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2013年2月

2013年2月28日 (木)

偏向報道NHKを解体せよ!Part 2 ‐垂れ流された偏向報道に受信料など払えるか!‐

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本ブログの前回の記事、「偏向報道NHKを解体せよ!Part 1 ‐上から目線のツイート 異常なプログラム どこの国の公共放送なのか‐」では、直近のNHKに対する批判を議論させていただいた。今回はそのビジネスモデル、あるいは制度といった側面から、NHKについて考えてみたい。

NHKの主たる収入は、我々が払っている受信料。その受信料を取る理由としてNHKは、「いつでも、どこでも、誰にでも、確かな情報や豊かな文化を分け隔てなく伝える」という目的達成のため、また特定の勢力や団体に左右されない独立性を担保するためと説明している(Wikipedia参照)。

また、彼らは受信料を聴取する根拠を、放送法第64条第1項に求めている。同項の条文は、「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」。加えて、日本放送協会放送受信規約第5条の「放送受信契約者は、受信機の設置の月から…解約となった月の前月まで、その種別および支払区分に従い、次の表に掲げる額の放送受信料を支払わなければならない」という、我々視聴者とNHKとの契約もまた、その根拠になるとしている(NHK ONLINE参照)。

一般のビジネス、あるいはCS・BS放送などと明らかに異なるこの契約の理不尽さは、テレビを設置した者に対して「勝手に」放送という名の商品を送りつけておいて、「あなたはうちの商品を受け取ったのだから受信料を払う義務がある」という、押し売り同然のシステムにある。

つまり、NHKの放送など一切見ず、専ら民放の番組を見ている人たちでさえ、受信設備、つまりテレビを設置したというだけで、NHKに対して受信料を払わなければならないという不合理さだ。

僕は大学時代、NHKの集金員が何度来ても、「NHKなんて見ていないんだから、受信料は絶対に払わない」と主張し、結局一度も受信料を払うことはなかった。こういう連中に対しては、NHKも対処のしようがない。

というのも、一度NHKに対して受信料を払ってしまうと、それは「受信契約」したものと見做され、その後の不払いに関して、昨今NHKが積極的な取り組みをみせている、「裁判に訴える」という脅しに対抗できなくなる。

これまでの結果をみると、契約締結した受信者による契約不履行(受信料未納)に対しては、2006年以降、NHKは民事手続きによる支払督促を行って、48人中46人は受信料を払い、残りの2人は最高裁まで争ったが、2011年5月にNHK勝訴の判決が出た(Wikipedia参照)。一方で、受信契約を締結しない者(絶対受信料を払わない者)に対する罰則は今日まで規定されていない。

つまり、どんなことがあっても受信料の支払いを拒否し続けた者に対しては罰則もなく、裁判に訴えられることもない。しかし一度でも受信料を支払えば、それは受信契約したと見做されるため、その後、NHKから裁判を起こされれば、(現状では)敗訴確定ということになる。

このことから、まだNHKに受信料を支払っていない大学生などの若い方は、決して受信料を支払ってはならない。どれほど集金人がしつこく来ても、「テレビは持っていない」などと強弁して、何としても押し返しましょう。彼らは家に入ってテレビの有無を確認することはできないので(そんなことをしたら住居侵入罪です)、大丈夫。

もしNHKに受信料を支払ってしまったものの、もう支払いたくないのであれば、NHKのコールセンターに電話して、「眼が悪くなってテレビが見られない」など等の理由を伝え、契約解除することをお勧めする。僕が聞いたところによると、比較的容易らしい。

僕がこのようなアドバイスをさせていただくのは、あくまで私見ではあるが、NHKの報道は明らかに国益を害していると考えられ、同局の言う「特定の勢力や団体に左右されない独立性を担保するため」という受信料を課すための理由が完全に破綻していると考えるためだ。

「皆さまの受信料」で運営されているNHKの給与水準を「皆さま」はご存じだろうか?

2月14日付日刊ゲンダイによれば、「NHK職員のベラボーな給料にはあらためて驚かされた。昨年度の決算ベースで平均給与が1185万円もある。軽くサラリーマンの平均給与(409万円)の2倍以上」だという。

本記事でコメントしている、元NHK職員・立花孝志氏によれば、NHK本体の職員の平均給与はおよそ1700万円(!)だという。同氏曰く、「年収で見ると、もう少し低いでしょう。私の計算では、退職金の補填など、いわゆる福利厚生費として決算されているもの、給与とボーナスと通勤交通費、年金の企業主負担とか、いわゆる退職金の積立金で単純に割ると、1730万円という数字が出ました」とのことだ(三橋貴明著「大マスコミ疑惑の報道」)。

テレビを持っていれば、一部の例外を除いて、どれほど低収入の家庭であろうとも受信料を徴取するNHKの平均給与が上述のような数字であることを、この国の人々は容認できるのだろうか?というよりも、NHKはその数字に見合う仕事、とりわけ報道という重要な分野においてその給与に見合う働きをしているのか?その答えは明らかに「NO!」であろう(放送内容についての議論は、稿を改める)。

加えて、NHKはその子会社、NHKエンタープライズ、NHKグローバルメディアサービスなどに、競争入札のない随意契約で多くの業務を発注している。これら関連企業は年間2000億円以上の利益を上げ、その仕事の9割以上はNHK本体からの仕事だ。

上述、立花氏は語る。「NHKには、官僚機構のすべての膿が集中しています。NHK関連会社はすべて天下り用に作られ、NHKのOBが社長や役員や部長クラスになります。57歳から関連会社に転籍(天下り)しますが、63、4になると、参与として関連会社に残り、あるいは『わたり』で、民間の制作会社やカメラマンや編集会社のプロダクションにわたっていきます」(同上)。

「皆さまの受信料」で運営されているNHKの職員は、歳を取れば官僚と同様に「天下り」、そして「わたって」いるようだ。

思うに、彼らはある意味では官僚よりも恵まれている。キャリア官僚は、日本で最も難しい試験のひとつである「国Ⅰ」をクリアして国家公務員となり、省内外での人間関係に加えて、日夜政治家との激しい攻防を繰り広げている。一方でNHKは、入局は難関であるとはいえ、国家公務員の激務に比べれば、その仕事内容は「楽勝」レベルだ。

そんな連中が、キャリア官僚よりもはるかに多額の給与を得、退任後は公務員と同様に「天下り」「わたり」を繰り返す。こんなことが許されていいのか。僕は、基本的には官僚を好きではないが、NHKの連中に比べれば、彼らは余程評価されて然るべきだと考える。

これ以外にもNHKについては、「あさイチ」などの情報番組で、ペニーオークション(ペニオク)での芸能人のステルス・マーケティング(ステマ)が問題になったような行為と大差ないような放送をしているのではないか、との批判がある。ペニオクで行われたような金銭の授受があるとは思わないが、かつてプロモーションを担当していた人間としては、特定業界、あるいは企業の依頼を受け、「公平・公正」であるはずの同局がステマに加担したとしても、驚くには値しない。

現在の、NHKが勝手に放送を垂れ流し、それを見る、見ないに関わらず受信料を徴取するという問題には、非常に簡単な解決策がある。それは、WOWOWやスカパー!が行っている「スクランブル放送方式」の導入である。つまり、放送を見たい人だけが契約をしてスクランブルを解除してもらい、それに伴い受信料を支払う。そうすれば、NHKの放送を見たいと思わない限り、地上波においては受信料を払う必要なない。

ところがNHKは、「全国どこでも放送を分けへだてなく視聴できるようにする、という公共放送の理念と矛盾する」、「特定の利益や視聴率に左右されず、視聴者の視点にたって、多様で良質な番組を放送するべき」とし、スクランブル放送化は避けるべきであるという、素晴らしくわけの分からない見解を出している(Wikipedia参照)。

何のことはない、現状の、無条件で受信料が入ってくるシステムを手放したくないだけのことである。

僕は、基本的には現状のNHKの受信料システムには反対である。勝手に放送しておいて、それを見ると見ないとに関わらず受信料を払えというのは、業者が勝手に商品を送りつけてきて、「うちの商品を受け取ったのだから料金を支払え」という、違法な商法と大差ないと考えるからだ。

それでも、百歩譲って、NHKが日本国民にとって有益なコンテンツ、特に報道分野においてそうしたものを提供してくれているのであれば、そうした不条理なシステムをも甘受しよう。しかし、こうした「悪徳商法」と言って差支えないビジネスモデルに加えて、同局の放送は、決して国民の利益に適っていないということがより大きな問題なのだ。

その点については、稿を改めて議論したい。
(この章続く)

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2013年2月25日 (月)

偏向報道NHKを解体せよ!Part 1 ‐上から目線のツイート 異常なプログラム どこの国の公共放送なのか‐

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今NHKは様々な批判に晒されている。

まずはツイッターでのNHK公式ツイッターNHK広報局(ユル~く会話しますよ)による、「ヘイトスピーチをまき散らすだけで、まるで何か世の中の役に立つことをやっている気になっているようなネット弁慶さんたちには一度でいいから東北へ行ってボランティアでもしてきなよ、と言いたい。かなり本気で言いたい」とのツイート。

これに対しては、「ネット弁慶はお前だろ!NHKの看板で、自分の名前を出さずに好き放題いってるあたりも性質悪い」、「東北に行ってボランティア『でも』してこい、だからな。東北やボランティアも内心バカにしてるのが出ちゃってるよね」、「NHKは反日放送局。さっさと潰れろや!」などと激しい反発を招いた(JCASTニュース参照)。

この上から目線のツイートには僕も相当腹が立ち、「ではNHKは東北のために何をしているのか?同情しているようなふりをして、ほとんど復興に役立たない情報を垂れ流しているだけでしょ。人に説教する前に、不要に長々と繰り返す朝鮮報道が国民に'hate'されていることを認識しなさい」と返信させていただいた(小生ツイッター参照)。

これだけでも、常日頃、NHKの不要な親中韓の報道に腹を立てているネットユーザーを激怒させるに十分だったところに、駒崎弘樹中央放送番組審議会委員が、「中央番組審議会委員の駒崎です。勇気ある発言、素晴らしいです。NHKがゆえに色々と言われることもあろうと思いますが、外圧を恐れず発信していって下さい。審議会では徹底サポートで助太刀します」とツイートしたことで、批判は一層エスカレート(同氏ツイッター参照)。

しかも、駒崎氏のツイートに対して、「てめえふざけんな!チベットの惨状を報道しろってのどこがヘイトスピーチ?NHKが支那の工作機関だと判明したな。民主主義の敵。核ミサイルを日本に向けてる国のために偏った報道するNHKなんかに受信料払いたくない。納得する人だけ払うようにしろ」という、少しエキセントリックな反応に対して同氏が、「安定のネトウヨクオリティwww」とリツイートしたことで、反NHKネットユーザーの怒りの炎に油を注ぐことになり、同氏の番組審議委員としての適格性が問われることとなった。

中央放送番組審議会委員というのはNHKが全国ネットで放送する番組の内容を審議し、問題点があれば指摘する役割を担う。その駒崎氏が代表を務める病児保育施設「フローレンス」が、2月5日に放送された、NHK総合「おはよう日本」の中で紹介された。

この放送に関しては「フローレンス」のホームページでも紹介されている。 審査される側が、審査する側の利益に適うような報道をする。そして、それを審査する側が拒絶することなく容認する。政治であれ、ジャーナリズムであれ、その他様々な審査する側、される側の立場にあって、このようなことは決してあってはならない事象だ。偉そうに「ネトウヨ」を批判する駒崎氏は、この事実についてどう考えているのか?

あくまで私見ではあるが、そもそもこの駒崎某という人物が、中央放送番組審議会委員という職責に耐えうる人物だとは到底考えられない。率直に言えば、何ゆえ、こんなバカな男がそのような委員に任命されているのか全く理解不能だ。その点を含めて、中央放送番組審議会という組織が機能しているのかどうか極めて疑問である。

話は変わって、同様にNHKが現在大きな批判に晒されているのが、朴槿恵韓国新大統領の就任演説を本日2月25日、NHKBS1で生放送したこと。これに関してはツイッターで、「天皇陛下のお言葉はほとんど放送しないくせに(怒)」、「気持ち悪かったねー!韓国の大統領のなんかの式の生中継」、「韓国大統領就任式は生中継80分なのに、竹島の日式典は1分!」、「アホかと。誰が見るんだ?」、「どう考えても異常。なんらかの力があるのだろう」、「NHKで韓国の大統領就任式を放送してるのってなんか不思議な感じするわ…」と非難轟轟(アメーバニュース参照)。

「純粋な」日本国民であれば、上記の批判は当然であると考えるし、NHKがどういう基準で何を報道するという判断をしているのか全く理解に苦しむ。個人的には韓国大統領の就任演説になど一切興味はないし、そんなものに日本の公共の電波を使う意味は全くないと考える。しかし、NHKにとっては、何故かは分からないが、非常に重要なイベントなのだろう。

勝手に放送を垂れ流しておいて、日本国民から強制的に受信料を徴収するNHK。それでありながら、一体どこの国の放送局なのか分からないような、日本国民の利益から乖離した情報を垂れ流すNHK。

NHKを盲信している人々は、主に田舎の高齢者だと思われる。そのような方々を含め、この公共放送という名の「反日放送局」の問題点を多くの皆さまに理解していただくため、本ブログではNHKの問題点を徹底的に議論していきたいと思う。
(この章続く)


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2013年2月23日 (土)

安倍首相の人間力と政治家としての資質 ‐速報 初訪米で早速の成果‐

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(写真は安倍首相fbページより)


安倍首相は2月22日(日本時間23日未明)、ホワイトハウスでオバマ大統領と首脳会談を行った。

会談終了後、両首脳は記者団に対して日米同盟強化の方針を強調。オバマ大統領は、「アメリカにとって、明らかに日本は最も密接な同盟国であって、日米同盟はこの地域の安全保障にとって、アジア太平洋地域において中心的な礎だ。私どもは幅広い分野、安全保障の分野で密接な協議をした。特に懸念している北朝鮮の挑発的な行動に対し、私たち2国は強く対応する決意を確認した」と、密接な日米同盟を強調。

安倍首相は、「日米同盟の信頼、強い絆は完全に復活したと自信を持って宣言したい。(国連で北朝鮮に対する)追加的な制裁について、日米で協力をしていくということです。東シナ海、あるいは尖閣について、日本は常に冷静に対処していく考えである、また、事実そうしてきたということも話をした」と述べ、民主党によって「破壊」された日米同盟の復活を宣言(日テレNEWS24参照)。

日米同盟「復活」に加え、今回の安倍首相の成果は、何と言ってもTPPにおいて、アメリカ側から大きな譲歩を引き出したことだ。

日米首脳会談を踏まえて発表された環太平洋経済連携協定(TPP)に関する「日米の共同声明」には、「日本には一定の農産品、米国には一定の工業製品というように、両国ともに二国間貿易上のセンシティビティーが存在することを認識しつつ、両政府は、最終的な結果は交渉の中で決まっていくものであることから、TPP交渉参加に際し、一方的に全ての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではないことを確認する」との文言が盛り込まれた(本日2月23日付YOMIURI ONLINE参照)。

これは昨年の衆議院選挙での自民党のTPPに関する公約、「『聖域なき関税撤廃』を前提にする限り、TPP交渉参加に反対します」と矛盾しないものであり、日本のTPP交渉参加への環境は整ったと言えるだろう。

首相は今後、自民党内にも多数存在する反対派が振り上げた拳をいかに下ろせるようにするかに配慮し、最後はそのリーダーシップによって交渉参加を決断するものとみられる。

本ブログでは前回の記事「TPP交渉参加は是か非か? Part 2 ‐安倍首相を信じるがゆえ自民のスタンスを支持‐」において、「結果としてどのような方向性になろうが、僕は首相の決断を支持する。何故なら、彼がこの国の利益を毀損するような決断をするはずがないと信じているからだ」と述べさせていただいた。その言葉どおり、おそらくは近くTPP交渉参加を表明するであろう安倍首相を、しっかりと応援していきたいと考えている。

交渉参加が決定されれば、あとは交渉において、いかにして日本の国益を護ったうえで、TPPを実りあるものにするかということが焦点になる。この点に関しては、必ずしも楽観視してはいないが、安倍首相が率いる「ドリームチーム」は、決して国民の利益を毀損することはないと期待している。

今回、何故、事前に予想された以上にアメリカ側がTPPに関して日本側の事情に配慮したのか。それは察するに、安倍首相がその「人間力」によってオバマ大統領に対して、「信頼するに足る人物」という印象を与え、良好な関係を構築することに成功したのだと考える。

また、それに加え安倍首相の交渉能力ゆえ、アメリカも日本の事情を十分理解し、首相をバックアップしようと考えたのではないかと思われる。これらのことは、やはり安倍首相には、リーダーが持つべき「資質」というものが備わっていることの証左と言えるのではないだろうか。

安倍首相自身もfbページで、「この3年間で著しく損なわれた日米の絆と信頼を取り戻し、緊密な日米同盟が完全に復活した、と自信を持って宣言したいと思います。やはり、トップ同志で胸襟を開いて率直に議論するというのは、何ものにも替え難い成果が得られるものだな、と実感しました」と胸を張っている。

今回の日米首脳会談の成功により、民主党が崩壊させた日米同盟は取り戻され、一層強固なものとなっていくことは間違いない。それによって、日本は対中国・北朝鮮において、安定的な立場を確立することができるだろう。

G20でアベノミクスが評価され、今回の日米首脳会談で安倍首相がアメリカからの「信任」を得た今、我々日本の有権者は、安倍首相をしっかりと支えることによって日本の国益を護っていく必要がある。

そのためには、何としても今夏の参院選で安倍首相率いる自民党を勝利させることが必須である。それが日本再生のための「最短ルート」であることを確信している。

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2013年2月22日 (金)

TPP交渉参加は是か非か? Part 2 ‐安倍首相を信じるがゆえ自民のスタンスを支持‐

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(写真は安倍首相fbページより)


安倍首相はオバマ大統領との日米首脳会談のため、アメリカに出発した。首相は自身のfbページで、「これまでの3年余りで大きく揺らいだ日米の絆を取り戻すべく、オバマ大統領とは、同盟強化の方向性について率直に議論し、日米同盟の復活を内外に示したいと思っています」と意欲を示した。

日米同盟の再構築に加え、TPPもまた、日米首脳会談での重要なテーマとなることは間違いない。首相の国会での答弁を見る限り、今回の会談でオバマ大統領に対して、安易に交渉参加の言質を与えることはないと推察するが、大統領からは相当なプレッシャーが与えられるであろうことは容易に想像できる。

本ブログでは、前回の記事「TPP交渉参加は是か非か? Part 1 ‐「参加推し」メディアの気持ち悪い横並び‐」で、財界の意向を反映し、TPP参加を強く主張するメディアの横並び報道を批判させていただいた。

極めて個人的な意見を述べさせてもらえば、関税障壁撤廃によって、美味しいアメリカ牛を安く食べられるようになるのであれば、大変ありがたい。アメリカのスーパーでは、様々な種類のステーキ用の牛肉が安価で売られている。和牛のようなコクはないかもしれないが、赤みの美味しさを十分に感じることができ、実に旨い。アメリカに滞在してその牛肉が大好きになった(グルメブログのようなコメントで済みません)。

しかし日本のスーパーで売られているアメリカ牛は、ほとんど「クズ」と言っていいレベルのものでしかない。種類が少ないうえ、僕がアメリカで食べたものに比べるとその品質も相当劣っている。これでは日本人が、「アメリカ牛は不味い」と思ってしまってもしようがない。このような日本で販売されている牛肉を見ると、「関税障壁」の存在を実感する次第である。

僕は経済、貿易等の専門家ではないが、ことはそれほど単純ではないということも理解している(と思う)。

そもそもTPPに参加することが、日本国全体としての利益に繋がるのだろうか?TPP肯定派側からの主張は「nikkei4946.com」、否定派側からの主張は「NHK解説委員室」をご参照いただきたい。

TPPによって「関税障壁」が撤廃されれば、大企業を中心とした、いわゆる輸出企業はその恩恵を受けることになるだろう。しかし、上記「NHK解説委員室」における京都大学准教授・中野剛志氏の、「TPP参加国の中で日本企業が輸出できそうな市場は、アメリカだけです。しかし、アメリカの関税は低く、例えば自動車の関税は2.5%に過ぎませんので、これを撤廃してもらってもあまり意味はありません。しかも、日本企業はグローバル化し、アメリカでの現地生産を進めていますので、関税があってもなくても、競争力とはほとんど関係がありません」と主張する。

現時点でのTPP参加国は、現加盟国はシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランド、交渉国はアメリカ、オーストラリア、ベトナム、ペルー、マレーシア、カナダ、メキシコ。中国、韓国は不参加を明言している。

これらの国々のGDPを見ると、アメリカが14兆2,646億ドルで断トツ。オーストラリア、カナダ、メキシコは1兆ドルを超えてはいるのもの、それ以外の国々は極めて経済規模が小さい。日本のGDPが5兆4,589億ドルであることを考えると、TPPはまさに日本とアメリカとの貿易協定であり、それ以外は「その他大勢」と言っても差支えない(Wikipedia参照)。

中野氏はさらに、TPPによるメリットは上述のように「軽微」なものである一方、アメリカから「攻め込まれる」分野となる、農業を始め、銀行、保険、雇用、食の安全、環境規制、医療サービスなどの国内産業に対する打撃が「甚大」であると論じる。

総務省統計局による日本の「貿易依存度」のデータを見ると、2006年から2010年の日本の輸出依存度は十数%程度。TPPによってその割合を高めていくのだ、との考え方もあろうが、わずかその程度の輸出企業のために、それ以外の分野を「犠牲」にするのは極めて不合理であると、個人的には考える。

加えて、TPPをめぐる議論を見ていると、かつて吉川元忠氏がその著書『マネー敗戦』によって発した、「エコノミクスがエコノミクスとして終わらず、ポリティカル・エコノミーとなる」というメッセージが想起される。

この点に関しては、三橋貴明氏がブログにおいて「TPPと安全保障」と題した記事で展開した議論が興味深い。

同氏は、日本がTPPに参加することは安全保障に寄与する、との議論をナンセンスだとしたうえで、アメリカの狙いは「関税障壁」の撤廃に止まらず、「非関税障壁」なのだと主張する。

「『聖域なき関税撤廃』とは、別に『モノ(農産物含む)』の関税の話だけではないのです。アメリカの狙いは『サービス分野(金融、保険など)』や『投資』に関する我が国の『非関税障壁』(いわゆる規制)の撤廃です」。

三橋氏は、政府の規制なき自由によって日本の「国の形」を変え、アメリカのサービス企業や投資家が「自由に」ビジネスをやり、所得を稼げるようにしよう、というのがTPPの本質だと指摘したうえで、以下のように続ける。

「政府の規制とは『法律』ですから、日本国民の主権で決定することができます。ところが、TPPは国際条約なので、国内法の上に立ちます。わたくし達日本国民は、TPPという別の憲法を持つこととなり、主権が侵害されてしまいます。それも、『グローバル投資家』『グローバル企業』」の所得(利益)を拡大することを目的に」。

氏の指摘が的を射たものであるとするならば、TPPとは純粋に貿易における障壁を撤廃しようという議論ではなく、安全保障という別の要素をアメリカが匂わせ(あるいは、TPPによって利益を得る大企業がそれを吹聴して)、ごく少数の企業が利益を得るために、それ以外の日本の国益をアメリカに渡すことを意味するものだと思われる。

上で見たように、日本以外のTPP交渉国の経済規模は極めて小さいため、日本が参加しないTPPなど、アメリカにとって全く「旨み」がない。そう考えれば、アメリカは是が非でも日本を交渉に引きずり込もうとするだろう。

日米間のFTAあるいはEPAとは異なるTPPの「トリック」は、二国間での交渉とは異なり、ある事柄で日本がアメリカに異議を唱えたとしても、アメリカが他国にその影響力を行使し、「他国の同意が得られない」というロジックで、日本の主張を却下することが可能だという点にある。

そうなると、TPPは、経済・貿易におけるアメリカに対する「思いやり予算」となる可能性がある。しかもそれは国内産業に壊滅的な打撃を与え得る、安全保障におけるそれとは比べ物にならないほど、日本にとっての脅威となろう。

正直なところ、経済の専門家、政治家の間でも議論が大きく分かれるTPP交渉参加に関して、素人の僕が「絶対こうすることが正しい」などと断言することは不可能だ。

ただ、ここまで議論してきたことを考えると、結局のところ自民党の公約通り、「『聖域なき関税撤廃』を前提にする限り、TPP交渉参加に反対します」という考え方がベターなのだろうと考える。

「聖域なき関税撤廃」の定義は何なのかという批判もあるが、僕なりに解釈すれば、セーフガードを一切認めることなく、いわば「ノーガード」での参加が前提となるのであれば、交渉には参加しないということなのだと考える。それは国家として当然の考え方であるし、無条件にTPP参加賛成・反対を唱える政党よりは、余程誠実かつ責任ある考え方だ。

加えて、上記議論のように「ポリティカル・エコノミー」という要素が付加されるのであれば、例え一時的に日米関係が悪化しようとも、参加を見合わせるという「英断」も必要となろう。

民主党の左翼政治家とは違い、安倍首相は、真の国益を追求する責任感を常に自身の羅針盤としていると信じている。

結果としてどのような方向性になろうが、僕は首相の決断を支持する。何故なら、彼がこの国の利益を毀損するような決断をするはずがないと信じているからだ。多くの皆さんも、そうお考えになっているのではないでしょうか。

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2013年2月16日 (土)

TPP交渉参加は是か非か? Part 1 ‐「参加推し」メディアの気持ち悪い横並び‐

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(写真はWikipediaより)


アメリカのオバマ大統領は、2月12日の一般教書演説で、アジア市場への輸出拡大を目指し、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の交渉妥結を目指すと明言した。

産経新聞曰く、「オバマ大統領がTPP交渉の妥結を強調したのは、輸出促進や雇用創出、アジア市場の公平な競争条件の確保につなげるためだ。演説では交渉スケジュールについて確約しなかったが、交渉参加国は今秋の交渉妥結に向けた協議を加速させるとみられる。オバマ大統領は今月下旬の安倍晋三首相との日米首脳会談で、交渉参加への期待感を示す可能性もある」とのことだ(Yahooニュース参照)。

このオバマ大統領の一般教書演説、及び安倍首相の訪米を踏まえ、朝日、毎日、日経が、昨日2月15日付の社説においてTPPについて言及した。

日経は、安倍内閣が6月にもまとめるとされる「成長戦略」で、製造業の復活を目指す「日本産業再興プラン」や、企業の海外展開を支える「国際展開戦略」などを柱に据えるという構想との関連で、「海外への輸出や投資で稼ぐ力と、海外の資金や人材を呼び込む力を高めるには、環太平洋経済連携協定(TPP)への参加や法人税減税が欠かせない。医療や介護などの規制を緩和し、国内の需要を掘り起こす必要もある」と主張。

「今夏の参院選に勝つために、TPPや規制改革に反対する勢力の利益を守り、不要不急の公共事業だけを積み上げるのでは困る。安倍政権が本気で経済再生を目指すのなら、中身の濃い成長戦略をまとめなければならない」と、TPP反対陣営は、成長戦略を阻害する勢力であるとの論調(昨日付社説参照)。

朝日も昨日付の社説で、「まもなく日米首脳会談が開かれる。絶好の機会ではないか。安倍首相は交渉への参加を表明すべきだ」と主張。「当事者となってTPPの実態をつかみ、わが国の利害を反映させる。農産物などの関税引き下げに加え、サービスや投資など20を超える交渉分野全体で利害得失を見極め、実際に加わるかどうかを決める」ことが重要であり、TPPの関税交渉では「全ての品目を対象にする」のが原則ではあるが、「完全撤廃」とは限らないとし、「あとは自らの交渉力次第、ということである」としている。

毎日の論調も基本的には朝日と同様だが、「…残された時間が少なくなってきた。政府与党内では、参加の是非を巡る綱引きが続くが、決断が遅れるほどTPPの貿易・投資ルールに日本の意向を反映しにくくなる」、「今回の日米首脳会談後に日本が交渉参加を表明したとしても、米国には新しい参加国を認める手続きに議会が90日以上かけるルールがあるため、交渉のチャンスは9月の1回しかない。参院選後にずれ込めば、その機会も失われることになる」と、とにかく時間がないと主張(昨日付社説参照)。

上述3紙以外の産経も、「TPPと自民党 交渉参加を前提に議論を」と題した2月2日付社説で、「参加によるデメリットなど、入り口の議論にばかり時間を費やしていては、結論先送りの口実にしているとみられよう。米国などは今秋の基本合意を目指し交渉を先行させている。このままだと、日本は結局、『蚊帳の外』で終わりかねない」と、早急に参加表明することを提言。

読売も2月8日付社説で、「安倍首相は、最優先課題の経済再生を実現するためにも、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉参加に前向きに取り組むべきである」としたうえで、衆議院予算委員会での首相の「例外なき関税撤廃を前提とする限り反対する」との発言を、「自民党公約の域を出なかった。今月下旬の日米首脳会談についても『参加に言及しなければならないことはない』と語るにとどめた。何とも腰の引けた姿勢だ。」と批判。

本ブログの記事「産経新聞が示す『読売・産経 VS 朝日・毎日』の構図 ‐熱く議論せよ既存メディア 'To be, or not to be, that is the question'‐」で以前議論させていただいたように、通常、完全に主張が異なることが多い大手メディアが、右から左までこぞって「TPP交渉に参加すべき」と主張するのは異例であり、メディア・ウォッチャーの僕からすれば、このような場合は、何らかの力が働いていると考えるのが自然である。

今回に関して言えば、各紙とも、経団連始め各種経済団体の意向を反映した論調になっていると考えられる。

経団連は、超TPP推進派である。彼らの主張を、相当ざっくり、そしてかなり乱暴にまとめると、「俺らは世界中でビジネスを展開したいのだから、そのためにはアメリカの意向に逆らうことはできない。つまらんことで、俺たち『リーディング・カンパニー』の邪魔をするな!」ということに尽きると言える。TPPが切り拓く「バラ色の未来」が経団連のホームページで紹介されているので、まぁ、一応ご覧いただいても無駄ではないかもしれない。

経団連始め経済団体というものは、所詮自分たちの利益が一番であり、国益など関係ない。それは経団連会長の米倉弘昌氏による対中発言などを思い出していただければ自明だろう。彼らは利益「のみ」を追求する連中であるので、それはある意味当然であるし、勝手にしろと思う。しかし、それをメディアが諸手を挙げて、無批判に応援するのは異常としか思えない。

そうしたメディアのスタンスは今回に限らず、消費増税の時もそうだった。全てのメディアが増税を支持し、その記事・社説・読者投稿などを総動員して、「増税やむなし」の世論を「創り上げた」。連中は所詮、財界の「犬」なのだ。

企業広報担当者としての個人的な経験を言えば、企業を担当している記者にとっては、企業側から記事を、しかも、ものすごくニュース・バリューのある情報を提供をしてもらうことが最も大切なことであり、その企業の倫理であるとか、消費者の利益などというものは二の次だ。

広報担当者時代、大手メディアの経済部、産業部の記者に対しては、頻繁に飲食の接待を行った。平均的な国民はなかなか行くことができないような高級料理店で食事をした後、六本木などのクラブで飲食を共にした。もちろん、費用は全て企業持ち。それほど癒着した関係にあって、彼らが企業をまともに批判できるはずがない。

「でも、企業が不祥事を起こした時、メディアは思い切り叩くよね」という方もおられよう。それは全くその通りである。ただし、企業を叩くのはメディアの「社会部」の記者であり、経済・産業部の記者は、「今回はお気の毒でしたね」などと、問題を起こした企業に同情してくれているというのが実情だ。

経済団体の主張をそのまま自社の意見として拡散するメディアの根本には、このような企業との癒着がある。それが、この日本におけるメディアと企業の関係なのだ。

普段は、その主義・主張で激しく対立している読売・産経と、朝日・毎日がその社説等において同様な主張する場合、主に二つのケースがある。

ひとつは、例えば北朝鮮による核実験強行のような、ごく普通の日本人が考えて明らかに批判されるべき事象。この場合、例え朝日・毎日のような左翼メディアといえども、それを肯定するような論調を取れば、国民から「国賊」とレッテルを貼られることは間違いないので、さすがに連中も擁護のしようがない。

もうひとつは、賛否両論はあるものの、財界が明確な方向性を示している場合。このケースでは、財界に反旗を翻し、独自の主張を展開する大手メディアはまずない。それは、上述のように、記者と企業が癒着していることはもちろんではあるが、財界というものは既得権益であり、大手メディア自身も既得権益から利益を得ているからである。

どれほど銃乱射事件が発生し、多数の無辜の市民が犠牲になろうとも、アメリカでは決して銃規制を立法化できない。それはNRAという、銃を持つことはアメリカ人の権利であるという主張を展開し、市民が何百人犠牲になろうが「ビジネス」として自身の利益を追求し続けるロビーイストが存在するからだ。

状況は日本でも同じだ。各種利益団体からの圧力を受け、多くの政治家は、多少疑問に思う事柄であっても、選挙、政治資金といった観点から、その「疑問」をうやむやにしてしまう。古今東西、それが政治家というものなのだ。選挙で勝ち、政治家としての権力を持たなければ、自身が目指す理想(そういうものを持っていればの話だが)に迫ることができないのだから(決してそれが正しいことだとは思わないが)。

百歩譲って政治家とはそんな連中だと割り切ることはできても、メディアはどうか。そうした政治家、そしてそれに連なる利益団体の横暴を許さず、それをチェックすることこそ、メディアに求められる役割であり、それゆえ、国民もある程度メディアの「お行儀の悪さ」を許容しているのだ。

ところが、期待されている役割を果たすこともなく、それでいて国民の代表を気取っているようなメディアなど存在価値はない。

TPPが、真に日本国民の利益となるものなのかどうか、平均的な国民は十分に理解できていない。メディアが信念を持って、その交渉参加を主張しているのであればそれはそれでいい。しかし、特定勢力との癒着によって世論を「創造」しようとしているのであれば、それは決して許されることではない。

今回のまとめとしては、理念も思想も決して一致しないメディアが異口同音にひとつの政策なり、考え方を支持している場合、そこには何らかの力が働いていると考えるべきだということ。

特にTPPのように、各種団体において賛否が大きく割れているにもかかわらず、メディアの主張が完全に一致しているなどということは不自然極まりない。皆さんには、その背景にあるものに注意を払っていただきたい。
(この章続く)

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2013年2月13日 (水)

北朝鮮核実験強行で考える ‐「核なき世界」 Ultimate ideal but...‐

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(写真はイメージ)


北朝鮮は昨日2月12日、3度目の核実験を実施した。これは北東アジアの安全保障を脅かす許されざる行為であり、さすがにこれに関しては、左右の別なく、日本の大手メディアも北朝鮮批判で足並みを揃えている。

安倍晋三首相は北朝鮮を強く非難し、日本として取るべき対策を速やかに表明(2月12日付朝日新聞デジタル)。また、国連安全保障理事会も「強く非難する」との報道声明を発表し、制裁強化に向けて検討を始めた。

しかし、日本も国連も、北朝鮮に対しては既に相当厳しい制裁を課しており、同国による今後の核実験を抑止できるほどの手段があるのかどうか、極めて疑問だ。

そもそも、なぜ北朝鮮がこれほど核開発に拘るのかと言えば、核を保持していなかったイラクのサダム・フセインがアメリカによって潰されたことが大きいと考えられる。つまり核兵器を保持すれば、アメリカは簡単に手出しできないだろうという考え。もしそれが大きなモチベーションであるとすれば、アメリカからの現体制を保障するという確約なしに、彼らは決して核開発を止めることはないだろう。

また、北朝鮮の「保護者」に当たる中国が国連安保理の常任理事国であり、拒否権を行使できる立場にある以上、国際社会が一致結束して「反北朝鮮」になることはあり得ないとの読みもあるだろう。

今回の核実験に関しては、中国はその中止を強く求め、北朝鮮はそれを押し切る形で実験を強行したかのように報じられている。しかしそれは、中国の安保理常任理事国としての立場、あるいは核不拡散支持国としてのアリバイ作りであり、北朝鮮は今回の実験強行に際し、間違いなく中国にそれを容認させたと考えるのが自然だろう。

何故なら、国際社会の一員としての建前は別として、北朝鮮が核武装することによって、中国が蒙る不利益は全くないと言っていいからだ。核兵器を持った北朝鮮というカードを手にすることは、対米の観点から考えれば、むしろプラスになるとすら言える。

中国にとって最悪のシナリオは、国境を接する北朝鮮の現体制が崩壊し、韓国を中心とした朝鮮半島統一がなされ、それがアメリカの同盟国となることだろう。そうなると北東アジアでは中国が孤立し、念願である台湾統一もほとんど不可能になると考えられるからだ。そうである以上、表向きの行動はともかく、中国が北朝鮮の体制に決定的な打撃を与えるような行動を起こすことはあり得ず、従って、もし国連において有効な北朝鮮対策が発案されたとしても、拒否権を発動してでもそれを潰すことは間違いない。

一方で韓国も、北朝鮮の核武装は脅威ではあるが、一気に現体制が崩壊した場合、夥しい数の難民が同国に押し寄せるであろう脅威。また、仮に緩やかに朝鮮半島統一が行われるにしても、東西ドイツの例を見れば、経済を始めとして韓国側が蒙るダメージの大きさは計り知れず、北朝鮮が暴走しない限りにおいては、現状維持がベターだと考えるのも当然だろう。

またアメリカも、アフガニスタン、中東・北アフリカでの情勢を踏まえれば、率直に言えばアジアのどうでもいい国に労力を割くつもりはなく、北朝鮮の核開発を阻止するための軍事行動などというオプションは、限りなくゼロに近いだろう。

このように考えれば、どの国も全く望んでいないことだが、同時にどの国も積極的にそれを阻止するだけのモチベーションがないため、北朝鮮は着実に核開発を進めるだろう。日本にとっては危機的、かつ悲劇的なことではあるが。

北東アジアにおける核をめぐる状況はそんなところだが、世界的にはどうか。

アメリカのオバマ大統領は、2009年4月5日、チェコの首都プラハで、「核兵器のない世界」の実現に向けて世界を牽引していくことを誓う演説を行った。

大統領は、「世界で唯一核兵器を使用したことのある核保有国として、米国は行動を起こす責任がある」、「この取り組みをわれわれ一国で成し遂げることはできないが、しかし、世界をけん引することはできる」、「だから今日、わたしははっきりと信念を持って、核兵器のない世界の平和と安全保障の実現に米国が取り組むことを宣言する」、「核兵器拡散の防止に向けて、世界は共に立ち上がらなければならない。今こそ、国際社会の強力な対応を示す時だ」と美辞麗句を並べ立てた(2009年4月5日付AFP参照)。

2009年10月9日にノルウェーのノーベル賞委員会は、このオバマ大統領の「核なき世界」に向けた国際社会への働きかけを評価して2009年度のノーベル平和賞を彼に受賞することを決定したと発表した(Wikipedia参照)。

しかしこの演説以降、世界が一歩たりとも「核なき世界」へ向かって歩みを進めたとの事実は、寡聞にして知らない。

オバマ大統領が人気取りだけのため、いい加減な気持ちでこの演説を行ったとは思わない。彼は彼なりの理想に基づき、自身の信念を語ったのだろう、と僕は考える。ただ、現実の国際政治においては、そんな理想論など全く通用しないということだ。

そもそも現在の核不拡散体制には、大いなる矛盾と大きな問題がある。

核兵器の拡散を防ぐため、核拡散防止条約というものがある。これは、1963年に国連で採択されたもので、核軍縮を目的に、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国以外の核兵器の保有を禁止する条約だ。

しかし現実は、インドとパキスタン、及びイスラエルは同条約に未加盟であり、北朝鮮は1993年に脱退している。イスラエル以外の3カ国は核実験を行っており、イスラエルは長年、その核保有を疑われているが、保有を肯定も否定もせず、疑惑への指摘に沈黙を続けている。かつ、他の国に対する核疑惑の追及には熱心なアメリカも、イスラエルについては事実上黙認している。

そもそも核拡散防止条約には無理がある。他国に先んじて核兵器を保持した国の保有権を正当化する一方、それ以外の国々による保有は認めないというアンフェアな論理など、普通に考えてあり得ないだろう。国際政治のパワーバランスのため200カ国近くがこの条約に加盟してはいるが、まさに「不平等条約」そのものだ。

核不拡散を全世界の多くの人々が願っていることは間違いない。僕もその一人だ。しかし、生き馬の目を抜くような国際社会で生き残るために、核開発を進める国が出てきたとしても、それはある意味当然のことなのだとも思える。

日本では、「唯一の被爆国として、日本は核廃絶に向けて主導的役割を果たすべきだ」という議論があるし、それは理解できる。しかし少なくとも現状において、国際政治における日本の影響力のなさを考慮すれば、それは「叶わぬ夢」と言わざるを得ない。

理想を持ち、それに向かって努力することは重要だ。特に核廃絶に関しては、全世界が人類の英知を結集して取り組むべき課題であると考える。しかし、常に国と国との利害が衝突し、様々な陰謀渦巻く国際社会においては、「理想」という穢れなき光は、往々にしてかき消されるものだ。

オバマ大統領のような世界のリーダーであろうと、僕のようななんの力もない人間であろうと、「核なき世界」を目指すという理想に対する思い入れは変わらない。世界の多くの人が同じ考えを持っていると確信している。

しかし、超現実的な考えを述べるのであれば、僕が生きている間に「核なき世界」を見ることは決してないだろう。それが国際政治の現実であるし、不完全な存在である人間の限界なのだ。哀しい現実ではあるが…。


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2013年2月10日 (日)

安倍首相は「改憲」発言ができない? ‐左翼政治家の「異常」な憲法論議‐

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(社民党・又市副党首 写真は社民党OfficialWebSiteより)


一昨日、左翼政治家のあまりに「異常」な発言を発見したため、本稿を書くことにした。

既に旧聞に属する話題ではあるが、安倍晋三首相は1月30日の衆院本会議で始まった各党代表質問で、憲法改正について「まずは多くの党派が主張している(憲法改正の発議要件を定めた)96条の改正に取り組む」と述べ、改憲発議要件の緩和から着手する考えを示した(1月31日付毎日jp)。

また、2月1日の参院本会議での代表質問では、「自衛隊は国内では軍隊と呼ばれていないが、国際法上は軍隊として扱われている。このような矛盾を実態に合わせて解消することが必要だ」と述べ、憲法改正への国防軍明記の必要性を示した。同時に、「シビリアンコントロール(文民統制)の鉄則や憲法の平和主義、戦争放棄を変えるつもりはない」ことも強調した(2月1日付YOMIURI ONLINE)。

安倍首相は、所信表明演説、各党代表質問に先立つ1月25日、毎日新聞のインタビューで、憲法改正について自身の考えを表明している。以下抜粋(毎日jp参照)。


−−憲法改正の手順については?

◆96条からいくべきだろうと思いますね。<注=96条は改正手続き規定。現状では両院で3分の2以上の賛成がなければ改憲を発議できない。ハードルが高すぎるので「両院の過半数の賛成」に改めるべきだという批判がある>

96条の改正にも3分の2の(多数派の)形成が必要ですが、国民の6、7割は憲法を改正すべきだと考えている。<注=昨年9月の毎日新聞の世論調査で改憲賛成は65%>にもかかわらず、3分の1をちょっと超えた国会議員が反対すれば、国民は憲法に指一本触れることができないというのは、おかしいと私は思います。国民の手に憲法を取り戻すための改正を優先したいと思っている。

−−首相在任中に改憲するお考えか。

◆任期中に目指していきたい。


安倍首相の指摘どおり、国民の多くは改憲賛成であり、憲法を改正することなく、「解釈」の変更等によって物事を進めていくことは、立憲国家としての在るべき姿ではないことを考えれば、まずは96条を改正し、改憲の発議要件を緩和することは同然のことだろう。

ところが、である。左翼の連中はとんでもないことを言い出している。

又市征治・社民党副党首は、記者会見で以下のような発言をしている。以下抜粋(2月8日付朝日新聞デジタル参照)。


安倍晋三首相は参院本会議で「憲法96条の改正に取り組んでいきたい」と答弁した。憲法99条は「天皇又(また)は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」とある。

まさに99条に違反する趣旨の発言であり、不見識としか言いようがない。(改憲論が)論議になったとしても、憲法を守らなければならない立場の首相が「憲法を変えます。取り組んでいきます」と言ったのは初めてではないか。立憲主義の認識に欠ける。



また、2月6日に開催される予定だった参院憲法審査会の非公式の幹事懇談会が、民主党の意向で急遽、取りやめとなった。国会答弁で憲法改正に意欲を示した安倍晋三首相への反発というのが理由だという。

これに関して民主党の池口修次参院国対委員長は、上述のように、安倍首相が国会答弁で憲法改正要件を定めた96条改正に意欲を示したことに触れ、「憲法を守る責務を負う首相が公の場でそのような発言をするのはいかがなものかと民主党憲法調査会で問題になっていると聞いた」と述べた(2月6日付msn産経ニュース参照)。

一体、社民党や民主党の左翼連中の頭の中はどうなっているのか。首相が公の場で憲法の問題点を語ることは許されない、などというバカな話がどこにあるのか。

上述の又市氏の議論は、改憲をさせないためには何でもありと思われる無茶苦茶な発言だ。

同氏は安倍首相が改憲について発言したことについて、「憲法99条に違反する趣旨の発言」としているが、全くの言いがかりに過ぎない。99条の主旨は、国家権力による憲法を逸脱した行為を禁じたものであって、首相や閣僚、その他の国会議員が改憲を目指したり、議論したりすることを禁じたものでは決してない。

もし又市氏の主張が正しいとすれば、憲法96条の「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する」という規定が有名無実のものとなってしまう。

といのも、上述の通り、96条は憲法の改正を認めたうえで、その発議は国会議員が行うと定めている。又市氏が主張するように、「国会議員である」首相が改憲発言を行うことが「まさに99条に違反する趣旨の発言」だとするのであれば、全ての国会議員が改憲の議論を行うことはできなくなる。何故なら、99条では「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」による憲法尊重・擁護義務を謳っているものの、内閣総理大臣に関して特化した規定は何もないからだ。

よって、首相が改憲発言をしたことが「不見識」であり、「立憲主義の認識に欠ける」などとするのは明らかに「言いがかり」の類であり、又市氏こそ、立憲国家おける国会議員として、「認識に欠ける」人物である。さらに言えば、同氏の憲法99条の曲解こそ、同条が定める国会議員の「憲法尊重・擁護義務違反」であると言わざるを得ない。

時代にそぐわなくなり、国民の利益に適わなくなった憲法、あるいは個々の法律を改正するのは当然のことだ。憲法や法律自体を護ることがそれらの目的ではなく、国民の利益を護ることが目的なのだから。もっと言えば、現状に即していない憲法や各種法律の改正を怠る国会議員は、「怠慢」の誹りを免れない。

そのような明白な事実に目を瞑り、明らかに誤った憲法解釈をしてまで、社民党、民主党左派などの左翼連中は一体何がしたいのだろうか。全く理解に苦しむ。

憲法9条を改正すれば、それが即戦争への第一歩になるという彼らの、時代遅れ、かつ短絡的な思考にはもはや反論する気にすらなれない。逆に、9条を堅持してさえいれば、日本は何の争いにも巻き込まれず、永遠に平和でいられるとでも思っているのだろうか。

いわゆる「護憲派」と呼ばれる連中は、論理などなく、「生理的に」何が何でも憲法を変えたくない、社民党の福島瑞穂党首や、(今は政治家ではないが)田嶋陽子氏のような現実が全く見えておらず、日本が大人しくしていれば、領土問題は「自然に」解決するし、他国との紛争など起こらないという幻想の中に生きている「夢想家」。あるいは、特アから何らかのかたちで相当な利益を得ていたり、心から日本を憎んでいる「似非日本人」。もしくはその両方なのだろう。

繰り返しになるが、国民の代表としての政治家にとって最も重要なことは、憲法を金科玉条の如く崇め奉ることではなく、国民の利益を護ることである。その点を左翼政治家は完全にはき違えているし、それは国民にも見透かされている。

その証拠に、典型的な「護憲政党」である社民党、及び共産党の衆議院選挙比例区での得票数は着実に減少している。社民党はここ数回の総選挙で最高の得票数であった2005年の約370万票から、昨年の総選挙では約140万票へと、そして共産党は2009年の約490万票から約370万票へ、それぞれ大きく後退した。組織力がある共産党は、今後もある程度の票数は確保していくと予想されるが、社民党はここ数年のうちに消滅する危機さえある。

左翼政治家は長年に亘って、「護憲・平和」というような耳触りのいいスローガンで自虐史観に囚われた国民を上手に欺いてきた。しかし今や時代は変わり、彼らの主張は矛盾だらけであり、その政策は実は「反日」であることに多くの有権者が気付いた。

彼らは憲法改正を「時計の針を戻す」などと表現するが、逆にそれは、戦後、「思考停止」に陥っていた日本人の目を覚まさせ、止まっていた時間を前に進めることに他ならない。左翼が最も「輝いていた」数十年前に、「時計の針が戻る」ことは決してない。

安倍首相には、「異常」な左翼政治家の憲法論議に与することなく、心から日本の将来を憂う党内外の同志と共に、着実に改憲の議論を進めていただきたい。天地人とも、今、安倍首相に味方しているのは間違いないのだから。


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2013年2月 8日 (金)

日本が抱える「公明党問題」Part 3 ‐メディアも無批判の「聖域」 「公明・学会支配」からの脱却へ‐

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(写真はITmediaより)


本ブログでは、「日本が抱える『公明党問題』Part 1 ‐安倍内閣『戦後レジームからの脱却』への障害‐」において、政教分離の観点から、またその異常な親中・親朝鮮半島の政治姿勢について公明党の問題点を指摘させていただいた。また、「日本が抱える『公明党問題』Part 2 ‐自民党を懐柔した政界の『モンスター』‐」では、学会票を目当てにした自民党が公明党の愚策を採用することによって、多額の血税を無駄にしてきたこと、そして長年続いてきた自公の選挙協力によって、自民党が公明党と離れがたくなってしまった現状を解説させていただいた。

本稿では、メディアの公明党、及び創価学会に対するスタンス、そして、日本の政治を前進させるため、今後の自公関係はどうあるべきかについて議論していきたい。

先月、公明党の山口代表は中国を訪問し、習近平総書記と対談した。新聞各紙は訪問前から盛んにこの話題を取り上げた。とりわけ、朝日、毎日はあたかも首相が訪中かのするような熱心さだった。

しかし山口代表は訪中前、尖閣問題に関して香港のテレビ局に対し「将来の知恵に任せることは一つの賢明な判断だ」と述べ、「棚上げ論」に言及。そして、連立与党の党首として訪中した山口代表が行った「親中」発言を中国メディアに最大限活用された。

その訪中に関して読売新聞は1月26日付の社説で、同氏の「棚上げ論」を、「看過できない発言」と批判。また、鳩山元首相、村山元首相の訪中と絡め、「先に訪中した鳩山元首相は、尖閣諸島を『係争地だ』と述べた。領有権問題の存在を認めたことなどから、中国の主要紙が大きく取り上げた。中国に利用されていることが分からないのだろうか」と続けた。

産経新聞は更に手厳しく、複数の記事・社説で山口代表の言動を批判している。代表的なものとしては、まず1月23日付社説「尖閣と山口氏 棚上げ論は国益に反する」の中で山口氏の「棚上げ論」に関して、「国益を損なう極めて不適切な発言であると指摘せざるを得ない」、「安倍首相は(1月)11日、『尖閣諸島、領土を守る姿勢に変わりはない』と述べたが、山口氏はこれを否定したとも受け止められる。国家主権をどう考えているのか」と非難。

1月27日付「産経抄」では、田中角栄内閣時代の、中国による日本人政治家の懐柔策を回顧したうえで、「(習近平総書記は)訪中した公明党の山口那津男代表をじらした上で、会談に応じた。しかも、池田大作創価学会名誉会長の名前を挙げて山口氏を感激させる。中国伝統の日本人懐柔策といえる」と看破したうえで、「中国側の狙いが、親中的な日本の政治家を利用し日本の対中世論を分断することにあるのは明らかだ。それに乗せられるようでは、『日出る処の天子…』の書簡で、中国への毅然とした外交姿勢を示した聖徳太子が泣く」と、山口代表、及び公明党の情けなさを指摘。

そして「習・山口会談 恫喝の下では対話できぬ」と題した同日付の社説でも、公明党の浅はかさを明確にしている。

一方、僕が確認した範囲では、朝日・毎日の「親中連合」は、明確に山口代表の「愚行」を指摘してはいない。

中国海軍によるレーダー照射が明らかになった今、公明党の中国外交など「糞の役にも立たない」(失礼)ことが明確になり、山口代表の「ピエロ」ぶりは、もの悲しくすらある。

それでも、大手メディアが公明党・創価学会を批判することは例外的な事象である。それは何故か?

ひとつは、学会の機関紙・聖教新聞の存在。同紙の発行部数は公称550万部。しかしそれほどの発行部数を誇る「大新聞」であるにもかかわらず、自前の印刷所を保有していない。ではどうしているのか。主に毎日新聞社系列の印刷会社(関東は東日印刷、関西は高速オフセットなど)に印刷を委託。また読売新聞や朝日新聞、ブロック紙、多数の県紙の工場にも印刷を委託している(Wikipedia参照)。

550万部の新聞を印刷するというのは、相当大きな仕事である。もしその部数が事実であるとすれば、毎日+産経をも上回る数字である。これを請け負うことは、印刷工場の稼働率を高められるという点から考えれば、各新聞社にとっては聖教新聞は「大取引先」である。

一般企業で考えれば、そのような大クライアントの利益を害するような行為を行うことはあり得ない。それは新聞社でも同様であり、聖教新聞から仕事を「いただいている」新聞社が、創価学会や、その政治組織である公明党を批判することなどできるはずがない。

また、聖教新聞、及び創価学会は、宣伝主体としても大手メディアにとっては「上顧客」である。両者はテレビ・ラジオに多数の提供番組を持ち、選挙となれば公明党もテレビ・ラジオCMはもちろん、新聞広告も出稿する。まぁ、「そういう関係」である。

産経新聞は創価学会一派との関連は薄いと考えられるが、なぜか系列のフジテレビは、その「韓流推し」によって本社前にデモ隊が押し掛けるなど、「親韓」で定評がある。真のジャーナリズムとはとても呼べない日本の大手メディアの中に在って、「タブー」に切り込む勇気を持った産経は、数少ない「良心」と言えるのかもしれない。

そうした「ビジネス」での関係以外にも、大手メディアが公明党、とりわけ創価学会批判に二の足を踏む理由はある。

テレビ・新聞が創価学会を批判することは、上述のような理由から、ほぼ「皆無」に等しい状況ではあるが、週刊誌は時に学会批判を掲載することがある。そうした記事が出た場合何が起こるかというと、学会員が総出で当該出版社に抗議電話・FAX・メール攻撃を加える。さらに彼らを怒らせれば、自社の前にデモ隊が押し寄せることもある。

このような手法は、「某国」が世界各国のメディアなどに対して行い、大いなる顰蹙を買っている。名誉会長が親朝鮮半島のお方だけに、その組織のメンタリティも、彼の国と同様なものがあるのだろうか。

メディアにとっては、通常業務に支障を来すこのような「抗議活動」を受けるのであれば、余程のことがない限り、そのような「厄介者」を批判する勇気は持てないだろう。ジャーナリズムの思想から言えば情けない限りではあるが、彼らも「ビジネス」を行っている以上、そのような判断があったとしても止むを得ないだろう(決してそれが許されるという意味ではないが)。

ちなみに創価学会は、フランス、ベルギー、ドイツにおいては、「カルト(反社会的な宗教団体)」と分類されている組織であることを追記しておく(Wikipedia参照)。

このように、大手メディアですら批判することが許されず、今や「聖域」となってしまった公明党、そしてその支持母体としての創価学会。この連中を政権与党から「引き剥がす」ことは可能なのだろうか?

まずは自民党が次期参院選で、公明党なしで3分の2以上の勢力を確保する必要がある。公明党は憲法改正反対であるため、まずは憲法第96条を改正したいとする安倍内閣の方向性に異を唱えることはもちろん、集団的自衛権の行使など絶対に認めないだろう。

加えて、人権擁護法案、外国人参政権など日本国の根幹にかかわる部分でも、日本の国益軽視、在日外国人重視のスタンスである以上、公明党を切り捨てることなしに、「戦後レジームからの脱却」など絵に描いた餅である。

ただ、自民単独で参院での3分の2を確保することは不可能なので、日本維新の会、みんなの党など第三極との連携によってその数を確保する必要がある。維新に関して言えば、橋下氏はともかく、石原氏は公明党が大嫌いなので、参院選での大いなる躍進に期待したい。

そうした他党との連携も重要ではあるが、最も重要なことは、自民党が「思想も体質も違う公明党とは永遠に決別する」との覚悟を持つことだ。

上述の「日本が抱える『公明党問題』Part 2 ‐自民党を懐柔した政界の『モンスター』‐」でも議論させていただいた通り、学会票がなければ当選が覚束ない自民党議員がいることは事実だ。しかし、そのような、「真の実力がない」議院の落選を覚悟してでも、今こそ(参院選後)自民は公明と袂を分かたねばならない。

学会票が無くても自民党議員が当選できるような環境整備としては 憲法改正、集団的自衛権行使の必然性など、公明党が反対する政策への国民の理解を十分深め、支持率を上昇させることが肝要だ。「自虐史観」に支配された時代は変わり、安倍内閣の主張に共感する国民が激増していることは間違いない。環境は整っている。自民党、及び安倍首相には、自信を持って自らの主張を国民に伝える努力を続けていっていただきたい。

自民党がそうした地道な努力を続ければ、「反日・親中・親朝鮮半島」の公明党の主張など、真の日本国民は誰も相手にしなくなること必定だと考える。

そのような活動を行うことにより、愛国者による、より強力な「反公明・学会」勢力が形成されれば、政権与党に留まりたい公明がいくら融通無碍に主張を変え、自民に抱きつこうとしても、遠慮なく突き放すことができるだろう。

バカな元首相が、「日本は日本人だけのものではない」などという愚かこのうえない主張をしていたが、外国人の人権をも尊重することは当然としても、「日本国は一義的には日本人のもの」であることに間違いはなく、国民の利益を犠牲にしてまで、外国、あるいは外国人の利益を護ることなどあってはならない。

3回に亘って本ブログで議論させていただいた、「日本が抱える『公明党問題』」。当初は、「安倍内閣が抱える『公明党問題』」というテーマで議論するつもりであった。しかし、公明党、そしてその支持団体・創価学会の極めて反日的な主張、思想を考えるにつけ、これは単に安倍内閣の問題ではなく、日本国全体の問題であると考え、「日本が抱える…」とさせていただいた次第である。

僕は特定の宗教を持つ人々を非難するつもりも、否定するつもりも一切ない。「信教の自由」が保障されたこの国においては、どのような信仰を持とうとも何ら問題はないし、非難されるいわれもない。ただ、特定の宗教によって支配された政党が、政権与党となって、その宗教の支持者にとって有利となるような政策を行ったり、その思想に基づき国民の利益を害するような行為を行うとなれば、話は全く違ってくる。そうした宗教団体による政治活動は、正当な批判に晒されなければならない。

しかるに現在の公明党は、これまで述べてきたように、政治的な批判も受けず、メディアからもタブー視されている。このような不健全な状態は、信教の自由とは全く次元の違うレベルで、徹底的に糾弾されなければならない。

民主党政権が壊滅的なまでに国家の利益を毀損した今の日本にあって、最も重要なことは、自民党が衆院選で謳っていたように「日本を取り戻す」ということだ。日本国民が幸せに生きることができ、国家に対して誇りを持てるような日本を取り戻すこと。それが安倍内閣に課され最重要事項であり、その目的を遂行するためには、「タブー」などあってはならない。

憲法を改正することも、これまでの国際関係を再考することも、そして公明党を政権与党から追い出すことも、それが日本国民の利益に適うものである限りにおいては「何でもあり」なのだ。

今を生きる日本国民の幸福のために、くだらないしがらみや、旧態依然としたシステムなどを遠慮なくぶっ壊し、とりわけ反日思想を垂れ流す連中を粉砕する。それが「戦後レジームからの脱却」に他ならないし、安倍内閣であればそれができる。覚悟を持った安倍首相の決断を大いに期待している。

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2013年2月 7日 (木)

「中国海軍レーダー照射」各紙の反応 ‐読売・産経:通常 朝日:えっ 毎日:相変わらず国益無視‐

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(写真はmsn産経ニュースより)


小野寺五典防衛相によると、東シナ海で1月30日、警戒監視中の海上自衛隊の護衛艦に対し、中国海軍艦艇が射撃の目標をとらえる火器管制用のレーダー照射をしたとのこと。同月19日にも、東シナ海で中国海軍艦艇が、飛行中の海上自衛隊艦艇の搭載ヘリにレーダーを照射した疑いがあるとした。いずれも公海上で起きたようだ(YOMIURI ONLINE)。

このレーダー照射とは、僕の世代は、トム・クルーズ主演の映画『Top Gun』で戦闘機がレーダーで敵機を捉え、照準が合うと緑色の枠が赤に変わる、いわゆる「ロックオン」となる場面をよく見たが、ざっくり言うとあんな状態のことらしい(イメージとして下記映像参照)。





つまり、その状態で発射ボタンを押せばすぐにミサイルが発射され、敵機(敵艦)を撃墜することができる。中国海軍艦艇が取った行動は、それほど危険な行動だ。平時にこのような行為を行うとは、今更ながらだが、彼の国は「異常」そのものだ。

小野寺防衛相は、中国を非難しつつも抑制的な口調で事の経緯を語っていたが、例えば、アメリカ軍などがこうした行為を受ければ、間違いなく反撃するであろうレベルの愚行だ。

安倍晋三首相も、参院本会議で、今回のレーダーの照射について「不測の事態を招きかねない危険な行為であり、極めて遺憾だ。戦略的互恵関係の原点に立ち戻って再発を防止し、事態をエスカレートしないよう強く自制を求める」と述べた(msn産経ニュース)。

この「事件」に対する主要紙の報道はどうか。

読売新聞は、社説でこそこの話題を論じなかったものの、「照射から数秒で射撃可能…攻撃に準じる危険行為」と題した記事では、「他国の艦船などに射撃用のレーダーを照射することは『明確な威嚇行為』(防衛省幹部)で、実際の攻撃に準じる危険な行為だ」と中国の行動を非難。また、別の記事では、米民間調査機関「新米国安全保障センター」のパトリック・クローニン氏による「他国軍艦船などへのレーダー照射は、一触即発の状態を招く敵対行為だ」、在ロンドンの軍事筋の「レーダー照射は、平時には絶対に使わない『禁じ手』だ」とのコメントを紹介し、中国の行動がいかに国際社会の常識から外れたものであるのかを明確にしている。

産経新聞は本日2月6日付社説において、「事実上の軍事行動であり、武力行使を意図した極めて危険な挑発行為だ」と中国を批判。日本政府に対しては、「中国に厳重抗議したのは当然だが、外務省の課長による中国大使館への抗議だけで十分といえるのか。安倍晋三政権は駐中国大使召還など必要な対抗措置をとり、挑発を許さぬ毅然とした姿勢で対処すべきだ」とした。

また、「対話再開へ統治強化策を強く前面に出すことを控えてきた面もあるが、中国側を抑止するあらゆる措置を検討することが重要だ。自衛隊や海上保安庁による警戒監視活動強化と併せ、不測の事態への備えを怠ってはならない」と、中国との関係改善のために前のめりになり過ぎ、同国に対する警戒が疎かにならないよう政府に注文をつけている。

さらに「産経抄」では、アホウドリの話を例に、石垣市が尖閣の世界自然遺産登録を目指すよう政府に働きかける、という話を紹介。「中国は自衛艦にレーダー照射するなど、尖閣での横暴をエスカレートさせている。政府もアホウドリのようにモタモタしていては、中国の思う壺(つぼ)となってしまう。先手を打っていくためにも石垣市の提案に耳を傾けてみていい」と結び、政府の尖閣へのより積極的な関与を促している。

意外だったのは朝日新聞。本日付の社説では、「レーダー照射‐危険極まる中国の挑発」と題して、珍しく中国批判を展開している。「状況に不明な点は多いが、一歩間違えば軍事衝突に発展しかねない危険な挑発行為だ。断じて許されるものではない。日本政府が、中国政府に抗議したのは当然である」と政府の対応を評価。

また、今回のレーダー照射は、これまでの領海・領空侵犯とは質が違うと指摘したうえで、「中国の軍部や世論の一部には『戦争も辞さず』という声さえ上がっているという。そうした声に押され、挑発をエスカレートしているとしたら見過ごせない。自制を強く求める」と主張。

しかも、「中国共産党は、尖閣問題で軍や国家海洋局などが連携して対応するよう、新たな組織を立ち上げた。そのトップは習氏だ。レーダー照射という行為まで習氏が把握していたのかは不明だが、責任は免れない」と習近平総書記の責任に言及し、「力を振りかざす中国の姿に、国際社会は違和感を強めている。そのことを中国は自覚すべきである」と締めくくっている。

どうしたのだろう、朝日は?こんな「親日・反中」の社説を書いて大丈夫なのだろうか?全くの他人事ながら、これを書いた論説委員の今後が心配だ(笑)。

もしかすると、朝日は、「安倍を叩くことが朝日の社是」と言って憚ることのなかった若宮啓文主筆の退任を機に、「真っ当な」報道機関になろうとしているのかもしれない。若宮氏は、朝日新聞の「反日・親中・親朝鮮半島」の象徴であり、いわば、朝日が「普通の」日本人からすらも非難される元凶であった。1月29日付の『Business Journal』が報じているように、氏との決別が朝日を変えた、あるいは変える可能性はある。今後の朝日の論調を注視してみたい。

今回の件に関して言えば、毎日だけは相変わらず「反日・反安倍」の報道に徹している。今日は徹底的にこの新聞について発言させていただく。

この日本国民の利益を害するために存在しているとしか思えない新聞は、「中国海軍:レーダー照射 安倍政権に大きな衝撃」と大仰な見出しの記事を掲載。これだけ見れば、中国の愚かな行為によって、あたかも安倍内閣が大きなダメージを受けたかのように思える。しかし内容は他紙の第一報と変わらない凡庸なもの。

加えて同記事の中で、「レーダーを照射した中国艦は護衛艦やヘリに直接砲身を向けなかったため、海自は反撃準備せずに動向を見守った。『中国がこちらの性能を試した可能性がある』(外務相幹部)ほか、軍の現場の独断との見方もある」と、中国の立場を慮って、中共の幹部に責任はなく、現場単独の暴走だとの見方を印象付けようという「努力」が見て取れる。この点は、左翼のお仲間・朝日が、習総書記の責任を追及している姿勢とは大きく異なっている。

さらに愚かなことに、「中国海軍:海自艦に照準 中国、安倍政権に不信感」と題した記事では、「中国海軍のフリゲート艦が海上自衛隊の護衛艦にレーダー照射した背景には、対中強硬姿勢を崩さない安倍政権に対する中国側のいら立ちがある可能性が高い」と、あたかも安倍首相が、中国の国際常識では考えられない行為を誘発したような論調。

毎日の「親中」発言は続く。「海上自衛隊の護衛艦に対するレーダー照射があった同30日は日本政府が尖閣周辺を警備する海上保安庁の組織強化を盛り込んだ新年度予算案を決定した翌日だった。安倍首相が習氏への親書で日中関係の重要性を強調しながら、関係改善に向けた具体的な対応がないことに中国側は不信感を募らせている」。

つまり毎日が主張したいことは、日本が自国の利益を護るための予算編成をしたことは、「中国様」を刺激する許しがたい行動であり、安倍首相が習総書記に親書を渡すような手ぬるい「恭順の意」を示したところで「中国様」は納得しない。「更にひれ伏せ」ということのようである。

このバカ新聞は、日本国民の利益という観点から見れば、もう存在する価値はないだろう。

実際、毎日新聞は1975年に1度「潰れて」いる。西山事件に端を発した不買運動で国民から見放された毎日は、同年、会社更生法の適用を受け、何とかここまで生き延びてきている新聞社なのだ。その更生には政治的な動きもあったのだろうが、今考えれば、その時完全に潰しておくべきメディアだった。

その系列のTBSについては、本ブログでの以前の記事「腐ったTBSは報道機関という名に値するのか? -またしても安倍総裁に対する印象操作-」で、報道機関としての価値なしと断じさせていただいたが、毎日も含め、このグループは日本から追放した方がいいだろう。具体的には、青息吐息の毎日には、銀行団はもう融資を行わない。TBSの放送免許は剥奪。安倍政権が力強い長期政権になることが予想される今、毎日とTBSには(それ以上にNHKは)、「首を洗って待っていろ」と言いたい。

今回の中国の異常な挑発行為に対して、アメリカ国務省のヌーランド報道官は5日の記者会見で、「このような行動は緊張を高め、(偶発的衝突などの)事故や誤算の危険性を増やす」、「(中国の行動を)懸念している」と述べ、「(中国の行動が)この重要な地域での平和や安定、経済成長を損なう恐れがある」とも警告した(YOMIURI ONLINE)。

今回の中国による異常な挑発行為に対して、「普通の」憲法、交戦規程を持っている国(日本以外の世界のほとんどの国)であれば、紛争になってもおかしくない状況の中、優秀な自衛隊、及び日本政府が抑制的な対応を行ったことは、アメリカを始めとする国際社会で高く評価されていることは間違いない。

自衛隊も素晴らしいし、安倍内閣の皆さんも素晴らしい。だからこそ、そうした尊敬に値する同胞を、後ろから鉄砲で撃つような輩は、日本を愛する国民が力を合わせて駆逐しなければならない。

愛国者の皆さんに、政治家やメディアのおかしな行動を知ってもらうため、僕は引き続き「メディア・ウォッチ」、「政治家ウォッチ」を続け、皆さんが政治について判断するための情報提供を続けていく所存である。様々な意味で、「日本人面」した敵を決して許してはいけない。この「美しい国」を破壊しようとする、いかなる勢力をも撲滅していくことが、我々「真の日本人」の使命だという考えを共有しましょう!


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2013年2月 4日 (月)

昭恵夫人を護る「男」安倍晋三 ‐『女性自身』の「捏造記事」に訂正を要請‐

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(写真は安倍首相fbページより)


安倍晋三首相は、2月1日、自身のfbページで、「安倍昭恵さん~首相公邸台所改装費に税金一千万円」と題された『女性自身』(2月12日号)の記事について、「びっくりいたしました」、「とんでもない捏造記事です」と述べ、「編集された方、どうかご訂正をお願いします」と記事の訂正を要請した。

安倍首相によると、記事は、「2007年の首相辞任は、自分がきっちり夫の健康管理をしてあげられなかったからだ」との後悔の念を強くもっている昭恵夫人が、「今度は前回以上に食事の面から夫をサポートしていかなければ」との思いから、首相公邸の台所を1000万円(税金)かけて改装するよう指示していると、自民党関係者の話として伝えているとのこと。

首相は、「私も昭恵も首相公邸のリフォームはおろか、ハウスクリーニングさえ依頼した事はありません」、「公邸に移るにあたって清掃や空調点検、あるいは壁穴の補修作業が入るというのは通例ですが、本来こちらが依頼し行うというものではありませんし、金額についても1000万円もかかる大げさな工事はもちろんありません」と、記事の内容を全面的に否定。

安倍首相は昨年10月18日にも自身のfbページで、『週刊新潮』(10月25日号)による昭恵夫人への中傷記事に対して、同誌から送られてきた質問状とそれに対する首相の回答を公表したうえで、半ばあきれ気味に「週刊誌の記事とは報道ではなく、小説に近いものだということを改めて実感いたしました」とコメントしている。

ご参考までに、その時の記事は、「寂しき『未来のファースト・レディー』 裏路地の居酒屋女将になった『安倍昭恵』の隙間風」と題され、3ページにわたるもの。昭恵夫人が店の外で酔っている写真を掲載し、「まるで、客に勧められるがままに呑み続けてしまった地方スナックのホステスの図である。そこには、次期ファースト・レディーたる自覚や威厳は微塵も感じられなかった」、「実は2人は仮面夫婦なのではないかと危惧する関係者は少なくないのである」などと報じている(下記画像、及びJCASTニュース参照)。


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首相による、こうしたfbへの投稿からは、自身に関しての「捏造記事」に対する怒りも然ることながら、昭恵夫人を護ろうとする姿勢が伝わってくる。安倍首相には、総理大臣として国民の生命・財産を護る責任があることはもちろんだが、その職責以前に、ひとりの人間として家族を守る責任があることも間違いない。

そう考えた時、上記投稿では怒りを抑制し、冷静に週刊誌の「偽り」を指摘してはいるものの、その奥に垣間見える、人間・安倍晋三としての夫人に対する責任、義務、あるいは大切な夫人を傷つける記事に対する憤りなどの感情を感じることができ、「男」としての心意気が伝わってきて 同じ男として感動を覚えずにはいられない。

この世界、どの国においても同様だが、タブロイド、ゴシップ誌などは、いわゆるジャーナリズムとはかけ離れた「与太話」を垂れ流す「幸災楽禍」的な、人間の最も汚い部分を刺激する醜悪なメディアである。

彼らは、憲法で保障されている「報道の自由」を濫用し、安倍首相のような公人のみならず、時には一般市民すら平気で傷つけ恥じることのない連中であり、個人的には、その存在意義は全くないと考えている。

一方で、上述のように、人間というものは「人の不幸は蜜の味」と考える生き物であるため、そうしたネガティブな好奇心を満たすことを欲する者が存在する以上、絶滅するには至らない存在でもある。

三流、あるいは四流誌の「捏造報道」など、一国の総理にとっては取るに足らないことかもしれない。そんなものを読む連中、ましてやそのような全く信頼性のないメディアによる真偽不明の記事を信じる連中など、そのメディアに見合った程度の連中であるし、どうでもいいといえばどうでもいい。

もし件の『女性自身』の記事が、安倍首相に対してのみの記事であれば、首相も黙殺したかもしれない。察するに、首相が敢えてそれに対して訂正を求めたのは、昭恵夫人を中傷する記事であったからだろう。そこに、安倍首相の夫人に対する「夫婦愛」を感じ、共感を覚える。

日本を代表するメディアである朝日新聞ですら捏造報道を行うこの国においては、週刊誌がでたらめな記事を垂れ流すのも無理からぬことだろう。いわゆる大手メディアも含めた、ジャーナリズムとしての矜持を持たないメディアの捏造・偏向記事に対して、一つひとつ対応するのは、一国を導いている首相にとっては、本当に無駄な仕事であることは間違いない。

しかし、以前本ブログの記事「安倍首相の「宣戦布告」 ‐無意味なぶら下がりは廃止 Facebookで情報発信へ‐」で議論させていただいたように、ネットメディアを活用することにより、メディアのバイアスなしに、首相が直接国民に語りかけることができる時代を迎え、これまでとは比べものにならないくらい容易に報道に対する反論ができる環境になっている。

秘書の方々などの協力を得て、安倍首相には、積極的にメディアの「不正義」を糺していって欲しいと心から願っている。それによってネットを中心にメディアの企みは暴露され、批判に晒される。そうなれば、大手メディアもそれを無視できなくなる。例えば今回の、安倍首相のfb上での『女性自身』に対する批判も、産経新聞時事通信が報道している(朝日、毎日は沈黙しているが…)。

こうした動きを見ていると、上述の本ブログの記事で予測させていただいたように、「(首相のfbによる情報発信が強化されて)何が起こるかというと、ネットを使える人間が既に首相のfbで知っている情報を、メディアは、ネットを使えない人間のためにそのfbを参照して伝える、ということである」ということが、まさに現実となっていることを痛感する。

さて、最後に、ファーストレディが1000万円もの公金を使うよう指示したとの事実を「捏造」した、『女性自身』、及びその発行元の光文社はどう対応するのか。一国の首相に「とんでもない捏造記事」だと断言され、訂正を要求されているのだ。

こうした連中のメンタリティを考えれば、裁判に訴えられない限り、訂正・謝罪などすることはあり得ないだろう。それはそれでしようがない。その程度の倫理しか持ち合わせていない輩なのだから。

我々にできることは、安倍首相の夫人に対する思い遣り、そして、愛する人のために闘うその「男気」を決して忘れないこと。そして、「女性自身=捏造報道」という事実を理解し、そんなゴミ同然の週刊誌に対して無駄なお金を使うことなく、もっと世の中のためになることにお金を使うことを心がける、ということになるだろうか(差し出がましい言い方で済みません)。

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2013年2月 3日 (日)

日本が抱える「公明党問題」Part 2 ‐自民党を懐柔した政界の「モンスター」‐

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(画像は小野市議会公明党ホームページより)


前回の記事、「日本が抱える『公明党問題』Part 1 ‐安倍内閣『戦後レジームからの脱却』への障害‐」では、公明党の問題点、そして同党が安倍内閣の政策遂行を妨げるおそれがあることを指摘した。

そして、「次の参院選で、自民+第三極で3分の2以上の多数を確保できれば、公明党などお払い箱にすればいい」との議論に対し、「ことはそれほど単純ではない」と述べさせていただいた。

何故、自公連立政権から公明党を追い出すことが簡単ではないのか。

まずは、自公の選挙協力について。1999年の自民党・小渕恵三内閣で自公連立の枠組みができて以降、自民と公明は選挙協力を行っている。衆院選での両党の選挙協力は、「選挙区は自民、比例区は公明」という棲み分けを基本としている。ただし、公明が小選挙区に候補者を擁立した場合には、自民党はその選挙区では候補者を立てず、直接対決を避けるようにしている。

そうすることにより、自民党は小選挙区において、公明の支持層=創価学会員からの得票が期待できる。特に学会票が多いと思われる選挙区においては、自民党候補は「選挙区は自民、比例区は公明」を強調し、最大限学会票を取り込むよう努めている。

この戦略が、両者にとってメリットがあるのかどうかについて、明確に分析する術はないが、10年以上に亘って選挙協力が続いている現実を見ると、両者の連携について、以下で議論する通り、総体的には相互に利益があると判断されているのだろう。

僕からみると、学会票を期待できる自民党にとっては「おいしい」仕組みだとは思えるが、例え候補者から「比例区は公明へ投票を」と言われても、自民党支持者が素直に公明に投票しているとは考えにくいのだが。

おそらくは、そうした公明にとっては、いわば「片務的」な選挙協力だとの批判をかわすため、自民側は政策面において公明の主張を取り入れてきた。例えそれが全くの「無駄遣い」であったとしても。

そのような政策の例として挙げられるのは、まず、公明党の強い主張によって1999年に発行された「地域振興券」。これは、財源を国が全額補助することによって、全国の市区町村が発行し、一定の条件を満たした国民に1人2万円分、総額6,194億円を贈与という形で交付した。

自民党内には、「単なるバラマキ」との強い批判があった。しかし、当時の内閣官房長官・野中広務氏は、「(以前から公明が主張していた地域振興券は)天下の愚策かも知れないが、7000億円の国対費だと思って我慢して欲しい」と語り、また、公明との連立は学会票を得るための選挙対策であること、その見返りが公明党の要望する地域振興券だった、と述べたとされている(Wikipedia参照)。

「子育てを支援し、老齢福祉年金等の受給者や所得の低い高齢者の経済的負担を軽減することにより、個人消費の喚起と地域経済の活性化、地域の振興を図ること」が目的だった地域振興券であったが、当時の経済企画庁の調査によれば、振興券によって増えた消費は振興券使用額の32%であったとしている。つまり、残りの68%が貯蓄に回されたり、振興券がなくても行われた消費に使われたということになり、野中氏の発言通り、国民の血税・数千億円は公明への「国対費」として泡と消えた。

また同様の例として、2009年に実施された給付形式の定額減税政策である定額給付金」。日本に住所がある個人や在留する外国人を対象に、1人につき12,000円を給付。基準日に65歳以上、18歳以下の人たちには8,000円が加算され、給付額は20,000円だった。

これも公明党が強く主張した「愚策」であり、同党は当時ホームページ上に、「急激な物価高から生活を守る視点から、公明党が提案し実施を勝ち取った『定額減税』が大きな反響を呼んでいます」と、勝ち誇ったように掲載していた。

本施策について、「アベノミクス」を評価して話題となった、アメリカの経済学者ポール・クルーグマン(Paul Krugman)は、「定額給付金は米国などではほとんど貯金に回り、失敗した。なぜ日本が実施するのか理解できない」と述べた。事実、内閣府の調査によれば、定額給付金がなかった場合と比較して消費が増加した金額は、定額給付金受取総額に対する割合の32.8%に過ぎず、地域振興券同様、大いなる税金の無駄遣いであった(Wikipedia参照)。

ここまでして自民が公明との連携、特に選挙協力に拘る理由は、もちろん選挙における学会票であることは言うまでもないが、その依存度が、今となっては決定的と言えるほど高くなっているという現実が、今後、安倍内閣が各種政策を遂行するための足かせになる可能性がある。

創価学会の会員数は、ホームページによると827万世帯と記されている。これが正確な数値かどうかは分からないが、正確だと仮定し、もし各世帯に有権者が1名いるとすれば、学会が有する基礎票は830万程度はあると考えられる。大雑把な計算になってしまうが、この数字を小選挙区の数300で割ると、約28,000。選挙区の規模によって、当選のために必要とされる票数は異なるが、平均値で1選挙区当たり20,000~30,000という学会の基礎票は大きな魅力だ。

そのように考えれば、小選挙区の自民党候補、特に選挙に強くない候補にとって学会票は、喉から手が出るほど手に入れたいものであろうことは想像に難くない。1999年に選挙協力を始めて以降、多くの自民党候補者がその票によって助けられたことは間違いないだろう。

しかし、自公の関係次第では一気に失う恐れのある学会票は、自民党候補者にとっては、「禁断の果実」であった。本来は自らが必死で支持者を開拓し、その政策、あるいは実績によって有権者を引き付けるべきであったところを、選挙協力によって安易に学会の組織票に頼ってきた。それによって候補者の「足腰」はすっかり衰えてしまい、得票網は完全に弱体化している。

そのような候補者は、自公の選挙協力が白紙となり、学会票が得られなくなれば、当選は覚束ないだろう。とすれば、公明党との連立解消には猛烈に反対するはずだ。

そうなると、いくら次期参院選において、自民+第三極で3分の2の多数を得たとしても、自民党が公明党に対して連立解消の引導を渡すことは相当な困難を伴うだろう。目先の票に釣られて公明党に懐柔された自民党は、「自縄自縛」の状態に陥っており、今や政界の「モンスター」となった公明党に抗うことができない状況にあるのだ。

上述のように、自公の選挙協力は、ある種の「片務契約」であり、少なくとも選挙においては自民党のメリットの方がはるかに大きい。ただ、公明党は、上述のように、その「愚策」を実現してもらうとともに、政権与党に留まることにより、選挙協力で自民党に一方的な利益を与えたとしても余りあるものを享受することができる。

公明党(創価学会)にとっては、国政以上に都議会で与党であり続けることが重要事項である。というのも、宗教法人としての創価学会に認可を与えているのは東京都であり、その首都東京で政権与党を占めると言うことは、創価学会に対する法人としての適否の判断、あるいは税務調査等の不利益を避けるという意味で、学会にとっては生命線だと言える。

一方、都議会での与党という立場に加えて、国政における与党の地位を保ち続けられるならば、これは公明党=創価学会にとっては、「鬼に金棒」とも言える状況になる。つまり、例え東京都知事、あるいは議会の特定勢力が「反創価学会」で「独走」する事態に陥ったとしても、国政与党の立場にあれば、それを牽制するための方策を講じることが十分可能であると考えられるからだ。

都議会における宗教法人認可・監督に関する具体的な権力、加えて、国家権力の中枢に在ることによる、ある種の間接的権力。その両方が、創価学会維持のために必要とされているのだろう。そうした、組織の根本を防衛することが公明党にとっての至上命題であると考えれば、例え「片務的」な選挙協力であったとしても、現在与党であり、今後もそうである可能性の高い自民党との結びつきを維持することは、個々の政策はともかく、創価学会総体としては、サバイバルのための賢明な方策と言えよう。それゆえ、簡単にはその「権益」を手放すことはないだろう。

このように、少なくともこれまでは、自民・公明、相互の利益のためにその連携は機能してきた。しかし、民主党の無能さを目の当たりにした有権者が自民党に回帰し、加えて、第三極が勢力を伸張させている現状を考えれば、そもそも公明党に違和感を覚えている自民党支持者が、「公明追放論」に傾いたとしても不思議ではない。

それでも、「反公明・反創価学会」の世論は必ずしも盛り上がらない可能性があると見る。それは、公明=創価学会批判は、ある種の「タブー」となっているからだ。
(この章続く)

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