安倍首相の「宣戦布告」 ‐無意味なぶら下がりは廃止 Facebookで情報発信へ‐
(写真はいずれも首相官邸fbページより)
昨日1月10日、首相官邸がFacebookページを開設した。安倍首相は最初の投稿で、「私個人のFacebookでは、引き続き私自身の働きぶりや身近なトピックをお伝えしていきますが、この首相官邸ページでは、安倍内閣の政策や官邸で起こる日々の出来事などを、わかりやすく、目に見える形でお伝えしていきたいと思います」とコメントしている。
これに先立つ1月9日、首相は自身のfbページで、「ぶら下がり取材」を拒否する旨、宣言していた。「かつて行っていた毎日二回のぶら下がり取材は止めようと考えています。世界でこの様な対応をしている国はありません。それは首脳の発言は重く、国益に対する影響を考えれば、情勢を把握し熟慮たものでなければなりませんし、首脳としてコメントすべきで無い事もあります」との理由からだ。
この安倍首相のメディア対応の方向性について、僕は大いに支持する。ぶら下がりでの質問は埒もないものばかりで、以前から不要だと考えていた。単に番記者が、首相と1日1回はコミュニケーションを取りたいという発想からのもので、国民にとってはほとんど利益はない。
三重大学副学長・児玉克哉氏が、「形骸化しつつある『ぶら下がり取材』~政治家と政治記者の緊張感あるやりとりが政治を活性化する」と題した記事の中で、ぶら下がり取材の弊害について議論している。
「政治家としては、失言探しの記者による命取りになるリスクを負うことになり、メディアからすれば、政治家側が情報をコントトロールし、情報が平均化し、生きた情報が少なくなるというデメリットを受けることになります」としたうえで、「そうした記者クラブ的な志向が日本のメディアをつまらなくさせたとも思います。ダイナミックなスクープ記事は、そうした『ぶら下がり取材』からは生まれません。小さな失言記事ばかりが紙面をにぎわします。それは政治の本質とは思えません」と指摘する。全く同感だ。
安倍首相がぶら下がりを拒否し、fbによる情報発信に切り替えたことについて、今のところ大手メディア各社は冷静に事実だけを伝えている(本日付朝日新聞デジタルなど)。しかしどのメディアも気付いているはずだが、この方針はメディアの力を大きく削ぐことになる可能性を秘めている。
というのも、何故メディアが「第4の権力」と呼ばれるほどの力を持ち得ているかといえば、それは国民の「知る権利」に貢献しているがゆえである。つまり、通常我々国民が入れないようなところへ行き、そして個人では収集不能な大量の情報を多くのソースから入手し、それを国民に提供する。それがメディアの存在を正当化し、その情報による読者・視聴者との繋がり、あるいは信頼関係が彼らの力の源泉である。
それが、日々直接首相の声を聞き、それを国民に届けるという(彼らにとって)重要な要素のひとつが完全に失われるのである。メディアの痛手は相当のものだと考えられる。特にテレビにとっては、ぶら下がりインタビューに対する首相の応答という「画」がなくなるのは、相当痛いはずだ。
その「損失」を回復するためにメディアに何ができるが。ここからは僕の予想の域になるが、まず想像されるのは、「fbのみでの情報発信は、政府側からの一方的なものであり、メディアからの質問によって国民からの疑問に答えるという、インタラクティブな議論が成立しなくなる」というような批判。
しかし予想されるこうした批判に対して安倍首相は、上記9日付のfbにおいて、「今迄テレビに於いては『総理と語る』という形でNHKと民放が交代で総理とのインタビューを放送し、新聞はグループインタビューという形式で数社ごとに総理とインタビューを行っていました。私はこの形式を改め、インタビューの希望がある社や番組ごとに日程を調整したいと考えております」とし、それらを封じるために先手を打っている。
おそらく、著者の「先輩」に当たる世耕弘成内閣官房副長官が主導して、こうした「安倍スタイル」のメディア対応を打ち出したのだと思われるが、非常に緻密であり、第1次安倍内閣時代にメディアにいいようにやられたことを踏まえ、精緻な思考のもと、メディア戦略が練られていると考えられる。
もちろん、ぶら下がり取材がメディアによる首相へのアプローチの全てではないので、それがなくなったからといって、メディアが全面的な「機能不全」に陥るようなことはない。しかし、今までは記者を通して(つまりマスコミの編集を経て)国民に伝えられていた首相の思想が、fbによって、そうした「バイアス」なしに直接国民に伝わるわけである。これは日本の政治を大きく変える可能性のある変革だと言える。
国民が直接首相の真意を知ることができ、加えて、その主張に対してfb上で意見を述べることができるとなると、これまで既存メディアが政治と国民との媒介者として存在していた意義は、ほとんどなくなることとなる。つまり首相にとっては、メディアに都合の良いところだけを「つまみ食い」され、本来の主張を曲げて伝えられるようなことがなくなり、メディアという、いわば「仲卸」をバイパスして、直接国民に自身の思想、主張を伝えられるようになるということである。
安倍首相のこうしたメディア対応の大きな変革を、仮に「安倍システム」と呼ばせていただくと、このシステムは既存メディアを「ぶっ壊す」装置だと言える。
つまり、今まではぶら下がりで首相の言葉を「独占的に」伝えてきたメディアの特権がなくなり、首相の考えはfbによって、メディアを介さずに直接国民に伝えられることとなる。そうなると、首相からの情報を得るということにおいては、一般国民もメディアも全く差がなくなる。
そうすると何が起こるかというと、ネットを使える人間が既に首相のfbで知っている情報を、メディアは、ネットを使えない人間のためにそのfbを参照して伝える、ということである。事実、安倍首相がぶらさがり取材を行わないという情報も、それを止めたうえでfbでの発信力を強めていくという情報も、既存大手メディアは安倍首相、および官邸のfb上でのコメントを引用する形で伝えている。これを見れば、既に政治におけるメディアの位置づけは大きく変わる兆候を示していると考えられる。
話しは変わるが、1933年から1945年まで合衆国大統領であったフランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)は、天才的な「メディア遣い」であった。彼の時代の主要メディアはラジオだったのだが、彼は定期的にラジオに登場し、様々な事柄について国民に直接語りかけた。それは炉辺談話(Fireside Chats)と呼ばれ、当時合衆国大統領に会う機会などなかった国民は、ラジオから、あたかも隣人に語りかけるようなFDRの言葉に熱狂した。
安倍首相のメディア戦略については、以前の本ブログの記事「安倍総裁は日本のJFKか? ‐メディアを制する者が選挙を制す‐」において、当時のニューメディアであったテレビを最大限活用して合衆国大統領の座を射止めたJFKと、現在のニューメディアであるSNSを駆使して自民党総裁選を勝ち抜いた安倍氏の相似性を議論した。
JFK時代よりさらに遡るが、今回の安倍首相のfbでの情報発信宣言は、FDRの炉辺談話に似ているように思える。下らないメディアの「バイアス」を通さず、一国のリーダーが生の声でその政策、そしてその政策を決定するに至るまでの思想を語る。もし安倍首相がそのようにfbを活用することができれば、それは間違いなく現代日本における「Fireside Chats」となるだろう。
僕が安倍氏支持者だけにひいき目もあるのだろうが、ことメディア戦略に関して言えば、合衆国の最も偉大な大統領と考えられているFDR、そしてJFK、その両方の戦略を併せ持っている安倍内閣は史上最強であることは間違いない。
最後に、今回の「ぶら下がり廃止、fbでの情報発信」は、間違いなく安倍首相から既存メディアに対しての「宣戦布告」であると思う。前回、とことんメディアに苦しめられた安倍首相は、今回はSNSという「武器」を手に先手先手で対策を講じ、「リベンジ」する気満々である。
それは、ひとり安倍首相の考えのみならず、戦後日本人がメディアに翻弄されてきたことに対する国民による「リベンジ」でもある。
偏向し、かつ無能なメディアなど通さず、政治家と国民が直接大いに議論を闘わせればいい。現在危機的な状況におかれた日本においては、メディアのくだらない「思想」につきあっている暇はない。バカなメディアは放っておいて、国民と政治家とで新しい民主主義を築く時代が、安倍内閣によってようやく訪れたのだ!
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ありがとうさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
僕もその話、覚えています!まさにぶら下がりの「害毒」のひとつと言える事例ですよね。
長く企業で広報を担当していたのですが、記者なんてその程度の連中です。平気で嘘をつくし、礼儀をわきまえない輩も多く、「そんな人間に偉そうなこと言われたくない」と心から感じたものです。個人的な感想をお伝えしますと、NHK、朝日はやたら横柄。読売、産経は普通。日経はちょー企業寄り。毎日は存在感なし。そんな印象でしたね。
投稿: Mich | 2013年1月12日 (土) 23時05分
Ayakikkiさん、こんばんは。お褒めの言葉をいただきまして、ありがとうございます!
仰る通り、いわゆる「ぶら下がり」は小泉内閣以降慣例になり、日本の政治にマイナスの効果しか与えてこなかったと思います。野田前首相は曖昧にぶら下がりを拒否しましたが、安倍首相は明確なポリシーを示したうえで、それを廃止しました。さすが安倍さんです。
安倍首相のfb効果が、今後メディアの在り方にどのような影響を与えるのか?総理のおかげで研究テーマがひとつ増えました。
投稿: Mich | 2013年1月12日 (土) 22時56分
〝ふらさがり″については、確かTVタックルだったと思いますが、総理辞職後のTV出演で安倍総理がこんな話をしていたのを強烈に覚えています。
「会見が終わって帰ろうとすると、記者の一人が「総理!」と声をかけてくる、私が「何ですか?」と引き返して来ると口ごもって何も言わない、質問も無いのに何で呼ぶんだろうと思いながら、それではと帰ろうとするとまた別の記者が声をかけてくる。どうやら私が〝記者の声を無視して帰って行く映像″を撮りたかったらしいんですね」
細かいニュアンスは忘れましたが、確かこんな話でした。
投稿: ありがとう | 2013年1月12日 (土) 22時24分
◇日本の首相が全て「短命」になったのは…
小泉首相を後継した、前回の安倍首相からでした…。
小泉首相が自身の「劇場型政治」の装置として定着させた「ぶら下がり取材」の副作用が、「毒」になって現れた結果だと私は考えています。
ところで、本稿は専門家らしく、学究的と云うか本質に迫る議論ですね!
「お見事」と感じながら拝読しました。
> 「政治家と国民が直接大いに議論を闘わせればいい。」
この様な「政治体制」こそが、「未来志向の政治」だと共感致します。
ネット選挙も解禁される様ですし、新しい仕組みの進化・発展に協力したいと想う次第です。
投稿: Ayakikki | 2013年1月12日 (土) 17時18分