« 地方紙で垂れ流される「左翼思想」 ‐偏向・共同通信の恐るべき地方支配‐ | トップページ | New York Timesで「日本は尖閣を盗んだ」と主張 ‐「親中」ニコラス・クリストフの激しい「反日活動」‐ »

2013年1月16日 (水)

産経新聞が示す「読売・産経 VS 朝日・毎日」の構図 ‐熱く議論せよ既存メディア 'To be, or not to be, that is the question'‐

Images


昨日1月14日付産経新聞は、「元日付の社説 産経『憲法改正への槌音が』」と題する「社説検証」で、読売・産経・日経と朝日・毎日・東京(中日)のスタンスの違いを明確に論じた。

同記事で、産経は自身の元日付社説(論説委員長・中静敬一郎「長期安定政権で国難打破を」)において、「『集団的自衛権の解釈見直しは待ったなしの課題』だと訴え、憲法第9条の不備についても『国の守りに大穴が開いて』」いるので、「『日本人が覚悟を決める時だ。日米同盟を堅固にして抑止力を強める。そして心を一つに中国の圧力をはね返すことに、である』と、国民に対して強いメッセージを発した」としている。

読売の社説については、「安全性を確認した原発は、着実に再稼働していく必要がある」「有為な人材を確保・育成するうえでも、次世代型原発の新設という選択肢を排除すべきではない」「成長の観点からは、原発のインフラ輸出も促進したい」と、「原発問題を手厚く論じた」とし、日経は、「日本は今や、生命科学や先端材料などいくつかの分野で間違いなく世界をリードする」という認識のもと、「わが国に『科学技術イノベーション立国』をめざせと勧めた」と論じている。

一方で、「これら3紙が、具体的な提言を打ち出すなどしたのとは異なり、残る3紙は見出しからも察せられるように、一つのキーワードで全体をくくり、かなり抽象的な論を展開した」として、朝日・毎日・東京の社説を批判的に論じている。

朝日の、「『日本を考える』を考える」という、「禅の公案のような見出し」の社説の「国家としての『日本』を相対化する視点を欠いたままでは、『日本』という社会の未来は見えてこない」という結論を、「真意はつかみにくい」と論評。毎日の「互恵精神」、東京の「人間中心主義」についても、その護憲至上主義的な主張を暗に批判している。
(※朝日に関しては、有料会員でないと全文は読めないため、リンク先にはわずか数行しか表示されていない。個人的には、全く読む必要はないと思う。当日に全文を読んだが全く意味不明な主張であった。)

産経新聞が不定期で掲載しているこの「社説検証」という解説記事では、読売、朝日、毎日、産経を中心とした主要紙の社説を比較し、それぞれの主張を分析している(定期的に掲載しているのかもしれないが、産経を購読していないためその点が不明瞭な点、ご容赦願いたい)。

msn産経ニュースで確認できた最近の主なタイトルは以下の通り。

憲法施行65年 産経「国守るには欠陥あり」(2012年5月14日)
オスプレイ搬入 「日米同盟に寄与」と産・読、朝・毎・東は「危険、配備反対」(同7月30日)
李大統領の竹島入り 産経「穏便主義から脱せよ」 「大局に立つ外交を」と朝日(同8月27日)
「国防軍」 産・読「憲法改正の論議を」(同12月3日)
自公圧勝 産経は改憲勢力の拡大期待 「右傾化」懸念強める朝日(同12月24日)
第2次安倍内閣 国家再生へ実行力問う産経、財政破綻へ懸念を示す朝毎(同12月31日)

これらを読んでいただくとよく分かると思うが、テーマは色々ではあるものの、それぞれの記事の結論には一貫した傾向がある。それは、どのような論点であっても、基本的には「読売・産経 VS 朝日・毎日」という構図にあるということである。

例えば、上記12月3日付「国防軍」 産・読「憲法改正の論議を」においては、「『国防軍』のテーマで社説を掲載した4紙の論調は、『国防軍』を支持する産経・読売と、批判的な朝日・毎日とが完全に対立する構図となった」と明確に述べている。

日本では新聞・テレビを問わず、基本的には大手メディアがお互いを批判し合うことはほとんどない。それはおそらく、記者クラブという「既得権益」を守る「お仲間同士」なので、批判し合うのは具合が悪いのだろう。それ故、どこか1社が不祥事を起こしたとしても、他社は最小限のストレートニュースで報じるに止めることがほとんどだ。いわんや、他社の記事などに対しての反論など、まず見かけることはない。 

例外としては、本ブログ「腐ったTBSは報道機関という名に値するのか? -またしても安倍総裁に対する印象操作-」で議論させていただいた「TBSビデオ問題」 、あるいは朝日新聞が、「NHK『慰安婦』番組改変 中川昭・安倍氏『内容偏り』前日、幹部呼び指摘」との見出して、中川昭一経産相と安倍晋三内閣官房副長官(肩書きはいずれも当時)から、この番組の編集についてNHK上層部に圧力があったとする報道を行った「NHK番組改変問題」が思い浮かぶ程度で、他には大きな相互の批判は記憶にない。 

そのような大手メディア同士の「庇い合い体質」を考えると、産経による「社説検証」は非常に高く評価されて然るべき解説記事であると考える。

一般人にとっては、主要紙全てを読み比べることなどなかなかできないことであるし、ましてや、各社の社説を的確に評価・検証することなどほぼ不可能である。そうした意味で、「社説検証」は、あくまで産経の視点からの検証であるとは言え、読者にトピックスに対する幅広い見方を提供することができる、意義ある記事だと言えよう。

残念なのは、産経の発行部数は160万部に過ぎず、読売の990万部、朝日の800万部(いずれも「新聞広告データアーカイブ参照」)に比べるとはるかに見劣りし、実際にこの記事を読んでいる人が新聞読者の1割にさえはるかに満たない数であるということだ(僕のようにネットでアクセスしている数を加えれば読者の割合は増加するが、それでも1割には届かないだろう)。

大手メディア同士では、その「偏向ぶり」が報道されることはほとんどないが、ネット上には、例えば「NHKの中韓報道の割合が異常に高い」、あるいは「朝日新聞は常に安倍内閣に対して批判的だ」などと、具体的事例に基づいたメディア批判(検証といった方がいいだろうか)が溢れている。例えば、「朝日 偏向報道」というキーワードで検索すれば、それこそ「ごまんと」検索結果が表示される(ちなみに、今そのキーワードを使いグーグルで検索してみたところ、検索結果数は約2,420,000件と表示された)。

上述のように、大手メディア同士が互いの不祥事、あるいは批判すべきだと思われる論調を「スルー」し合うことは、読者・視聴者である国民にとって不利益以外の何ものでもない。自社のおかしな思想を垂れ流すことはもちろん「偏向」であるが、国民の利益に適うことを報道しないことも「不作為の偏向」だと言える。

既存大手メディアとしては、ネット上の議論など「ネトウヨ」の戯言だと考えているだろうし、そう「思いたい」のだろう。しかしながら、本ブログの「既存メディアからネットメディアへ ‐余録・安倍総裁人気の源泉ネットメディアの驚異的な「政治的」進歩‐」などで主張させていただいたように、時代の流れは激しくネットメディアへと向かい、その地位が飛躍的に向上している。そのうえ、「安倍首相の「宣戦布告」 ‐無意味なぶら下がりは廃止 Facebookで情報発信へ‐」で議論したように、総理大臣でさえ、ネットメディア重視の方向性を打ち出している。

Kindleの大ヒットに見られるように、書籍を読む媒体は急速に紙から電子化へと進んでいる。紙媒体が消滅することはないとは思うが、電子媒体に多くののパイを奪われることは間違いないだろう。また、テレビ業界においても、全体的に視聴率は長期低落化傾向にあり、「テレビは見ないけどネットで映像を見る」という人々が、若い世代を中心に急増している。

このような時代背景を考えた時、報道機関としての新聞・テレビはどうすれば生き延びることができるのか?その答えは単純で、僕のような、ネット上の「素人政治評論家」に負けない、プロならではのコンテンツを提供することだ。然るに、日本のジャーナリズムは「タブー」だらけで、そうした「自己検閲」によってがんじがらめになっている。

政治家、財界、お役所、スポンサー、そんな連中に必要以上に気を遣って報道活動を行っていたら、とても彼らに勝ち目はない。何といっても僕らにはしがらみがないので、「タブー」などなくどんなことでも議論できる。また、現在は大手メディアの記者でさえ、情報収集を相当部分インターネットに頼っている。そうであれば、その点においては、記者クラブなどで得られるような超インサイダー情報を除いては、プロも素人も差はないことになる。

だとすれば、あとは分析能力の違いということになるのだろうが、各種ブログやツイッターなどを拝見していると、プロ顔負け、というか率直に主張できる分、プロ以上の分析ができる「素人」が多数存在している。そのことを大手メディアの「サラリーマン記者・編集者」は理解しているのかどうか…。極めて疑問である。

若干話が逸れてしまったが、結論としては、大手メディアが「プロとして」ネットメディアを凌駕したいのであれば、産経の「社説検証」のように、あるいはそれ以上に直截的に他社と議論すべきである。それは新聞、テレビを問わない。

戦後数十年に亘って続けてきた、「お仲間重視」、「特権階級意識」などかなぐり捨てて、真に国民の需要を満たすべく、「聖域なきメディア改革」を行わなければならない。そのうえで、素人にはまねのできない「付加価値の高い」記事を国民に提供することが必須である。

それができなければ、三橋貴明氏に代表されるような、ネットメディア出身のある種の「ジャーナリスト」(彼は政治家を目指しているようだが)にとって代わられる時代が遠からず必ず訪れるだろう。

僕自身は、現在のような「ぬるま湯」に浸かっている限りにおいては、既存メディアに対して期待もしていなければ、生き残って欲しいとも思わない。ただ、良い意味で僕の予想を裏切り、日本の歴史あるジャーナリズムの矜持を見せてもらいたいものだ。

'Status Quo'を打破するのは簡単なことではないだろう。しかし、真のジャーナリストとしてのプロフェッショナリズムを持っているのであれば、不可能なことはない。「茹でガエルの法則」に従ってこのまま滅亡するか。それとも、ジャーナリストらしい不撓不屈の精神で復活するか。それは全てあなた方次第である。

関連記事
腐ったTBSは報道機関という名に値するのか? -またしても安倍総裁に対する印象操作-
既存メディアからネットメディアへ ‐余録・安倍総裁人気の源泉ネットメディアの驚異的な「政治的」進歩‐
安倍首相の「宣戦布告」 ‐無意味なぶら下がりは廃止 Facebookで情報発信へ‐


↓ワンクリックでご声援いただければ幸いです。
にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ



« 地方紙で垂れ流される「左翼思想」 ‐偏向・共同通信の恐るべき地方支配‐ | トップページ | New York Timesで「日本は尖閣を盗んだ」と主張 ‐「親中」ニコラス・クリストフの激しい「反日活動」‐ »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

伊阪ドンさん、ははは、何でも外圧頼みの日本は、メディアですらも外圧じゃないと動かない可能性がありますよね。

ご指摘の通り、ネットでの選挙活動が可能となれば現状は大きく変わり、特に新聞・テレビでの選挙広告は激減する可能性がありますよね。それらは誰に届いているのかよく分かりませんが、ツイッターやfbであれば、「顧客管理」がある程度可能ですからね。

米大統領選の時、ツイッターでオバマさんをフォローしていたのですが、有権者ではない僕ですら、「分かりました。必ずオバマさん勝利のために頑張りますから、もうツイートは結構です」と思うほど、「絨毯爆撃」を浴びました(笑)。

次回の参院選からは、日本の選挙事情も相当変わりますね。楽しみに見てみましょう!

万が一TPPに参加してしまったら、まずは記者クラブ制度を非関税障壁として解体してもらったらいいと思いますが、しかし昨今のネットメディアの台頭を見ていると、外圧に頼らずともなんとかなるのではという気もいたします。昨年末の衆院選における党首討論が、地上波テレビに先立ってニコニコ動画で開催されたというのが象徴的でした。また夏の参院選に向けては、ネット上での選挙活動を解禁しようという流れになっています。
時間の経過と共にネットで情報を得る人口の割合は増えていきますから、団塊世代が天国へ行くころには、現在のような大マスコミによる情報の独占は是正されているのではないかと楽観しております。

この記事へのコメントは終了しました。

« 地方紙で垂れ流される「左翼思想」 ‐偏向・共同通信の恐るべき地方支配‐ | トップページ | New York Timesで「日本は尖閣を盗んだ」と主張 ‐「親中」ニコラス・クリストフの激しい「反日活動」‐ »

フォト

アクセスカウンター

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

著作権

  • Copyright © 2012-2013 Mich Maruyama All Rights Reserved.