政治家、官僚、そしてメディアの役割 ‐納得!維新・橋下代表代行 かく語りき‐
(写真は朝日新聞より)
昨日(11月29日)、日本維新の会の石原慎太郎代表と橋下徹代表代行が記者会見で衆議院選挙での政権公約を発表した(昨日付YOMIURI ONLINE)。
メディアは色々なスタンスで報道していたが、百聞は一見に如かず。その会見の一部始終をYouTubeで確認してみた。維新の公約についての是非、石原氏、橋下氏の発言への賛否は色々だと思うが、僕は橋下氏が率直に語っていた、政治家、官僚、そしてメディアそれぞれの役割についての主張が非常に印象に残った。
以下に橋下氏の主張を簡潔にまとめてみる(分かり易くするために、僕自身の言葉も付け加えさせてもらっています)。
政治家の役割は大きな方向性を示すこと。その方向性を選挙で判断してもらい、支持されれば、それに基づいて官僚にそれを達成するための具体的なプランを練らせる。そして、いくつか出されたブランのメリットデメリットを勘案し、最終的にどのプランで行くのかを決定する。それが政治家の仕事。
政治家には、具体的な工程表など作ることはできない。細かな事柄についてプランニングし、詳細な設計図を作るのは官僚の仕事。政治家の仕事は、官僚が金科玉条の如く唱える「継続性」、「一貫性」を大きく変えるような判断を示すこと。そういう意味で「脱官僚」などという考え方はナンセンス。要は役割分担の問題。
例えば「脱原発」について。福島での原発事故以前は、53%まで原発依存比率を高める、というのが政府のエネルギー計画であった。政治の役割は、事故を受けて、その方針を継続するのか、あるいは変更するのか決断すること。それ以上の具体的なことを政治家に求めるのはナンセンス。
どの政党も、これまでの判断を変えていこうという考え方では同じ。ただ、官僚、そして原発の専門家等による議論なしに、10年後、あるいは20年後に原発をゼロにするなどと言うことはできないし、それを政治家に求めることも意味がない。まずは専門家による議論を聞いたうえで、政治家がどうするのか判断すべき。
政治家が細かいことを決断することはできないが、その重要な役割は仕組み作り。何故なら、制度をいじることができるのは唯一政治家のみであるから。
そうした役割分担を理解せず、メディアはやたらに工程表はどうなっているのかなど細かいことを政治家に求め、政治家を役人化させている。工程表を書けというのであればいくらでも書く。しかし、専門家の議論なしに何を書こうが、ナンセンス。
組織を動かすためには、人事権、予算権、組織編成権が重要。こうした権限をリーダーが握らなければ組織は動かない。ところが現状では、人事権は各省庁の官房、予算件は財務省、組織編成権は省庁設置法という法律事項になり、ちょっと組織を動かすだけでも国会での議決が必要となる。こうした権限を内閣に一元化すること。それが全てのスタートだ。
以上、橋下氏の主張の主旨を、損なうことなく多少の補足を加え、分かり易くまとめさせていただいた。
これまでの政治家、特に民主党は、「脱官僚」、「政治主導」などという耳触りのいい言葉で、中身のない統治機構改革を、あたかも実現可能なもののように有権者にアピールしてきた。橋下氏の主張の素晴らしさは、政治家の限界を示しつつ、それが決して無能であるがゆえということではなく、あくまで役割分担として、明確に説明してくれていることにある。
橋下氏の説明をビジネスの世界に当てはめて考えると、より分かり易くなる。つまり、マネジメントの役割は、大きな方向性を示し、それを達成するためにはどうのような方法があるのか。また、その方向性が難しいというのであれば、その理由は何か。それをスタッフに示したうえで議論させ、案を出させる。マネジメントはその案の中から、自らが最善と思えるものを選択し、その方向で動く。そして、(最低限の倫理を持ったマネジメントであれば)その施策が失敗した場合には責任を負う(その倫理を持っていないマネジメントが多いことは悲しいことではあるが)。
さらに、人事、予算、組織、これを左右し得なければ、部下をマネジメントすることなどできない。これは皆さんがマネジメントとしてであれ、スタッフとしてであれ、いつも経験していることだろう。
つまり、政治家と官僚との関係は、マネジメントとスタッフの関係と同じ、あるいは相似している。これはこれまで漠然とそうだろうと思ってきたことであるので、「そんなこと、以前からそう考えていたよ」と思われる方も多いと思う。しかし、橋下氏のようにはっきり政治の世界の状況を伝えてくれた政治家は、(僕が知る限り)皆無であったので、すごく新鮮、かつ率直であると感じた。
僕が現在の官僚制度において絶対許せないのは、無能な人間でも、キャリア官僚だったというだけで、いくつもの独法などを渡りつづけ、ひとつの組織を辞める都度、退職金を受け取るというようなシステム。官僚時代に深い関係にあった民間企業に天下るのも、官民癒着という観点から大きな問題であるとは思うが、給料は企業から払われるわけなので、まぁ、ボンクラに給与を払いたい企業があるのであれば、それはどうぞご勝手にと思う。
しかし、税金による補助を受けている組織に天下って、結果として税金から給与を得るようなシステムは絶対に是認できない。我々の税金が、何故に糞の役にも立たない(失礼)元官僚のために使われなければならないのか。これまで何度も主張し続けているが、僕が官僚の利権撲滅を最重要と位置付ける理由はそこにある。省庁でのポジションなど、僕ら庶民には関係ない。無能はボンクラはボンクラらしく大人しく、質素な老後を送れ!!
失礼、少し熱くなってしまいました。最後にもうひとつ議論したい事柄。この記者会見において、橋下氏も石原氏も、相当既存のメディアを批判している。主旨は、例えば「脱原発」に関して言えば、この政党は即時ゼロ、あの政党は10年でゼロ、というような無責任な報道をするのではなく、メディア自身が調査をし、このようなプロセスであればどのくらいで原発ゼロにできる、というような提言を行うことがあってもいいのではないか、ということ。
その点、個人的な見解を述べさせてもらえれば、日本のメディアは、与太話を書く江戸時代の瓦版と大差ない存在に過ぎない。欧米のメディアでは大きなポジションを占める、'Investigative
Reporting(調査報道)'の存在が、日本においてはものすごく小さい。ここで言う調査報道とは、ある事件、あるいはトピックに関して、通常のニュースでは触れられない深い部分にまで突っ込み、表層的な報道では伝えきれない大きな問題を抉り出すというものだ。
政治というものは事件ではないが、個々の事件をターゲットとせずとも、日本の政界自体が大きな「闇」であるので、そこに切り込むメディアがあってもいいのだが…。まぁ、無理ですな、記者クラブで取材対象と「密着」したメディアでは。
案の定、僕がここで議論してきたようなメディア自身の問題はもちろん、橋下氏が語った、政治家と官僚の役割分担についてすら、大手メディアは全く報じていない(見落としがあったら済みません。どこか報じている大手メディアがあったら、是非ご連絡ください)。
こんなメディアを相手にするのは、橋下氏でなくとも嫌悪するであろうし、やるせなさを感じるだろう。色々議論したいことはあるが、メディア論に関しては、今日はここまでにしておく。
まとめとして、繰り返しにはなるが、橋下氏の発言に共感した点。それは、政治家自身が政治家の限界(役割)を語ったこと。そして、それを報道するメディアについて、率直に批判したこと。
このことは、新聞やテレビのニュースを見ているだけでは決して理解できない。メディアは「編集権」を行使して、真実はおろか事実すら伝えていない。今は、多くの記者会見はYouTubeで見ることができるので、是非、政治家の「生」の主張を聞いてほしい。それを見れば、バカな政治家はよりバカに、筋の通った政治家はそのとおりに理解することができる。
「文明の利器」(表現が古いっすね、済みません40代なので)を十分に活用し、是非、政治家の本性を見極めていただきたい。Good Luck!!
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