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2013年1月27日 (日)

アルジェリア人質事件での「実名報道問題」Part2 ‐「庇い合い体質」メディアに自浄作用なし‐

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(写真は朝日新聞デジタルより)


1月26日までに、アルジェリア人質事件で犠牲となった日本人10名全員が帰国された。厳しい環境の中でアルジェリアの資源開発にご尽力された皆さまのご冥福を、あらためてお祈りしたい。

これまで、イスラム圏での対日感情は良好とされ、イスラム過激派のテロの標的にされることの少なかった日本人だが、今回、武装勢力は当初から日本人を人質にする予定だったという。何故か?

青森中央学院大大学院の大泉光一教授(海外危機管理)は、「日本は身代金要求を拒否せず、カネを取りやすい国だと思われている」ため、「身代金目的に狙われた可能性は十分にある」と指摘する(msn産経ニュース)。

一方で、イスラム過激派に対して、常に欧米に追随する姿勢を見せる日本に対しての、イスラム世界での感情が変化している可能性もある。いずれにせよ、今回の事件で「何故日本人が標的になったのか」という点についての分析は、今後のテロ対策のため非常に重要であるので、関係当局による、事実の解明が欠かせない。

さて、前回の記事「アルジェリア人質事件での「実名報道問題」Part1 ‐「信義」なきメディアに「理」なし‐」で議論した、メディアによる犠牲者の実名報道に関しての、その後の動きを以下フォローしてみたい。

大手各紙は、実名報道の正当化で足並みを揃えている。

毎日は「テロ犠牲者10人 『名前』が訴えかける力」と題した1月26日付社説で、実名公表の是非がネットなどで大きな話題となったことに触れ、「事件や事故(災害も含め)で亡くなった人を実名・匿名いずれで報道するのかはメディアにとって悩ましい問題だ」とその心情を吐露する。そのうえで、「遺族の意向も考慮する。それでも、取材は『実名』がなければスタートしない。名前は本人を示す核心だ」と、実名報道の重要性を強調。

毎日の社説で評価できるのは、「実名公表を巡り論争になった背景にメディアの取材姿勢への不信感があるのも確かだ。集団的過熱取材が強く批判されたこともある。遺族の心情を踏みにじるような取材が許されないのは当然だ」、「新聞倫理綱領は『自由と責任』『品格と節度』をうたう。その原点を記者一人一人が自省すべきだ」と、メディア自身の問題点を指摘している点。ただ、かく言う毎日が、「品格と節度」を持った取材活動を行っているのかどうかは、また別の問題だと思うが…。

読売は26日付の記事で、識者の声として、一橋大名誉教授・堀部政男氏(情報法)の「重大事件では氏名が公表されることによって、社会がより一層身近に受け止め、報道機関も政府とは別の視点から検証することができる。氏名が速やかに公表されれば、海外に進出する日本企業にとって、安全を確保していく上で教訓になるだろう」、常磐大教授・諸沢英道氏の「今回の事件の犠牲者は一方的に巻き込まれた無辜の被害者だったことを考えると、犠牲者を匿名にする理由はない。遺族が氏名公表を強く望まないのであれば、報道各社が実名、匿名を判断すればいい」とのコメントを引用。

また、被害者の実名公表を希望した、1995年の地下鉄サリン事件、2001年の米同時テロの遺族の声を紹介。全体として、実名報道は必要との論調。

実名公表に異を唱える識者も存在するはずだが、そうした声を紹介せず、賛成者の主張のみを掲載することは、著しくバランスを欠く記事であるし、自社の実名報道を正当化しようとする意図に満ちたものだと判断せざるを得ない。

産経は26日付の産経抄で、「アルジェリアで陣頭指揮をとった日揮の社長や横浜本社で報道陣の対応にあたった広報部長は、立派に務めを果たした。そのうえでの苦言だが、生還者7人を黒い目張りをした車で空港から本社に移動させたのは間違いだった」。

「テロの惨禍から生き延びた彼らは間違いなく、『ヒーロー』だ。英雄には英雄の扱いが必要なのに、名前も顔も公表しないとは『危機管理』をはき違えている。非業の死を遂げた人間や生還者みんなが、『特別な人』なのである。『企業Aの従業員』や『派遣社員』で片づけられてはたまらない」と、メディア側の論理を一方的に主張し、日揮を批判。

この主張からは、自らが勝手に「特別な人」を規定し、そのような存在は「我々の取材を受けて当然だろう」という傲慢さ、特権意識が感じられる。読者・視聴者の支持があってこそ、メディアの知る権利への貢献者としての地位が保障される。今回の実名報道には多数の批判があることには一切触れず、手前勝手な論理を展開する産経こそ、メディアの存在意義を「はき違えている」のではないか。

さて、「問題の」朝日新聞はどうか。「問題」とは、上述「アルジェリア人質事件での「実名報道問題」Part1 ‐「信義」なきメディアに「理」なし‐」で指摘したように、朝日は犠牲者の甥、本白水智也氏を取材した際、同氏との「叔父にも家族にも迷惑がかかるので、実名は出さないで欲しいということ。もう一つは記事にする際私に許可を取る」(ガジェット通信参照)という約束を反故にし、1月22日付の朝刊に犠牲者の実名と写真を掲載したことだ。これに対し、本白水氏は明確な抗議を行っている。

その朝日は1月25日、自社が取材対象者との約束を破ったこと、また、それに対して抗議を受けていることなどなかったかのように、「日本人犠牲者名、実名公表に賛否 アルジェリア人質事件」と題し、第三者的な記事を掲載している。

同記事では、瀧本哲史・京都大客員准教授の「実名とか、遺族の悲しみとか、関係者は、報道されたくないだろうし、視聴者も報道して欲しくない」、「報道してほしい人は自ら名乗り出ればいい。報道機関が『接触したいので名前を教えてくれ』と求めるのは筋違いではないか」というコメントを紹介している。

一方で、「治安の悪い現場で会社側が十分な安全対策を取っていたか検証するために、報道を通じて被害者や遺族の声が公になることが大切」という梓澤和幸弁護士のコメントや、 上智大文学部教授・田島泰彦氏(メディア法)の「アフリカ開発と企業の関係、利益配分の仕組みや格差問題など、事件の構造的な問題を明らかにするには現地で働いていた人たちの情報が大事。そのためにも氏名の公表が必要だ、と世間を納得させる報道が求められる」との論評を掲載し、全体的には実名報道が必要という方向への誘導が明らかだ。

また、朝日新聞としては、「実名を報じることで人としての尊厳や存在感が伝わり、報道に真実性を担保する重要な手がかりになる」として、事件報道では容疑者、被害者ともに実名での報道を原則にしていると主張。東京本社・山中季広社会部長の「今回の事件でも実名報道を原則としつつ、現場では遺族や関係者へ配慮して取材を重ねている。読者からの意見や批判にも耳を傾け、『何が起きていたのか』を掘り起こす作業を悩みながら進めている」とのコメントを掲載。しかし、本白水氏との約束を反故にしたこと、あるいは同氏から抗議を受けていることに関しては全く触れていない。「現場では遺族や関係者へ配慮して取材を重ねている」のかどうか、極めて疑問である。

主要紙の主張には、理解できる部分も多い。特に、朝日の「実名報道」が「報道に真実性を担保する重要な手がかりになる」という点に異論はない。僕自身も前回の記事で、「報道においては、原則、実名報道とすべきであると考える。というのも、報道の基本的な構成要素である「5W1H」を明らかにすることは、記事の真実性に関わる部分であり、それなくして読者、または視聴者が信頼に足ると思える報道を行うことはできないからである」と主張させていただいた。

しかしながら、「名前は本人を示す核心だ」、「重大事件では氏名が公表されることによって、社会がより一層身近に受け止め、報道機関も政府とは別の視点から検証することができる」、「実名を報じることで人としての尊厳や存在感が伝わる」との考え方には、必ずしも与することはできない。

というのも、今回で言えばテロの犠牲者、一般的には犯罪被害者、及びそのご家族の心からの言葉は、仮に匿名であったとしても、報道の仕方次第で、十分読者・視聴者に伝えることが可能だと考えるし、そこがジャーナリズムの腕の見せどころなのだと確信しているからだ。

もう一点、本ブログの記事「石破自民党幹事長への外国人献金で考える『通名』問題」で以前批判したように、それほど「実名」報道、しかも犯罪「被害者」関係の実名に拘る大手メディアが、「加害者」が在日韓国・朝鮮人であった場合に、なにゆえ「通名」で報道するのか(特に朝日とNHK)?上述の朝日がいう「真実性」を追求するのであれば、通名報道などあってはならないと考えるのだが。そのダブルスタンダードの裏には何があるのか?(今回はこの点が主要な論点ではないので、これについては改めて議論したい)

とはいえ、大手メディアが今回の実名報道を正当化しようと、「必死」に「弁明」するのは、自身の正当性を確保しようという意味では当然の行動であり、同意も納得もしないが、止むを得ないのだろう(メディアとて一企業であるので)。今回の事例を教訓として、実名報道、及びメディア・スクラムに関して、更なる議論を積み重ねることが必須であることは言わずもがなではあるが。

しかし決して許容できないのは、朝日新聞が取材源との約束を破り実名報道をしたという、ジャーナリズムの根本的な倫理に関わる問題を、現在のところ、少なくとも僕が調べた限りではどの大手メディアも報じていない、という事実である。

何故、朝日新聞の「問題行動」を他のメディアが追及しないのか?それは、おそらく他社も朝日と似たようなことを日常的に行っているからだろう。今回は本白水氏が声をあげたので朝日の「卑劣な」取材活動が表面化したが、それはあくまで氷山の一角であり、泣き寝入りしている犯罪被害者、あるいはその関係者の方が多数存在している可能性が非常に高い、と僕は考える。

福島第一原発の事故後には、原子力関連組織を「原子力村」と呼んでその既得権益死守の姿勢を、大阪市立桜宮高校で「バスケ部体罰自殺事件」が起これば、教育現場の閉鎖性を、正義の味方よろしく批判する大手メディアが、自身が属する「メディア村」に関しては「村民一同」沈黙し、一切報道しないことにより、現に存在している数多の批判を「黙殺」しようとする。そのような筋の通らぬ行動は、数十年前ならいざ知らず、ネット上に様々な情報、意見が流通するこの時代にあっては、国民は全てお見通しであり、そうした姿勢が自分の首を絞めていることを理解していないのだろうか。

もし全く理解していないのであれば、救いようのない「阿呆」であるし、理解していながら「黙殺」を決め込んでいるのであれば、「二枚舌の卑劣な輩」であると言えよう。

いつも主張させていただいていることの繰り返しになるが、日本の大手メディアのこの自分にはとことん甘く、他者には徹底的に厳しい二面性。そして、他のメディアに対する批判をタブーとする「庇い合い体質」。それに薄気味悪さを感じている方は少なくないと推察する。こんな連中が、いくら偉そうに社説等で何を主張しようが、全く説得力はない。

最後に、上述の本白水氏が、「節度ある取材を申し合わる」という約束を破り、自宅に押し掛けたメディアを「逆取材」している映像をご覧いただきたい(モトシロブログ メディア・スクラムを逆取材)。

本ブログを頻繁に訪れてくださる方には、「耳にタコ」であろうが、何度でも繰り返させていただく。大手メディアとはこの程度の連中なのである。彼らには「自浄作用」など全くない。そうである以上、総務省なり、第三者機関がメディアの問題点を徹底的に検証し、国民の利益に反する行為をとことんに追及すべきだと考える。

本来、権力によるメディアへの介入を最も嫌う僕が、このような主張をしなければならないことは本当に情けない。ただ、現在の日本のメディアはそれほど危機的な状況にあるということを、どうかご理解いただきたい…。

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