかったことに関しては、「勿体ない」と感じざるを得ない。それでも、これまでの政治家が逃げ腰だった慰安婦に関わる事柄について、世界を巻き込んで問題提起を行ったことは、大いに評価できると考える。

Ayakikki氏は自身のブログの記事「◇【完全版】国際弁護人橋下徹のまるっと慰安婦問題弁明~安倍首相の評価は?」の中で、橋下市長の論点は、「世界中の国々において軍が売春婦を利用していた事実を隠ぺいしたままで、過去の日本の行為だけを非難する事は、不公平(アンフェア)である」、「反省するべきは、唯日本だけなのでは無く、世界各国がこの様な歴史的事実を直視して、これと向き合うべきであると。この観点からは、旧日本軍の慰安婦問題は、過去における事例の一つに過ぎず、現代に至るまで綿々と続く『戦場における性』の問題は、優れて現代的な問題なのであり、世界各国において、正面から取り組」むべき問題だという点にあると指摘。

その上で、「国際弁護人」橋下氏の記者会見は、自身だけでなく、日本の立場を適切に弁明し、代弁してくれたのではないかと論じる。そして、「日本政府や外務省が、これまで破れなかった難壁に、一穴を空けたのではないでしょうか…?」と評価している。全く同感だ。

今回の「騒動」に関しては、左翼はもちろん、保守からも橋下市長への批判がある。しかし「タブー」に挑戦してくれたという意味で、「橋下ここにあり」という、政治家・橋下徹の存在意義を十分に示してくれたものであったと肯定的に捉えたい。

次回は、河野談話が発表されるに至った経緯、そして従軍慰安婦「問題」を解決、あるいは少しでもそれに対する日本の主張を国際的にアピールするためにはどうすべきか、について議論させていただきたい。
(この章続く)

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2013年5月25日 (土)

余禄 「原爆は神の懲罰」その後 ‐去勢されたメディアに未来なし‐

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(画像はWikipediaより)


前回の本ブログの記事「「原爆は神の懲罰」韓国・中央日報 ‐朝日はスルー こんな国との友好などあり得ない‐」にて、韓国の大手紙・中央日報の編集委員による、「日本への原爆投下は731部隊によって犠牲になったとされる、いわゆる『丸太』の復讐だ」とする、あり得ない論説を紹介させていただいた。

また、「韓国通」である朝日新聞がこの問題を「スルー」しようとしたが、多くのメディアがこの件を報道したため、不承不承、主要メディアでは最後に報道したことをお伝えした。

同記事の最後で、「本日(5月23日)の社説では中央日報の『妄言』に触れていないので、明日、各紙の『オフィシャル』の思想が出そろう可能性はある。『報道しない自由』によって朝日は本件『スルー』するかもしれない。あるいは、相も変らぬ『偽善』を繰り返すかもしれない。いずれにせよ、朝日の底は既に割れているので、どの程度『気の利いた』言い訳をするのか楽しみにしている」とさせていただいたので、各メディアがどのようにフォローしているのか確認してみた。

読売、朝日、毎日、産経各紙の電子版、およびYahoo!ニュースで、「韓国 原爆」のキーワードを使い検索してみた。産経を唯一の例外として、各紙ともストレート・ニュースで日本の官房長官、外相の談話、あるいは中央日報の反応などを報じただけで、オピニオンとして、この韓国大手紙による「暴論」を批判したメディアはなかった。

日本のメディア界には多くの「タブー」が存在し、その中の一つが韓国、あるいは在日批判であるとされているが、それはやはり深く浸透しているのだと思わざるを得ない。日頃、「唯一の被爆国として」などと論じている朝日・毎日の偽善性は、今や多くの日本人が理解することろであるので驚きはしないが、主要メディアの中で、産経しか韓国による原爆被害者の方々への「侮辱」を批判できないとは…。

確かに、今回愚かな主張を行ったのは一新聞社であり、形式的には韓国政府とは無関係ではある。しかし、中央日報は韓国で発行部数第2位の大手新聞社であり、日本でいえば朝日新聞クラスのメディアである。想像していただきたい。もしそれほど大きな日本のメディアが、少しでも韓国民の感情を逆なでするような報道をしたとしたら。

韓国民は大規模な抗議デモを行い、政府も声高に「謝罪」を要求することだろう。韓国メディアも、ありとあらゆる方法によって当該日本メディア、及びそのような大手メディアを許容している日本と日本人を、狂ったように批判する。おそらく日本政府は、最低でもそのメディアに対して「遺憾の意」くらいは表明することは間違いない。

韓国メディア、あるいは韓国自体の「反日」行動の異常性を日本人は知悉しているので、国民がそのような国の戯言を無視するのは致し方ない、と言えるかもしれない。しかし政府はきちんと中央日報に対して抗議を行い、広島・長崎市長も同紙を批判した。一方メディアは、産経新聞以外は完全に沈黙。これは韓国の「反日」感情と同じくらい異常な状況ではないだろうか。

日本の「最後の砦」産経は本日5月25日、「日本非難なら何でも許される 一流記者も感情的論評 反日過熱 韓国メディアの風土」と題した、ソウル駐在特別記者兼論説委員・黒田勝弘氏によるレポートを掲載した。

同氏によれば、今回の報道は「『日本非難なら何でもあり』という日ごろの反日報道の一端を表したもので、韓国マスコミでは必ずしも異例の内容ではない」という。中央日報に関していえば、「サムスン」系列の大手有力紙であり、「韓国マスコミの中では最も日本事情に明るく客観報道で定評があった」という。「その中央日報の一流記者でさえ最近の韓国マスコミ挙げての『日本右傾化非難』『“極右”安倍たたき』キャンペーンの中で極端な比喩による感情的論評を書いている」という。

韓国では、「今回のような日本の原爆被害を『歴史的復讐』として正当化する発想はよくある。近年、内外で長期公演を続ける韓国が世界に誇る歴史ミュージカル『明成皇后』も、冒頭シーンは広島原爆の写真になっている。19世紀末、親ロシア派の中心人物として日本人によって殺害された王妃(明成皇后)の悲劇の人生を描いた歴史ドラマだが、日本の原爆被害は歴史的にその“因果応報”という設定だ。これが欧米各国で盛大に上演されてきた」。

また、「韓国マスコミの反日報道では、デッチ上げ写真など内容が誤報と分かっても訂正はほとんどない」のが現状であり、「今年に入ってからも関東大震災の際、多数殺害された在日朝鮮人の遺体写真として大々的に報道された記録写真も誤報だったが、そのままだ」という。

産経の黒田氏は長年韓国報道に携わり、日本で最も韓国事情に通じているジャーナリストの一人だ。それ故、それ以外の大手メディアに対して、彼ほどのレベルの論説を求めてはいない。しかし、産経以外に自社のオピニオンとして中央日報による論説を批判する動きがないのは、あまりに異常だ。

韓国内の些細な日本批判に過剰に反応するつもりはない。しかし今回は、それこそ「唯一の被爆国として」、日本人にとって今も癒えない古傷に塩を塗り込むような、到底許しがたい暴論だったのだ。それでも沈黙を続ける産経以外のメディアは、特アの工作員によって、完全に「去勢」されたとしか思えない。

「日本の横暴を正当化せよ!」などとメディアに求めているのではない。単純に、海外からの罪なき日本人への中傷に対して、最低限の反論くらい行ってもらいたいという細やかな思いを持っているだけだ。その程度のことすらできない日本の大手メディアとは一体何なのか。

日本に対しては、どのような人物のどのような発言であっても、すぐに謝罪(そして時には賠償)を求める韓国(政府、メディア、多くの国民全体として)は普通ではない。日本がそのような国の真似をする必要は絶対にない。ただ、世界世論において、日本が常に中国・韓国による情報戦にしてやられているのは、無能なメディアが果たすべき役割を果たしていないことによる部分も大きいと考える。成すべきことを成さない(成せない?)メディアは、もうこの国に必要ない。

先日、ツイッターで交流させていただいている井坂ドン氏から、「言論における戦後体制というものは、上から潰すのではなく、草の根の国民一人一人のリテラシーの向上によって成し遂げられるのかなと感じています。ちょっと前にジャスミン革命なる言葉が流行りましたが、日本においてジャスミン革命的なものが起こるとすれば、それは政権与党を引き摺り下ろすことではなくて、情報を独占して歪めてきた戦後メディアの言論空間をひっくり返す事なのではないでしょうか」というご意見を頂戴した。

僕と全く同じ考え方であり、一人ひとりの国民が、同氏が指摘するような意識を持つことによってこそ、新しい日本を構築していくことが可能になるのだと考える。

政治に寄りかかり過ぎてはいけない。メディアを信用し過ぎてはいけない。国家という「多面体」のどの面からでもいい。個々人が入りやすい部分から、自身が主体的に国家運営に参加するという意識を高め、主権を国民の手に取り戻す。どんな小さなことからでも構わない。自分こそがこの国の主人公なのだということを認識し、少しでも日本という国を良くしようとする努力をしてみる。そのような人間が一人でも増えれば、必ずこの国は良い方向へ変わっていくと信じている。そしてそれがある程度の勢力になれば、「第4権力」としての気概も矜持もなく、「曲学阿世の徒」としか思われない(あるいは完全に「反日」である)「大手」メディアなど、脇役に追いやることができる。

日本人がそのようなことを成し遂げられるのか。また、成し遂げられるとして、それがどのくらいの時間軸で進んでいくのか、正直、全く見当もつかない。そうではあるが、これからを生きる若者に対して、僕らの世代のように自分の国に対して誇りを持てないような、そんな状況からこの国を立て直した状態で、バトンタッチしたいと考えている。それが、人生の折り返し地点を過ぎた僕たちの世代の責任だと自負している。

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2013年5月23日 (木)

「原爆は神の懲罰」韓国・中央日報 ‐朝日はスルー こんな国との友好などあり得ない‐

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韓国の大手紙・中央日報は5月20日、キム・ジン論説委員による「原爆は神の懲罰」とする主張を掲載した。この論説の中でキム氏は、原爆は「神の懲罰であり人間の復讐だった。…広島と長崎は日本の軍国主義の犠牲になったアジア人の復讐だった」としている。
※「論説」にリンクを張りましたが、中央日報は記事を表示できなくしたもようです。

同氏の主張は、ドレスデン爆撃はナチに虐殺されたユダヤ人の復讐であり、日本への原爆投下は731部隊によって犠牲になったとされる、いわゆる「丸太」の復讐だという。そして同じ「復讐」にあった国ではあるものの、「ドイツは精神を変え新しい国に生まれた。だが、日本はまともに変わらずにいる」とする。

そして、「ある指導者は侵略の歴史を否定し妄言でアジアの傷をうずかせる。新世代の政治の主役という人が慰安婦は必要なものだと堂々と話す。安倍は笑いながら731という数字が書かれた訓練機に乗った。その数字にどれだけ多くの血と涙があるのか彼はわからないのか。安倍の言動は人類の理性と良心に対する生体実験だ。いまや最初から人類が丸太になってしまった」と橋下徹大阪市長、安倍晋三首相を批判した上で、「彼の行動は彼の自由だ。だが、神にも自由がある。丸太の寃魂がまだ解けていなかったと、それで日本に対する懲罰が足りないと判断するのも神の自由だろう」と、日本が再び、広島・長崎のような悲劇に見舞われたとしても自業自得だと示唆する。

この人の頭の中は大丈夫だろうか?批判するに値しない「フィクション」ではあるが、あまりに突っ込みどころ満載なので、後で議論させていただく。

このような韓国大手紙の論説委員による、およそまともな記者が書いたとは思えない論説について、在韓国日本大使館は22日、中央日報に遺憾の意を伝えた。しかし同紙は、「社の意見ではない」と弁解したという(47NEWS参照)。外部の識者等による論説や寄稿であるのならともかく、「論説委員」という肩書の人間が書いたものが社としての意見ではないというのであれば、一体誰が書いたものが社の意見になるのか。同紙の主張は全く言い訳になっていない。「反日なら何でもOK」なのであれば、はっきりそう言えばいい。ジャーナリズムにあるまじき、不誠実極まりない逃げ口上だ。

さて、キム氏の主張についてだが、まず731部隊に関して。731部隊は森村誠一氏が1981年に発表した『悪魔の飽食』で大きな話題となった。同書によると、朝鮮人、中国人、モンゴル人、アメリカ人、ロシア人や捕虜等を「丸太」と称し、生体実験に供したとされる。しかしこの点については、「関係者の証言」からの「推定」だけが根拠であって、文書等による記録は一切ない。しかも同書は、日本共産党中央機関紙「赤旗」の記者であった下里正樹氏による取材を森村氏が著作として発表したものであり、その信憑性には大いに疑問がある。そのような曖昧な事柄を、ナチスのホロコーストと同列で論じることは、全く持って比較の意味をなさない。

また、キム氏の主張からは、日本、あるいはドイツの軍部が戦争を行ったが故、何の罪もない国民が虐殺されて当然だ、との思想が読み取れる。その論理は、アメリカ軍はアラブにとっての悪であるため、同時多発テロによってアメリカの一般市民が殺されたとしても当然だという、イスラム系テロリストの発想と全く同じだと言える。

ドレスデン爆撃はユダヤ人の復讐、原爆投下はアジア人(というか、朝鮮人)の復讐だとする主張に至っては、もう「オカルト」の世界の話だとしか言えない。敢えて不適切な言葉を使わせていただくと、この論説委員は完全に「頭がおかしい」。

自身、あるいは自国の怨念を、歴史的に不確かな事象と結び付けて日本を誹謗中傷する。そして全く論理性のない戯言を「神」の意志だと言う。僕の持論は、「韓国の主要メディアの主張はタブロイド以下」なのだが、この論説が韓国の大手新聞の論説委員によるものだという事実に鑑みれば、「普通」の日本人は、僕の考えに賛同していただけるのではないだろうか。彼らは、自分たちが気に入らない日本の政治家などの発言を「妄言」と表現するのがお好きなようだが、その言葉をそっくりそのままお返ししたい。キム氏のこの主張こそ、まさに「華麗なる妄言」だと言えよう。

アベノミクスによる自国経済の急失速に対する逆恨み、また安倍首相が目指す、日本人のための正当な「歴史認識」についての、韓国による異常なまでの反応については、ここのところの産経新聞は度々指摘してきた。

同紙5月18日付のコラムで、ソウル駐在特別記者兼論説委員・黒田勝弘氏は、安倍晋三首相が被災地視察で宮城県の航空自衛隊松島基地を訪れた際、地上でアクロバット飛行の飛行機の機体番号が「731」だったことに関して、韓国の新聞は「1面トップなど特筆大書で社説まで動員し連日のように“安倍たたき”に熱を上げている」とレポートしている。

「『731』という機体番号が付いた飛行機に乗っているから『極右・安倍の軍国主義復活の証拠だ』というのだ。冗談ではない。全マスコミがみんな大まじめなのだ。『幽霊の正体見たり枯れ尾花』あるいは『坊主憎けりゃ袈裟(けさ)まで憎い』か。これはもう一種の“反日病”だろう」とした上で、「周りで写真を見て数字から細菌部隊を連想する人などいない。マスコミがそれを大々的な反日報道に仕立てて安倍非難を展開しているのだ。30年以上、デッチ上げや歪曲(わいきょく)など無数の反日報道に付き合ってきたが今回の発想はすごい。そこまでやるか!」と断じる。

また同紙は5月21日付のコラムで、朝鮮日報社説が、飯島氏訪朝と2つの数字(上述「731」と安倍首相が国民栄誉賞授与式の際付けた背番号「96」)を強引に結び付け、「このような行動を平気で取る安倍首相が側近を北朝鮮に送ったのを見て韓国国民が『北朝鮮を利用して韓国に圧力を加えようとしている』との疑問を持つのは当然だ」と主張したことを批判。

朴大統領訪米中の報道官によるセクハラ問題や、アベノミクスの影響を受けての経済急失速などの国内問題に苛立ち、「安倍たたき」に励んでいることを指摘した上で、「日本への不満ばかりで国際社会の足並みを乱しているのは韓国のように映るのだが」と皮肉っている。

今回の中央日報による論説は、さすがに常日頃反日である毎日新聞、NHKなども報道せざるを得なかった。しかし朝日新聞はずっと沈黙を続け、ようやく本日5月23日21時57分、遅まきながら朝日新聞デジタルにてこの問題を報じた。産経は昨日22日の22時7分にこの件を電子版に掲載した。原爆犠牲者の方々を貶めるような、韓国の大手メディアによる、日本人にとっては到底許しがたい主張だったので当然だろう。しかし朝日は産経に遅れることまる1日。本当はお得意の「報道しない自由」を行使したかったのだろうが、他メディアの報道によって「外堀を埋められ」、ようやく観念して本件を報道した。そう思われても仕方がないほど、「遅きに失した」報道と言わざるを得ない。

「韓国通」の朝日が、韓国で20日に掲載されたこの論説の存在を知らなかったはすがない。そんな朝日が、いけしゃあしゃあと本日5月23日付の社説で、「ヘイトスピーチ‐憎悪の言葉であおるな」という、日本人が在日特権に対するデモを行うことを非難する主張を展開。

「日本から多くの支援を受けて成長した韓国の企業が、いまや日本企業を追い越し、苦しめている。そんな現状へのいらだちが、心ない言葉をうみだすのか」、「日韓は持ちつ持たれつの大切なお隣さんだし、在日コリアンはともに社会をつくる仲間だ」、「安倍首相の歴史認識発言などで韓国の対日感情もよくない。それでも日本を完全に排除したり、抹殺したりしようという動きは、いまのところない」、「言葉の暴力はそもそも、取り締まりの方法をさぐる以前の常識の問題だ。この国は、差別を助長する言葉があちこちに氾濫(はんらん)する社会になってもいいのか」。

(朝日にとって)通常通り、悪いのは全て日本人であり、(弱者である?)韓国・朝鮮人の人権を尊重する高尚なご説を説いてくれている。ごく平均的なネットユーザーでさえ、韓国で安倍首相や天皇の人形、あるいは日の丸が焼かれたり、日本人に対する「ヘイトスピーチ‐憎悪の言葉」が日常的に声高に叫ばれていることを知っているのだが、朝日には見えていないし、聞こえていないようだ。

僕は「在日特権」は憲法違反も含め、日本の国益を害していると確信している。それでも、在日韓国・朝鮮人に対して、「死ね」などと発言することは絶対にしないし、それは誤ったことであると考えている。しかし、韓国での、人間として異常とさえ思われる反日デモなどには目をつむり、日本人による反韓・反朝鮮デモに対してのみ批判を行う朝日の神経は、全く理解できない。

朝日は日頃、大戦の犠牲者、とりわけ原爆被害者に対して同情的な主張を行う。それは日本人の誰もが思っていることであり、当然のことだ。ところが、今回の中央日報の論説で原爆被害者の方々の心が踏みにじられても、朝日は主要メディアでは最後にそれを報道するような愚行を見せる。同紙は自身の左翼的主張のために犠牲者を頻繁に利用するが、朝日の原爆犠牲者に対する言葉は偽りのものだということがよく分かった。

朝日新聞は偽善者であり、詭弁家であって、大戦によって心身とも傷ついた日本人のことなど、露ほども理解していないということが今回の動きでよく理解できたし、これまで朝日を信用してきた皆さまにも、是非そのことを認識していただきたい。少なくとも朝日にとっては、原爆被害者の方々より特アの方が大切なのだということは、隠しようのない事実だと言える。

また、今回の中央日報の記事はあまりに酷いものだったので日本のメディアは報道したが、韓国の反日教育、メディア・一般市民による日本人に対する日常的な「ヘイトスピーチ」は、民主主義国としてはあまりに異常であるという現実を彼らが報道することはなく、完全に事実を隠蔽している。メディアは「日韓友好」、「韓国との協調」などを国民に押し付けるが、「反日無罪」の国と友好関係など構築できるはずがない。

さて、各紙とも、本日の社説では中央日報の「妄言」に触れていないので、明日、各紙の「オフィシャル」の思想が出そろう可能性はある。「報道しない自由」によって朝日は本件を「スルー」するかもしれない。あるいは、相も変らぬ「偽善」を繰り返すかもしれない。いずれにせよ、朝日の底は既に割れているので、どの程度「気の利いた」言い訳をするのか楽しみにしている。


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2013年5月21日 (火)

既存メディアに地殻変動? ‐産経・読売が朝日を名指しで批判‐

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橋下徹日本維新の会共同代表による一連の従軍慰安婦に関する発言が、相も変わらずメディアに大袈裟に取り上げられ、政治問題化している。

本ブログの記事「外交における靖国神社「問題」の起源と歴史 Part 1 ‐歴史教科書問題と同じ構図 中曽根参拝の罪‐」などでこれまでも取り上げてきたが、日本の政治家の発言をメディアが不必要に大きく扱い、また反日勢力が大騒ぎし、それに中国・韓国政府関係者やメディアが過剰反応し、それをまた日本のメディアが「海外(=特ア)はこんなに日本に対して怒っている」と報じる。今回もいつもの構図が再現されている。

今回の橋下氏の発言について左翼メディアは、よりその主張の説得力を増すため、「アメリカも不快感を顕わにしている」ことを報じている。毎日は5月17日付の記事で「橋下氏慰安婦発言:米報道官『言語道断で侮辱的』」と題し、「米国務省のサキ報道官は16日の記者会見で、日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)の従軍慰安婦に関する発言について『言語道断で侮辱的なものだ』と非難した。米政府が公式の場で、同盟国である日本の政治家を真正面から非難するのは極めて異例だ」と報じている。

この毎日の報道を読むと、アメリカが敢えて橋下氏の発言を取り上げ、異例の批判を行ったように思われるだろう。しかし何のことはない、朝日の記者が報道官に質問し、この発言を「引き出した」のだ。以下、実際のサキ国務省報道官と朝日新聞の「タカシ」記者とのやり取り。


QUESTION:
Hi, my name is Takashi from Japanese newspaper Asahi. Osaka City Mayor Hashimoto recently made a comment on the so-called “comfort women” issue, arguing that even though it is unacceptable from the moral perspective value, but the comfort women were necessary during the war period. And he also argued that it is not fair that only Japan is criticized by the United States and other countries, because there are other country military that were provided sexual service by prostitute. And do U.S. has any position on his comment or criticism against the United States?

(私は日本の朝日新聞の記者タカシです。大阪市長の橋本氏が最近、いわゆる「慰安婦」に関してコメントしました。慰安婦はモラルの観点から言えば受け入れがたいものではあるが、戦時には必要なものだと主張しています。彼はまた、他国の軍隊も娼婦から性的サービスを受けていたので、日本だけがアメリカや他国から批判されるのはフェアではないとも主張しています。アメリカはこのコメント、あるいはアメリカに対する批判に対してどのような立場をとられますか?)

MS. PSAKI: We have seen, of course, those comments. Mayor Hashimoto's comments were outrageous and offensive. As the United States has stated previously, what happened in that era to these women who were trafficked for sexual purposes is deplorable and clearly a grave human rights violation of enormous proportions. We extend, again, our sincere and deep sympathy to the victims, and we hope that Japan will continue to work with its neighbors to address this and other issues arising from the past and cultivate relationships that allow them to move forward.

(わたしたちはそれらの発言をもちろん目にしています。 橋下市長の発言はけしからないもので人を傷つけるものです。 アメリカは以前に声明を出していますが、あの時代に性的目的のため売買された女性に起きたことは嘆かわしいことであり、明らかに重大な人権侵害です。 わたしたちは再び、その犠牲者たちへの誠意ある深い共感を深め、日本が過去より生じるこの問題やその他の問題に隣国とともに取り組み、前進できるような関係を築くことを望んでいます。)

QUESTION: Do you describe this issue sex slave or comfort women?

(この問題について、性奴隷、あるいは慰安婦どちらだと考えますか?)

MS. PSAKI: Again, I don't know that I'm going to define it. You kind of laid out the specific details there, and we have described this issue in the past as comfort women.

(もう一度申し上げますが、私はそれを定義するつもりはありません。あなたは特別な詳細について議論を展開しているようですが、私たちは過去この問題について慰安婦と表現しています。)
U.S Department of State Daily Press Briefing May 16, 2013参照


この「タカシ」記者とサキ報道官の質疑応答を読んでいただければ一目瞭然だが、反日メディアの記者はこのように、中国、韓国、そしてアメリカなど各国政府の記者会見で、敢えて日本の政府、政治家などに対する批判を引き出し、それをさも大事であるかのように報道する。サキ報道官はそのような日本メディアをよく知っており、「特別な詳細の議論を展開」と皮肉っているように思われる。

政治家の発言などを海外の報道官にぶつけ批判を引き出し、それを国内で大袈裟に報じて問題を大きくする。「靖国問題」も「歴史教科書問題」も、こうした手法で、本来問題足り得ない事象が問題化されてきたのだ。日本人のメディア・リテラシー向上のため、この反日メディアの遣り口を十分理解していただきたい。

さて、今回の橋下氏の発言については、肯定できる部分もあるし、できない部分もある。ただ、同氏による主張の主眼が、「慰安婦を正当化するつもりはない。しかし、欧米諸国が自らを棚上げして日本だけに責任を負わせ、臭い物にふたをするのは絶対ダメだ」、「アメリカだって沖縄の女性に何をしていたのか。ベトナム戦争でも朝鮮戦争でも、慰安所、慰安婦を世界の軍が使っていた」(5月18日付YOMIURI ONLINE)ということにあるのだとすれば、全く異論はない。

いわゆる従軍慰安婦「問題」は、日本の左翼勢力が韓国をけしかけ、その後、世界の韓国系ロビーストが各国議会に働きかけて、一人日本だけが汚名を着せられているというのが実情である。橋下氏が主張するように、どの国も行ってきたことを、あたかも日本だけの問題であるかのように矮小化され、しかも、軍が強制連行したかのような、全く根拠のない事実だけが独り歩きしている。これほどの不名誉を雪ぐには、国会に調査委員会を設けて事実を解明し、それを世界に向かって発信していく必要があると考える(この点については、稿を改めて徹底的に議論したい)。

一連の橋下発言を受け、産経は5月18日付の産経抄で、「いまだ占領時代の感覚ぬけない朝日新聞」と題し、名指しで朝日を批判している。歴史の成り立ちというものを説明した上で、「さきの大戦は終戦から70年弱しかたっておらず、いまだ『歴史』になっていない。それをいいことに中国や韓国は、史実を誇張、あるいは捏造(ねつぞう)して日本の古傷に塩を塗りつけ続けてきた」と中韓を批判。

また、「韓国はといえば、証拠もないのに慰安所を『日本政府による強制的な軍の売春システム』とでっちあげ、慰安婦を『性奴隷』と毒々しく英訳して宣伝し続けている」と従軍慰安婦「問題」を明確に否定。

「確かに橋下発言は、女性への配慮を欠く部分があったが、当時の状況を無視して『日本だけを特別に非難するのはアンフェア』という彼の言い分はうなずける。くだんの報道官は、占領時代の東京や沖縄などでの米兵の蛮行をご存じないのであろう」と、上述サキ報道官の発言を批判し、「そんな小役人の発言に『米、橋下氏発言を非難』と大見出しをつけた朝日新聞は、いまだ占領時代の感覚から抜けきれないようである」と朝日をザックリと切り捨てる。

産経はまた、5月16日付産経抄でも、「旧日本軍がアジアの女性たちを『性的奴隷』にした。朝日新聞の記事がきっかけとなり、河野談話がお墨付きを与える形で、誤った歴史が独り歩きしている」と朝日を批判している。

上で議論したように、サキ報道官の発言は、あくまで朝日に「嵌められた」ものであるので、その点については彼女を擁護しておきたいが、それ以外の主張について大きな異論はない。ただ、朝日は「占領時代の感覚から抜けきれない」というよりは、戦後一貫して反日勢力を利し、自虐史観を日本国民に植え付けることによって、占領時代よりもさらに「進化」していると思われるが。

朝日に対する批判は産経だけに止まらない。読売は5月14日付の記事で、従軍慰安婦に関する朝日新聞による「誤報」を、淡々とではあるが、明確に記している。以下、全文を引用する。


「従軍慰安婦問題は1992年1月に朝日新聞が『日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた』と報じたことが発端となり、日韓間の外交問題に発展した。

記事中には『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した』などと、戦時勤労動員制度の『女子挺身隊』を“慰安婦狩り”と誤って報じた部分もあり、強制連行の有無が最大の争点となった。

宮沢内閣は同年7月、軍による強制徴用(強制連行)の裏づけとなる資料は見つからなかったとする調査結果を発表した。しかし、韓国国内の日本批判は収まらず、政治決着を図る狙いから、翌93年8月、河野洋平官房長官(当時)が、慰安所の設置、管理、慰安婦の移送について軍の関与を認め『おわびと反省』を表明する談話を発表した。

ところが、河野談話によりかえって『日本政府が旧日本軍による慰安婦の強制連行を認めた』という曲解が広まったため、第1次安倍内閣は2007年3月、『政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった』とする政府答弁書を閣議決定している」。


このように読売は、従軍慰安婦問題は朝日の「誤報」によって始まり、「河野談話」によって世界に誤解を与えたと、上記産経抄同様の主張を行っている。これは従軍慰安婦に関してある程度の知識がある人であれば誰でも知っていることだが、全国紙がこれほど明確にその事実を記述したのを、少なくとも僕は見たことがない。

僕は紙ではなく、電子版でこの記事を読んでいるため、どのような文脈の中でこの記事が掲載されたのか確認できない。そのため、このようなストレート・ニュースとして読売が、批判とは言えないまでも、朝日の悪行を指摘するのは唐突な気もする。

というもの、これまで本ブログで繰り返し述べてきたように、テレビ・新聞などの既存メディアは、記者クラブという「既得権益」を共有し、互いを批判しないことを暗黙の了解としてきたからだ。

詳細な議論は今回の記事では割愛させていただくが、従軍慰安婦「問題」は朝日新聞、そして反日左翼勢力によって捏造されたものだということは間違いない。メディアが国民の知る権利に寄与するために存在しているものだとするならば、およそジャーナリズムに馴染まない「身内意識」など捨て、同業者だとはいえ、他メディアの「暗部」を調査し報道することも、その重要なミッションだろう。とりわけ、従軍慰安婦、靖国神社、歴史教科書などは、日本国民の名誉、あるいはこれからの日本の礎となる教育に関わる重要な問題なのだから。

保守系といえども、読売と産経の主張が異なることは少なくない。また、必ずしも両紙が優れた新聞であるとも思わない。しかし、少なくとも朝日・毎日のような、日本人の利益を棄損し、日本人を貶めるための報道しか行わないようなメディアに比べればベターであることは間違いない。

「戦後レジームからの脱却」を目指す安倍内閣の下、メディア界も変革を迫られている。時代は変わり、かつては既存メディアが独占していた情報を、今では一般人でも容易に入手することができるようになった。例えば、上述のサキ報道官に対する朝日の「仕掛け」などが良い例だ。昔であれば日本人は、「アメリカは相当、橋下氏に注目し怒りを感じている」と誘導されたことだろう。しかし今やネットのおかげで、「何だ、やっぱり朝日が『工作』しているんだな」と理解することができる。

そのような社会においては、国民が真に知りたいと考えている情報を、素人にはできないような的確な分析を加えて提供することこそ、メディアに求められる役割だ。それができなければ、彼らは簡単に国民に見捨てられるだろう。

メディアにとっての「戦後レジームからの脱却」は、自虐史観によって歪められた戦後のこの国の在り方に、メディアがどのように関与していたのかを明らかにし、向う傷を厭わず、批判されるべきことを徹底的に批判することだろう。その第一歩が、捏造・偏向報道を繰り返してきた反日メディアに対する告発であろう。

体制翼賛的なメディアが良いと言っているわけではない。思想は色々あっていい。ただ、特定勢力を利するために、報道の力を使って日本人に甚大な不利益を与えてきたメディアは徹底的に指弾されるべきだと考える。

日本のメディアに「自浄作用」など期待していない。そのような倫理など持ち合わせていないことはよく理解しているからだ。だとすれば、あとは相互批判しかないだろう。そういう意味で、今回の産経・読売による朝日批判が、既存メディアに改善への地殻変動を促すための第一歩になればいいのだが。

おそらくは、そのようなことを既存メディアはできないだろう。政治屋がトップであったり、「安倍を潰すことが社是」と主張するような主筆がのうのうと存在可能だったのが、この国のメディア界だったのだから。僕のこのような考えに反して、万一、彼らが何かを成し遂げることができれば、まだまだ生き残る可能性が生まれる。できなければ…、単に淘汰されていくだけのことだ。それを惜しむ日本人は、ほとんどいないだろう。


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2013年5月16日 (木)

父の背中 ‐亡き父・晋太郎氏を偲ぶ安倍首相‐

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(写真は首相のfbページより)


昨日5月15日、安倍晋三首相は自身のfbページに以下のコメントを投稿した。


「今年も親父の命日の5月15日やってきました。
思えば、昨年の親父の命日からずっと走り続けていたような気がします。
今更ですが、親父が政治家として果たそうとしていたこと、そのための苦労がようやくわかってきたような思いです。

同時に今日は沖縄が本土復帰を果たした日でもあります。
沖縄の負担軽減と振興も私の使命であるということも噛み締めたいと思います。

今日は空から見守ってくれているであろう親父を思い出しながら、予算成立で一区切り」。


安倍首相の父、安倍晋太郎氏は岸信介元首相の娘婿であり、外務大臣、通産大臣(当時)、官房長官、自民党幹事長、総務会長、政調会長を歴任した、超大物政治家だった。
東大法学部卒、そしてその岳父・岸氏との関係という毛並みの良さから、政界の「プリンス」と呼ばれた人物だ。同氏は、高校から大学時代にかけて、僕が政治に興味を持ち始めた頃、まさに日本の政治の第一線にいた政治家だったので、とても印象に残っている。

「三角大福中(三木、田中、大平、福田、中曽根)」という、あくが強い実力者たちが統治した自民党の次の世代を担うニューリーダーとして、竹下登元首相、宮澤喜一元首相と共に「安竹宮」として首相の座を争った。

田中派内で必ずしも田中氏との折り合いが良くなく、散々「雑巾がけ」をさせられ、「政界のおしん」と呼ばれた苦労人・竹下氏。官僚出身者が多く、政策には強いが政局に弱い「公家集団」とも揶揄された宏池会にあって、その象徴とも言えるようにエリート意識が強く、東大卒以外の人間をバカにする、悪く言えば「陰気」な宮沢氏。その二人のライバルに比べ、晋太郎氏は人が善く、懐が深い政治家で、まさに「プリンス」だった。

その「安竹宮」が中曽根康弘首相の後継を争う、1987年の自民党総裁選で激突することとなり、10月20日に国会議員による本選挙が設定された。晋太郎氏と竹下氏は同期当選の親友であり、同氏には、自分こそ世代交代の先頭を走ってきたという自負心があった。そこで10月19日、同氏は竹下氏と8時間以上に及ぶサシの会談を行い、「安竹」の友情関係を頼りに、「先に譲ってほしい」と執拗に迫ったが、竹下氏はのらりくらりとして言質を与えなかった(日経新聞電子版参照)。結局、「禅譲」によって影響力を残したい中曽根氏の様々な「工作」等によって、後継総裁は「中曽根裁定」に委ねられ、竹下氏が総理総裁となった。「狡猾」な竹下氏に対して、「脇が甘い」晋太郎氏が敗れたと言えるだろう。

1988年、政官界を揺るがす大スキャンダル「リクルート事件 」が明るみに出(これには3氏とも関与)、1989年、晋太郎氏に癌の兆候が見られ、1991年に死去したことを考えれば、結果的には、同氏にとっては1987年が総理総裁となる最後のチャンスだった。

リクルート事件に関与し、かつ党内で全く人気のなかった宮澤氏が、1991年に首相になり得たことを考えれば、健康でありさえすれば、晋太郎氏が首相に就任した可能性は極めて高いと考えられる。1987年に竹下氏が同氏に譲ってくれてさえいれば…。「一寸先は闇」の政界でそのような期待をすることはナンセンスとはいえ、「安竹宮」の中では、晋太郎氏に最もシンパシーを感じていた若き日の僕には、それが残念でならなかった。

田中角栄首相の政務秘書を務めた故・早坂茂三氏は、「安竹の勝敗は、能力や資質の問題ではない。潜り抜けてきた修羅場の数が違ったのである」と、竹下氏が田中派の中で舐めた辛酸が、晋太郎氏との大きな差だったと述べている(同氏著「駕籠に乗る人担ぐ人」)。それは正しい指摘だと思う。しかし、個人的には、一番大きかったのは竹下氏には、彼を絶対に首相にしようという金丸信氏という寝業師の盟友がいたが、晋太郎氏の周りにはそれに比する人物がいなかったことだと考えている。加えて、上述のような晋太郎氏の人が善いゆえの脇の甘さ。

安倍首相が父を亡くしたのは30代後半。しかも当時首相は晋太郎氏の秘書官をしていたので、その父は人生の師であると同時に、政治家としての師でもあったはずだ。そのような存在を亡くされた首相の心は如何ばかりだっただろうか…。

私事ながら、僕も昨年40代で父を亡くした。父と僕とは全く違う仕事をしていたが、父が僕の人生において最も尊敬できる人間であったことは間違いない。1年が経とうとしている今でも、その痛手から立ち直れないでいる。安倍首相は、この世を生きる人間として、また、自身が歩んでいる道の大先輩であった人としての父を亡くしたわけだ。しかも僕よりも若くして。そのことを考えると、首相のこれまでの人生における困難の大きさを想像せずにはいられない。

2006年に最初に首相になった時の安倍氏は、記者からの質問に対してムキになって反論したりして、ご自身も振り返って反省しておられるように、肩に力が入っているように思えた。言わば、「孤独な安倍晋三」としてその職責を担っていたのではないか。

しかし、病気によって不本意にもわずか1年での退陣を余儀なくされ、様々な批判に晒された上での再登板。今回は、晋太郎氏の想いと共に、この国をより良い方向に導こうと真摯に職務を全うしているように思える。「親父が政治家として果たそうとしていたこと、そのための苦労がようやくわかってきたような思いです」、「空から見守ってくれているであろう親父を思い出しながら」という上述の首相のコメントから、それが垣間見えるような気がする。

政治評論家の故・三宅久之氏は生前、「晋太郎さんは酒席などにいるだけで、その場がパッと明るくなるような存在だった」というような趣旨の発言をされていた。つまり「華のある」人物だったのだろう。安倍首相がそのような父の資質を身に付けた時、安倍内閣は長期政権となり、日本は今よりも多くの人々が幸せを感じられる国になっているのではないだろうか。

男にとっての父親とは、母親とは全く違う意味で、特別な存在だ。安倍首相を僕と同じ括りで論じるのは失礼だとは思うが、息子は常に父の背中を目指して走っている。僕などはまだまだ父の足元にも及ばないが、安倍首相は、少なくとも政治家としての地位という意味では、既に晋太郎氏を超えている。

しかし、首相にそのような意識はないだろう。おそらくは父・晋太郎氏が目前にしながら手にすることができなかった首相という重責を、親子で手を携えながら担っている。そして、晋太郎氏の信念を想い、それを噛みしめながら、日々この国のために働いてくれているのだろう。

僕が10代の頃、初めて好きになった政治家・安倍晋太郎。そして40代になった僕が今、心から応援している政治家・安倍晋三。それが偶然なのか必然なのかは分からない。ただ、親子二代に亘ってこの国のために働いてくれているこの親子に感謝し、日本をこれからの世代の人々のために善き方向に導いていただきたいと考えている。同時に、安倍首相の父親に対する愛情を心から美しいと感じる。その想いは、僕の亡き父に対するものと同様だと思えるから。

息子にとって、父の背中に追いつける日が来るのかどうかは分からない。それを誰が評価してくれるのかも定かではない。それでも、常にその日を目指して走り続ける。息子の人生とはそんなものだ。

P.S. 書き忘れていたが、竹下氏が田中氏に反旗を翻すかたちで創政会(後の経世会)を結成した時、晋太郎氏は「実があるなら今月今宵 一夜明くれば誰もくる」という、高杉晋作が奇兵隊を作った時に詠んだとされる都々逸を書いた色紙を竹下氏に贈ったという。そして竹下氏は、その色紙をずっと大切にしていた。二人の友情はそれ程深かったようだ。


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2013年5月12日 (日)

安倍首相「憲法を国民の手に取り戻す」 ‐一方国民を信用しない反日メディア‐

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(写真は国立公文書館ホームページより)


4月9日、衆院憲法審査会で憲法改正案の発議要件を定める96条について初めての議論が行われた。自民党、日本維新の会、みんなの党は改正に前向きな立場を表明する一方、民主党、公明党は慎重な姿勢を、共産党と生活の党は反対を表明した(4月9日付YOMIURI ONLINE)。

現行の憲法96条では、憲法改正の手続きについて、(1)衆参各院の総議員の3分の2以上の賛成で発議(国民に提案)し、(2)国民投票で過半数の賛成が必要、と定めている。

安倍首相始め自民党は、「国会が憲法改正を発議しやすくするための96条の改正は、憲法に対する国民の意見表明の機会を担保するものだ」と主張している。具体的には、発議要件を3分の2以上から過半数へと変えるということだ。しかし連立与党の公明党が、「憲法のほかの条文に先行して改正することには慎重であるべきだ」と主張しているため、先行きは不透明だと言える(4月12日付NHK NEWSWEB)。

96条改正に関してのメディアの論調は、分かりやすく保守対左翼に分かれている。産経・読売が賛成、朝日・毎日が反対という「通常」の構図だ。

産経は5月11日付の「国民の判断を信頼したい」と題した社説で憲法96条を、「憲法改正を求める多くの国民の意向をないがしろにし、現実離れした『不磨の大典』を守り抜く硬直的な姿勢と言わざるを得ない」と批判。「発議要件を『過半数』に引き下げることで、改正への民意をくみとることができるという考えは極めて妥当なものだ」、「国民が憲法を自らの手に取り戻すため、発議を阻んでいる壁を取り除かなければならない」とし、安倍首相の「憲法を国民の手に取り戻す」との主張を支持し、96条の改正を主張する。

読売も5月10日付社説で、「日本の憲法は世界でも指折りの改正困難な硬性憲法である。制定後、一度も改正されていないのはその証左だ。内外情勢の変化に的確に対応するには発議要件緩和が必要」として、96条改正を支持。また、共産党による、「憲法は国民の人権を保障するために国家を縛るものとする立憲主義の理念を強調し、『権力者が憲法の発議要件を一般の法律並みに引き下げるのは禁じ手だ』」という96条改正反対の主張に対して、「発議のハードルを下げるだけで権力に歯止めがかからなくなるという論理には飛躍がある。最終決定権は、あくまで国民にあり、通常の法律と変わらないとの指摘も当たらない。ここで立憲主義を持ち出すのは的はずれだ」と指摘。

一方朝日は、5月3日付の社説で「 憲法を考える‐変えていいこと、ならぬこと」と題し、共産党と同様、立憲主義の観点から96条改正を批判。発議要件を緩和することによって、「大切にすべきものが削られたり、ゆがめられたりするおそれはないのか。いまを生きる私たちだけでなく、子や孫の世代にもかかわる問題だ」と懸念を示す。そして、アメリカ、デンマークの例を挙げ、「各国はさまざまなやり方で憲法改正に高いハードルを設けている」とした上で(諸外国のハードルが高いのか否かについては後で議論させていただく)、 以下のように安倍首相を批判する。

「首相は『国民の手に憲法を取り戻す』という。改正のハードルが高すぎて、国民から投票の権利を奪っているというのだ。これは論理のすり替えだ。各国が高い壁を乗り越え、何度も憲法を改めていることを見ても、それは明らかだろう。改めるべき条項があれば、国民にその必要性を十分説く。国会で議論を尽くし、党派を超えて大多数の合意を得る。そうした努力もせぬまま、ルールを易(やす)きに変えるというのは責任の放棄ではないか」。

毎日は5月3日付社説のタイトルを「憲法と改憲手続き 96条の改正に反対する」とし、明確に反対を表明。「その時の多数派が一時的な勢いで変えてはならない普遍の原理を定めたのが憲法なのであり、改憲には厳格な要件が必要だ。ゆえに私たちは、96条改正に反対する」と論じる。また、朝日同様、頻繁に憲法改正を行っている諸外国も憲法改正のハードルは高いとし、ドイツの例を挙げ、「改憲のハードルの高さと改憲の回数に因果関係はない。問われるべきは改憲手続きではなく、改憲論議の質と成熟度だ。改憲してきた国にはそれがあった。日本にはなかった」とする。

そして、「私たちは、戦後日本の平和と発展を支えてきた憲法を評価する。その精神を生かしつつ、時代に合わせて変えるべきものがあれば、改憲手続きの緩和から入るのではなく、中身を論ずべきだと考える。国会は堂々と、正面から『3分の2』の壁に立ち向かうべきである」と、現行憲法護持の強い姿勢を見せる。

さて、上述の朝日・毎日の社説では、海外の憲法改正のハードルは十分高いとされているが、実際のところどうなのか。以下、主要国、及び朝日が言及したデンマークの憲法改正要件の概要を記してみる。


アメリカ
連邦議会両院の3分の2以上が必要と認める時、修正が発議され(または州議会の4分の3以上が要求した場合は特別に「憲法会議」を召集)、全州の4分の3以上の議会によって(または憲法会議で4分の3の州の賛成があれば)承認される。国民投票不要。

フランス
基本的には国会(二院制)による過半数の議決の後、国民投票による過半数の承認で憲法改正が成立。ただし、政府が提出した改正案は、大統領が国会を両院合同会議として召集し、ここで改正案を審議することにしたときは、国民投票は行われず、同会議での5分の3以上の多数で改正が成立する。

イギリス
不文憲法の国であるため、慣習を変更する法律を作ったり、新たな重要法を制定すれば、憲法改正可能。この場合、特に特別な多数決は必要なく、一般の法律と同様、単純過半数の多数決で改正。国民投票不要。

ドイツ
連邦議会両院の3分の2以上の多数による可決で改正可能。国民投票不要。

カナダ

連邦議会両院の過半数での議決、3分の2以上の州議会の議決(議決した州人口が全体の過半数必要)によって改正可能。国民投票不要。

デンマーク
総選挙をはさみ、国会(一院制)において同一文言で二回憲法改正案を可決(=過半数)し、二度目の可決後、6カ月以内に国民投票に付託しなければならない。憲法改正案が承認されるためには、国民投票の参加者の過半数の賛成と全有権者の40パーセントの賛成が必要。


これらの国々における憲法改正の手続きを比較すると、連邦制で各州が高度な自治権を持つアメリカ、カナダでは州議会での議決が国民投票に準ずるものだと考えられるが、同じ連邦制のドイツは州議会による議決を必要としない。一方で日本が手本とした議院内閣制のイギリスでは、通常の法律と同様の手続きで憲法改正が可能であり、国民投票も必要ない。

結論としては、イギリス、及びドイツの憲法改正へのハードルは日本の現行制度より明らかに低いと言うことはできるが、それ以外の国については、一概に論じることはできない。一つ言えることは、自民党が主張するように、96条の3分の2を過半数にした場合、フランスの現行制度に極めて近くなるこということだ。それを踏まえると、96条を改正したとしても、諸外国に比べて著しく憲法改正へのハードルが低くなるとまでは言えないだろう。何故なら、国民投票での過半数は必ず必要になるのだから。

発議要件を両院での過半数とする場合には、デンマークのように、国民投票の参加者の過半数の賛成に加え、全有権者の40パーセントの賛成が必要というような手だてを講じることもできるし、自民党石破茂幹事長が発言したように(本日5月12日付msn産経ニュース)、現状の「国民投票での過半数」という数値自体を厳格化(例えば5分の3にするなど)することも考えられよう。

朝日・毎日による「まずは3分の2の多数確保を目指すべき」という主張を否定はしない。96条を改正するためには、いずれにせよ3分の2が必要となるのだから。ただ、彼らの、発議要件が緩和されれば、あたかも憲法が「改悪」されるかのような、ヒステリックな議論に与することはできない。国会でのハードルが低くなってもその後ろには主権者たる国民が控えているにも拘らず、彼らの主張には、その主権者を信用しない、あるいは蔑ろにするような匂いを感じるのだ。

例えば上述の社説の中で朝日は、発議要件緩和について、「これでは一般の法改正とほぼ同じように発議でき、権力の歯止めの用をなさない」と断じている。「権力」ではないものの、一般の法改正とは決定的に異なる「国民投票」という「歯止め」を完全に無視し、上述のイギリスのような要件の国もあることを報じようとはしない(極論すれば、主権国家である以上、外国の制度を模倣する必要はないのだが…)。

確かに「民意」は移ろいやすく、ここ数年の政治の不安定化をもたらしている元凶と言えるかもしれない。2009年の政権交代、そして昨年の自民党の政権復帰がそれを象徴している。それでも、朝日・毎日などの護憲勢力がどうしても変えまいとする日本国憲法の第1条で規定されているように、国民こそが主権者なのだ。

現行憲法堅持を主張しながら、その憲法で一番に規定されている、主権者たる国民を信用していない。それを矛盾と言わずに何と言おう。しかも、これまで国民を「偏向報道」、あるいは「報道しない自由」によって欺き、その判断を誤らせてきたのは、彼ら左翼メディア自身だ。上述の社説で毎日は、「改憲論議の質と成熟度」が諸外国にはあり、日本にはなかったと論じているが、それを妨げてきたのもまた、「護憲」ありきで国民を洗脳してきた彼らの罪だろう。

そう考えれば、主権者たる国民に憲法改正の正否を判断させることには大きな意味があると考える。その前提として、改正条文の意味するところを明確に規定し、官僚お得意の「逃げ道」、「落とし穴」のようなことは一切排除する。そして、メディアは立場を明確にし、徹底的に議論し、国民に対して十分な判断材料を提供する。それはこの国にとって実り多きものになるだろう。

おそらく、極左の現行憲法教条主義者の頭の中では、「96条を改正すれば9条を改正する。そして9条を改正すれば戦争が起こる。よって、96条を改正すれば戦争が起こる」というあり得ない三段論法が展開されているのだろう。あるいは、それはまだましで、下手に国民の憲法に対する興味を喚起すると、彼らが支持する勢力(それは彼らが言うところの「世界」かもしれないが)にとってマイナスになると考えているのかもしれない。

そのような観点から考えれば、安倍首相が主張する「国民の手に憲法を取り戻す」とは、文字通り国民が憲法について論じる機会を得ることになるであろうし、この国の主権国家としての在り方を、国民一人ひとりが真剣に考える絶好のチャンスになるとも言える。

憲法がどう変わろうとも、戦争したいと思う人間など今のこの国にはほとんどいない。それを、いわゆる「平和憲法」に少しでも手を加えれば、直ちに戦争に繋がるなどと主張する人々を、とても正常だとは考えられない。反日国を利する報道を繰り返すメディア、また世界(=特ア)の利益を最優先する特定の政治家のような連中は、「真の日本人」から見れば、異常で当然なのかもしれないが。そのような勢力に対して声を大にして伝えておきたい。「日本人はそれほどバカじゃない」!


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2013年5月 6日 (月)

外交における靖国神社「問題」の起源と歴史 Part 2 ‐小泉参拝と歴史認識の相対性‐

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(写真はNikkei BPnetより)


前回の記事、「外交における靖国神社「問題」の起源と歴史 Part 1 ‐歴史教科書問題と同じ構図 中曽根参拝の罪‐」で論じたように、1985年の中曽根参拝以降、首相による靖国参拝は、1996年7月29日に橋本龍太郎氏が参拝するまで10年以上行われることはなかった。中曽根参拝の時のような騒動が再び持ち上がったのは、2001年、小泉純一郎氏が総理大臣に就任してからのことになる。

自民党総裁選の最中に行われた候補者による公開討論会において小泉氏は、「首相に就任したら、8月15日にいかなる批判があろうとも必ず(靖国に)参拝する」と明言していた。首相に就任した小泉氏は、「戦没者にお参りすることが宗教的活動と言われればそれまでだが、靖国神社に参拝することが憲法違反だとは思わない」、「心をこめて敬意と感謝の誠をささげたい。そういう思いを込めて、個人として靖国神社に参拝するつもりだ」と衆議院本会議でも表明した(Wikipedia参照)。

2001年8月13日、小泉氏は首相に就任して最初の靖国参拝を行った。同氏は私的か公的かについては明らかにしながったが、参拝方式は、1985年の中曽根康弘氏による公式参拝を踏襲したものであった。公約通り8月15日に参拝しなかったことに関しては、首相談話を発表し、中韓に配慮した結果であることを説明した。

小泉氏が首相である間、特に中国は首脳間の相互訪問を行わないなど、徹底的に嫌がらせを行った。それでも同氏は首相在任中、毎年靖国参拝を続け、退任の年、2006年には念願だった8月15日の参拝を果たした。

同氏はこの時のインタビューで、、「靖国神社参拝を条件にしてね、この参拝をしなければ首脳会談を行うと、するならば首脳会談行わないというのが、果たして良いのかどうか。 私は、これはよろしくないと思っています」、「中国に不快な思いをさせちゃいけません。中国のいうことを聞きなさい、韓国のいうことを聞きなさい、そうすればアジア外交が上手くいきます。私は必ずしもそうじゃないと思いますね。 一つや二つ、どの国も意見の違いや対立あります…」と述べ、中韓の対応を批判するとともに、国内の左翼勢力の主張に反論している。

また、「今までの日中首脳会談、日韓首脳会談においても、その考え(不戦の誓いと戦没者追悼の意で参拝しているということ)を伝えてあります、何回でも。いつでも会えば、中国側が、韓国側が、靖国参拝するなと言えば、いつも、中国側、韓国側の考えと私は違うということを説明している」と、日本と中韓との靖国に対する認識の違いを丁寧に説明していると述べている。つまり、歴史認識においては双方の違いを前提として、その上で、「そういうのを乗越えて未来志向で友好関係を進展させていくのが、日本としても他国にしても大事じゃないでしょうか」という小泉流の合理主義を表明。これは、中曽根参拝以降の日本の政治家が失っていた、外交のあるべき姿を示してくれたものであると考える(歴史認識については以下で再度議論させていただく)。

小泉氏の主張は全くの正論であり、中韓の主張に迎合したところで外交が上手くいくものではないということは、これまでの歴史が証明している。小泉政権時代、確かに中韓との関係は悪化したが、それによって何か日本の国益が損なわれたかといえば、そんなことはなかった。逆に民主党政権では、徹底した媚中韓外交が行われたが、それによって得られたものはあっただろうか。むしろ失ったものばかりだろう。

そうした事実にも関わらず、反日メディアは相も変わらず中韓に「配慮せよ」という主張を続ける。

朝日新聞は昨日、5月5日付の社説で、中国の指導部にせよ、一般市民にせよ、意見が決して一つにまとまっているわけではなく、 日本に対する強硬派がいると同時に、対日関係を重くみる協調派もいるとした上で、「日本と対立が強まれば、中国で対日強硬派の発言力が増し、協調派の発言力が低下する。そうでなくても日中には歴史問題があるから、注意しないと強硬派が優勢になる。ここに日中の陥りがちなわながある」、「対日関係改善を望む人が中国には少なからずいる。彼らを困らせる言動を慎むことが、わなを抜け出す第一歩になる」と主張している。

つまり、日本を大切に思ってくれている中国人がいるのだから、彼らのためにも中国が嫌がるような言動は慎め、といわけだ。中曽根康弘元首相は自著『自省録』の中で、改革開放・自由化・自由経済原理の導入などに積極的な胡耀邦氏が、保守派の巻き返しで苦境にあることを知り、自分が靖国神社参拝を続行すれば同氏をますます窮地に追い込むと考え、靖国参拝をやめた、としている。まさに朝日が主張する通り、中国の対日「協調派」に配慮したということだ。

中曽根氏の「配慮」にも拘らず、胡耀邦氏は保守派の巻き返しにあい、1987年に失脚した。この中曽根氏の行動について、政治評論家の屋山太郎氏は、「『古い友人が困った立場になる』と脅すのは中国外交の常套手段で、中曽根氏はこれにひっかかったのではないか」と論評している(岡崎久彦・屋山太郎著『靖国問題と中国』)。

結局のところ、日本がどう行動しようとも、それとは全く関係なく中国の政治は動いていく。それは主権国家として当然だろう。そうであれば、日本においても中国の言動に煩わされることなく、純粋に国益に基づいて政治が行われるべきだ。上述の朝日の主張は、そうした国際政治の現実を理解しない、あるいは理解しているにも関わらず、特定勢力を利するための荒唐無稽な主張であると考えざるを得ない。

ここまで、日本の首相による靖国神社参拝と、それに対する主に中国の内政干渉と考えられる批判、そして左翼勢力の動きを記してきたが、つまるところ、反日教育を行い、反日を唱えれば国内問題に対する批判を回避できると考えている国に対して、どれほど証拠を挙げ、論理的な説明を試みようとも、ほとんど意味はない。何故なら、日本の一挙手一投足から対日批判に使えそうな要素を探し、外交カードとして使おうとするのが彼らの目的であって、靖国問題に限らず、全ての(彼らが主張する)問題の本質など彼らにとっては「どうでもいいこと」なのだ。

重要なのは、そのような現実を理解し、日本には日本の思想や主張があり、中韓も同様だと認識することだと考える。彼らは自分たちの「歴史認識」を日本に押し付けようとし、日本の左翼勢力もそれをサポートするが、そんなことは不可能だ。全ての国々、あるいはその国に住むそれぞれの個人は、皆、独自の歴史認識を持っている。それをすべて同一にすることなどできるはずがない。

この点に関して、Ayakikki氏は、自身のブログの記事①「◇麻生副総理、韓国朴槿恵大統領に歴史認識の相対性を語る?」及び、②「◇靖国問題への反省。。。歴史認識の相対性理論」の中で、「歴史認識の相対性」という概念を語っている。これは、「『歴史的認識』も『空間軸』や『時間軸』における『相対性』を意識しておく必要性がある」という考え方だ(②参照)。

同氏は上記①の記事の中で、産経新聞の4月23日付記事を引用している。記事によれば、2月に行われた、麻生太郎副総理兼財務相と朴槿恵韓国大統領との会談の中で、朴大統領が「真の友好関係を構築するには歴史を直視し過去の傷が癒やされるよう努力しなければならない」と一方的な歴史観を押し付けるような発言をしたのに対し、麻生副総理は、米国の南北戦争の呼称が北部と南部で異なるとの持論を語り、「同じ国、民族でも歴史認識は一致しない。それを前提に歴史認識を論じるべきではないか」と主張したという。この考え方が、Ayakikki氏の言う「歴史認識の相対性」であり、歴史を客観的に見るためには必要不可欠な概念であると考える。

テレビのドラマにせよドキュメンタリーにせよ、例えば幕末をテーマにする際、徳川方の人物にフォーカスすれば、どうしても徳川目線になりがちであるし、薩長方の人物に焦点を当てればその逆になるのは止むを得ないことだ。それは現実の歴史でも同様であることは、民度が十分に高い国に生きる人間であれば、多くが理解するところだろう。それ故、靖国神社に日本の首相が参拝したからといって、それに抗議するのは中国、韓国、そして一部の中国系のシンガポールの人々に過ぎないわけだ。

上述のように、常に対日批判に使えそうな要素を鵜の目鷹の目で探している中韓に対して、「歴史認識の相対性を理解せよ」などとは言わない。言ってみたところでナンセンスだ。しかし、中韓の走狗となっている朝日・毎日を始めとする反日メディア、そして社民党などの反日政党には、正常な感覚を持った日本人であれば強く警告すべきだろう。「歴史認識の相対性」を認識せず、自虐史観に基づき日本の国益を損ねるのは即刻止めよと。

所詮、彼らは中韓と一枚岩なのだから、何を言っても無駄だということは分かっている。それでも、その異常性を指摘する日本人が一人でも増えれば、彼らの力を今より弱めることができると信じている。だから、決して彼らに対する批判を止めることはできない。

最後に、安倍首相による靖国神社参拝について。首相が春の例大祭の期間中に参拝しなかったことに対して、保守層から非難の声が上がった。もし8月15日も参拝を見送るということになれば、その声は一層大きくなるだろう。個人的には、できれば首相に、必ずしも終戦記念日である必要はないので、秋の例大祭辺りで参拝して欲しいとは思う。ただ、靖国に参拝しないからといって、安倍首相への支持を撤回することはない。

というのも、いわゆる「靖国神社問題」を単体の事象として捉えるべきではなく、日本の外交政策全体で、「日本は変わった。中韓からの理不尽な要求には屈しない」との姿勢を見せることがより重要であると考えるためだ。そのための戦略の中で、靖国をどう位置付けるのかによって、首相の動きは変わってくるだろう。よって、今年安倍首相が靖国参拝を行わないことを持って、首相に対する評価を定めてしまうのは早計だと考える。

さて、2回に亘って外交問題としての靖国を論じてきたが、小泉参拝は対中韓関係において、大きな功績を上げたと思われる。ひとつは、繰り返しになるが、中韓へ「配慮」してもしなくても、日本の国益にはほとんど影響はないという事実を日本人に知らせてくれたこと。さらには、自虐史観によって自縄自縛に陥っていた日本人に対して、「歴史認識の相対性」の重要さを示してくれたこと。総理大臣としての小泉氏に対する評価は様々だと思うが、こと靖国に関しては、日本を中曽根参拝による呪縛から解き放ってくれたことに対して、最大限評価したい。

今年の夏は、靖国ついてどのような議論が交わされるのだろうか(左翼メディアの主張は毎度のことだろうが)。それは参院選の結果に大きく左右されると考えられるが、いずれにせよ暑くて熱い夏になるだろう。それでも、少なくとも民主党政権だった昨夏に比べれば、少しは清涼感のある夏になるであろうことは間違いないと確信している。
(了)

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2013年5月 3日 (金)

外交における靖国神社「問題」の起源と歴史 Part 1 ‐歴史教科書問題と同じ構図 中曽根参拝の罪‐

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(写真はWikipediaより)


前回の本ブログの記事「靖国参拝への反応 反日:朝日・毎日 愛国:産経 微妙:読売 ‐「正論」を曲げない安倍首相 反日メディアは黙れ!‐」では、閣僚などの靖国参拝に対する各紙の反応をお伝えした。産経新聞をほぼ唯一の例外として、メディアには「反靖国」、「安倍叩き」報道が溢れている。左翼勢力、メディアの批判は憲法改正へと移りつつあるが、今回は靖国神社参拝が外交問題化した経緯を論じたい。

靖国神社は、1869年、戊辰戦争等による幕末維新期の戦没者を慰霊、顕彰するため「東京招魂社」として創建され、1879年に「靖国神社」と改称された。その後、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの戦没者が祀られ今日に至っている(靖国神社ホームページ参照)。

敗戦後の1945年10月、幣原喜重郎首相は靖国神社に参拝し大戦の戦没者の霊を弔った。同年11月には昭和天皇も参拝。しかしその後、GHQの指示により、戦没者の慰霊祭への公的関与は一切禁止された。1951年にサンフランシスコ講和条約が署名されると、時の首相・吉田茂は、GHQから「戦没者の慰霊祭等への公人の参拝差し支えなし」という許可を得て公式参拝を行った。翌1952年の講和条約発効後、10月に創立百年記念大祭において昭和天皇・香淳皇后が参拝した。それ以降は、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄の各首相が、主に春秋の例大祭の時期に参拝を行っている。

田中内閣までは、首相による靖国神社公式参拝について大きな批判はなかった。しかし田中氏の後を襲って総理大臣に就任した三木武夫氏は1975年8月15日、総理としては初めて終戦記念日に参拝した際に、私的参拝4条件(公用車不使用、玉串料を私費で支出、肩書きを付けない、公職者を随行させない)による「私人」としての参拝を行った(Wikipedia参照)。

三木氏が「私的」参拝を強調したことにより、同年、天皇陛下による参拝は私人としてか公人としてか、という点が国会で問題となった。11月20日の参議院内閣委員会で社会党の追及を受けた吉国一郎内閣法制局長官は、天皇の参拝は、「憲法第20条第3項の重大な問題になるという考え方である」と答えた(櫻井よしこオフィシャルサイト参照)。天皇は翌21日、靖国参拝を行うのだが、それ以降、天皇による参拝は今に至るまで行われていない。

三木参拝以降も、歴代の首相は、福田赳夫氏4回、大平正芳氏3回、鈴木善幸氏9回と靖国参拝は継続された(「私人」としての参拝もあれば、「私人」か「公人」か明確にしない参拝もあった)。鈴木内閣までの首相による靖国参拝に関する主要な論点は、「公人」として参拝することが、憲法第20条第3項の「政教分離原則」に反しているか否かであった。この間、大平内閣時代の1978年10月17日、東京裁判におけるA級戦犯14名が国家の犠牲者「昭和殉難者」として合祀されたが、それ以降も、大平氏、鈴木氏は首相として靖国に参拝している。それに対しては、特段、外国からの抗議はなかった。つまり少なくともこの時点では、A級戦犯合祀は、首相による靖国神社参拝のハードルではなかった。

靖国参拝に関する議論がその形を変え、外交問題化していくのは、皮肉にも、靖国参拝に強い思い入れを持っていた中曽根康弘氏が首相の時だった。中曽根氏は1983年4月21日、首相就任後初めての靖国参拝を行ったのを皮切りに、1985年4月22日までに計9回参拝した。問題が起こったのは(「起こされた」と言った方がいいかもしれないが)、10度目となった、1985年8月15日の参拝。中曽根氏は公約として、「靖国神社公式参拝」を掲げており、また、戦後40年の区切りということもあって「戦後を総決算する」と述べ、同日公式参拝した。

この中曽根氏による動きには、朝日が敏感に反応した。1985年8月7日付朝日新聞は、「『靖国』問題/アジア諸国の目」と題した特集を始めた。この中で北京特派員の加藤千洋氏が、「靖国問題が今『愛国心』のかなめとして登場してきたことを、中国は厳しい視線で凝視している」と報じている。また、12日付で加藤特派員は、「人民日報が十一日付、東京特派員電で、日本国内で野党や宗教団体を中心に中曽根首相の公式参拝に『強烈な反応が引き起こされている』と報じた」とした。さらに同氏は15日付の「アジア人傷つける/中国が批判」と題した記事で、日本人記者による、「中曽根首相と閣僚等が靖国神社を公式参拝することに、中国はいかに論評するのか」という質問に対して、中国外務省のスポークスマンが、「日本軍国主義により被害を深く受けた中日両国人民を含むアジア各国の感情を傷つけることになろう」と語ったと報じた。

また、8月26日、当時の社会党が田辺誠氏を団長として訪中し、「靖国神社公式参拝で日本の平和と民主主義への逆風が強まっている」と中曽根首相を批判。田辺氏は当時中国共産党顧問だった鄧小平氏に対して、「日本についてどういうことを言いたいか」と批判を促すような問いかけをし、「我々が心配しているのは日本の軍国主義分子の動向だ。日本の政界人も個々人の行いを注意してもらいたい」という言葉を引き出した。こうした流れを受けて、27日、姚依林氏が中曽根首相の靖国神社参拝を中国の要人として初めて批判した。

これが靖国神社問題が外交問題となった端緒だ。それ以前、中国は日本の首相による靖国参拝を批判したことはなく、A級戦犯が合祀された後も何の抗議も行っていなかった。1985年の中曽根氏の参拝後も積極的にそれを批判する動きはなかったにも関わらず、朝日新聞が火をつけ、社会党がそれを増幅することによって、国内の問題であるはずの靖国が外交問題へと発展した。つまり、日本の左翼勢力ががわざわざ、貴重な外交カードを中国側にプレゼントしたということだ(以下の映像参照)。





元駐タイ大使で外交評論家の岡崎久彦氏は、この一連の動きについて、「これはもう、朝日新聞と中国の連係プレーであることは明らかですよ。そこから後はもう大騒ぎになります。中国は、中央テレビなどの報道機関が、日本の野党が出した公式参拝反対の談話を報道します」と批判している(岡崎久彦・屋山太郎著「靖国問題と中国」より)。

いくら中国に批判されようとも、中曽根内閣が「内政干渉だ」と明確に主張し、国内問題への中国による不当な介入に異議を唱えれば何ということはなかっただろう。一時的に日中関係が不安定化したとしても、大きな問題ではなく、現在でも首相による靖国参拝が行われていただろうと考える。しかし勢い込んで終戦記念日に靖国参拝を行った割には、その後の中曽根内閣の対応は情けないことこの上なく、現在に至るまで国益を大きく損ねることとなった。

後藤田正晴官房長官は翌1986年8月14日、靖国神社公式参拝に関する談話を発表した。その概要は以下の通り。

「靖国神社がいわゆるA級戦犯を合祀していること等もあって、昨年実施した公式参拝は、過去における我が国の行為により多大の苦痛と損害を蒙った近隣諸国の国民の間に、そのような我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、ひいては、我が国が様々な機会に表明してきた過般の戦争への反省とその上に立った平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある」。

「我が国が平和国家として、国際社会の平和と繁栄のためにいよいよ重い責務を担うべき立場にあることを考えれば、国際関係を重視し、近隣諸国の国民感情にも適切に配慮しなければならない」。

などとして、翌8月15日に首相による公式参拝を行わないことを表明。談話の最後に取って付けたように、「公式参拝は制度化されたものではなく、その都度、実施すべきか否かを判断すべきものであるから、今回の措置が、公式参拝自体を否定ないし廃止しようとするものでないことは当然である」と記してあるものの、完全に中国の主張に屈服し降参した体がありあり。事実それ以降、中曽根氏が首相在任中に靖国を参拝することは一度もなかった。

メディアが煽り、中国が抗議し、政府はそれにあたふたして譲歩を重ね、中国に「内政干渉」という既得権益を与える。これは本ブログの記事「自虐史観教育から子供たちを護れ!Part 2 ‐「メディアが作った」諸悪の根源「近隣諸国条項」‐」で批判させていただいた、1982年、中韓による歴史教科書に対する抗議によって「近隣諸国条項」が生まれた時と全く同じ構図だ。中国としては、何もしなくても日本にいる親中勢力が色々な外交カードを提供してくれるのだから堪えられないだろう。

中曽根氏の「覚悟なき」靖国公式参拝。そしてその後の「媚中」とも言える腰砕けの官房長官談話は、それ以降首相になる政治家による靖国参拝の大きな足枷となってしまった。歴史教科書問題に続き、日本はまたしても「外交敗北」を喫することとなった。次の首相による靖国参拝は、1996年の橋本龍太郎氏まで、実に10年以上も待たなければならなかった。
(この章続く)

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