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2012年12月 9日 (日)

"We are all just prisoners here, of our own device." ‐今改めて考える「戦後レジームからの脱却」‐

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(写真はWikipediaより)


少し長めの記事ですが、しばしお付き合いいただければ幸いです。

総選挙の投票日まであと1週間。10を超える政党の党首が集まるテレビ番組での討論を見ていると、建設的な議論はほとんどなく、互いに互いを批判し合う場と化している。また、人の話を聞かずに不規則発言を繰り返す政治家もおり、討論というよりは「雑音」という表現の方が相応しいかもしれない。司会役のキャスターが政治家たちを制御し、何とか討論のかたちにしようとする努力ばかりが目につく。正直、こんなものを見てどの政党を支持するのか判断することなど不可能だろう。

話は大きく変わるが、今日、のんびり昔の洋楽を聴いていた。その中の一曲、the Eaglesの'Hotel California'。その哀愁を帯びたメロディと不思議な歌詞が魅力的で、昔から大好きな曲のひとつだ。この曲の歌詞の一節に、哲学的と言っていいのか、ずっと気になっている部分がある。

"We are all just prisoners here, of our own device."

和訳は、「しょせんみんなここの囚人だ、自分の意思で囚われた」。政治のことばかり考えているせいか、ついこの歌詞も政治との関連で解釈してしまう。今日僕が思ったのは、有権者は自分の投票行動によって政治に参画してきたが、その行動の結果出来上がったこの(ある意味思いがけない)社会に囚われている囚人のようなものではないのか、ということ。

つまり、今の政治に満足している有権者はかなり少ないと思われる。しかしそれは公正な選挙の結果。自分が意図した、あるいは期待した通りの政治が行われなかったとしても、結局その原因は自分たち(マジョリティ)の投票行動の結果である。この状況が、僕には、「自分の意志で囚われた囚人」のように思える。

もっと広い視点から議論すると、戦後日本は基本的には「軽武装・経済重視」で、世界史的にも驚異的な成長を遂げた。しかしそのプロセスにおいて、官僚主導、財界重視、バラマキ的箱物行政などの体制が既得権益として定着した。右肩上がりに成長を続けた高度経済成長時代には、そうした弊害が顕在化することはなかった。しかしバブルが崩壊し、幾度もの経済危機を経て、そうした戦後日本に定着したシステムが機能不全に陥っているということが、一般国民にも分かってきた。

しかし、そうした問題点を理解しつつも、「囚人」である有権者は、過去の意識と決別することができずに新世紀を迎えた。

そして2009年の総選挙。有権者のマジョリティ(僕も含めて)は、大した戦略もなく、突如大きなサイド・チェンジを選択した。しかし、残念ながらそのパスはあっさり敵に奪われ、大量失点を喫し大敗した。その後始末、そして今後どのようにチームを立て直していくのか問われているのが、今回の総選挙であると思う。

2009年の選挙において、有権者が易々と民主党に騙されてしまった大きな原因は、ひとつは、「腐った自民党政権を変えるには、一度は政権交代を行うしかない」という、良く言えば改革意識、悪く言えば未知のものへの楽観主義的に過ぎる期待であったと思う。

もうひとつは、民主党のマニフェストに並べられた「美味しい」政策の数々。工程表と共に示されたそれらの政策は、様々な有権者に対して相当な「引力」があったと推察される。不安視された財源についても、埋蔵金や無駄の削減で何とかなると説明されていたのだから。

今振り返れば、僕のようなバカな有権者でも容易に理解できるが、結局、民主党のマニフェストは「詐欺(的?)」であった。

そうした「詐欺的行為」、「詭弁」を弄してきた民主党始め、野党各党が街頭演説、テレビ討論などで頻繁に主張しているのが、「自民党に投票することは、時計の針を逆回転させる」という主旨のことである。

彼らが悪だと主張する「古い政治」は、ひとり自民党だけの責任において行われたものなのだろうか?その責任が追及されるのであれば、仮に自民党が「主犯」だとしても、当時の野党、メディア、そして有権者もまた、「共犯」として非難されるべきだろう。

旧社会党始め当時の野党には、55年体制の下、表では自民を糾弾する勢力と見せかけながら、裏では自民党と「談合」し、自民党の政策を黙認してきた責任がある。

メディアは、弱者目線、勧善懲悪的な主張をしつつも、実際のところ自民党のサポーターだった。こんなエピソードがある。ある新任の政治部の記者が派閥の領袖に挨拶に行ったところ、ある人物が出てきて「おお、よく来た」とばかりに色々説明してくれた。記者は、その人物がその派閥に属する政治家だと思い込んでいたところ、実はその派閥の古株の番記者だったという。現在はそれほど露骨ではないにしても、それほど政治家と政治記者とは密接な関係にあった。読売の渡邉恒雄氏などは、政治家との「密着」によってのし上がった記者の代表である。

最後に有権者。上述のとおり、かつては(そして今もある程度は)メディアが政治家の「しもべ」であったがゆえ、有権者が投票行動を起こすに際して、十分な情報が与えられなかったことも事実であり、その意味では、有権者は権力側にミスリードされていたという側面は否定できない。しかしながら、主権者としての自覚を持ち、もっと自分自身で勉強する力、そしてメディア・リテラシーがあれば、現在の日本はもう少し違う姿であったかもしれない。そう考えると、「結果責任」という意味で、有権者にも責任の一端があることは間違いない。

ここまで日本の政治を「回顧」してきたが、では今回の総選挙をどのように考えればいいのだろうか。

個人的には、例えば自民党安倍晋三総裁が唱えた、「戦後レジームの脱却」という「理念」がポイントだと考える。「戦後レジーム」の定義はそれぞれだと思う。左翼は、戦後日本の在り方を否定し、戦前の思想へと回帰するものだと解釈している。しかし、それは完全に「為にする」議論であって、本質を突いてはいない。

経済・財政、行政、教育の構造改革、そして安全保障体制の見直しなど、戦後日本の「規範」となっていたものを一から見直し、時代に合った憲法改正を行うことなどにより、今後の日本の基礎となるべき体制を確立するものと、僕は理解している。

脱原発、TPP、消費増税など個々の政策に関しての各政党のスタンスも、それはそれで重要なものであろうし、メディアは、例え言うだけであっても、より具体的な中身を述べよと各政党に迫る。

しかし、いずれのテーマも、状況次第で展開が変わる、言わば相対的なものである。それを「工程表」などと細かい点について現時点において議論しても、ほとんど無意味であると言わざるを得ない。

それよりも重要なことは、どの政党がどのような国家観、理念を持っているのかという点だと考える。

僕が尊敬するブロガー、Ayakikki氏は、その記事「◇【総選挙の視線】第3極の「大同」と「小異」とは?」において、この点について興味深い議論をしている。

「TV等のニュースを見る限り、『今回の選挙の争点』を『各政党間の政策の違い』にフォーカスして報道していますよね。石原流に言えば、それは『小異』に過ぎないのです」。「正しくは『大同』の方に目を向けないと、彼らの『争点』は理解できません」。

彼曰く、未来の党は別として、維新、みんなの党は「中央集権の官僚統治体制」に反対している政治家達という点において、大同団結できるわけで、それは「小異」よりも重要なポイントだ、ということ。

この主張には全く同感で、その点において、自民党安倍総裁の「戦後レジームの脱却」も共通性があると考える。


個々の政策の違いも、もちろん投票行動を起こすうえで重要な要素であることは間違いない。しかし、共通の理念なしに集まった集団が、見栄えのいい政策を主張することなど全く信用ならないということは、我々は民主党政権で経験したはずだ。今回の総選挙でもそのような見地から政党を選択すると、民主党政権の二の舞になることは容易に想像できる。

上述のように、個々の政策はその時の状況において大きく左右され、最悪は抹殺されることもあり得る。そのような不安定なものよりは、どの政党がどのような国家観、理念を持っているのかということこそ、我々が重視すべきポイントではないだろうか。

上述の'Hotel California'の中の一節にこういうものもある。

"We are programmed to receive. You can checkout any time you like, but you can never leave."(受け入れるのが運命なんだ。好きなときにチェックアウトはできるけど、決して立ち去ることは出来ないんだ)

Hotel Californiaでのルールはそうなのかもしれない。しかし民主主義国家の有権者である我々は、その投票行動によって、愚かな政策の受け入れを拒否することができることはもちろん、それらからはいつでもチェックアウトできる。また、ダメな政権からはいつでも立ち去ることができる。

個々人の一票は小さいものだが、多くの有権者が理想とし得る「理念」を共有できれば、国の針路を変えることは十分可能だ。どの「針路」が最も最大多数を幸福にするのかを思慮し、その上で選挙権を行使することにより、堂々と目指すべき針路への意思表示をしましょう!選挙はもうすぐです!!


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コメント

Ayakikkiさん、ご指摘のとおり「選びそこなう」ことが、最大の脅威なんですよね。アメリカ大統領選挙のように、長い時間をかけ、候補者が様々な観点から試され、その上で投票行動を起こせるのであれば、失敗の可能性は低くなると思うのですが、そうはなりませんよね。

首相公選制導入の前提として、日本人がもっと政治に興味を持ち、主権者としての意識を高めること。そういうことが必要だと考えます。言うは易しですが…。

◇確かに…

> 1年ごとに首相が変わっている政情不安国のような現状では、国内政策はもちろん、外交でのダメージが大きすぎると思います

ご指摘の現状は、大問題ですよね。

> 3年なり4年なり任期を定め、その間の身分は保証される。

この「首相公選制」の利点は、上記問題の解決策にもなりますね!
あと問題点としては、米国の様に国会との「ねじれ」や、ご指摘の「選びそこなった首相」の解任手続きですかねぇ…。

Ayakikkiさん、こちらこそ記事を引用させていただきまして、ありがとうございました。

僕もようやくAyakikkiさんのような境地に達しました(笑)。

首相公選制は、是非とも導入してもらいたいと考えています。国のリーダーを自分たちで選べると考えると少し興奮します。そして3年なり4年なり任期を定め、その間の身分は保証される。1年ごとに首相が変わっている政情不安国のような現状では、国内政策はもちろん、外交でのダメージが大きすぎると思いますので。

ただ…、心配なのは、自分も含めて前回総選挙で民主党を勝たせてしまったという事実とそのトラウマ…。思い込みにより、とんでもない首相を選んでしまう可能性も否定できません。まぁ、それでも国会議員に選ばせるよりはましかもしれませんが。

◇トラックバックありがとうございます!
(o^-^o)

> どの政党がどのような国家観、理念を持っているのかということこそ、我々が重視すべきポイントではないだろうか。

「政党を選択する」のは、これに尽きますよね!

「政治家個人を選択する」場合や、「人柄を重視」する有権者も居る様です…。
「首相公選制」について、どの様にお考えでしょうか?

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