偏向報道NHKを解体せよ!Part 6 ‐大手メディアも批判不可 NHKによるメディア支配‐
産経は4月1日、「原発容認で出演中止 NHK番組 『意見変えて』要請」というタイトルで、NHKが自身のプロット通り発言しない研究者の番組出演を取りやめさせたことを報じた(msn産経ニュース参照)。
記事によると、日本エネルギー経済研究所顧問の十市勉氏は、NHKから番組への出演を依頼され、昨年11月21日に、同番組ディレクターらと打ち合わせを行った。国内では関西電力大飯原発以外の原発は停止しており、輸入が急増し高騰するLNG価格をどう下げるかコメントを求めたられた同氏は、(1)LNGの輸入源と調達方法の多様化(2)交渉力強化のため、共同購入やLNG火力の代替手段の確保が重要。そのためには安全が確認された原発は地元の同意を得たうえで再稼働させたり、石炭火力の活用が有効(3)電力制度改革で発電市場の競争の促進、を挙げた。
ところがその翌日、ディレクターから「番組に出演するには意見を変えていただくことになる」と電話があった。その理由として「原発ゼロを前提にどう価格を引き下げるかを趣旨にしており、再稼働に関する発言はそぐわない」と述べたという。
十市氏がNHKに説明を要求したところ、チーフプロデューサーから連絡があり「(同氏の発言は)原発ゼロを前提にしていない。総選挙前であり放送の公正・中立に配慮した」と釈明したものの、同氏の発言のどの部分が、放送の中立に反するか説明はないまま、出演は取りやめになった。
つまりNHKはあくまで「原発ゼロ」を前提とした番組を作りたかったが、十市氏がその趣旨とは異なる意見を述べたため、同氏を排除したということだ。
この記事を読む限り、十市氏の発言は現実を反映した至極真っ当なものであり、何が放送の公正・中立に反するのか全く理解できない。むしろ、「脱原発」への賛否が重要な論点の一つとなっていた昨年の総選挙直前に、原発ゼロを前提とした番組を制作することこそ、放送の中立に反すると思うのだが。産経がこの件をニュースとして取り上げたのも、同様な疑問を抱いたためだと思われる。
この出来事は、NHKの報道姿勢を明確に表している。同局の報道は真実の追求が目的ではなく、予め設定した流れがあり、その辻褄を合わせるために専門家の発言を「利用」しているのだということがよく理解できるだろう。
NHKの偏向に詳しい方は、「こんなことは日常茶飯事だ」と思われることだろう。しかし、メディアがNHKを批判的に報道することは「極めて異例」、と言っていい。実際、今回の産経の報道に関しても、他のメディアによる「後追い」は一切ない。
本ブログの「偏向報道NHKを解体せよ!」シリーズでも数々指摘させていただいたように、NHKの番組は偏向したものが少なくない。それでも他のメディアがNHKを批判しないのは、日本にはNHKによるメディア支配の構図が存在するからだ。
例えば放送設備について。放送局がその番組を全国に届けるためには、各地にアンテナを建てる必要がある。その費用は莫大で、一放送局が負担したのでは採算が合わない。しかしNHKは受信料という「安定収入」を元手に、遠慮なく設備投資することが可能だ。そのNHKの設備に民放各局が後乗りすることにより、民放のビジネスが成り立つ。
加えて、人気スポーツの放映権料。オリンピック、サッカーワールドカップは、NHKと日本民間放送連盟加盟各社で構成された「ジャパンコンソーシアム」という組織が放映権を購入している。しかし、オリンピックは70%、ワールドカップでは50%以上をNHKが負担している。そうであれば、視聴率が取れるオリンピックの人気種目、あるいはワールドカップの日本戦などはほとんどNHKが放送すると考えるのが普通だろう。
しかし実際は、NHKも含めた各局がほぼ平等に放送を分け合っている。「太っ腹」なNHKは、負担額相応の放送ができなくても気にならないようだ。
これについて、元NHK職員の立花孝志氏は、「お金は払って、民放に与えた上で、『NHKを批判するな、受信料制度につっ込みを入れるな』と民放を牽制しているのです。日本の放送界の親玉はNHKだから、民放は逆らうな、とにらみを利かせる構図がずっと続いているわけです」と説明する。
また同氏は、「(民放の)広告収入二兆円プラス受信料の六〇〇〇億円で放送界を回すという考え方が、業界の常識として定着しています。だから民放がNHKを批判する番組を作ることはできません。なぜなら、NHKを批判して、放送送出設備にかかる費用を余計に請求されたり、NHKが一部民営化されでもしたら、とても困ります。広告収入二兆円だけでなく、受信料収入六〇〇〇億円が減ると、本当に困るのは民放なのです」とも述べている(三橋貴明著「大マスコミ疑惑の報道」)。
この状況では、ビジネスという観点から、民放がNHKを批判することなど不可能だろう。そうした放送局を系列に持つ大手新聞社も同様。実際、大手メディアによるNHK批判は、上述の通りほとんど見られず、メディア業界の「タブー」だと言える。
この点についてWikipediaでは、「テレビ報道や新聞各紙、即ちマスメディアそのものの在り方などを批判するようなことはタブーである。これは自分自身を否定してしまうことに繋がるため、マスメディア自身が電波を通して公式の見解として発表することは勿論、視聴者である国民が一意見として投稿したものを大々的に認めることは有り得ない。つまり、テレビや新聞等のメディアに、メディアそのものの是非を求めても無意味であり、たとえ機会があったとしても当たり障りのない議論しかなされない」と述べられている。
つまり、日本のメディアは身内意識に凝り固まり、相互批判を行わないことが業界の「慣習」となっている。他社に対する批判は、ともすれば「天に唾する」行為となってしまうことを恐れているのだろう。とりわけ業界の「ドン」NHKを批判することなど、あってはならない「禁じ手」だということか。
どの業界も「悪しき慣習」というものは存在する。例えば建設業界における「談合」など。外部の人間から見れば単なる違法行為であっても、建設業界におけるそれは、中小の建設会社を潰さないための、いわば「互助会」的なシステムなのだ、という内部からの主張もある。決して肯定はしないが、どの業界でも表と裏はあるし、「裏の顔は全て排除せよ」と言えるほど、僕自身清流に生きてきたわけでもない。
ただ、マスメディアは行政・立法・司法に次ぐ「第4の権力」と言われる存在だ。彼らが何故そのような権力を持ちうるかと言えば、本ブログで繰り返し述べさせていただいているように、それは国民の知る権利に貢献するということによってである。4番目の権力は、他の三権を監視し、それらの不正義を国民に分かり易く伝えることにこそ、その存在意義がある。そうした重責を担うべきメディアが、他の業界のように、自身の利益のみを追求していたのでは、他の三権の腐敗が国を傾かせるのと同様、国としての日本の存立を危うくさせる。
いわゆる「NHK問題」は、その偏向した放送内容、「殿様商売」の受信料制度はもちろんであるが、NHKが中心となって日本のジャーナリズム(そのようなものが存在すればの話だが)全体を歪めているという点に、より大きな罪がある。
安倍内閣は、「日本を、取り戻す」ことを目指して政治を行っている。「日本のジャーナリズムを、取り戻す」ためには、まずメディア界の「巨悪」、NHKを解体することが最初の一歩となると確信している。
(この章まだ続く。次回、最終回の予定です)
関連記事
偏向報道NHKを解体せよ!Part 1 ‐上から目線のツイート 異常なプログラム どこの国の公共放送なのか‐
偏向報道NHKを解体せよ!Part 2 ‐垂れ流された偏向報道に受信料など払えるか!‐
偏向報道NHKを解体せよ!Part 3 ‐「世界」は中韓だけじゃない 特アの反日思想を押し付けるな!‐
偏向報道NHKを解体せよ!Part 4 ‐「作られた」韓流ブームなどNHKが仕掛ける中韓「文化帝国主義」‐
偏向報道NHKを解体せよ!Part 5 ‐今月も「反日アクセル全開」 の「皆さまのNHK」‐
↓ワンクリックでご声援いただければ幸いです。
« 収穫多き首相のモンゴル訪問 ‐「真摯さ」と共に着実に進む「安倍外交」‐ | トップページ | 偏向報道NHKを解体せよ!Part 7 ‐まずはスクランブル化そして民営化 現状維持はあり得ない‐ »
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 安倍首相VS細野民主党幹事長 ‐最高権力者に表現の自由はないのか‐(2013.06.16)
- 「河野談話」を乗り越えて 従軍慰安婦「問題」の根本的解決に向けて Part 1 ‐橋下「騒動」を検証‐(2013.05.30)
- 余禄 「原爆は神の懲罰」その後 ‐去勢されたメディアに未来なし‐(2013.05.25)
- 「原爆は神の懲罰」韓国・中央日報 ‐朝日はスルー こんな国との友好などあり得ない‐(2013.05.23)
- 既存メディアに地殻変動? ‐産経・読売が朝日を名指しで批判‐(2013.05.21)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
« 収穫多き首相のモンゴル訪問 ‐「真摯さ」と共に着実に進む「安倍外交」‐ | トップページ | 偏向報道NHKを解体せよ!Part 7 ‐まずはスクランブル化そして民営化 現状維持はあり得ない‐ »
なに言うとりまんねん!さん、コメントありがとうございます。
僕も何度もWikiの「報道」を参照していますが、メディアによる報道に対して相当シニカルな見方をしていて、おもしろいですよね。
大学院での専攻がジャーナリズムとメディア・スタディーズでしたの、少々偉そうに語らせていただき恐縮ですが、そもそものジャーナリズム、その初期の新聞の起源は政治的主張をするための媒体でした。ですから、「客観報道」などというのは後から出てきた概念であって、一方的な主張こそ、当初の新聞の在りようでした。
しかし、多くの読者を獲得するためには、偏った論説のみでは都合が悪い。それゆえ、多様な価値観を持つ人々に読んでもらうため、いわば商業的側面を追求していったところに「客観報道」という考え方が合致した。ざっくり言うと、ジャーナリズムはそのような道を辿って来ました。
その起源を考えれば、現在の「不偏不党」などという思想はあり得ないものですし、本当にそのようなメディアがこの世界のどこかに存在するのであれば、メディアの専門家である僕が教えて欲しいほどです。
ご指摘のWikiが語っているように、真の「中立」など存在し得ません。どのようなメディアであれ、必ず誰かの「主観」なり「判断」が介在しますので。それは教育でも、他のどのようなものでも同様で、メッセージを発する人なり組織の思想を排除することは、決してできません。
では、誰がこの国を、あるいは世界をリードしているのでしょうか。僕の意見としては、望ましくは、公正な選挙で選ばれた政治家であって欲しいと考えています。しかしその政治家の思想をも、メディアは捻じ曲げて伝えますので、真意が国民に届くかどうかは心もとありません。
そうであれば、結局は我々自身がしっかり勉強し、確固たる自己を持ったうえで、その思想を具現化してくれる力を持った人にその思いを託し、その人を徹底的にサポートする。それはやはり政治家ということになるのでしょうけど、それが僕らができるベストなのではないかと思います。カリスマ性や経済的裏付けがある方は、自身が政治家となり、その理想を追求し、世の中をリードすることも可能だとは思いますが、それは一般庶民にはなかなかできませんよね。
そう考えれば、やはり自身の思想を託すことができる政治家なり政党を支持することによって、僕らの想いを現実のものとしてもらうよう積極的に働きかける。
結論としては、日本を、あるいは世界を在るべき方向に持っていくのは、僕たち一人ひとりの意志なのではないのかと考えます。理想論ではありますが…。
投稿: Mich | 2013年4月 9日 (火) 01時47分
貴殿のコメントを見るまで、 報道は中立かつ客観的でなければ成らないと思っていました。
WIKIPEDIAで「報道」で引くと結構面白い記載があります。
例えば
●報道関係者が「真実を伝える」と発言することがあるが、これは原理的に誤りである。
●報道に対する指摘の一つとして、「報道に「社会的責任」や「中立性」、「正義」などの「あるべき論」を求めるのは、そもそも間違っている」という考えが生まれる。
●報道機関は報道の自由や表現の自由を熱心に主張するが、それに伴う義務や責任については消極的である。
このような記載を見ると、貴殿のコメントのとおり、「メディアは自身の意見を堂々と述べればいいと考えます。ただし、公平中立とか不偏不党などを装って偏向報道するのではなく、立ち位置を明確にすれば、すっきりすると思いますね。」については同感の至りです。
私は、多分、小中学校のときに学校で報道とはこうあるべきと習ったのが、私の思い込みとなったのだと思います。
そうすると、教育と言うのも教える側の立場で七変化。 中国の教育、日本の教育、そして、欧米(一つでくくれないと思いますが)、等々、、、、、
このように考えると、誰が世の中をリードしているのだろうか?
投稿: なに言うとりまんねん! | 2013年4月 8日 (月) 23時53分
なに言うとりまんねん!さん、こんばんは。
愛読者なもので、勝手にリンクさせていただいておりました。御ブログのリンクに加えていただければ、大変嬉しいです!
確かに我田引水的な報道が目立ち、日本のメディアにはうんざりさせられますよね。ただ、戦後ずっと左翼メディアに引っ張られてきた状況が、ネットの普及によって、少しは左から真ん中辺りに触れつつあるのは、国民のメディアリテラシー向上という観点からも、良い傾向のように思われます。
ご指摘の通り、戦前は言論統制が厳し過ぎましたが(一方では商業的利益のため、戦意高揚報道も過ぎましたが)、戦後は「報道の自由」が保障されたにも関わらず、GHQによる統制を恐れるあまり、メディアが自己検閲に走り、それが日本のメディアの根本を歪めてしまったと思います。
メディアは自身の意見を堂々と述べればいいと考えます。ただし、公平中立とか不偏不党などを装って偏向報道するのではなく、「うちは自民党が大嫌いだから、自民を支持する論説など絶対掲載しない!」などと立ち位置を明確にすれば、すっきりすると思いますね。
投稿: Mich | 2013年4月 8日 (月) 21時51分
いつも、コメントくださり有難うございます。
お気に入りのところ、リンクいただいているのですね。
これまた、たいへん有難う御座います。
よろしければ、当ブログにもリンクを貼らせていただきます。
ところで、日本の報道ですが、自分たちが世論を代表しているように振舞うのを見て少し違和感を感じています。なにかあると、「報道の自由」をかざして、正当化するのもどうかと。
戦前の言論統制の反動が大きすぎるのか?
と言っても、世論を戦争へと導いたのも当時のマスコミのようです。
投稿: なに言うとりまんねん! | 2013年4月 6日 (土) 09時10分