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2013年1月20日 (日)

センター試験の日に考える大学受験 ‐自民党公約に期待 「一発勝負」は酷過ぎる‐

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(写真は毎日jpより)


昨日、今日と大学入試センター試験が行われ、約57万人の受験生が試験を受けた。雪国の受験会場では、交通機関の乱れにより開始時間が遅れたり、それ以外の受験会場でもいくつかトラブルがあったようだ。それらに動揺せず、受験生の皆さんが十分に実力を発揮されたことを心から祈っている。

僕が受験したころは「共通1次試験」と呼ばれていたが、今のセンター試験と大きく異なるものではなかった。しかし国公立大学の受験制度はかなり違っていた。1次、2次と二つの試験を受ける点では同じだが、現在は複数の大学に出願できるが、当時は今のような前・後期日程のような制度はなく、1校しか出願することができなかった。

正直なところ、僕の時代に比べ、現在の仕組みは様々なオプションがあるので一見羨ましいように思える。ただ、その分色々「戦略」を練って受験校を選定しなくてはならないので、面倒なことの苦手な僕にとっては、当時の単純な仕組みが良かったようにも感じる。

いずれにせよ、制度はその時々で変わり、自分がどの時代に生まれたのか次第なので、受験生側に選択権はない。それはそれでしようがないと思う。ただ、日本の大学受験制度には、今も昔も共通する問題点が存在するので、以下それについて議論したい。

まずは、センター試験の問題点。センター試験は、全国一斉に行われる「一発勝負」の試験であり、受験生にとってはリスクの高いものであるということ。

例えば、不慮の事故等によって入院というようなことになれば、試験を受けることはできない。また、運悪く当日体調を崩していたり、直近で精神的に大きなダメージを受けるような出来事があれば、間違いなく試験の結果に影響を与える。

事実、僕の高校時代の友人は、試験直前に祖父を亡くし、不安定な精神状態で試験に臨まざるを得ず、実力を十分に発揮できずに浪人生活を余儀なくされた。そのことが試験結果の全ての原因ではないだろうが、10代の若者が、家族を亡くすという大きな痛手を抱えて「一発勝負」に賭けなければならなかったことに関しては、同情を禁じ得ない。

さらには、センター試験受験後、自分が何点取れているのかは公表されることがなく、あくまで「自己採点」の結果によって、志望校を考えなければならない。数十年前ならいざ知らず、このコンピューター全盛の時代にあって、何ゆえ正確な自身の得点を教えてもらうことができないのか?2次試験までのスケジュールがタイトであるからなのかもしれないが、それであれば日程を変更すればいいだけの話だろう。

詳細な理由が分からない僕にとっては、単に文科省なり大学関係者が楽をしたいがために、受験生にとってのベストを二の次にしているとしか考えられない。

また、日本の大学受験における一般入試は、基本的には試験での点数が全てである。高校入試と違って「内申点」は重要視されていない。仮にそれをある程度考慮しているのだとしても、試験の点数と内申点という、いわゆる「勉強が得意」という要素だけで合格者を決定することが、本当に日本の「人材育成」にとって有益なシステムと言えるのだろうか?

ここで、海外の大学入試について見ておきたい。アメリカ東部、アイビーリーグの名門・イェール大学Yale University)の出願要綱を一例として紹介する。

イェールの学部(Undergraduate)に出願する際求められるものは、高校での成績証明書、与えられたテーマに関しての小論文(出願時までに書き上げればいいので、当然時間無制限)、2名の高校教師からの推薦状、スクールカウンセラーからの報告書、そしてSAT、あるいはACTと呼ばれる、日本でいうところのセンター試験のような統一テストのスコア。

SAT(Scholastic Assessment Test・大学進学適性試験)もACT(American College Testing)も、基本的にはセンター試験と同じような学習習熟度を測るための、マークシートによるテストである。ただ、根本的に違うのは、SATは年に7回、ACTは年6回実施され、何回でも受験することができる。つまり、日本のセンター試験のような「一発勝負」ではない。ここが日本の大学入試と決定的に違うところだ。

さらには、単にテストの結果のみで合否を判断するのではなく、高校時代の成績、受験生のひととなり、あるいは高校時代どのような活動を行っていたのかなどを推薦状、報告書などから総合的に判断して、その学生がイェールにとって必要かどうかを判断する。ここもまた、日本とは大きく違う点である。

本稿ではイェール大学を例に挙げてみたが、アメリカにおいてはどの大学も、基本的には同じような基準で合否を判定する。つまり、日本とは違って試験の点数だけが決定的に重要ではなく、その試験も「一発勝負」ではない。

僕は英米両国で大学院に通ったので、上述のイェールと同じようなプロセスを経て大学院に入学した。両大学院とも、ほぼ同じような選考基準であった。

当時「受験生」として(30歳くらいではあったが…)僕が感じたのは、日本は試験の点数至上主義であるが、英米はそれだけに囚われず、僕の経歴や考え方などを考慮してくれたんだなぁ、ということだ。

特にアメリカのジャーナリズム・スクールへ出願した際、上述のSATと同様な、大学院入学を目指す受験生が必ず受けなければならないGREGraduate Record Examination)というテストを受けた。僕の英語は低レベルであったので、'Verbal Reasoning'という英語能力を測るセクションでの得点は悲惨なものだった。

僕が目指していたのは、ジャーナリズムにおけるアメリカでのトップスクールだったので、その得点で合格することは9割方不可能だと思われた。しかし、僕の経歴や、課題として与えられた小論文での内容などを評価してもらい、トップスクール6校に出願して2校から合格通知をいただいた。日本であれば、テストスコアだけで不合格にされたであろうことは間違いないが、このような「奇跡」を与えてくれるのが、欧米の大学の懐の深さだと思う。

日本の大学においても、上述のアメリカの大学が行っているような手法で、多様な側面から受験生を見て、合否を判断することがあってもいいのではないだろうか。

それを考えると、自民党の公約にある、「高校在学中も何度も挑戦できる達成度テスト(日本版バカロレア)の創設や、それを前提とした論文、面接、多様な経験重視で潜在力を評価する入試改革など、大学全入時代の大学入試のあり方そのものを検討します」という考え方は、これまでの日本を「支配」してきた「偏差値エリート」だけではなく、斬新なアイディア、思考能力を持った「ユニーク」な人材育成に貢献できるのではないかと考える。

戦後日本を支えた「偏差値エリート」は確かに素晴らしかった。しかし低成長時代となり、「失われた20年」などを経験した現在の日本には、単に試験で高得点を取れるだけの人間ではなく、様々な「壁」を「ブレイス・スルー」できる、発想能力とパワーを持った人材も必要となる。最低限の教養を持っていることは当然だが、そのうえで、「破天荒」な人間をも組み入れる懐の深さが、今の日本には必要とされているのではないだろうか。

昨日・今日とセンター試験を受けた皆さんを含め、これからの日本を背負っていただく若者たちに以下の曲を捧げ、本日の記事を締めることとしたい。あなたたちが次代の日本を背負っていくのです。力まず、焦らず、自分なりのやり方でこの国のことを思い遣ってください。宜しくお願い致します。


「またすぐ明日に変わる 忘れてしまっていないかい
残された日々の短さ 過ぎ行く時の早さを
一生なんて一瞬さ 命を燃やしてるかい
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい

もうすぐ今日が終わる もうすぐ今日が終わる
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい」


かりゆし58 オワリはじまり



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コメント

中小企業経営者ですさん、こんばんは。本ブログにお立ち寄りいただき、コメントをいただきましたこと、本当にありがとうございます。

ご指摘の通り、企業の大小を問わず、いわゆる一流大学出身者の方が「使いやすい」というのは事実だと思います。また、帰国子女が「使いにくい」という点にも同意します。

僕がお伝えしたかったのは、あくまで「一発勝負」の試験至上主義の受験システムが、必ずしも日本の企業、あるいは社会のためにはならないのではないか、という点であって、特に一流大学出身者を否定したり、留学経験者を肯定することではありません。

見解の相違は色々あると考えますし、それは個々人の価値観、経験にもよりますので、ご反論いただきましたことに感謝致します。様々な方々のご意見をお聞かせいただけるのは、とても勉強になりますので。

ただ一点だけ、同意できないことを率直に言わせていただきますと、「一発勝負ができないなら、仕事でも重要なところで失敗します」とのご発言。ビジネス・シーンにおいては、まさに一発勝負のプレゼンなどがあることは身を持って理解しております。

ただ、大学受験の一発勝負で失敗したからと言って、彼/彼女がその後の人生でも同様に失敗するとは、僕は考えていません。この点はお互いに定量的に証明する術はありませんので、「思想」の違いと申し上げるしかないのですが。

本記事での主眼は、試験は一発勝負でなくてもいいのではないのか、という点です。その意味で、自民党の公約にある、「日本版バカロレア」という発想は、受験生のストレスを大幅に緩和することができると考えています。ご指摘のような一流大学に入る能力が十分ある受験生であっても、身体的、精神的な問題を抱えて一発勝負に臨むのでは、あまりに酷すぎるのではないのかと思えるのです。

追加です。一発勝負ができないなら、仕事でも重要なところで失敗します。
また、試験に備えて対策をとればいいのだから、より建設的です。
内申書なんて先生の機嫌を取るためにびくびくしないといけないし、偶然荒れたクラスに入ってしまったら不利になるし、とても公平な方法とは言えませんね。米国でも博士課程など上のほうは公平でしょうけど、下のほうはダメですね。米国の大学がダメなのは日本みたいな学力重視ではないからでしょう。実際、留学経験者に聞くと一部のトップクラスの大学以外は驚くほどレベルが低いそうですよ。

はっきり言って、企業経営者の立場から見れば、東大などの勉強エリートのほうが使いやすいですよ。
仕事に間違いが少ないです。

帰国子女は発想が変わっていて、とんでもないことをする人が多いので、もうこりごり。
最近は履歴書見て海外在住経験があれば、書類審査で切っています。

純粋な日本人学生でも、やはり、東大、早稲田、慶応、中央くらいまでが良いです。
勉強の能力=仕事の能力といっても過言ではありません。(完全に等式で結べるかはともかく、ほとんどその通りだと思います)

変わった発想をするのは、ある程度幹部になってからでよい。でもそこに行くまでには社会でいろいろ経験を積むので問題ない。学校ではしっかり勉強して、経験は社会に出てから積めばいいのです。

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