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2012年10月

2012年10月31日 (水)

番外編 なんじゃこりゃ! -にほんブログ村「『読め!!』 20 トーナメント」に思う-

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にほんブログ村の標記トーナメントの「決勝戦」で、どちらに投票するかという問いかけが当該サイトに掲載されていたので、決勝まで残った「強者」の記事を拝見した。率直に言う。「159名も参加したトーナメントで決勝に残った記事がこれなの…」。

ブログに何を書こうが人それぞれであるし、それについてとやかく言うつもりもない。ましてや、僕がその記事を書いた方々より立派な主張をしているなどとも微塵も思わない。しかし、である。

方や、探偵事務所の宣伝、此方、今や健康食品会社のチラシですら書かないような薄っぺらな「健康論」…(これらを書いた方本当にごめんなさい。他意はないです。正直なだけ)。

今まで何度もブログを書き、数年ぶりにブログを再開して約1ヶ月。何とか多くの皆さんに自身のブログでの主張を読んでいただこうと、このサイトのトーナメントに積極的に参加してきた。しかしもう止めた。

「読め!!」とまで言うからには相当熱い主張が繰りひろげられているのだと、勝手に思い込んでいたが大きな勘違いのようだ。常に大マジでブログの記事を書き、必死で多くの皆さんにそれを届けようとしてトーナメントに参加してきた自分が、ホント、アホだと感じた。その情熱が変わることは決してないが、「トーナメント参加」という手法は少なくとも、not for meのようだ。

既にエントリーしてしまったトーナメントがいくつかあるのでそれはしようがないが、今後一切こんなくだらない、あっ、いや、そうではなくて、うーん、そうだ!、自分の方向性とは大きな相違のあるトーナメントにエントリーすることは止める。そう自分自身に誓ったMichであった。ちゃんちゃん!

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2012年10月30日 (火)

前原国家戦略相の事務所費問題 -「言うだけ番長」の釈明はやはり「言うだけ」か?-

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(写真は中日新聞より)


昨日(10月29日)産経新聞が報じた、前原誠司家戦略担当相の事務所経費問題が波紋を広げている。

産経の報道によれば、前原氏の政治団体が平成16年~22年、都内にある秘書の自宅マンションの一室を「主たる事務所」として総務省に届け出て、約1200万円の経常経費を計上していたという。また、この部屋に住む秘書の親族とみられる住人は産経の取材に対し、事務所の実体がないことを証言したとのこと。

10月27日の記事で、「言うだけ番長」の前原氏の発言を批判したばかりなのに、今度は無責任な発言などというレベルではなく、政治資金規正法に抵触する可能性のある事実が出てきたことに少しびっくりしている。

政治家のいわゆる「事務所費問題」は、あまりに頻発しているので今更驚くようなことではない。ただ、頻発しているから許されるということでは決してない。本日(10月30日)付の産経の記事に掲載されているように、ここ数年の主だった政治家のケースに限っても9件発生している。その中で現職閣僚だったのは7名。うち2名(佐田玄一郎行革相、赤城徳彦農水相)は辞任に追い込まれ、1名(松岡利勝農水相)は、それが原因かどうかは不明だが自殺している(役職はいずれも当時)。

ここで疑問に感じるのは、事務所費が問題視されても、辞任に至るケースもあればそうでない場合もある。そこにどのような違いがあるのだろうかと調べてみたが、力不足で明確な差異を発見することはできなかった。推測で言わせてもらえれば、その時の政局次第というのが正解であるような気がする。

この問題に関して、コラムニストの小笠原誠治氏がとても分かりやすく解説した記事を著している。

氏は、前原氏には、「政界を見渡せば、多くの人が同じようなことをしており、その上、自分の場合には、仮に支出に問題があったとしても、その額は7年間でたった1200万円ほどの金額でしかない」とい感覚があるのではないかと指摘する。そして、「政治家が政治資金で飲み食いをするニュースを聞いても誰も驚かないような現実があるのに、何故自分だけ責められるのか」と。

しかし小笠原氏は、そうした政治家の一般国民とはかけ離れた感覚に警鐘を鳴らす。「政治資金には税金がかかりません。では、何故税金がかからないのか? それは、国民のために政治活動に励む政治家が、そうした政治資金を本来の用途以外に使うことなどないと信じているからなのです。逆に言えば、そうした政治資金を個人的な用途に使うことなど、あってはならない、と。そして、税金がかかることがないということは、その分が国民の負担になっていることを忘れてはいけません」。

これはまさに正論であり、我々がこうした問題を決して軽んじてはならないということを明確に伝えてくれている。全く同感である。

しかし許せないのは、民主党の二枚舌振りである。野党時代にはこの問題が発生する度に、当該閣僚に辞職を要求していたにもかかわらず、民主党政権での川端文科相、荒井国家戦略相はのうのうとその座に留まった。政権交代があると、政党なんていうものは、立場が変われば容易にその建前を翻して恥じることのない連中なのだということがよく分かる。

もうひとつ解せないのは、自民でも民主でもこれほど事務所費問題が発生しているのに、誰ひとり立件されていないということ。彼らの行為は、政治資金規正法における政治資金収支報告書への虚偽記載に他ならない。検察のこの不作為は何故か?例えば最近話題になった、PCの違法遠隔操作事件では、成すべき捜査を成すことなく、安易に無実の一般市民を起訴する一方で、政治家相手となれば、様々な「配慮」をしていると思わざるを得ない。行政、立法に加えて、この国では司法も死んでいるのだとつくづく思い知らされる。

この問題に関してのひとつの改善策として、上述の記事で小笠原氏は、「結局、政治家の行動を逐一監視することなど物理的にできない訳ですから、そもそも政治家の言うことを信頼するよりも、この際、(政党助成金や政治献金などの政治資金の)使途に制限をかけない代わりに、政治家に手渡す政党助成金や文書交通費を思い切って削減することを考えた方がいいと思うのです。それに、政治資金にも課税することを検討すべきでしょう」。

「表向きの歳費を少なく見せるために、別途文書交通費を支給するなんて、これは国民を欺く古典的手法と言うべきでしょう。その上、文書交通費として支給されれば、歳費とは異なり課税されないので、政治家にとっては大変美味しい制度であるのです」。

至極尤もな改善提案だ。国民としてはこれに全く異存はないだろうが、それを決められるのは政治家だ。ご案内のとおり、政治家という連中は、自分の首を絞めるような立法には極めて後ろ向きだ。議員定数削減然り、歳費削減然りである。しかしこうした主張をして政治家にプレッシャーを与え続けなければ、自浄能力のない彼らは現状のぬるま湯に浸かり続け、消費税が上がろうが、復興税の負担を国民が背負おうが、そんなことは無関係とばかりに現状維持という易きに流れることは間違いない。我々としては声を上げ続けることが重要だ。

少し話は逸れてしまったが、今回の前原氏の問題は、彼が論理的にその正当性を立証できなければ、明らかに大臣の職を辞任するに値する「犯罪」だと言える。上述のように、辞任するのかしないのかは政局次第なのだとすれば、前原氏はこの政局下で問題が発生した不運な政治家と言えるのかもしれない。

「言うだけ番長」が、説得力を持つ説明ができるのか。あるいは、結局この男は口先だけで、自己の正当性を主張する能力もない輩なのか(そもそも「正当性」があるのかどうかが最大の問題ではあるが)。それは遠からず我々の知るところとなるだろう。もし後者であることがはっきりすれば、偽メール問題、すぐに前言を翻す、あるいは言いっ放しの閣僚としての無責任さ、尖閣諸島漁船衝突事件、外国人献金問題などと相俟って、彼の政治生命は限りなく終わりに近づくだろう。

この正念場をどう乗り切るのか、あるいは乗り切れないのか。取りあえずお手並み拝見といこう。

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石原氏第3極志向「国民バカにした野合」前原氏 -国民をバカにしている奴が「バカにしている」と言うバカな論理-

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2012年10月29日 (月)

安倍総裁「自衛隊の皆さんに感謝。私たちの誇りです」 -自衛隊を誇れない連中に国防が任せられるか!-

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自民党の安倍晋三総裁は、本日(10月29日)、自身のfaceboodページで「自衛隊だけが撮った2011.03.11」と題された本映像へのリンクをシェアし、「自衛隊の皆さんに感謝。私たちの誇りです。」とコメントした。

既にご覧になられた方も多いと思うが、この映像を見れば、東日本大震災発生時、自衛隊員がどれほど命がけで我々日本人のために仕事をしてくれたのか誰でも理解できる。自身も震災によって家族を失いながらも自衛隊員としての使命を果たそうとする隊員も多く、彼らはまさに私たちの誇りだ。

自衛隊の災害派遣は東日本大震災に止まらない。古くは、伊勢湾台風38豪雪から、日航機墜落事故阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件新潟県中越地震JR福知山線脱線事故など、これまで日本で起こったありとあらゆる事故、自然災害においてその任務を果たしている。

安倍総裁は、政権を担当していた時代に防衛庁の省昇格を実現するなど、自衛隊に対する思い入れは特に強いと思われるが、人々には知られていない彼らの活動の実績が広く知られれば、ひとり安倍氏だけではなく、多数の国民は自衛隊に感謝の気持ちを持つのではないか。

この自衛隊を明らかに批判的なニュアンスで「暴力装置」と呼んだ政治家がいる。ご存じのとおり、民主党の仙谷由人元官房長官である。個人的には、民主党に好きな政治家はほとんどいないが、とりわけこの御仁は、断トツで「大嫌いな政治家」だ。民主党に限らず政界で一番嫌いだと言い直した方がいいだろう。

東日本大震災に限らず、常に命を賭けてでも国民の生命・財産を護ろうと最善を尽くす自衛隊を、よりによって「暴力装置」とは何事か!その愚かな発言から2年が経過しようとしているが、未だに決して許すことはできない。

この発言の直後、自民党などからの猛抗議を受け、仙谷氏は「実力組織と言い換える。自衛隊の皆さんには謝罪する」とその発言を撤回した。しかし、仙谷氏の頭の中には「自衛隊=暴力装置」という概念が刷り込まれていることは間違いない(石破茂自民党幹事長も、かつて自衛隊を「暴力装置」と表現したことはあるが、その文脈、あるいは両者のバックグラウンドの違いを考えれば、ニュアンスは相当異なっているということを追記しておく)。

それは当然の話だ。彼がかつて属した社会党が細りに細って生き残っているのが現在の社民党だが、同党は未だにそのOfficialWebsiteで明確に、「現状、明らかに違憲状態にある自衛隊は縮小を図り、国境警備・災害救助・国際協力などの任務別組織に改編・解消して非武装の日本を目指します」と宣言している。自衛隊が違憲で、「非武装」って…、この人たちの思考は、半世紀以上も停止状態にあるのだろう。

そんな、未だに夢から醒めない政党に仙谷氏の政治家としての起源がある以上、彼の思想も、間もなく消え去るであろう社民党の理念と大同小異に違いない。

仙谷氏に限らず、現在の民主党には旧社会党から合流した連中がまだまだ一定数存在する。仙谷氏も含めて、彼らが現在どのような自衛隊観を持っているのかは分からないし、民主党全体としての見解も不明だ。しかし、自衛隊の予算を削減してきている事実に鑑みれば、その重要性を理解していないのだとは推認できる。

結局、民主党は自衛隊が存在することは認めつつも、彼らを誇りになど決して思っていないのだろう。自衛隊員の身を粉にした、国民の生命・財産を護るための任務を報道しない左翼メディアも同様である。

自衛隊は、東日本大震災、そしてそれに伴う原発事故に対して、まさに自己犠牲の精神でその任務に、あるいは任務外のことにまで全力を尽くした。そのような尊敬に値する組織を誇りと思えずに、国を護ることなどできるはずがない。

事実民主党政権は、日米関係を破壊し、結果として中韓露の日本に対する主権侵害を易々と許してしまった。日米安保条約と自衛隊、その二つが車の両輪となって初めて、日本の安全保障体制が成立する。いずれの重要性も理解できない民主党政権に国防など任せられるわけがない。

仙谷由人という人物については、タイミングを見て必ずその評価を著したいと思っているが、まずは国民の生命・財産を護るという最低限の政府の使命遂行も覚束ない政権を早急に権力の座から追い出さなければ、日本国民が危機に晒され続けるし、任務に命を賭ける自衛隊の皆さんも浮かばれない。

解散総選挙を求む!ASAP!!

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2012年10月27日 (土)

石原氏第3極志向「国民バカにした野合」前原氏-国民をバカにしている奴が「バカにしている」と言うバカな論理-

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今日から日本プロ野球最大のイベント・日本シリーズが始まったので、ワインを味わいながらのんびり観戦、といきたかったのだが、前原誠司国家戦略相の発言を見過ごすわけにはいかず、本稿を書き始めた。

本日(10月27日)付のYOMIURI ONLINEによると、石原慎太郎氏が東京都知事を辞任し新党を立ち上げると表明したことについて、前原氏は「全く別の考えの人が選挙対策で『大同』と言うのは、国民をバカにした野合だ。基本政策は一致しないと、選挙互助会を広げるだけだ」と述べた。

あれれ、どの口がそれを言う。では、「全く別の考えの人が政権交代だけのために『民主党』として結集するのは、国民をバカにした野合」ではないのか?「野合」であったがため、小沢氏とその子分たちは民主党を去り、それでもまだ、離党者がでないかと戦々恐々としているのが、前原氏が属する民主党の本性そのものだと思うが。

石原氏から見れば、偽メール問題で民主党代表を辞任したり、外国人献金問題で外相を辞任したりする前原氏こそ、脇が甘く成長のない政治家であり、国民をバカにしている民主党の象徴だと感じるだろう。

加えて、彼が国交相時代に宣言した、八ッ場ダムの建設中止は党内でなし崩しにされている。また、外相時代の2010年に発生した尖閣諸島中国漁船衝突事件においては、当初、「日本の国内法に基づき粛々と対応する。それに尽きる」と述べ、中国側が求める船長の早期釈放には応じないとしていたにも関わらず、あっさり釈放し、責任を那覇地検になすりつける情けなさ。こうした言動は「国民をバカにして」いないのか。

2011年、前原氏が民主党政策調査会長だった当時、彼を「言うだけ番長」と評していた産経新聞を問題視し、取材拒否を通告。今回の石原新党に対する発言を始め、上述したことを斟酌すれば、産経の「言うだけ番長」という表現は言い得て妙としか思えないが。結局その取材拒否も数日で解除。「言うだけ番長」の面目躍如たるものがある。

前原氏は松下政経塾出身。民主党の少しは名のある政経塾出身者を挙げると、野田首相、玄葉光一郎外務相、樽床伸二総務省、原口一博元総務相、松原仁前拉致問題担当相、福山哲郎元官房副長官、山井和則国対委員長。やはり「言うだけ番長」集団だ。これでは、少なくとも現在のところ、所詮パナソニックのロビーイスト養成機関だったと言われてもしようがないだろう(具体的な根拠はないが、日本人のメンタリティを考えれば彼らがパナを敵に回すことは絶対にあり得ない)。

最後に、僕がどうしても許せない前原氏の発言。2008年、「拉致問題が仮に前進していなくても、日本は支援の輪に加わるべきだ」。つまり、北朝鮮に対する各種支援の前提は拉致問題の進展、としていた政府の見解を否定した。

親米で保守的な政治家と思いきや、在日韓国人から政治献金を受け取ったり、外国人参政権を否定することもない。この人の軸足はどこにあるのか全く理解できない。例えれば「鵺」のような政治家だ。

僕からすれば、彼こそが、最も国民をバカにしている政治家の一人だと思うが、取りあえず心を落ちつけよう。なぜなら、民主党は次期総選挙で間違いなく大敗するので、彼が、少なくとも閣僚として国政の表舞台に現れることは当分ないのだから。沈みゆく船のキャプテンの一人が負け犬の遠吠えを繰り返す。それくらいのことを許容できるくらいには、僕も大人の対応をしなくてはならない。

最後に一言。Steve Jobsの名言、"Stay hungry. Stay foolish"。80歳で新党を立ち上げる石原氏はバカかもしれない。しかし彼は国民をバカにしてはいない。80歳の「バカ」なインテリなんて逆にクールじゃん!"Stay foolish, continue to be foolish and finish your political life as a REAL foolish, Mr. Maehara. We do never need you!!"

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石原都知事新党結成表明-老兵は死なず…-

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野心の政治家・東国原氏都知事選出馬?-逆説的出馬支持-

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「権力も権力欲も、非難すべきはそれらを、有効に使う能力も使わせる度量もない人物が所有している場合だけ、なされるべきものと考える」
-塩野七生


石原慎太郎東京都知事の辞任・新党結成表明を受けて、都知事選挙が年内にも行われる見通しとなった。石原氏は現副知事の猪瀬直樹氏を事実上後継指名したが、猪瀬氏は出馬について明言を避けている(10月26日付時事ドットコム)。

一方で東国原英夫前宮崎県知事の出馬が取り沙汰され始めた。氏は「(立候補する)可能性はゼロではないが、現時点でお話しすることはない」と述べ、前回169万票余りを獲得したことには「重みを感じているのは事実」と話したという(10月26日付毎日jp)。

池田信夫氏は自身のツイッターで、「東京都民として、この人だけはやめてほしい… 」、「猪瀬vs東国原だと、たぶん東国原が勝つと思う。都民をやめたい気分…」と述べているが、全く同感である。僕はあくまで元東京都民であるので関係ないが、東国原氏が都知事になったら恥ずかしいだろうし、都民の政治感覚が疑われると思う。前回次点だった時でさえ唖然としたものだ。

少し前、「ビートたけしのTVタックル」で、政治評論家の屋山太郎氏が、東国原氏が何故大阪維新の会に参加するのだろうかと問われ、「彼はone of them。彼は宮崎のマンゴーを売っただけでしょ。まぁ、マンゴーを売るのが上手なやつが一人くらいいてもいいってことだろう」とコメントしていたが、良識ある人物の彼に対する評価はこんなものだろう。

確かに彼は「宮崎県のセールスマン」として超一流だったことは間違いないし、それは知名度が低かった宮崎県を「全国区」にすることに大きく貢献した。しかし、それ以外にはほとんど刮目すべき実績はない。

僕が彼に対して批判的なのは、主に以下三つの理由による。

一つは、彼は古い自民党の政治家と大差ないと考えられること。橋下大阪市長率いる維新に近づき改革派を装ってはいるものの、彼が宮崎県知事時代にドラスティックな改革を行った形跡は全くないし、県の財政を好転させることもなかった。これは、例えば橋下大阪市長が府知事時代に財政非常事態宣言を出し、2008年度当初予算では前年度比で1000億円削減することを明言し、その結果、3年間で計2441億円の歳出を削減し、613億円の歳入を確保した実績とは対照的だ。

また、道路特定財源問題においては、「暫定税率維持」の方針を明確に打ち出し、撤廃を主張する政党や議員を徹底的に批判し、典型的な「道路族」であることを露見した。

二つ目は、彼は自分がトップに立って政治を主導したいという野心だけの政治家であり、全く信頼できない変節漢であるという点。2008年、宮崎1区の自民党中山成彬氏が次期総選挙には出馬せず、引退を表明した際、東国原氏を後継として擁立する動きがあった。東国原は当初、「現時点で総選挙に出る意思はない。知事の任期を全うしたい」と出馬を否定した。しかし、すぐに「なるからには閣僚か、トップです。初当選、初入閣」と述べ、変節した。

そして2009年、当時の自民党選対委員長であった古賀誠氏から次期総選挙への出馬を要請され、自身の改革案を一言一句違わずに受入れることや自民党総裁候補として処遇することを条件として提示した。結局古賀氏は条件を拒否し、東国原氏は出馬を断念した。県知事退任後の2011年には東京都知事選に出馬し、石原氏に大差はつけられたものの次点となった。

一連の彼の言動から政策実現、あるいは日本や東京を改革するという熱意が感じられることはなく、ただ権力、あるいはポストへの執着のみが明確化されたプロセスであった。

そして、県知事時代の彼のテレビ番組での許容しがたい発言。日本がこれほど財政赤字を抱えたことに関して一番責任があるのは、と問われた彼は、「国民」と返答した。有権者としての国民が無能な政治家に権力を与えたため、結果としてそのような事態を招いたことは確かだろう。しかし、国民のマジョリティは官僚が天下り先を作るために全精力を注ぐようなことは支持していないし、財界や政治家が既得権益を守るために税金を食い物にすることを是認してはいない。「反国民」側の東国原氏には、その程度の認識さえないのだろう。

彼のこれまでの政治家としての歩みを見ると、どうしても実現したい政策があるので県政、都政、あるいは国政で力を持ちたいというよりは、権力者となることそれ自体が目的であるように思われるのだ。

東国原氏が首都・東京の知事になったとすれば、日本人としては非常に恥ずかしい。それを認識しつつも、僕は彼の都知事選への出馬を支持する。というのも、これは都民の皆さんには大変申し訳ない言い方になるが、彼を東京に「閉じ込める」ことができれば、国政から有害な政治家の一人を排除することができるからだ。

次期総選挙は、今後の日本を考えた場合、かつてないほど重要なものになる。それ故、第3極の核となり得る「維新」の中に、彼のような確固たる哲学も能力も持たない、節操のない政治家が中心として存在することは国益に反するとさえ言える。

東京都知事は大きな権限を保持しているので、彼がその職に就けば都政は混乱するかもしれない。それでも、外交・財政等、より大きな政策に関与できる立場に彼を置くよりははるかに「安全」だ。後は都民の判断次第。

まぁ、そんなわけで東国原さん、出馬表明をお待ちしております。東京で頑張ってください。


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2012年10月25日 (木)

石原都知事新党結成表明-老兵は死なず…-

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ここ10年来、あるいはそれ以上常に話題になっていた「石原新党」がいよいよ結成されるようだ。

石原慎太郎東京都知事は本日10月25日、都庁で記者会見し、自らが代表を務める新党を結成し、次期衆院選に出馬することを表明した(本日付YOMIURI ONLINE参照)。バブル崩壊以降、政治が沈滞する度に「石原待望論」が沸き起こった。石原氏は、その時々において思わせぶりな態度を示してきたが、2010年にたちあがれ日本の発起人として名を連ねた以外は、新党結成については慎重な姿勢に終始してきた。

それでは何故今このタイミングでの新党結成なのか?以下のような要素があるのではないかと考えられる。

まず、民主党政権が崩壊させた、領土問題を始めとする日本の外交に対しての懸念。鳩山元首相の「最低でも県外」という普天間基地移転に関する無責任な発言によって、日米関係は最悪の状態。それに付け込んで、中国、ロシア、韓国が次々に今までにない強硬な行動を断行。これに石原氏は我慢ならなかったのではないか。もちろん内政がボロボロであることも理由ではあろうが。

そして、自民党総裁選において息子の伸晃氏が敗北を喫したこと。もし子息が、次期総理の最短距離にあると思われる自民党総裁に就任した場合、それに対抗するかたちで第三極を結集するような動きをすることはうまくない。自身の政治理念や政治的野望以上に、石原氏が血縁を重視したとしても何ら不思議ではない。親と子との関係はそういうものだろう。

最後に、政治家・石原慎太郎としての集大成という意識。彼は国会議員時代には、国民には人気があったが、永田町においては常に異端児であった。自身の意見を明確に主張するその姿勢は、例えば竹下登元首相に代表される、「和を以て貴しとなす」というような永田町の調整型政治には整合しなかった。国会議員としての石原氏はその価値観を打ち破ることができなかったし、もっと言えばそれに敗北したと思われる。それ故、80歳の今、リベンジというか、若い頃に成し得なかったことを、何としても実現したいという強い気持ちがあるのではないか。こうした思いが、今日の彼の新党結成宣言へと繋がったのだと考えられる。

僕は石原慎太郎が嫌いだ。彼の政治家としての能力は高く評価しているが、弱者への配慮の足りない言動。エスタブリッシュメント意識丸出しの発言には、率直に言って不快感を覚える。しかし、今日の彼の記者会見での発言を聞いていて、相矛盾した二つの考えが交錯した。

ひとつは、官僚と徹底的に闘い、彼らの保身第一の姿勢に遠慮なく切り込んでいく意気込みを示した石原氏への共感。「明治以来続いている官僚制度をシャッフルしないと国民が報われない。命のあるうちに最後のご奉公をし、中央官僚の支配を変えなければだめだ」(上記YOMIURI ONLINE参照)。この考え方は、まさに僕が今の日本で一番重要だと考える点を突いているので、パワーのある石原氏ならば口先だけの民主党とは違い、何とかその目的を成し遂げてくれるのではないかと言う期待。

一方で、彼は海外メディアには「極右政治家」と認識されているので、それによって日本の外交は今よりも寧ろ混迷するのではないかという不安。中韓朝にどう思われようがどうでもいい。彼らは誰が日本の首相になろうが、政治の表舞台に登場しようが、その反日思想を変える気はないのだから。しかし、欧米各国が彼をどう捉えるのかに関しては不安が残る。石原氏が、冷戦以降の世界の動きをきちんと認識できているのかどうか。それを理解せず、百年一日の如き国際感覚しか持たずに国粋主義的な言動を取れば、欧米からも支持されない可能性もある。

一国民に過ぎない僕の頭の中でさえ、「石原新党」について様々な思いが駆け巡ることを考えると、政治家たちについては推して知るべしだろう。それが肯定的であろうとも、否定的であろうとも。

ここまで述べてきたように、僕としては石原新党に対しては、手放しで期待しているわけでもないし、かと言ってどうでもいい動きだとも思っていない。しかしながら、率直に言って石原氏は既に賞味期限切れだ。そうではあるけれども、石原氏本人も語っていたように若い奴らがしっかりしていれば、わざわざ彼が登場するまでもなかったということも事実だ。去勢されたように貧弱な今の国会議員に比べれば、石原氏ははるかに骨太で、物事を前に進める意思と力を持っているということは間違いない。

氏の指摘どおり、御老体にご登場願わなければならない現在の政治状況は情けない限りだ。そのような現状を良い意味でかき回すという観点から、石原氏の決断に敬意を表したい。「老兵は死なず、ただ消え去りもできない」…。ひとつお願いします、石原さん。

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2012年10月24日 (水)

ファイターズ、花巻東大谷投手を指名へ-若者の夢を応援することも必要では-

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ファイターズが明日のドラフトで、メジャー志望を表明した花巻東の大谷翔平君を氏名することを言明。うーん…。昨年の東海大・菅野君の時は、彼とジャイアンツとの「密約」めいたものがあるのではないかと引っ掛かりがあり、ファイターズの強行指名を支持する立場だった。ただ、認められたルールの中でのこととはいえ、2年連続で若者の希望に水を差すのはどうなんだろう。彼らは自分で球団を選ぶことができないし、ましてや大谷君はまだ高校生。迷いながらも自分自身で決断した10代の少年の気持ちを尊重してあげてもいいのではないだろうか。

少し前、テレビで江川卓氏の引退の真相を特集した番組を観た。彼の時代はFAもなかったので今よりも選手受難の時代だった。それが大きく彼の野球人生に影響を与えたことは間違いない。大谷君の場合は、最終的にメジャーと契約することはできるが、想定していたスケジュールが大きくずれ込むことになる。「我々はルールに従って行動している」と言われればそれまでだが、気持ちよく彼を送り出してあげることも、野球界の先輩たちの役目ではないだろうか。

江川氏はテレビの画面では常に冷静で淡々としているが、ドラフトにおいて、高校卒業時に阪急に、大学卒業時にはクラウンライターに指名された時には、想像ではあるが、涙を流したこともあったのではないだろうか。

プロ野球もビジネスであるのはよく分かる。人気選手がいればそれだけ興業的にもメリットが生まれる。しかし同時に、人生を野球に賭けている少年たちの夢であることも確かだろう。選手たちはドラフトのため入団先を選ぶことができない。そうした現状を踏まえれば、NPBにおけるFAの規定を、メジャーリーグに近いかたちで更に緩和する必要があると考える。

画面では誰も見ていないが、江川氏が流したであろう涙をもうどんな若者にも再び流して欲しくない。また、例え入り口で涙を流しても、より早い段階で選手たちの夢が叶えられるようなシステムを構築してほしい。野球を愛する一ファンから、保身しか考えないNPBの幹部、そして自己の利益しか考えない球団幹部への心からのお願いである。

P.S. 僕は政治専門ではありますが、プロ野球も広い意味では政治・経済の傘の下にあるという理解でお願いします。(^-^;

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田中慶秋法相辞任-民主政権の法相任命センス-

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昨日(10月23日)、外国人刑事献金問題、及び暴力団との交際問題により、与野党から批判を受けていた田中慶秋法相がようやく辞任(事実上の更迭)した。「体調不良」を理由にして辞任し、会見すら行わないという無責任さは政治家としての自覚が全く感じられない。それほど体調が悪いのであれば、いっそ議員も辞職されてはいかがか。

この御仁、就任時の記者会見で死刑制度について問われても、一切まともな受け答えができず、法相に、というよりは大臣に任命されるべき能力を持ち合わせているとは到底考えられなかった。こんな人物を任命する野田首相の人事は、国民の目から見て本当に理解不能としか言えない。

民主党政権の人事には常に首を傾けさせられるが、今回に限らず、法相人事は最悪だ。以下、民主党政権において法務大臣に任命された人々の概要を僕なりに調べ、一覧表にしてみた。「氏名」の下の()は法曹界での経験、「死刑制度・死刑執行数」には、当該法相の死刑制度へHoumu_2の賛否、及び在任中の死刑執行人数を記載した。

さすがに左翼民主党政権だけあって、 「在日外国人参政権賛成」、「従軍慰安婦肯定派」など「らしい」面子がそろっている。だが今日の論点はそこではないので、それらについてはまた稿を改める。

僕が問題としているのは以下の2点。

まずは、わずか3年の民主党政権の間に既に7回も法相が交代しているということ。しかもそのうちの3名が何らかの問題によっての辞任。特に柳田氏の、「皆さんも、何で柳田さんが法相と理解に苦しんでいるんじゃないかと思うが、一番理解できなかったのは私です。私は、この20年近い間、実は法務関係は1回も触れたことはない」。そして「法務大臣とは良いですね。二つ覚えときゃ良いんですから。 個別の事案についてはお答えを差し控えますと、これが良いんです。 わからなかったらこれを言う。で、後は法と証拠に基づいて適切にやっております。この二つなんです。まあ、何回使ったことか」という発言は、法務行政を、延いては政治をなめているとしか考えられない。

8名中5名が法曹界を経験しえいることに関しては、それなりの配慮が感じられる。全くの素人を任命しているわけではないとも言えるからだ。それを斟酌してもなお、こんな状況で大臣の仕事をまともに遂行できるはずがない。行政はそれほど甘くない。

もうひとつは死刑制度に対する彼らの姿勢。制度に否定的と思われる者は4名、賛成、もしくは賛成と思われる者が2名。残り2名(柳田氏、田中氏)は不明、と言うか論外。死刑制度についてなど、おそらく考えたこともないだろう。

法務大臣には、死刑執行命令を発する権限と義務がある。刑事訴訟法第475条2項によれば、死刑執行の命令は判決が確定してから6か月以内に行わなければならない。それを考えれば、筋論で言えば、死刑制度に否定的で、執行命令を発するとは思えない人物を法相に任命することは、あってはならないことだ。また法相の任を拝命する側も、その義務を果たせないのであれば、例え総理の任命であったとしてもそれを辞退することこそ、法治国家の在り様だろう。現実にはこの条項は有名無実となってしまっているとしてもだ。

民主党政権の法相の中で死刑執行を発令したのは、千葉氏、小川氏、滝氏の3名でそれぞれ、2、3、4名の死刑囚の刑を執行した。

僕は、死刑囚などどんどん処刑してしまえと言っているわけではないし、死刑制度を積極的に肯定しているわけでもない。ただ、大臣たる者、その義務を果たす責任があることを指摘したいのだ。繰り返しになるが、それができないのであればその職を引き受けるべきではない。また、その制度に問題があるとして、議論を進めようとしても、このようにころころ大臣が変わっては議論のしようもない。

法相は政界においては軽量ポストといえども、上述のように人の命を奪う権限が与えられている。また、外国人の在留許可、永住許可、帰化も所管し、加えて、指揮権を発動し検察捜査の方針に意見することもできる。そのようなポストが、このような情けない状況になっていることは、まさに民主党政権の人事における「センス」のなさの象徴と言えよう。

田中氏の後任の法相は、前任の滝氏に決まった(本日付毎日jp)。野田首相が「内閣の機能強化」と称した今回の内閣改造は、少なくとも法相人事においては、「機能退化」であったことが明確になったかたちだ。

もうこんな政治はたくさんだ。特例国債法案と衆議院定数削減法案を可及的速やかに成立させ、年内に解散総選挙を実施し国民に信を問うべきだ。8月から見て、次の年のことを「近いうち」とは言わない。少なくとも普通の人間は。

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2012年10月22日 (月)

総理の「専権事項」衆議院解散‐歴代内閣に見る「伝家の宝刀」‐

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野田首相の「近いうち解散」発言による与野党対立は、未だ解決の糸口を見いだせずにいる。今日(10月22日)の民放の番組で、自民党石破幹事長は野田首相の姿勢を批判した。

石破氏曰く、本来は民主党の公約に反する消費税増税以前に国民にその信を問うのが筋であったところを、野田首相の「政治生命を賭ける」との発言があり、増税法案成立後、「近いうちに」解散するとの約束があったため、自公とも曲げて法案に賛成した。ところがその後首相は言を左右し、今では来年度の予算編成まで示唆し始めている。

来年の夏には衆議院議員の任期が来て、内閣が変わる可能性があるわけだから、そのような状況の中で、現内閣による来年度予算編成は許されない。まずは国民にどの政党に予算編成を任せるのか信を問うべきだと、石破氏は怒りを露わにした。

解散を巡る攻防の歴史は、そのまま政党政治の歴史といえるほど、それは生き残りをかけた政党間、時には政党内での権力闘争だ。現在の攻防はしばらく先が見通せそうにないので、今日は、戦後政治史上の特筆すべき、内閣総理大臣による解散劇を振り返ってみたい。以下敬称略。

吉田茂 第45・48・49・50・51代内閣総理大臣
・抜き打ち解散
1951年に鳩山一郎の公職追放が解除されると、三木武吉、河野一郎ら鳩山派議員が吉田首相の退陣を要求。これには1946年、首班指名直前に鳩山が公職を追放されたため、その代りに吉田が自由党総裁を引き受けたという経緯がある。三木たちからすれば、鳩山が戻ってきた以上、鳩山が総裁に返り咲くべきという考えで、これにより政局は混乱した。そこで吉田は、佐藤栄作、池田勇人ら側近のみと相談して解散を決めた。そして自分たちは密かに選挙準備を進め、準備の整わない鳩山派に打撃を与えようとの目算だった。1952年8月28日に不意を衝いて解散を断行。総選挙の結果は、吉田派は199議席、鳩山派は35議席となり、鳩山に打撃を与える目的は達したものの、466議席中234議席しか奪えず、自由党としては大きく議席を減らした。

・バカヤロー解散
1953年の衆議院予算委員会で、右派社会党の西村栄一との質疑応答中、吉田が西村に対して「バカヤロー」と言ったことがきっかけとなっての解散であったためこう呼ばれた。実際は、吉田が「バカヤロー」と怒鳴りつけたわけではなく、席に戻り小さな声でつぶやいただけなのだが、その声がマイクに拾われて、それを聞いた西村が怒り始め問題となった。その後、自由党を離党した鳩山派が内閣不信任案に賛成し可決。この時の総選挙で自由党は大敗し少数与党に転落。これが戦後日本の基礎を築いたとも言える、吉田時代の「終わりの始まり」となった。

田中角栄 第64・65代内閣総理大臣
・日中解散
1972年9月、田中首相は中華人民共和国を訪問し毛沢東国家主席、周恩来首相と会談。9月29日、日中両国の共同声明により日中の国交が正常化。11月に田中は衆議院を解散した。この選挙で自民党は284議席と安定多数を確保したものの、議席を16減らした。特筆すべきは日本共産党の躍進。解散前の議席に25上乗せし39議席を獲得。日中国交正常化が共産党の後押しをしたと考えられる。この時期、日本のメディアには右から左まで、異常と言えるほど中国称賛の記事が溢れていた。このメディアの状況を、僕はある論文において、「 Pro-China Syndrome」と呼んだ。当時の中国が文化大革命の嵐の中にあったことが分かるのは、また後の話である。

大平正芳 第68・69代内閣総理大臣
・ハプニング解散
1979年10月7日の総選挙において、大平首相自身の増税発言の影響もあり、自民党は過半数を割りんだ。大平の責任を問う福田赳夫を中心とする反主流派は大平退陣を要求したが、大平は断固拒否。そこから、田中・大平派対福田・中曽根・三木派そして中川グループによる党内抗争、いわゆる「四十日抗争」が勃発し自民党内は分裂状態に。総理・総裁分離案が出されるなど混乱を極めた結果、11月6日の首班指名選挙において、首相候補として自民党から大平、福田両氏が立つという前代未聞の事態に。結局決選投票によりようやく第2次大平内閣が誕生したが、党内に大きな禍根を残した。

翌1980年5月16日、社会党の飛鳥田一雄委員長は、浜田幸一衆議院議員のラスベガスカジノ疑惑などの自民党のスキャンダルを理由として衆議院に大平内閣不信任決議案を提出した。不信任案提出は野党による「恒例行事」のようなものであり、飛鳥田と公明党の竹入義勝委員長は同意していたが、民社党の春日一幸顧問などは、「自民党内の反主流派の動向が掴めないため、不信任案を提出することは危険だ」と指摘していた。結局不信任案は提出されることになり、福田・三木派・中川グル-プなどの議員が本会議を欠席したため可決されてしまった。提出した野党も、本会議を欠席した反主流派も全く予期していなかったにも関わらず、結果として衆議院が解散されることに。総選挙は6月22日の参院選と同時に行われ、史上初の衆参同日選挙が行われることとなった。

自民党は当初分裂選挙の様相を呈していたが、選挙中の6月12日に大平が急死し、それを受けて一転して団結し「弔い合戦」となり、結果的に22日の投票で自民党は衆参両院で大勝利を収めることとなった。野党の判断、自民党反主流派の判断、そして大平首相の急死。全てにおいて、まさに「ハプニング」の連続であった。

中曽根康弘 第71・72・73代内閣総理大臣
・死んだふり解散
1985年7月17日、最高裁は衆議院の一票の格差に対して違憲判決を出しており、これが衆参同日選を目論んでいた中曽根首相の解散総選挙の障害となっていた。政府はその是正のための公職選挙法改正案を提出。1986年5月22日に参議院本会議で可決・成立して問題は解決した。しかし、同日選に反対する野党との妥協により、改正法には新定数に関する30日の「周知期間」が設けられたこと、後藤田正晴官房長官などが「この法改正で首相の解散権は制限される」という発言を行っていたことなどのため、同日選はないと思われていた。

ところが中曽根内閣は、突然臨時国会を6月2日に招集し、本会議を開かずに議長応接室に各会派の代表を集め、坂田道太衆議院議長が解散詔書を朗読することにより衆議院解散を断行。史上2度目の衆参同日選挙となり自民党は圧勝し、任期満了間近だった中曽根ではあったが、党総裁の任期を1年延長する異例の党則の改正が行われ権力維持に成功。後に中曽根が「定数是正の周知期間があるから解散は無理だと思わせた。死んだふりをした」と述べたことから「死んだふり解散」という名が定着した。

小泉 純一郎 第87・88・89代内閣総理大臣
・郵政解散
これは皆さんの記憶に新しいと思う。2005年8月8日、参議院本会議で郵政民営化関連法案が否決された。持論の郵政民営化を否定された小泉首相は即日衆議院を解散し、直後の記者会見で、「今回の解散は『郵政解散』だ。賛成してくれるのか反対するのか、はっきり国民に問いたい」と述べ、自民・公明の両党の公認候補が過半数を獲得できなかったら退陣すると明言した。この選挙で最も異例であったのは、小泉は同法案に反対した議員を公認せず、その選挙区に「刺客」を送り込んだことだった。結果は、自民党296議席、公明党31議席で与党が327議席を獲得するという圧勝であった。郵政民営化の是非ついては議論が分かれるところではあったが、自身の信ずるところに真っ直ぐ走る小泉の姿に有権者は共感したのだろう。歯切れの良さでは歴史に残る宰相だった。

以上、戦後のユニークな総理によるユニークな解散、あるいは思いがけなく解散に至ってしまったという事例を紹介させていただいた。これを見ると、「かつて政治は面白かった」と無責任に思ってしまう。然るに現状はどうか。

衆議院の解散は、内閣総理大臣の専権事項であり、永田町では、「総理は解散については嘘をついてもいい」というのが常識ではある。しかしながら、10月20日付のmsn産経ニュースによれば、首相は、8月の谷垣前自民党総裁との会談の席上、「来年の予算編成をしない」と伝えたとされる。思うに嘘が許されるとしても、それにも限度があるだろう。与党民主党議員すら反対した増税法案を成立させることに協力し、ある意味それによって総裁の座を失った谷垣氏との約束を果たさないとすれば、野田首相の人間性を疑わざるを得ない。

増税しないという公約を破り、低支持率にあえぐ、つまり国民に信頼されていない現政権が来年度予算を編成することについては、僕も石破氏同様絶対反対だ。自民党としては異論はあるだろうが、特例公債法案、定数削減法案を速やかに成立させ、解散総選挙への道筋をつけるべきだと考える。それでも野田首相がその座に居座ろうとするのであれば、その時は国民が味方をしてくれるはずだ。国民も馬鹿ではない。

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2012年10月20日 (土)

週刊朝日の「ハシシタ」問題について-The Fourth Estate of Japan-

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今、大手メディアでのニュース以外でも、ブログ、ツイッターなどで持ちきりのこの話題。既に週刊朝日が謝罪を表明し、橋下大阪市長もツイッターで「ノーサイド」と言っているので、今更僕が議論することもないが、自分なりの意見を述べておく。

週刊朝日に掲載された佐野眞一氏による記事。読む価値もない、週刊誌にありがちなアンフェアな取材手法による記事(打ち切りになったので断言はできないが)だが、興味がある方はここをクリックしていただければ、削除されていない限り本文をご確認いただける。

まず、わけの分からない人物の発言を引用して、その出自により橋下氏に問題があるような内容に関しては、読んでいて気分が悪くなるほどの不快感を覚える。率直に言えば、僕はいわゆる同和問題の実態に関しては、何冊か本を読んだ程度の知識しかないので、表面には表れない深い問題がどれほど深刻なものなのかは理解できていないと思う。ただ、橋下氏がその血脈にあるから、それによって彼が問題のある人物だというようなロジックは、全く理解できない。この点に関しては、アゴラで池田信夫氏が的確に指摘している。

そして、朝日グループに対しての橋下氏の対応に対する賛否。今回の記事を受け、橋下氏は、朝日グループからの取材を拒否すると宣言した。週刊朝日はあくまで独立したメディアてあるので、朝日新聞記者の取材まで拒否するのはおかしい、という指摘が多数あった。しかし、週刊朝日を発行している株式会社朝日新聞出版は、朝日新聞社が100%出資した完全子会社であり、それなのに朝日新聞は関係ないという議論は、ビジネスの世界の常識からして成立し得ない。この点に関しては、僕は橋下氏のツイッターでの主張を支持する。

橋下氏はツイッターでメディアに対して、「政治家や役所、それに普通の民間企業がこれくらいの大失態をやったら、そりゃメディアはとことん追及してきますよ。ところがメディアの失態については、メディアは追及しない。朝日新聞始め多くのメディアが原子力村だと批判していたことがシラけますね。まさにメディア村。メディアも身内に甘い」と大手メディアを批判している。これは僕が繰り返し主張しているメディア批判、とりわけこの記事において、「読売始め、日本の、能力もないくせにお高くとまったメディアの方々は、メディア以外の企業がこの程度の説明をしたらボコボコに叩く。しかし自分たちには、あまいあまい。昔流行ったギャグのように『あまーい』のだ」と主張している内容と見事にシンクロしている。

僕は、「僕の主張は正しいでしょ。だって橋下市長だって全く同じ意見なんだから」などと言うつもりは全くないし、自分が橋下氏のような、国政を左右できる人物と同じくらいの大人物であるなどとは微塵も思っていない。ただ、読者の皆さんに覚えておいていただきたいことは、メディアと密接に接していると、結果としてそのような見解に辿り着くということだ(僕は企業広報の担当者・課長・部長として、散々奴ら、いや、彼らと接していたので)。

この際、僕が企業広報をしていた頃のエピソードを一つお伝えしておきたい。当時勤務していた企業で、ある問題が起こった。朝から晩まで、というか、まるまる数日間、メディア対応に追われた。その問題の中で、メディアがどうしても知りたかった事実がひとつあった。ただ、それをメディアに話すことは法律に抵触するので、当時広報課長であった僕も、その上司の部長も決して彼らに話すことはなかった。

そんな中で、某公共放送の記者が僕に電話してきて、「おたくの部長は話してくれたけど、あなたは話してくれないの」と詰めてきた。「うちの〇〇(部長)がそのようなことを話すとは考えられませんが、仮に彼がそのようなことを話したとしても、私としてはその件に関してコメントすることはできません」と僕が返答したところ、罵声を浴びせられたうえで電話を切られた。

その後上司に確認したところ、もちろん彼はそれについてコメントしていないということが分かった。その公共放送の記者は、「嘘」をついてまで僕にコメントさせたかったようだ。偉そうに時事問題を語っている大手メディアの倫理観など、せいぜいその程度のものだということを知っておいていただきたい。

簡単な記事で済ませようと思っていたのだが、思いのほか長文になってしまった。ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。最後にひとつだけ、最も重要な点に関して述べさせていただきたい。

今回の週刊朝日の記事は、当該メディアが今後も存続すべきかどうかすら問題になる、程度の低い、しかし影響の大きい記事であった。それでも橋下氏は、メディアに登場して反論できる立場にあるので、最低でも「イーブン」のやり取りができる立場にある。

しかしこれが、何の権力も持たない一個人に関しての記事であったとしたらどうだろうか?大手メディアによって報道されれば、ほとんどの読者はそれが程度の差はあれ、概ね事実だと捉えるだろう。その記事が事実無根であり、かつそれが自分を社会的に抹殺するようなものであったとしても、力のない個人は反論する機会すら与えられない。そして、大げさに言えば、いわれのない中傷や批判を一生背負って生きていかなくてはならないのだ。

大手メディアの記者に対して声を大にして警鐘を鳴らしたい。あなた方は、何の落ち度もない一市民の生殺与奪の権利を握っている存在なのだ。あなた方には、個人の人生を潰してしまったり、人を死に追いやるほどの力があるのだ。そのような「権力者」だということをきちんと自覚してほしい。それくらいの意識を持たずに、サラリーマンのように記者としての仕事を「こなしている」のであれば、あなたは記者としての資格はない。明日にでも、その職を辞すべきですよ。

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2012年10月19日 (金)

参院1票の格差「違憲状態」-改革せよ、然らずんば死を-

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最高裁大法廷は1017日、2010年の参議院選挙(選挙区)で最大5倍であった「1票の格差」について、「投票価値は著しい不平等状態だった」として、「違憲状態」と判断を下した。

それに止まらず、「単に一部の選挙区の定数を増減するにとどまらず、都道府県を単位として各選挙区の定数を設定する現行の方式をしかるべき形で改めるなど、現行選挙制度の仕組み自体の見直しを内容とする立法的措置を講じ」るべきだと踏み込み、田原睦夫裁判官は、「13年参院選が現行法の枠組みの下で行われるならば、選挙無効の判断をもって対処すべきものと考える」とまで述べている(1017日付日経新聞Web刊参照)。

確かに、現行の参議院選挙制度において1票の格差を是正しようとすれば、前参議院議長の西岡武夫氏が主張したような、選挙区を廃止し、比例代表を全国9ブロックに分割して格差を1.15倍程度に抑える、というような方向性が望まれるのかもしれない。しかし素朴な疑問として、現状の参議院を維持する必要があるのだろうか?

参議院に期待される役割は、衆議院に対してのチェック機能。つまり一院制では議論が一面的になりがちな弊害を、かつては「良識の府」と呼ばれた参議院で再議することにより抑止することだ。

しかし現状は、選挙制度は衆議院と似たような仕組みであり、議論の視点も、とても参議院独自のものがあるとは考えられない。つまり二院制に期待される役割を全く果たしていない。それどころか、各党とも知名度があるだけで、およそ政治家としての素養があるとは思えない候補を擁立し、ただただ数を確保しようとしているだけである。

ここで諸外国の上院(日本の参議院に相当)の在り方に目を向けてみたい。まず、アメリカの上院は各州(50州)あたり2名ずつの定数100名で、任期は6年間。イギリスでは貴族院と呼ばれ、庶民院(下院)が通過させた法案を、専門知識を持つ貴族院議員が精査し、修正することが重視されている。貴族であることを前提とし、その特権の一部として議会に招集されているため、ごく一部を除いて彼らは歳費は受け取らない。現在の議席は約700名。

ドイツ連邦参議院、カナダ上院は各州の代表という位置づけで、いずれも選挙は行われない。議席数はそれぞれ約70名と約105名。フランスでは元老院が上院であり、間接選挙で選出され定数は343名。米英独加仏とも下院議員は日本の衆議院議員同様、有権者による直接選挙で選出される。

諸外国との比較で分かることは、フランスはやや日本に似てはいるものの、各国とも上院議員は下院議員とは全く別の選挙体制で選出されるか、あるいは選挙がないということである。このように明確な差異があるのであれば二院制の価値も見出せるが、日本の現状では全くその役割を果たしていない。二院制である意味がないのだ。

では日本での参議院はどうあるべきか?当然、これが絶対という制度は存在しないが、少なくとも衆議院とは異なる哲学で組織されるべきだ。とは言え、今更イギリスの貴族院のようなものを創設することは不可能なので、個人的にはアメリカの上院を参考にすべきではないかと考える。

アメリカの二院制の考え方は、一院は輿論に敏感な人民の院(下院)として、もう一院は各州を代表する院(上院)とするというものだ。選出定員は州の人口や面積などに関係なく、上述のように各州一律2名とされている。これは建国当初に人口の多い州と少ない州で対立する利害を調整するためにコネチカット州の提案により生み出された策で、「大妥協」(Great Compromise) と呼ばれるている(Wikipediaより)。

日本においてもこれを参考に、参議院議員は地域の代表者として各都道府県2名ずつで定数94名。日本よりはるかに国土も大きく、人口も多いアメリカにおいて上院議員が100名で政治が行えるのであれば、日本で94名では不可能だということはないだろう。

選挙制度に関しては全くの素人からの、相当単純な発想による提案だということは理解しているが、最低でもこの程度の改革を行うことが、参議院を期待されているような院として機能させる手段と言えるのではないだろうか。

もちろん来年の参院選までにということではないし、他にベターな案も多数存在すると思う。ただ、今のような、議員が自身の既得権益を守るためだけに小手先のマイナーチェンジを続けることは決して許されない。今の日本にとってどのような二院制が望まれるのか、そして参議院をどう改革していけばより良い立法府になるのか、国民的な議論が必要だ。議員連中だけに任せておいてたら、百年河清を俟つことになることだけは間違いない。

もし大きな改革がなされないのであれば、いっそ一院制にするしかない。良識もチェック機能もない、政局に利用されるだけの今の「ミニ衆議院」のような参議院などあっても、税金の無駄遣い以外の何物でもないのだから。

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2012年10月18日 (木)

石破自民党幹事長への外国人献金で考える「通名」問題

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本日(10月18日)付のYOMIURI ONLINEによると、石破茂幹事長が代表を務める政治団体が2006~11年、在日韓国人が代表取締役などに就く鳥取市内の企業3社から計75万円の献金を受けていたとのこと。これは、外国人や外国人が主な構成員になっている団体からの献金を禁じている政治資金規正法違反に当たる。

石破氏側は既に全額を返金し、「代表者は通称に日本人名を使っており、外国人とわからなかった」としているが、当初からパチンコ関連企業ということを知っていたのであれば、献金の際にきとんと調査しなかったことは軽率だったと言えるだろう。もっとも、通称名を使われている場合、確認することは相当難しいと思われるが。

前原誠司国家戦略担当相も、外務大臣だった2011年3月、今回の石破氏とは若干経緯は異なるが、在日韓国人からの献金が発覚し外相辞任に追い込まれた。

このような問題が発生するそもそもの原因は、いわゆる「通名」と呼ばれるものの存在である。ここでいう「通名」とは、簡単に言えば在日外国人(殆どが韓国・朝鮮人)が通称として名乗る日本名である。ただ、「愛称」のように名乗っているのであればそれほど問題はないが、身分証明書などにも通名が使用できるため、本名を確認することが極めて困難だ。そのため、今回石破氏に起こったような事態が惹起される。

例えば現職大臣が、日本人であることを疑わずに献金を受け取り、後にそれが外国人からのものだと発覚した場合、前原氏のように辞任に追い込まれることが予想される。本名を確認することは困難なので、このような事態はどの政治家にも起こり得る。特定の政治家を失脚させようと、外国人が通名を用いて献金を行い、後に暴露するなどという陰謀も可能だ。

また、通名のひとつの問題として、メディアが在日外国人の犯罪被疑者を通名のみで報道することに関して、外国人が犯した犯罪をあたかも日本人が犯した犯罪のごとく報道することに対する批判がある。凶悪事件になればなるほど、日本人にとっては大きな問題であると考える。最近の傾向としては、朝日新聞、NHK以外のメディアは、本名で報道する流れがあるように思う(この点については、各メディアに本名を報道する際の基準のようなものが存在するのかどうか情報がないもので、ご存じの方がいらっしゃいましたらご教授ください)。

上記以外にも様々な問題が指摘される通名問題だが、とりわけ政治においての悪影響を考えれば、速やかに廃止されるべきものだと考える。極論すれば、日本国民にとって百害あって一利なし。そんな制度を存続させる必然性は全くない。

最近の動きとしては、本年7月4日から施行された改正住民基本台帳法によって、外国人は住民票に「通称」を記載することが可能となり、通名に法的根拠が与えられた。

一方で法務省は、「新しい在留管理制度・特別永住者制度の下で法務大臣が継続的に把握する情報は、公正な在留管理制度に必要なものに限られますが,通称名は在留管理に必要な情報ではないことや、基本的に、住民行政サービスに必要な情報は,新しい在留管理制度の導入と同時期に『住民基本台帳法の一部を改正する法律』により整備されることとなる外国人に係る住民基本台帳制度において保有されることとなること等を考慮し、法務省において通称名の管理(在留カード等への記載を含む。)をしないこととしています。なお、当省は住民票又は住民基本台帳カードを所管するものではありませんが、通称名については、新制度における住民票で扱われることになるものと承知しています 」とし、法務省としては通名は使用しない旨、明確にしている。

そのため、日本への帰化を支援する「ASC申請支援センター」は、上述の法務省の見解を踏まえ、日本人は複数の名前が持てないこと、また現在、特別永住者の通名制度の存在についてほとんど知らない大多数の日本人が、将来その存在を知ることによって、制度存続反対の世論が形成されることに懸念を示している。

そもそも主権者たる国民に知られないよう、密かに存続させるべき制度などあってはならないはず。上記の組織のコメントは、特別永住者の通名制度に対する後ろめたさ、あるいは特権意識を明確に表している。まさに語るに落ちたというところだろう。

社会や政治を混乱させ、特定の外国人に不当な利益を与える通名制度。こんなものは存在してはならなかったものであるし、これ以上存続させてはいけない。環境は整いつつある。あとは政治的決断のみだ。

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石破茂の奇跡

 

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2012年10月17日 (水)

新聞の深読み-一例としての安倍氏の「集団的自衛権」発言-


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ジャーナリストの石井孝明氏がアゴラ で、「『がっつくビジネスパーソン』のための新聞の上手な読み方-上杉隆氏のように笑われないために」というタイトルで、自身の記者としての体験から、新聞を使いこなすノウハウを書いている。上杉氏に関してはコメントを差し控えるが、新聞の活用法という観点から、かなり参考になる記事だ。ちなみに石井氏は、原発推進派とされている人物である(その点は本記事とは全く関係ない)。

 

氏の記事の中で、特に新聞読者が心得ておくべき重要な点は、「情報の意味を考える。誰が発したか。そして意図は何か」という部分である。つまり、「記事がなぜ掲載されたのか。誰がどのような意図で情報を流したのか。書かれてはいない情報は何か。社会にどのような影響を与えるか」ということであり、そのことを意識して記事に当たると、これまでは見えていなかったものが見えてくるようになる。これを「新聞の深読み」と呼んでおこう。

 

ここで例として挙げたいのは、自民党の安倍総裁が、1015日、日本を訪問したアメリカのバーンズ国務副長官と面会した際、「政権を取ったら、集団的自衛権についての憲法解釈を変更する」と述べたことに関する記事。

 

「安倍晋三」、「集団的自衛権」をキーワードに、YAHOOYAHOOニュース、Google、そしてGoogleニュースで検索してみたところ、このことについて報道していたのは朝日新聞朝鮮日報日本語版のみだった。しかも朝鮮日報日本語版については、「朝日新聞が16日報じたところによると」としているので、僕の検索に見落としがなければ、この件について報道したのは実質的には朝日一紙だけだったことになる。つまり、朝日以外の大手メディアはこの件に関して一切触れていない。横並びが大好きな日本のメディアにしては、それだけでも妙な話だ。

 

この例を上記「新聞の深読み」を意識して考えてみると、朝日新聞は集団的自衛権の解釈変更に関しての安倍氏の発言を、このタイミングでどうしても報道しておきたかった。しかし他のメディアはニュースバリューを感じなかった、あるいは敢えて報道しなかった、ということになろう。

 

集団的自衛権に関しては、憲法解釈変更に反対する組織が多く存在するため、現時点で次期総理最有力と思われる安倍氏がそれを肯定する発言したと聞けば、多数の連中が騒ぎ出すことが考えられる。もちろんそれは次期総選挙にも影響するだろう。朝日の意図は、良く言えば、この件に関してアジェンダ・セッティングを行った。悪く言えば、安倍氏に対して少しでも逆風を浴びせたい。そんなところだろうか。

 

これは政治に限ったことではないので、読者の皆さんが興味を持ってらっしゃる分野の記事についても「新聞の深読み」をしてみてはいかがだろうか。この世界には、特定の方向からの情報が溢れていることに気付かれるかと思う。

 

最後に蛇足ではあるが、「新聞の深読み」の手法で上述の石井氏の記事を読んでみると、彼が言いたいことは、「新聞を読むことは重要だ!みんな、大いに新聞を読もう」という方向からの記事だということが明らかだ。最後の、「ちなみに、今週(10月15日から)は新聞週間だ」という部分がダメ押しになっていますからね!

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安倍氏潰しが始まった?

 

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2012年10月16日 (火)

日本VSブラジル

タイトルのとおり、今日はサッカー日本代表のブラジル戦。先ほど試合が始まった。

邉見伸弘氏が日経ビジネスONLINEの記事で語っているように、ブラジルは親日だと言われている国である。現在のところ、経済では日本の方が上、サッカーではブラジルの方が上だが、両分野で切磋琢磨し、お互いに成長していきたいものだ。

さて、ブラジルに2点先制されたので、応援に本腰を入れないと。ナショナルチームを応援するのも、国民の大切な「義務」のひとつなので。

※今日の記事は、決してサッカー観戦をしたいがための手抜き記事ではありません。

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2012年10月15日 (月)

拉致被害者帰国から10年-我々は何をしてあげられたのだろうか-

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今回はかなり感情的な記事になっています。

今日10月15日で、拉致被害者の皆さんが北朝鮮から帰国してちょうど10年。本日付の産経新聞で、蓮池薫さんが北朝鮮での苦労などについて語った。

僕は拉致被害者帰国のニュースをアメリカ滞在中に、インターネットのニュースで知った。しばらく日本を離れて暮らしていたので、正直、「北朝鮮が拉致を認めるなんてあり得るのか?」という驚きと同時に、5名の方が無事帰国されたことに、同胞として心から喜びを感じた。

新潟県人である僕にとって、拉致問題は特別の響きがある。まず、帰国された5人の方のうち3人が新潟県人である。また、新潟県始め日本海側において大量の日本人が拉致されている。そしてとりわけ、横田めぐみさんの存在である。

僕が小さかった頃、当時は拉致問題の存在は一般的ではなかったので、「失踪者」としてめぐみさんの写真が、公共施設、駅、交番など新潟県内のあらゆるところに掲出されていた。幼心に、「この人の写真、色々なところで見かけるなぁ」と漠然と思っていた。「あの」めぐみさんが拉致被害者だと知った時、俄然、僕の中での拉致問題のプライオリティが上昇した。そんな親近感を抱くほど、彼女の写真は僕の心に深く刻み込まれていた。

拉致被害者の方々が帰国した時、めぐみさんは死亡したと聞かされ記者会見に臨んだ際の、父・滋さんの涙…。僕はあの涙を一生忘れることはできないし、今でもあの映像を見る度に涙が止まらない。北朝鮮はめぐみさんは亡くなったと主張しているが、送られてきた遺骨の分析でもそれは立証されなかったし、父・滋さん、母・早紀江さんが信じるとおり、僕もめぐみさんは必ず生きていると信じている。

もうひとつ付け加えるとすれば、めぐみさんが拉致されたのは、滋さんが日銀の新潟支店に勤務されていた時。これは僕の個人的な気持ちなのだが、新潟県出身でもない滋さん一家が、僕の故郷新潟において見舞われた不幸に対して、県人である僕は心から申し訳ないと思っている。それ故、横田ご夫妻がお元気でおられるうちに、必ずめぐみさんの帰国を見届けてていただきたい。

この10年、結果的に見れば政治は何の手立てを講じることもできていない。この問題に関して、最も期待が持てる政権であった安倍政権が1年で終焉を迎えるなどの不運もあった。また、政権交代によって、拉致問題に一切興味のない民主党政権が3年続いていることも大きい。そんな民主党の中では、かなり期待できる拉致問題担当相であった松原仁氏が、今回の内閣改造で早々に辞めさせられたのも痛いし、その後任が労働組合出身の田中慶秋って…。拉致被害者家族にとっては、何の希望も見いだせない10年であったことだろう。

一方、我々国民が拉致被害者のために何をしてきたか?僕個人は、各種署名活動に協力したり、「しおかぜ」にカンパしたり、せいぜいその程度だ。もちろん権力者ではない一国民にできることなど限られている。それでも、もっと何かできたのではないか、と思わずにはいられない。

現状における対北朝鮮交渉の進展状況は、課長級会談は行われたものの、拉致問題に対する北朝鮮の拒否反応が強く、次のレベルである局長級会談の日程も決められない状況にある。

日付は定かではないが、今月の新潟日報に掲載された、蓮池薫さんの兄・透氏のインタビューで、「首相の北朝鮮訪問が最後の切り札のように言われているが、3回でも4回でも、それが問題解決に繋がるのであれば、首相は北朝鮮に乗り込んでもいいのではないか」と氏は語っていた。国際政治は僕らが考えるほど単純なものでないことは分かるが、透氏の主張も傾聴に値すると思う。

拉致被害者家族の高齢化が進み、巷間報道されるようにもう時間がない。僕自身、狂った国家北朝鮮に対してどのような交渉ができるのか、全くアイディアはない。しかし、政治のプロであるはずの政治家、そして国際政治を十分理解している官僚の皆さんには、是非、解決の糸口を掴んでほしいと心からお願いする。横田滋さん、早紀江さん夫妻が笑顔でめぐみさんと抱き合う。その光景を僕が生きている間に必ず目にしたい。

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2012年10月14日 (日)

去り行く民主党‐マニフェスト政治の破壊者へ‐

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民主党の輿石幹事長は今日(10月14日)のNHKの番組で、15日の3党幹事長会談で特例公債法案や衆院選挙制度改革関連法案の成立に向け一定の合意が得られれば、民主・自民・公明の3党首会談について、今週中に開催されると述べ、次期臨時国会については「月内に始まってもいいのではないか」とした。「やっと動き出したか」というのが正直な印象だ。というのも、民主党は臨時国会招集を極力先延ばしにしようとしてきたからだ。

三宅久之氏はブログで、「国会を開けば『近いうち解散』の履行を迫られ、大幅議席減に繋がる解散、総選挙に追い込まれる可能性が高い。法の番人、田中慶秋法相の暴力団関係者とのかかわりや外国系企業からの献金問題で、野党の厳しい追及を免れることはできない。そうした理由があるにせよ、政権担当政党が国会の召集を遅らせ、国政を停滞させているのは言語道断である」と主張している。全く同感である。与党幹事長が臨時国会召集時期について言及したことは、遅きに失していると言えども、まぁ、一歩前進だと言える。

2009年に、有権者の大きな期待を背負って政権交代を果たした民主党だが、この3年間は国民に対する裏切りの歴史であった。それは当時の民主党のマニフェストを見れば一目瞭然だ。今日はそのうちのいくつかを議論することにより、その事実を立証してみよう。

以下、民主党のマニフェストより。

〈5つの約束のひとつ・ムダづかい〉
「国の総予算207兆円を全面組み替え。税金のムダづかいと天下りを根絶します。議員の世襲と企業団体献金は禁止し、衆院定数を80削減します。」

予算の組み替えを行った形跡は全くなく、自民党時代の予算編成と全く変わっていない。天下りについては、日本郵政社長に斎藤次郎を起用した時点で、早々に馬脚を現した。以下の項目についても、全く実現されていない。

〈5原則のうちの原則1〉
「官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ。」

当初この原則を実現しようとする努力は少しは見られた。しかし、政治家自身の能力不足のため、そもそもこんな理想は実現不可能であることが次第に分かってきた。結局、相当早い段階で官僚に対して白旗を掲げ、自民党政権時代の「官僚主導政治」へと回帰した。その象徴が、元経産省の古賀茂明氏への処遇であり、財務省主導の社会保障の議論を置き去りにした消費税増税であると言えるだろう。

〈5策のうちの第3策〉
「官邸機能を強化し、総理直属の『国家戦略局』を設置し、官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する。」

国家戦略担当大臣は、政権発足当時から存在し続けている。ちなみに現在は前原誠司氏。しかし、担当大臣が真に国民のためになる国家のビジョンを創ったり、予算の骨格を策定したという話は寡聞にして聞かない。

上記以外にも、それが望まれる政策かどうかは別として、暫定税率の廃止、高速道路の無料化、医療・介護の再生、年金制度の改革などはまさに言いっ放し。政権自体ももう忘れているのだろう。

このマニフェストを見た時、僕のようなナイーブな有権者は、無駄な公共事業の削減等による財政赤字の削減、官僚の利権構造の撲滅、あるいは真に国民の声を反映した政治の実現など、自民党政権とは180度違った政治が生まれることを期待したと思う。ところがこの体たらく…。

これまでは政治資金の問題、政官財の癒着、永田町の論理で選ばれる国のトップ、などという要素が政治不信へと繋がっていた。民主党政権はそれらに加えて、政党は大ぼら吹きであり、国民との約束を破ることに何の罪悪感もないという新たな不信を加えてくれた。

前回総選挙で盛り上がったマニフェスト選挙は、民主党の「実績」によって完全に破壊された。これからは有権者は何を基準に選挙権を行使すればいいのか。有権者の暗中模索は続 く。

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2012年10月13日 (土)

iPS細胞「狂想曲」-読売新聞のレベル-

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読売新聞は10月11日付の朝刊1面で「iPS心筋を移植」、「初の臨床応用」などという見出しで報じた、森口尚史氏に関する記事を誤報と認め、自らの非を認めない日本のメディアとしては異例の「おわび」を表明した(10月13日付YOMIURI ONLINE)。しかし同日、「検証「iPS移植報道」森口氏、治療の事実なし」と題して、どうして誤報に至ったかという釈明をしている記事においては、森口氏の説明が虚偽であったことを裏付ける説明を繰り返すばかりで、読売の取材体制にどのような問題点があったのかについては、一切説明がない。

メディアの専門家からすれば、上述の「おわび」も「検証」も「なんじゃこりゃ」というレベルの内容である。つまり、読売の紙面から読み取れることは、「僕たちも詐欺師に騙されたので、それはしようがないよね」というような、およそジャーナリストとしてのプロフェッショナリズムとはかけ離れた、その場凌ぎの言い逃れとしか読み取れない代物だ。読売始め、日本の、能力もないくせにお高くとまったメディアの方々は、メディア以外の企業がこの程度の説明をしたらボコボコに叩く。しかし自分たちには、あまいあまい。昔流行ったギャグのように「あまーい」のだ。

僕なりに分析させてもらえば、今回の読売の報道は、およそ日本を代表するメディアが記事にするには、あまりに杜撰なプロセスであったと言わざるを得ない.。京都大学の山中教授がノーベル医学・生理学賞を受賞した興奮冷めやらぬ中で、それに便乗して売名行為を行おうとしたペテン師に読売が振り回されたということであろう。

まずはこの森口尚史氏なる人物。一定の能力が備わった記者であれば、間違いなく信用できるか否か、十分判断できる。というのも、彼が一方的に、iPS細胞から心筋細胞を作り、心不全患者に細胞移植の治療を行ったとしていただけで、何ら資料等の裏付けがないのだから。

氏が患者への治療を試みたと主張している米マサチューセッツ総合病院は、「iPS細胞の臨床研究に関する申請自体がない。(森口氏による)手術は、当病院では一切行われていない」と述べ、森口氏の主張を全面的に否定している。広報担当者は、「私が言えるのは、彼はわずかの期間しかこの病院にはおらず、それから10年以上も過ぎたということだけだ」と言明。

同病院と密接な関係にあるとされるハーバード大も、「森口氏の研究に関連するいかなる臨床研究もハーバード大及び病院の倫理委員会によって承認されていない」との声明を発表した。

森口氏が今回発表するとしていた論文の「共同執筆者」として名前が挙がっていた研究者の方々も、「iPS細胞について共同研究したことはなく、論文に自分の名前が記されていることも知らなかった」と異口同音に話しているとのこと。

マサチューセッツ総合病院、ハーバード、そして論文の共同執筆者、いずれも読売が裏を取ろうと思えばそれほど困難を伴わず取材できる対象だ。それをすることなく、記事を掲載した後で、初めてそうした、当然事前に当たるべきソースに取材をして記事の内容を全否定されているという事実は、日本のというよりは、どの国であっても(一流と自負する)全国紙としては考えられない取材手法だと断じざるを得ない。

つまりこの記事は、森口尚史氏の話を基にストーリーが構成され、他の関連するソースにいっさい裏付けを取ることなく掲載されたということになる。三流週刊誌であればともかく、全国紙においてこうした報道はあり得ない。

僕がアメリカ時代に、インターンとしてローカル紙で働いていた時も、記事を掲載する前には、インタビューの内容に間違いないかどうか取材対象者の方々に確認したうえではじめて記事化できるというシステムであった。一人の人物が語ったことのみを、他の関係者を取材をすることなく紙面に掲載するということは、ジャーナリズムとしてあってはならない報道手法であるということは、ジャーナリズム専攻の学部生が1年生で習うレベルの「基本のき」である。

山中教授のノーベル賞受賞に乗じて、それに関連したバリューのある記事を掲載したかった読売の気持ちはよく分かる。だが、その記事化に至るプロセスは、学生新聞以下の粗雑さであった。

読売にとってより大きなダメージは、今回の記事に限らず、読売新聞の報道に対する姿勢は、政治にせよ経済にせよ、常にこの程度ではないのかと国民に疑念を抱かせたことである。記者クラブに属した記事待ち記者ばかりの日本のメディアは、大なり小なりこのレベルであることは間違いない。それにしても今回の読売の報道に至るまでのプロセスは、発行部数日本一の新聞社といえども、現実の報道体制はタブロイドと変わらないと世間に知らしめたという意味で、エポック・メーキングな出来事かもしれない。

僕がしつこく、繰り返し述べていることだが、メディアの報道なんてその程度のものなので、それが絶対であるなどとは決して信用してはいけない。これはレベルの違いはあれ、どの国でも共通の認識である。

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特殊な民主主義国家・韓国

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本日(10月12日)付のYOMIURI ONLINEは、韓国の李明博大統領が、退任後に暮らす私邸用地の不正購入疑惑で窮地に立たされていると報じた。大統領府が関与し、大統領の長男名義で公示地価より安く購入して利益を得た疑いが浮上し、近く特別検察官による捜査が始まる模様。

この記事の一覧表でも示されている通り、全斗煥氏以降、全ての韓国大統領は、本人または親族が、有罪判決を受けるか逮捕されるかしている。韓国では盧泰愚氏以降、国民の直接選挙により大統領が選出されている。議院内閣制によって、直接国民が首相を選出できない現状の日本から見ればうらやましい限りだ。それほど民主的に選ばれた大統領が、何故そろいもそろって犯罪に手を染めるのか?そこに韓国の民主主義の特殊性を感じずにはいられない。

単純に考えれば、権力を手にしたら、後先考えず蓄財に走る浅はかさ故、と言えるのかもしれない。しかし必ず不正が暴かれる歴史があることを考えると、懲役刑に処されてもなお得られる利益がものすごく大きいのでは、などと穿った見方をしたくなる。そういう意味では、歴代大統領とその親族が不正に蓄えた財産が、きちんと没収されているのか興味があるところではある。また、例え懲役刑になったとしても恩赦を与えられることもあるので、有罪判決を受けることをそれほど恐れない政治文化があるのかもしれない。

懲役刑よりも更に悲惨な末路を辿った元大統領たちもいる。李承晩氏:亡命、朴正煕氏:暗殺、全斗煥氏:死刑判決(後に特赦)、盧武鉉氏:自殺…。田原総一朗氏は自身のブログで、岸信介元首相から聞いた話として、大統領になる前の朴正煕氏が岸氏に、スイスの銀行を紹介してほしいと依頼してきたことを書いている。もし失脚することがあったら、身を守るために亡命するしかないので、お金を貯めておく銀行が必要だったようだ。その話を聞いて岸氏は、「日本では首相を辞めた後に逮捕された例はない(当時)。暗殺もない。韓国で大統領になるのは命がけだ」と語っていたそうだ。

余計なお世話ではあるが、どうすればこうした韓国の政治状況を変えることができるのだろうか?韓国では大統領に就任すると、血縁・同郷・同学の人々を重用するが、それを変えることが第一歩ではないか。ただでさえ大統領にはありとあらゆる権力が集中しているため、独裁政権になったり、汚職を助長する政治構造になっている。そんな中で上述のような人々ばかりを重職に配すれば、チェック機能が働かず金銭はじめ様々な問題が発生するのは必然だろう。特定の人々に大きな利益を分配すれば、当然それ以外の大多数の人々からは激しい反発を招く。それが、これまでの韓国における「特殊」な政治の歴史に繋がっているのではないだろうか。

韓国が成熟した民主主義へと舵を切れば、絶望的と思える日韓関係にも少しは変化の兆しが見られるかもしれない。実現可能性の低い、個人的な「希望」ではあるが…。

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2012年10月10日 (水)

安倍氏潰しが始まった?

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昨日(10月9日)朝日新聞デジタルが、安倍自民党総裁の政党支部が政治資金からキャバクラ代を支出していたと報道した。今日は読売も後追い。早くも朝日新聞の安倍氏潰しが始まった。

池田信夫氏のアゴラでの記事によれば、朝日の若宮啓文論説主幹は「安倍氏をたたくのは朝日の社是」だと考えているそうなので、まぁ当然の報道。まずは軽いジャブというところだろう。朝日にとっては、安倍氏の掲げる「戦後レジームからの脱却」は決して受け入れらない。何故なら、自虐史観に基づいた「戦後レジーム」を推進してきた主人公とも言える存在が朝日であるからだ。

加えて、安倍氏は前回の政権時代、公務員制度改革に積極的であったため、官僚も敵に回している。官僚という人種は本当に狡猾な連中なので、様々なネットワークを利用して安倍氏、およびその周辺のスキャンダルの情報を収取し、それをマスコミに流す。朝日を中心とした左翼メディアであれば嬉々として報道してくれることだろう。

安倍政権において、閣僚のスキャンダルが続出し、それが内閣を追い詰めたのは決して安倍氏が「身体検査」を怠っていたからではない。どの内閣でも大同小異、スキャンダルなどいくらでもころがっている。ポイントはそれをメディアが報道するかどうか、また、どのような表現でリポートするかにかかっている。加えて、そうしたスキャンダルをメディアに積極的に提供する人物なり組織が存在するかどうかだ。

僕は自民党への不信感は未だに払拭できずにいるが、安倍氏の「戦後レジームからの脱却」、そして公務員に対するスタンスに関しては大いに共感する。ただ、安倍氏が本当にこの国の一番大きな課題である「シロアリ」退治をしてくれるのかどうかは分からない。その辺が明確になれば、安倍氏に対しての期待度も明確になるのだが。

前回に引き続き、安倍氏と朝日新聞の闘争は続くだろう。また、もし安倍氏が、僕が期待しているような公務員制度改革を実現しようとすれば、再び官僚機構と一戦交えることになることは間違いない。

しかし彼は一度総理を経験し、十分に学んでいると思う。マスコミ、そして官僚との喧嘩の仕方を学習しているはずだ。それは、彼が再度総理の座に返り咲いた際には、必ず大きな資産となるだろう。

僕は前回の総選挙において民主党に投票し、まんまと騙された馬鹿な有権者だ。よって今現在、次期総選挙でどの政党に投票すべきかは決断できていない。しかし、安倍氏が本気で官僚と闘ってくれるのであれば、それ以外の政策に異存はないので、自民党、というよりは安倍氏を支持する可能性が高いし、相当期待してもいる。

戦後日本をダメな国家にしてきた左翼メディア、あるいは官僚による安倍潰しを許してはいけない。逆に、安倍氏を中心とした、いわば「愛国主義連合」によって、この国に巣食う害虫を退治していかなくてはならない。今後の朝日による安倍氏批判に注目してみよう。

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メディア論からの日韓関係の考察

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昨日の記事でも書いたが、日韓関係は、個々人においてはそれほど争いが起こるようなものではないが、国家間となると闘争心がヒートアップする。特に韓国側においては。

ロンドンオリンピックの男子サッカー、そして女子バレーの3位決定戦が日本対韓国となった時、僕は自身のfbのページで、「韓国戦って、勝っても負けてもなーんか後味悪いんだよね」とコメントしていた。案の定、決戦を前に李明博大統領の竹島上陸、そして男子サッカーの試合後の、韓国人選手による政治的アピール事件があり、予想通り「後味が悪い」ものとなった。

上述の記事で書いたように、韓国社会における、決して親日の言動を許さない状況は大きな問題だが、それは韓国民に基本的に備わっている(備えさせられた?)反日思想を、韓国メディアが増幅させていると、メディアの専門家の僕には思えるわけである。メディアには個人の考えを増強させる作用があるので。

ジャーナリズムの基本的な考え方として、「客観報道」というものがある。それは、メディアにおいては論説や解説以外のいわゆるストレートニュースでは、事実をありのままに伝えるという考え方であり、そこに記者本人、あるいはメディアの主観を持ち込んではいけないという原則である。

極端に言えば、自国が戦時であったとしても、真のジャーナリズムは一方的に自国の立場に立った報道は許されないという、理想主義的ではあるが、崇高な理念である。こうした理念を裏切った報道の例として、アメリカの3大ネットワークのひとつCBSのアンカーであったDan Ratherが湾岸戦争終結の報道に際して、米軍司令官に対して、"Congratulations on a job wonderfully done!"と、米軍の勝利を手放しで喜ぶ発言をしたうえ、涙を流しながら握手し、それが全米にオンエアされたことが挙げられる。問題は、「客観報道」を求められる主要メディアのアンカーが、例えアメリカ人であったとしても、そうした主観的な感情を報道に持ち込んでよいのかどうかという点である。これに対しては米メディアからも批判が起こった。

アメリカに限らず、先進国の一流メディアには、愛国心によって偏った報道をするのではなく、ストレートニュースに関してはあくまで第三者の視点での客観的な報道が求められる。それほどの倫理が要求されるのが真のジャーナリズムの姿である。元共同通信社長の原寿雄氏はその著書「ジャーナリズムの思想」の中で、「政府が国益と考えることを伝えるだけが真の国益ではない。ジャーナリズムにとって真実こそが国益だ」と述べていることを追記しておく(後で述べるようにこれはあくまで理想なのだが)。

前置きが長くなってしまったが、韓国メディアの大きな問題は、民主主義国のメディアとは思えない感情的な愛国主義報道であり、それが世論形成に大きく影響を与え、日韓関係の未来志向を妨げてるということだ。あるいはそれは誤った見方であり、国民がそうした報道を求めるが故、韓国メディアもそうした報道をせざるを得ないのかもしれない。その辺りは、正直僕には判断がつかない。いずれにせよ、反日というものがDNAに組み込まれている人たちの中での話なのでどうでもいいのかもしれない。

しかしながら、とても一流とは言えない日本のメディアでさえ、極端に日本の利益を重視し他国を批判するような報道を行うことは極めて稀であり、ある程度の抑制を利かせていることを考えるとなお、韓国メディアのレベルの低さが目につくわけだ。

崇高な理念を持つべきメディアといえども愛国的になるのは当然と言えば当然の話だ。読者は基本的には自国人なのだから。そう考えると、自虐史観に基づいて他国を利する報道を続けてきた朝日新聞などの左翼メディアは、世界的に見ても異例中の異例であると言える。常識的に考えれば、当該メディアは余程他国から利益を得ていたと推察される。でなければ、あれほどの自虐的報道を何十年も続けることはできないと考えるのが自然だろう。現在進行形で続けているので、賢明なる日本国民の皆さんは、朝日新聞は絶対に信用しないでいただきたい。

くだらないメディアの影響を受ける一つの理由は、日本ではメディア・リテラシー教育がほとんどなされていない。つまり、大手メディアで報道されたことはほとんど事実、あるいは真実であると思い込んでしまう可能性が高いということだ。ここで強調したいことは、メディアもそれぞれの利益によって報道しているわけで、それが決して究極の真実ではないということだ。間違いなく韓国でも同じような状況であろう。

上述のジャーナリズムの理想としての客観報道の理念とは矛盾するが、完全な客観報道というものが存在し得ないことも事実である。報道のプロセスにおいては、まず何をニュースにするか、それをどういう角度から取り上げるか、どの程度の大きさで扱うかなど、必ず主観的判断が存在する。よって、読者・視聴者はそれを前提としてニュースを見る必要がある。メディアの主張を安易に受け入れず、例え多数派とは違っていても、自分が感じたことが自分の意見なのだと自信を持っていい。

差し出がましいことだが、韓国人の皆さんにも、メディアの報道を鵜呑みにせず、自らの探究心によって日本に対しての考え方を形成していただきたいと思う。その結果、日本はやはり憎むべき対象であると思うにせよ、あるいはそうではなく信頼関係を築ける相手であると思うにせよ、それは個々人の自由であるし、その思想が当該個人の知力の結晶の一部であるのだろうと考える。ただ、日本のメディアよりもはるかに後進的なメディアに囲まれているので、それはなかなかに困難なことであるとは思うが。

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2012年10月 9日 (火)

従軍慰安婦「問題」

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時事ドットコムの報道によると、NYCのタイムズスクエアに、旧西ドイツのブラント首相がナチス・ドイツのユダヤ人虐殺に対しひざまずいて謝罪する写真を背景に、「この行為が欧州における和解を促した」と説明し、「日本兵のために性奴隷として働くことを強いられた韓国女性は今も日本による心からの謝罪を待っている」という看板広告が掲出された。

池田信夫氏が述べている通り、従軍慰安婦に関しては、日本軍による強制連行の事実もなければ、ましてや米国議会においてそうした「冤罪」に関して日本が非難されるいわれもない。それでもそうしたことが起こっているのは、やはり「河野談話」による影響だと考えざるを得ない。

河野談話の問題点は、日本政府が行った調査結果では慰安婦の強制連行を示す証拠はひとつとして見つからなかったにも関わらず、(恐らくは韓国の立場を慮って)「総じて本人たちの意思に反して行われた」「募集・移送・管理等の過程全体としてみれば甘言・強圧という方法により強制があった」という趣旨の発言を行なったという点である。つまり何ら犯罪の証拠がなく、その事実がないにも関わらず、「私は犯罪者と言われてもしようがありません」という主旨の発言をした意味不明さにある。

日本が戦略的なミスを犯したことは間違いない。それによって、世界から、日本は朝鮮人を性奴隷として扱ったと誤解されている。よって、ここから日本による広報活動を世界に発信していくにしても、マイナスからのスタートであることは論を俟たない。しかも、タイムズスクエアに大広告を出された後となっては、一定の知識レベルのアメリカ人以外は、韓国のプロパガンダに影響されているという前提で戦略を組み立てなくはならない。

こんな負担を日本人に負わせた宏池会の馬鹿政治家集団には本当に腹が立つが、現実を冷静に分析し、やれるべきことを地道に行っていくしかない。大胆な提案をするならば、タイムズスクエアの韓国の広告の近くに、「You Know How Koreans Are! Beliebe or Not, It's Up To You!!」くらいの広告を出してやればいいと思う。敢えて言わせてもらうが、世界の誰も韓国or韓国人なんて好きじゃないんだから。

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韓国とどう向き合うか

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李明博大統領の竹島上陸、天皇陛下に対しての暴言以降、日韓関係は改善の兆しは見えない。僕自身、竹島が日本の領土であることは明白であると確信しているし、第三者であるアメリカがラスク書簡において、「竹島については、1905年以降島根県の管轄下にあり、韓国からの領土権の主張は過去になされていない」と述べていることからみても、韓国による一方的な不法占拠であることは明白である。

ここでは、まず韓国人と日本人について考えてみたい。留学して韓国人と接した日本人の印象は真っ二つに分かれる。まずは僕の経験を述べさせてもらうと、少なくとも僕が在籍していた大学院においては、韓国人は他のアジア諸国からの留学生から嫌われていた。日本での報道では、よく日本人は海外に留学しても日本人同士でつるんでいるなどと伝えられるが、韓国人の「つるみ方」は半端じゃない。

いつも韓国人同士でしか行動しないし、全くフレンドリーではない。他国からアメリカに留学していた友達の何人かが、彼らは攻撃的、あるいは暴力的で男尊女卑のカルチャーであると指摘していた。僕自身は特に仲良くしていて、今も友達である韓国人は二人いる。一人はアメリカ生活が長く、すごく明るくフレンドリーで、誰からも好かれる女性。もう一人は専攻が一緒だったので、グループでよく遊びに出かけたが、あまりフレンドリーではなく、台湾人の友人は、「私は彼女は嫌い」と僕によく話していた。彼女が典型的な韓国人だとは言えないと思うが、「空気を読む」ということが苦手であるように思えた。総体的に言えば、韓国人留学生は好かれていたとは言い難いというのが正直な印象だ。

一方、別の大学院に留学していた日本人の友人は、「韓国人が一番日本人に近い」と断言していた。考え方も行動様式も日本人によく似ていて、彼女にとっては韓国人が一番心許せる仲間だったとのことだ。

極めて私的な話をさせてもらったが、ここから分かることは、韓国人も個々人によって色々であるということ。また、それを受け止める側もまた色々であるということだろう。つまり、日本人でも良い奴も悪い奴もいる。それは韓国人に限らず、どの国の人でも同じだということだ。現在のような日韓関係にあっても、「個々の韓国人は決して悪い人ではない」と言う人は非常に多い。

だが、国家同士の関係となると、途端に険悪になるのが日韓関係。それは両者に至らない点があるため、現在のような状況を招いているのだろう。

日本側の問題を考えると、松本徹三氏がアゴラの記事で述べている、「『韓国併合や、満州事変、日中戦争は、日本が自国の膨張主義の為に、時には謀略や恫喝も行い、隣国の主権を一方的に蹂躙した恥ずべき行為であった』という事は、日本が、最低限、国として認めなければならない事だ」という主張に一理あるように僕には思える。これは自虐史観ということではなく、歴史的事実は事実としてきちんと受け入れること。

いわゆる「謝罪」については、日本側は、日韓基本条約で全てが解決されたと考え、十分に誠意ある謝罪をしてこなかったような気がしている。歴代の首相が何度もお詫びはしてきているが、それらは体裁を整えてきただけのように思える。そう考えると、十分にタイミングを考え、緻密な戦略を練ったうえで、最後にして最大の謝罪を行うという手もあるのではないかと考える。そしてそれを根拠として、今後は相手が歴史認識だ何だと言ってきても取り合わない。そういう方法もあるのではないか。金大中氏が、「これが最後」といって謝罪させておいて、結局そうはなっていないとの批判もあろうが、相手に言われてではなく、日本側からというのポイントだ。

一方韓国側の問題は、未だに戦前・戦中の歴史をもとに、日本を憎むよう仕向けるような教育を行い、反日をDNAに植えつけ続けていること。日本を赦して、歴史を全て忘れろとは言わない。しかし、子供たちに憎しみを抱かせるような教育を行うことは倫理的に誤っている。

また、親日的な言動を許さない、それどころか前政権のように反日魔女狩り的な政策を実施するといった、およそ民主主義国家とは思えない社会であること。こうしたことが改善されない限り、韓国がいわゆる先進民主主義国家になることは不可能であり、永遠の新興国で終わるだろう。

僕は心から日本を愛しているが、日韓の問題に関して、常に日本が正しいと断言はできない(とは言え、完全に日本が悪いと思うことは少ないが)。言えるのは、それぞれがそれぞれの非を改めるよう努力をした先にしか、建設的で未来志向の日韓関係というものは存在し得ないということ。理想的に過ぎるとの批判もあろうが、理想を持たない限りそれを実現することはできないのだから。

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2012年10月 8日 (月)

「素人政治評論家」の存在意義

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僕は自称「素人政治評論家」。何の情報ソースもないし、政治関連人脈もない。ただ、自分が知り得る事実から、現在の政治、政治家、政策などについて論じている。

「プロ」の政治評論家、例えば有馬晴海氏、伊藤惇夫氏、あるいは屋山太郎氏などはディープなインサイダー情報を取れる方々たちであり、その論説は非常に興味深く、参考になる。ただ、どうしても特定政治家などとの繋がりがあるため、必ず一定のバイアスがかかったものとなる。

また、どうしても政治家サイドから物事を見ることが身に付いているため、必ずしも国民の目線を第一とした論評をしてくれないこともある。もちろんそれぞれの個性によって色々のな特長をお持ちであり、ひとつの重要な見方を示してくださることは確かだ。しかし専門家の論評のみを聞き、それが全てだと考えているようでは、どうしても情報をコントロールされてしまう。それでは、僕がよく批判する左派メディアによって日本国の方向性が捻じ曲げられてしまった歴史を繰り返すことになる。そうではなくて、素人が政治を論じ合うことによって、官僚や政治家、評論家の目には見えていないものが見えてくるのではないか。そう考えてこのブログを始めることにした。

素人は気楽そのもの。何のしがらみもなく、おかしいことはおかしいとはっきり発言できる。もちろん自身の発言に責任は持っているつもりであるし、度を越した特定個人、または組織への批判は慎むつもりだ。ただ、公人、あるいは社会的影響力の大きい組織などには、国民からの批判に耐え得る立ち居振る舞いが求められるのは当然のことだ。その点で言えば、我々は彼らのおかしな行動については積極的に批判していかなくてはならないし、逆に大きな功績については大いに称賛すればいいと考える。

よくテレビのインタビューで政権、あるいは政治家について「誰がやっても同じ」と答えている方がいる。昨今の政治状況を見ていればそう思われるのも当然だろう。でも、そうであれば、僕たち自身が「同じではない誰か」を探す努力をしてもいいのではないか。

僕のこんなブログなど何の影響力もないし、単なる自己満足だと思われても仕方がない。しかし、一人ひとりの小さな声が、やがては大きな力になっていくものなのではないか。アメリカに留学していた時、現地の人たちが、一人でも二人でもデモをして自分たちの主張をする姿を見た。そうした行動こそが民主主義の基本であると思うし、今の日本にはそういう意識が不足しているように思う。

目新しい動きとしては、毎週行われている「反原発デモ」。これについては、左翼組織が裏で仕切っているなどとの批判もあるが、日本人が長く失っていたものを呼び起こす、新しい時代への流れではないかと思う。日本人はもっと自己主張していい。それが民主主義なのだから。

読者も少ない僕のブログではありますが、異論・反論お待ちしております。一緒に21世紀の日本の民主主義を築いていきましょう!


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2012年10月 7日 (日)

田中真紀子研究 by 一新潟県人

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昭和の政治家の一人に、田中角栄という毀誉褒貶が激しい政治家がいた。彼は中央工学校卒の学歴でありながら、東京帝国大学法学部卒で大蔵官僚出身の超エリート政治家、福田赳夫と宰相の座を争い、その戦いに勝ち総理・総裁の座を手にした。

彼の頭脳と行動力を称して、「コンピューター付ブルドーザー」と呼ばれたり、その出世物語を豊臣秀吉に準えて、「今太閤」とも称された。一方で、「金権政治家の権化」とも言われ、1976年にはロッキード事件によって逮捕された。

田中氏に対しての評価が様々であることは承知しているが、彼が裏日本、就中新潟県のために尽力したことは間違いなく、彼がいなければ、関越道、上越新幹線の完成は大きく遅れたであろうことは間違いない。

そのような大物政治家の娘が田中真紀子氏である。彼女は愛人がいた父に対してある種の憎しみを持っていたと言われているが、結局父と同じ政治の世界へと歩みを進めることとなる。

しかし偉大な父から受け継いだものは、せいぜいその演説の上手さくらいなものであり、それ以外のあらゆる面においては、凡百の政治家のレベルに過ぎない。その演説の上手さも、所詮、政局を面白おかしく表現する能力だったり、他者を批判するパワーぐらいでしかない。人の心を引き付け、感銘を与えることとは程遠いものである。

今回の入閣で、彼女は3度目の大臣経験となるが、これまで何の実績も残していないし、これからも残すことはないだろう。それは、彼女が政治家である前に一人の人間として人格に問題があることによる。何かを徹底的に破壊することはできるかもしれないが、自分がイニシアティブを取り、チームワークによって何かを成し遂げることなど決してできない。僕が何故そのような主張をするのかについては、このWikipediaのページを見ていただければ自明なので、詳細は割愛させていただく。

僕がとりわけ彼女を許せないのは、上述のWikiにも記載されているが、拉致被害者に対しての発言。国家的犯罪である北朝鮮の日本人拉致に、自分の地元の新潟県人が巻き込まれているにもかかわらず、「拉致家族の子供は北朝鮮で生まれたから本来なら北朝鮮に返すべきじゃないですか? その辺のところを蓮池何とかさんはよく考えてください」と発言。また、「(帰国した5人の拉致被害者の)家族の国籍は国際法上は北朝鮮籍。外務省も知っているはず。(日本帰国は)難しいとはっきり言うべき」などと頓珍漢な発言をする始末。

彼女が言う、拉致被害者の「国際法上」の国籍云々以前に、北朝鮮による日本人拉致は、国家的国際犯罪なのだが…。まさに「盗人に追い銭」。その表現がしっくりくる、この馬鹿政治家の発言である。

最後に、彼女を支持するおかしな人が日本にいることが不可解、というよりは恐ろしい。僕の主観で言わせてもらえれば、そのような人たちは、政治という男社会の中で必死に闘っている田中真紀子は素晴らしいと考えるような、ちょっと残念な頭脳をお持ちの女性。日本の官界や民間企業も圧倒的な男社会であり、その中で活躍されている女性は田中真紀子の比ではないくらい苦労されている。

また、別のタイプの真紀子支持者は、田嶋陽子のような、とにかく女性がある種の権力に関わっていなければ気が済まないフェミニスト運動家(田嶋氏が真紀子氏を支持しているのかどうかは知らないし、どうでもいいが)。

とにかく田中真紀子氏は新潟の恥。選挙演説で彼女はしばしば「越後の…」と発言するが、東京生まれ東京育ちの彼女に「越後」の何が分かるのか。書類上はともかく実質的には彼女は新潟県人ではないので、真の新潟県人である僕としてはそこはご理解いただきたい。



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2012年10月 6日 (土)

維新の運命

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写真は毎日jpより


今週前半(10月1、2日)に各種メディアが行った世論調査よると、日本維新の会の勢いが失われているようだ。

読売新聞の調査によれば、政党支持率は、自民28%、民主18%といずれも前回を上回ったのに対し、維新は変わらずに2%。次期衆院比例選の投票先でも、自民36%、民主18%に対して、前回2番目だった維新は13%で3位に後退。他のメディアの調査でも同様な傾向が見られ、その勢いは衰えつつある模様だ。

「政策に現実味がない」などの批判がこうした結果となって表れていると思われるが、維新は大きな問題を抱えている。

まずは組織。橋下大阪市長が代表を兼任し、国会議員と地方議員を並列に「統治」するとしているが、それは現実的には不可能だ。事実、橋下氏と国会議員団との間での軋轢が表面化している。松浪健太衆院議員がブログで「橋下独裁にはしない」という記事を書き、松野頼久元官房副長官は「国会のことは(国会)議員団で決める」とする一方で、橋下氏は、「大きな方針、戦略は僕がきちんと出すべきだ。国会議員団の大きな方針や戦略で有権者がついてくるのであれば、自らの戦略でやればいい」と強烈に牽制。国会議員にはそれなりのプライドがあり、それを一地方の市長がコントロールするという体制は相当な困難が予想される。

このような維新の状況を見ると、内部抗争に明け暮れ何も決められなかった民主党政権にうんざりしている有権者を、一層失望させてしまう可能性がある。また、組織の在りようはともかくとして、感情的な対立となるとそれを解きほぐすのは容易ではないので、「このような政党に国政を任せられるのか」という不信感を抱かざるを得ない。

また、維新の国会議員団のそもそものクオリティも疑問だ。彼らは主に選挙目当てで維新にすり寄って来た三流政治家の類で、事実、維新主催の討論会で、田原総一郎氏と橋下氏の議論に割って入る能力もない。そんな連中を誰も民主や自民より優れているとは思わないだろう。そうであれば、維新は一体誰を首班指名するというのか。総選挙で中田前横浜市長や東国原前宮崎県知事の当選を見越して、そうした人物を想定しているのだろうか。

地方政党「大阪維新の会」が国政政党「日本維新の会」となり、その輪郭がはっきりしてくるにつれ、有権者の期待は徐々に萎んできているというのが現状だろう。

しかし、多くの皆さんもお分かりのとおり、こうした問題を吹き飛ばす最後の切り札を維新は持っている。それは橋下氏が大阪市長の職を辞し次期総選挙に出馬して、維新の首班指名候補としてその旗頭となることだ。

橋下氏の評価については稿を改めるとして、彼の突破力、発信力、そして意外な堅実さは、おそらく多くの有権者に、一度はこの国のリーダーとして国政を担ってもらいと期待させる魅力があるだろう。長い、本当に長い間閉塞感に包まれているこの日本を、橋下氏であれば変えてくれるのではないかという期待感が維新旋風の源であり、彼の登場無くして維新が有権者を最大限に引き付けることは決してできない。

橋下さん、出馬表明をお待ちしております!


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2012年10月 5日 (金)

アメリカの対中政策

Whitehouse

本日(10月5日付)YOMIURI ONLINEに、現在、尖閣問題で揉めている日中に影響を与える二つの記事が掲載されていた。ひとつは、米議会調査局が、米軍は尖閣諸島において防衛義務があるとの報告書を出したという記事。これは今までのアメリカの見解を踏襲したものであり、それ自体に目新しさはないが、この時期に米国議会が日本を援護する動きを見せたことは大きい。

もうひとつは、アメリカが西太平洋において、2隻の空母「ジョージ・ワシントン」と「ジョン・C・ステニス」を展開し、警備訓練活動を行っているというニュース。記事中でも触れられている通り、こうした米軍の行動は極めて異例であり、尖閣問題、中国初の空母の就役を牽制する意図があることは間違いない。

言わずもがなではあるが、日本は、アメリカの北東アジアにおける対中国の橋頭堡であり、その限りにおいて、日本を積極的に支援することはアメリカの国益にもかなっているわけである。ところが、低迷する世界経済の中国依存が高まっているのと同様、アメリカ経済も大きく中国に依存している。そのため、現在のアメリカは、経済関係を毀損しないようにしながらも、中国の膨張政策を抑えなければならないという難しい舵取りを迫られている。

世界各国にとって、経済が重要な要素であることは当然だが、そのために政治を犠牲にすることはあり得ない。そのような文脈で考えれば、楽観に過ぎると指摘されるかもしれないが、尖閣問題始め、中国の膨張主義に対してアメリカが安易な妥協をすることは考えられない。それ故、中国の監視艇が尖閣周辺の領海に侵入してくることはあっても、海軍力によって攻め込んでくる可能性は極めて低い。何故なら、中国とアメリカの軍事力の差は歴然としており、中国もそれを十分認識しているからだ。つまり中国はアメリカが怖いのだ。

中国が空母を就役させたといっても、所詮旧ソ連の中古であり、アメリカのそれに比べれば、ポンコツと言ってもいい代物だ。中国の軍事力がアメリカを上回ることがあれば状況は激変するが、それは少なくとも僕が生きている間に起こることはない。

中国が今のような拡大主義を進めていく限り、アメリカにとっての日本の重要性は低下することはなく、逆説的ではあるが、そうした中国の姿勢ゆえ、日本はアメリカの重要なカード足り得るわけだ。そうである以上、日本はそうした米中のつばぜり合いを利用して、中国に対しては「うちはバックにアメリカがついているんだぞ」という圧力をかけていけばいいし、アメリカに対しては、「日本が中国に侵略されたら、アメリカのアジアでの覇権は雲散霧消してしまいますよ」ときちんとメッセージを送り続ければいいと考える。もっとも、それが上手くできないことが、現在の日本の外交の問題であるわけだが。

中国もアメリカも、そして世界の全ての国は自国の利益の最大化を図るため外交を行っている。仮にアメリカにとって、日本の使い道が無くなれば簡単に切り捨てられるだろう。それほど無情であり、冷徹であるのが外交というものである。それは日本人が好きな、義理人情とは無縁のものであり、利益こそが全ての世界である。それを日本の政治家や官僚がきちんと理解しているのか。この国の外交を見ていると、そんな基本的な認識すら持っていないのではないのかと思わざるを得ない。


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2012年10月 4日 (木)

日本が自立する時 -左翼メディアとの決別‐

池田信夫氏がアゴラにおいて、安倍晋三氏と朝日新聞の関係について議論している。氏の主張には必ずしも常に賛同するわけではないが、今回の主張には異論の余地がない。

朝日新聞は、戦前は帝国主義を称賛し、国民の戦意を高揚させた、典型的な帝国主義日本の御用新聞だった。古今東西、戦時に愛国心を煽ることによって発行部数を伸ばすのは新聞の常套手段であり、その点において営利企業である新聞社を責めることはできない。いわゆるイエロー・ジャーナリズムの類であり、新聞の発行部数等を伸ばすために、「事実報道」よりも「扇情的である事」を売り物とすることである。


しかしながら、朝日新聞の醜悪さは、そうした戦前の自らの報道姿勢を総括も、反省も、謝罪もすることなく、戦後は一転して、戦前の日本の在り方を全否定し、唯我独尊の左翼メディアとなって恥じることのない厚顔無恥さである。

上述の池田氏の論文のなかで引用されている、朝日の安倍氏批判の社説に、「前回の首相在任中を思い出してほしい。5年前、慰安婦に対する強制性を否定した安倍氏の発言は、米下院や欧州議会による日本政府への謝罪要求決議につながった。靖国参拝をふくめ、『歴史』に真正面から向き合わず、戦前の反省がない」という箇所がある。これはもう、「盗人猛々しい」としか言いようがない。

というのも、池田氏が慰安婦問題についてを述べた
記事 に記されている通り、従軍慰安婦の強制連行は全く証拠も、第三者の証言もない「代物」であり、朝日新聞による明らかな捏造報道なのである。それについての釈明もないまま、今また安倍氏を批判する資格など朝日新聞にはない。

数十年前は、朝日新聞など左翼メディアの自虐史観に基づいた偏向報道、及び左翼日教組による同様の教育によって、日本国民は相当左側に位置「させられて」おり、愛国心を持つことがあたかも軍国主義へ向かう萌芽と言わんばかりのポジショニングであった。しかし時代は変わり、そういう連中の怪しさを日本人が認識できるようになり、戦前の日本軍が犯した事柄によって、日本の歴史、あるいは愛国心が全否定されるものではないと理解される時代になってきた。

そんなものは当たり前の話だ。愛国心と言うのは、自分の家族、地域社会、そして祖国を愛する気持ちであり、そのような気持ちを持つことが軍国主義につながる、などという意味不明なレトリックはもう通用しない。

多くの日本人が、馬鹿な左翼メディアの影響力を排除し、愛国心を持つことはこの国に生まれたものとして当然だと認識しつつある、あるいは既に認識している今この時は、ようやく長年日本人を自虐史観によって押さえつけてきた左翼メディアとの決別の時であり、日本人が自立すべき時であると信じる。


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2012年10月 2日 (火)

最後の内閣

野田内閣が、3度目の内閣改造を行った。その面子を見ると虚しさが込み上げてくるのみだ。政権交代が成し遂げられた時、ナイーブだった僕は、「民主党政権はきっと自民とは違う、適材適所の組閣をしてくれる」と期待していた。ところが、鳩山、菅、野田と続いた民主党政権の中で、一度もそのような組閣がなされることはなかった。結局、論功行賞、党内バランス、適齢期政治家の入閣、そのような自民党と全く変わらない論理で内閣が構成された。

今回の内閣改造も同様であり、「この分野はこの人」と言えるようなスペシャリストの起用はほぼ皆無と言っていい。特に、長く拉致問題に取り組んできて、前回の内閣改造で担当大臣に起用された松原仁氏が閣外に去ったことは、まさに国政よりも党内の論理で大臣が割り振られていることの象徴と言えるだろう。さらに、「原発問題に集中する」として代表選挙への立候補を断念した細野氏が閣外へ去ったことも同様である。

加えて、田中真紀子氏の入閣。これはもう、野田首相が何を考えているのか全く分からない人事だ。田中氏が大臣の器ではなく、省庁を統治する能力がないことは、小泉政権下で外相を務めた時代に証明済みだろう。鈴木宗男氏が指摘した通り、彼女にとって人間は、「家族、使用人、敵」の三種類しかいない。そんな人間を再度入閣させる野田氏の決断は、「殿ご乱心」としか思えない。官僚嫌いの僕ですら、文科省の皆さんを気の毒に思わずにはいられない。

歴代民主党内閣を見ると、いくつかの傾向が見られる。まず、決定的に人材が不足しているということ。常に、野田、岡田、玄葉、枝野、前原氏が内閣の中心となり、加えてその他大勢で構成されている。毎回同じような人たちが、党内と閣内を行き来している。民放の政治部デスクが今回の内閣を「リサイクル内閣」と称していたが、言い得て妙だろう。

次に、マニフェストを達成するための布陣を敷く気が全くないということ。これは上述の人材不足から来ているとも言えるのだが、最初の鳩山内閣の顔ぶれから見ても、全くやる気なし。政権を取ったら結局は自民党と同じように、政策を成し遂げることではなく、政権を維持することが目的となってしまった。政権を担当することはあくまで政策を成し遂げるという目的を達成する手段であるべきなのに、そこが忘れ去られてしまい、最後までそれを認識することはなかった。

最後に、これは個別具体的なことになるが、法務大臣に千葉景子、江田五月など左翼を多く起用したということ。刑法に死刑があり、その執行権が法務大臣にある以上、死刑執行は大臣の職責であり、個人的な信条でそれを滞らせることは大臣として許されないことであり、それが嫌であれば大臣になるべきではない。左翼つながりで言えば、岡崎トミ子を国家公安委員会委員長に起用したことも、ブラックジョークとしか思えない人事だった。

色々あった民主党政権ではあったが、これが最期の内閣になることは間違いないだろう。個人的な見解を述べさせてもらえれば、日本国にとってプラスになることは何一つ成し遂げなかった。特に外交においては、普天間基地に関して「最低でも県外」という実現不可能な公約によって日米関係をボロボロにし、そこに付け込んだ中国による、尖閣諸島中国漁船衝突事件に対しての腰の引けた対応で、中国に誤ったメッセージを送ってしまった。

遅くとも来年初頭には民主党は政権の座を去ると思われる。自民党の一党支配に終止符を打つべく、前回選挙で民主党に投票した有権者にとっては、これまでの民主党政権の体たらくは大きなトラウマとなったことだろう。次期総選挙において、政権がまた自民党に戻るのか、それとも予想外の維新の躍進によってまた新たな展開が生まれるのか。それは現時点では予測できない。しかし、民主党が駄目だったからと言って、政権交代自体を否定するのは理性的な判断とは言えない。今回の政権交代によって分かったことは民主党はどうにもならないということであって、それ故自民党が良いということにはならない。

次の政権の枠組みがどうなるにせよ、国会議員は私利私欲のために政治を行っている余裕はないということは間違いない。財政的にも、外交的にも、そして内政的にも、日本はもう一刻の猶予も許されないところまで追いつめられている。次期総選挙は、日本の歴史上、最も重要な選挙のひとつになるだろう。正直なところ、民主はダメ、自民に戻ることもあり得ない、かと言って維新では不安が大きすぎる。それが、有権者の現在の心境ではないだろうか。困難な選択にはなるが、貴重な一票の行使を怠ってはならない。日本の未来を切り開くのは、やはり有権者なのだから。

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