イラク戦争から10年 ‐戦時下のジャーナリズムによる「客観報道」‐
3月20日で、アメリカが主体となり、イギリス、オーストラリアなどの有志連合が「イラクの自由作戦」の名の下にイラクに侵攻したことで始まった、いわゆる「イラク戦争」開戦から10年を迎えた。
読売、朝日、毎日、産経は19日、あるいは20日付の社説でいずれもイラク戦争開戦10年に触れ、「日本はイラクが国際の平和への脅威となる勢力と同調しないよう、米国と連携して影響力を強める必要がある」(産経)、「政府や国会は、いまからでも第三者による独立の検証委員会を立ち上げ、小泉氏からの聴取もふくめ、調査に乗り出すべきではないか」(朝日)、「米国が中東偏重の外交を見直し、真の脅威と向き合うことこそ、イラク戦争の最大の教訓の一つではなかろうか」(毎日)など、それぞれの立場での主張を展開している。
僕がこの戦争を考える時、戦時下におけるジャーナリズムの「客観報道」がどうあるべきか、という点について思いが至る。
客観報道とは、ニュースの報道にジャーナリストの主観、意見を入れないということ。オピニオン(社説、解説など)と事実の報道(ストレートニュース)とを明確に区別し、事実の報道はできるだけ客観的に観察、分析、描写、伝達することで真実に迫ることができるという考え方だ。
2003年の開戦時、僕はアメリカのローカル紙でインターンの記者として働いていた。イギリスで「国際紛争報道」を学んだ僕は、自分が滞在している国が起こしたこの戦争に、人一倍興味を持っていた。幸運にも、地元での反戦運動などを取材する機会に恵まれることとなった。
イラク戦争に関しての取材をしていた頃、僕が属していたビート(取材担当エリア)のキャップと雑談していた時、彼は僕にこう尋ねた。'Hey Mich, do you think what WE are doing in Iraq is right?' (ミッチ、我々がイラクでやっている戦争は正当だと思うか?)彼は、外国人の目から見て、アメリカが行っている戦争をどう感じるのか知りたかったのだと思う。その質問を受けた僕は少し戸惑った。それは、'WE'という言葉に違和感を持ったからだ。
というのも、僕にとっては、戦争しているのはあくまでアメリカ軍であって、一般のアメリカ国民がその戦争を「我々」の戦争と感じているとは思っていなかったからだ。彼は僕の気持ちを察したらしく、「米軍」と言い直したので、僕は迷わず、「この戦争は間違いです」と答え、彼も「僕もそう思うよ」と応じた。
今振り返ってみると、その感覚は、平和ボケした日本人の典型だったのだと思う。第二次大戦後も、朝鮮、ベトナム始め様々な戦争を戦ってきたアメリカと、戦後、一度も戦争を経験したことのない日本の差だったのだな、と。
共同通信の元編集主幹・原寿雄氏曰く、「戦争は常に『正義』の名の下に進められる。『正義』は国の数だけあるといえる。『平和のための戦い』という主張もつきものである。それだけに、ジャーナリズムが歴史の裁きに耐えうる真実を発見するのは容易なことではない。厳密な客観報道だけが、かろうじてその可能性を保障するのではないか。『人類から愛国心をたたき出さない限り、平和な世界は来ない』ように私も思う。自国中心の愛国的報道は、必ず偏向したニュースを生む」(同氏著・ジャーナリズムの思想)。
メディア研究者であった当時の僕は、氏のそのような思想に共鳴し、戦時下にあろうとも、「厳密な客観報道」こそジャーナリズムが追求すべきものだと考えていた。
そのため、僕は湾岸政争の最中、イギリスの大衆紙がユニオンジャックと共に、「湾岸の我が男女将兵を支持する新聞」と記していたことには批判的であった。また、同戦争に米軍が勝利した際、アメリカ3大ネットワークのひとつCBSの有名アンカー、ダン・ラザー(Dan Rather)が、現地で米軍のブーマー司令官(Walter E. Boomer)と涙ながらに手を取り合い、"Congratulations on a job wonderfully done!"と述べたことについても、ジャーナリストにあるまじき行為だと考えた(実際、アメリカメディアからも「客観報道」に反する行為として批判を受けた)。
しかし、あれから10年の時を経て、着実に軍備を増強する中国や、国際社会の警告を無視してミサイル発射や核実験を繰り返す北朝鮮を見るにつけ、原氏の言うような「客観報道」が可能なのかどうか。また、それが可能だとして、そうした報道姿勢が、日本の国益に資することになるのかどうか大きな疑問を抱くに至っている。
平時である現在、NHK、朝日始め、親中韓の報道を繰り返す日本のメディアは、もし日本が関わる紛争が起こった場合、どのような報道をするのだろうか。
相も変わらず「客観報道」という錦の御旗の下、敵国に有利な報道をするのか。あるいは、180度態度を変え、視聴率アップ、あるいは部数アップのため、戦中のような愛国報道をするのか。
戦争はメディアにとって「美味しい」出来事である。古今東西、戦時に国威発揚報道をすれば、メディアが「商業的に」成功するのは歴史が証明している。現在は「反日」である朝日も、戦中は大本営発表をそのまま、あるいはそれを増幅させて報じ、国民の好戦意識を煽り部数を伸ばしていた。
結局のところ、先進国のどれほど洗練されたメディアであろうとも、いざ自国が戦争となれば、客観報道など二の次で、少なからず愛国的な報道をするのが「普通」なのだろう。その点では、湾岸戦争やイラク戦争を、必ずしも自国中心に報じなかったアメリカの一部メディアは、「フェア」であったように思う。
しかし、そうした成熟した報道機関としての「フェア」な精神を持たない日本のメディアは、もし一事あれば、徹底的なナショナリズムに囚われた愛国報道、あるいは、敵国を利する「国家反逆的」報道の両極に分かれる可能性があるように思う。
「筋を通す」という意味では、日本の国益に囚われず、あくまで彼らが思う「客観報道」を左翼メディアが押し通せば、それはそれで評価に値すると考える(しかしそれは、客観報道というよりも利敵報道になるだろう)。しかし一度紛争が起これば、左翼メディアでさえ、商業的利益重視で「国粋的」メディアに変貌する可能性が十分あると思われる。何故なら、彼らはジャーナリズムの矜持など全く持たない「曲学阿世の徒」であることは、少しでも日本のジャーナリズムに関する知識を持った人間にとっては、歴史的事実であるからだ。
メディア学者でもなく、また記者でもない普通の一般市民となった現在の僕にとっては、戦時においてメディアに期待することは、大本営発表のような国民を欺くような「偽り」の報道でもなければ、現在の左翼メディアが行っているような「反日報道」でもない。
戦況がどうであっても、ストレートニュースにおいては事実は事実として正しく伝えてくれること。そして、オピニオンにおいては、「互恵」とか「共存」とかいうまやかしの美辞麗句ではなく、真に日本の国益を考え、あくまで日本国、あるいは日本人の利益という視点からの論評。それこそが、日本国民が必要とする情報であると考える。
上述のインターン記者時代、イラク戦争に関連して、僕は地元の大学で'Philosophy of War'(戦争の哲学)という授業を担当していた教授にインタビューに行った。彼は第二次大戦に従軍した経験があるという、高齢で穏やかな人だった。
彼曰く、「私にはどの戦争が正しくて、どの戦争が誤っているということは判断できないし、一概に戦争は全て『悪』だということもできない。ただ、ベトナム以降アメリカが関わった紛争・戦争を見ていると、それらが正しいものだったとは思えない」。「私にできるのは、この象牙の塔で、アメリカが世界で何を行い、それを倫理的にどう判断すべきなのか考えることだけなんだよ」。
教授の言葉は今も僕の心に強く残っており、結局、僕ら一般市民も同じなのだと思う。
アメリカは、911を除けば、その本土が戦争の恐怖に晒されたことはない。だから、様々な紛争・戦争も、本土に住むアメリカ人にとっては全く現実的なものではない。戦地は朝鮮、ベトナム、あるいはアフガニスタン、イラクなどであるのだから。
アメリカとは違い、北東アジアで何らかの衝突が起これば、それは即、日本の国土に影響を与えるものとなる。そのことを、平和ボケした日本人は理解しているのだろうか。
そうした観点から考えれば、直接的な脅威を受けないアメリカの「一流」メディアは、ジャーナリズムとして、「我々は客観報道に徹する」などという理想的な報道をすることも可能だろう。一方、何かあればメディアも含めて、自身が命の危機に晒される状況にある日本においては、理想を論じるのは不可能なように思われる。
多くの日本人は「戦争」など、起こりえないものだと考えているかもしれない。しかし、中国の強硬姿勢、朝鮮半島の不安定さを冷静に見れば、この地域は、中東に劣ることなく、紛争発生の蓋然性が高い地域であるということは間違いないところだろう。
ある状況をどう捉えるのかは、個々人の問題認識能力、あるいはそれらの人々に影響を与えるメディアによる報道などという要素が大きいと思われる。平和ボケした日本人は、軍事衝突の危機が、今ここにある現実的な問題なのだということを明確に認識しなくてはならない。
「憲法9条があるのだから日本は大丈夫」などと、無能かつ無責任な社民党のような思想を信じている人がいるとすれば、それは完全に誤っている。日本の憲法がどうであれ、また、日本人がどれほど平和を信奉していたとしても、敵国は何の遠慮もなく日本を攻撃する。
それこそが国際的な常識であるということを、日本人は理解しなくてはならない。好むと好まざるとに関わらず、それが国際社会の現実なのだ。
戦時には、ジャーナリズムの自己満足に過ぎない「客観報道」など成立し得ない(そもそも平時においてすら、「客観的」な報道がされているのか疑わしいし、完全な客観報道など不可能だ)。それは蔑にはできないものの、あくまで理想であって、第三者的に他国の戦争を論じる場合にのみ成立する論理だ。
日本が戦争の当事国になることがあるとすれば、ジャーナリズムに求められるのは、まずは事実の報道。そして、どうすることが日本国の利益になるのかという冷静な分析。それ以上の国民を煽る愛国的報道も、逆に敵国を利する反日報道も必要ない。
現在の北東アジアの状況を冷静に認識すれば、政府のみならず、メディアも、「有事」の際どういうスタンスを取るのかを明確にしておくことが必要だろう。何故なら、戦後日本が経験していない紛争、あるいは戦争とういうものが、決して夢物語ではなく、現実の危機として迫っているのがこの地域の現状なのだから。
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伊阪ドンさん、こんばんは。
軍事衝突が起こってもなお、ご指摘のような文言を弄するメディアが存在するのであれば、もうこの国はおしまいですね。
もっとも、そんな論説をする以前に、日本列島は全滅しているかもしれませんが…。
そうならないためにも、反日報道を繰り返すメディアには、真の「国益」に資する報道というものを考えてもらいたいですね。手遅れでないことを祈ってはいますが…。
投稿: Mich | 2013年3月22日 (金) 21時47分
近い将来、隣国との紛争という事態になった場合に予想されるわが国のマスコミの反応としては
・平和憲法が踏みにじられた
・今こそ冷静な話し合いの場を
・歴史の過ちを繰り返すな
などが考えられます。
日本の戦後レジームの中では、いかなる戦争も「悪」という定義ですので、もはや議論の余地がないというか…
戦後初の軍事衝突が起きる前に、マスコミのレジームチェンジが行われる事を願って止みません。
投稿: 伊阪ドン | 2013年3月22日 (金) 00時34分