2013年8月 9日 (金)

河野談話から20年 石原元官房副長官発言 ‐宮澤・河野の尻拭いをさせられる日本人・日系人‐

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(グレンデール市内に設置された慰安婦像 msn産経ニュースより)


従軍慰安婦「問題」における諸悪の根源、河野談話が発表されてから20年を迎えた8月4日、地元の県紙・新潟日報に当時官房副長官だった石原信雄氏のインタビューが掲載された。ネットで検索したところ、全く同じ内容が同日付西日本新聞にも掲載されているので、これは共同通信の配信によるものだと断定できる。

以下、その内容を記す。


-政府として、どのような調査をしたのか。

「国の各機関のほか、地方公共団体の公文書、米国の公文書館の文書も調べた。輸送協力や衛生管理など、慰安婦の存在を前提としたいろいろな文書が出てきたが、強制性を直接裏付ける資料は見つからなかった」

-にもかかわらず、強制を認めた理由は。

「最終的に、宮沢喜一首相や河野官房長官の判断で、慰安婦とされた人たち本人の話を聞いた。業者による募集の過程で、朝鮮総督府の警察官が間に入って応募を強制したり、普通の労働者として軍需工場に勤務させるとだましたりしたケースがあった。総じて、本人の意に反する形で慰安婦にされた人がいることは否定できない、という判断になった」

-河野談話には、さまざまな批判があり、見直しを求める声もある。

「資料によらず当事者の話を基に認定した手法が間違いだとの批判は当時からある。この問題は日本政府側から見るか、慰安婦側から見るかで様相が異なる。河野談話のポイントは慰安婦の側から見たという点だ。彼女たちからすれば、明らかに意に反する形で慰安婦にされた人がいるということ。未来志向の日韓関係を築くため、韓国側も納得する形で決着させたいとの気持ちもあった」

「せっかく誠心誠意謝罪したのに、それが間違いだったという議論になると、収まった話がまた蒸し返される。当時の韓国政府も、河野談話で一応の区切りを付けたという認識だった。宮沢内閣で苦労して結論を出したことを、単純に否定しても前には進まない」

-元慰安婦に償い金を支給した「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)の評価は。

「賠償については日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決され、取り上げる余地がないので、国民の協力をいただき、善意の見舞金を差し上げようとした。首相のおわびの手紙も届けた。フィリピンやオランダなどでは役割を果たしたが、いちばん念頭にあった韓国では受け取り拒否があり、不完全な形で終わった。非常に残念だ」

-安倍晋三首相の対応をどう見るか。

「首相になってから、この問題を慎重に扱っておられる。首相は国益を背負っており、自分の歴史観や政治信条そのままでいくわけではない」


こうした石原氏が語る当時の事実は、本ブログの記事「「河野談話」を乗り越えて 従軍慰安婦「問題」の根本的解決に向けて Part 2 ‐「捏造」朝日と「反日」宏池会‐」で既に指摘したことであり、特に目新しい事実はない。

改めて事実を明確にさせていただくと、当時最大限の努力を尽くし、「慰安婦の側から見」て従軍慰安婦の存在を証明すべく日本政府が総力を挙げて調査したものの、結局、「強制性を直接裏付ける資料は見つからなかった」ということだ。

にも拘らず、「宮澤喜一首相や河野官房長官の判断で」、「強制連行」という存在しない事実を韓国の国益に沿って認めた。それが歴史的事実だ。

政府がなすべきであったことは、日本側の調査では「強制連行」が存在したということは確認できなかった、と韓国に伝えることだけだった。ところが当時の、そしてそれに続いた無能な内閣は、アジア女性基金などという訳の分からないものを設立し、あたかも日本に後ろ暗いところがあるかのような対応をした。

そのような行為が、どれほど国際的に日本の将来に悪影響を及ぼすかを考えることなく、その場しのぎで韓国の要求に唯々諾々と従った、宮澤喜一首相、河野洋平官房長官を始めとするバカな政治家の行動は全くもって理解不能だ。

そうした連中に加え、河野談話発表当時、事務方のトップ官房副長官だった石原氏がいまだに、「せっかく誠心誠意謝罪したのに、それが間違いだったという議論になると、収まった話がまた蒸し返される」という愚かな発言をするとは、保身だとしか考えられない。

同氏が言うように、従軍慰安婦「問題」が「収まった話」なのであれば、百歩譲ってその主張も多少は理解できる。それでも、事実に基づかない謝罪を主権国家が行うことは十分異常ではあるが。

ところが河野談話発表以降も、韓国は何度でもそれを蒸し返し、全く区切りなどついていない。そうした状況にも関わらず、「(河野談話を)単純に否定しても前には進まない」と石原氏は述べるが、そもそも同談話によって事態が「前に進まない」というのが事実だろう。

というのも、当時、韓国の主張は根拠なしと明確に否定しておけば、その後の韓国による不当な主張に対して、「証拠を明確にせよ」と反論することもできた。もっとも、韓国は百年一日の如く、慰安婦(だったとされる人々)による証言が何よりの証拠だとの主張を続けているので話にならないが。

また石原氏はアジア女性基金について、「いちばん念頭にあった韓国では受け取り拒否があり、不完全な形で終わった。非常に残念だ」としているが、事前に韓国側とすり合わせも行わずそのような基金を設立したのだろうか。もしそうだとすれば「無能」の誹りを免れない。そうではなくて、一度は合意したにも関わらず、韓国側が受け取り拒否に転じたのだとすれば、その点を明確にすればよい。何かそうはできない理由があるのか。

いずれにせよ上記インタビューにおける石原氏の主張は、自身、そして宮澤内閣の愚策を正当化しようとするばかりか、安倍首相の行動をも縛ろうとしている。盗人猛々しいと言おうか何と言おうか。その無責任さは、国益を害しても何ら恥じることのない、「悪官僚」による典型的な責任回避だ。

韓国に関する考え方として本ブログでは度々述べているが、ゆすり屋に一度金を渡せば、次は金を渡したことをもってまたゆすられる。そしてそのゆすりには終わりがない。朝鮮進駐軍に代表される韓国・朝鮮人の無法さを戦後数十年で十分理解していたはずの日本政府が、何故、従軍慰安婦(だけではないが)という「因縁」を、正論によって打ち払うことができなかったのか理解できない。

そのように考えれば、宮澤喜一氏、河野洋平氏が、主観的判断に基づいて行った行為は、そしてそれをサポートした石原氏の行動は、過去、現在、そして未来を生きる日本人に対する大罪だと断じざるを得ない。

河野談話は、欧米各国政府、及びその地方政府、そしてNY Timesなどの海外メディアが日本を批判するための「根拠」となっている。低能な政治家は、その場限りで韓国側の顔を立てれば全てが解決すると考えたのかもしれない。しかし国際社会では、一度罪を認めた以上、それが全ての基準となる。宮澤氏はサンフランシスコ講和条約にも参加した「国際派」と言われていたが、所詮自分の在任中の争いを好まない官僚であり、未来の日本を見通す能力などない三流政治家であった。

そうした誤った決断により、今や世界における従軍慰安婦「問題」は、韓国系アメリカ人を中心としたロビー活動によって、もはやコントロール不能になっている。

彼らはアメリカで、「強制連行された朝鮮人慰安婦はホロコーストと同等の人道に対する罪である」と主張。ニュージャージー州、ニューヨーク州などに「慰安婦の碑」が設置され、「日本軍は性的奴隷(Sexual Slavery)にするため20万人を超える少女を強制動員した」というような全く事実に基づかない話が広がっている。

7月30日には、カリフォルニア州グレンデール市に慰安婦記念像が設置されたが(7月31日付msn産経ニュース参照)、この件は様々な問題を顕在化させた。

8月1日付msn産経ニュースによれば、像の設置をきっかけに、当地の日系人は、「日系の子供がいじめられたとの噂を聞いた」、「日系企業の進出が妨害される」というような不安を抱いているという。

また、グレンデール市は東大阪市と姉妹都市関係にあるのだが、グレンデール市のウェブサイトには像設置の背景として、「姉妹都市が碑や記念物の設置に興味を寄せていると表明した」、「維持費は姉妹都市により賄われることを保証する」などと記述されていたという。

これに対して東大阪市は、野田市長名の抗議文を7月25日付でグレンデール市長宛てに郵送し、「このような意見表明をした事実はない」と修正を求めるとともに、「像設置は市民の心証をいたく害しており、誠に遺憾」としているという(8月2日付msn産経ニュース)。韓国は世界水泳を誘致するための文書すら偽造して恥じることのない国とはいえ(7月22日付livedoorNEWS参照)、あまりに日本は舐められている。

さらには、グレンデール市での慰安婦記念像の除幕式では、安倍首相をナチスになぞらえるような写真を掲げる韓国系と思われる人物まで現れた(以下の画像参照)。

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これを見て異常だと感じない日本人はいないだろう。戦後何十年にも亘って、日本政府及び国民は韓国による「言いがかり」に対して鷹揚過ぎた。韓国併合に対する負い目、反日勢力による活動などによってそうした態度を取らざるを得なかったのかもしれないが、それによって日本人の名誉が汚され、日系人は身の危機すら感じるような状況を招いてしまった。駄々っ子レベルの韓国側の主張に対して「大人の対応」をしてきた日本ではあるが、さすがに堪忍袋の緒が切れて当然だ。

8月2日付産経新聞社説は、「慰安婦問題で沈黙することは、韓国側の一方的な言い分を認めることになりかねない。曲解を正すため、日系人も含め官民あげ、あらゆる機会を捉えて史実に即した発信をしていくことが必要だ」と主張。

また読売新聞も8月1日付社説で、「そもそもいわゆる従軍慰安婦問題が日韓間の外交問題に浮上したのは、92年のことだ。朝日新聞が『日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた』と報じたのが発端」であり、その際「政府は徹底的に調査したが、日本軍による強制連行を裏付けるような文書は発見できなかった」と説明。

そして、韓国系アメリカ人による「米下院も欧州議会も慰安婦問題で対日批判決議をした」、「日本政府も河野談話で強制連行を認めた」との主張について、「河野談話を慰安婦強制連行の論拠にしているのは間違いない」としたうえで、「…(日本は)強制連行の有無に関しては、正確な事実関係を示し続けていくべきである。日本側は慰安婦問題での対応について、内外に丁寧に粘り強く説明していくしかない。英語による発信が特に重要だ『性奴隷』との曲解を是正するためにも、20年前の河野談話の見直しが欠かせない」とし、同談話を批判している。

毎日新聞の8月4日付社説は、河野談話肯定の立場から、「今回、米国で像が建てられたのは、日本政府が国際社会に、こうした河野談話やアジア女性基金などの説明を十分にしてこなかったという、外交発信の失敗も大きい。今からでも遅くはない。民間有識者らも巻き込んで、理解を得る取り組みを強化すべきだ。同時に韓国側にも冷静な対応を求めたい」と主張。韓国側の視点からのみ従軍慰安婦を見る毎日としては、精一杯の論評だと「評価」したい。

さて、読売などから「従軍慰安婦『問題』の元凶」と名指しされている朝日はどうか。慰安婦像設置を他紙と比べて圧倒的に少ない回数でストレートニュースとして報道したのみであるのを見ると、特に今回のグレンデール市での出来事に関心はないようだ。さすが朝日、「ブレない!」(笑)。

この問題を解決するためには、以前も本ブログの記事で主張させていただいたように、強制連行を証言した元日本軍人、朝日新聞関係者、福島瑞穂氏など慰安婦側の弁護士、そして河野洋平氏などの政治家を証人喚問して事実を解明し、それを海外に積極的に発信していくしか方法はない。それが軋轢を生むとしても、日本と日本人、さらには日系人のためにはどうしても必要なことだ。

悪い意味での関連情報として、日本の大手メディアではほとんど報道されていないが、自虐組織(あるいは在日による組織か)・日本軍「慰安婦」問題解決全国行動という団体が、従軍慰安婦だったと主張する金学順氏が初めて公の場で自身の「経験」について発表を行った8月14日を国連の記念日(言わば「従軍慰安婦記念日」)にするためのキャンペーンを行っているらしい(8月8日付聯合ニュース、及び「8月14日を国連記念日にしよう!」キャンペーンfbページ 参照)。

日本政府がどれほど危機感を持っているのか分からないが、韓国政府による「工作活動」は今この瞬間にも着実に成果を上げている。そのことを一人でも多くの日本人が認識し、政治家に働きかけていかなければ、将来的には在外日本人、あるいは日系人だけではなく、観光旅行に出かける日本人までもが、外国人からいわれなき中傷を受ける恐れがある。

宮澤・河野の尻拭いはもう勘弁してもらいたい。自ら積極的に発信しなければ、決して国際社会に理解してもらうことなどできない。「敵」は「嘘も百回つけば真実になる」と考えているような連中だ。奥ゆかしさは日本人の美徳ではあるが、もうそんなこと言っていられる状況ではない。

最後に、日本人への追い風の話をひとつ。'OINK'という英語をご存じだろうか。「ブーブーという豚の鳴き声」という意味だが、同時に'Only in Korea'、つまり韓国でしか起こることのないあり得ない出来事、あるいは豚の鳴き声レベルの韓国人によるまともではない戯言という風にも使われる。英語ができる方は'Only in Korea'で検索していただくと、英語圏の人たちによる面白い韓国描写を見ることができる。

この言葉を紹介したのは韓国人をバカにしたいからではなく(まぁ、それも少しあるが…)、韓国人による行動を異常だと感じているのは日本人だけではなく、欧米人も同様であることを知っていただきたかったからだ。それを踏まえれば、日本がきちんと河野談話を見直し、その結果を世界に発信していけば必ず国際社会から理解は得られる。これまでの、この問題における日本に対するマイナス評価があまりに大き過ぎるので時間はかかるだろうが。

最初は激しい批判に晒されることも予想されるが、戦略的、かつ(日本人の長所である)誠意ある対応をしていけば必ず道は拓ける。日本人が考えている以上に、日本と日本人は世界で尊敬されている。安倍内閣こそ、日本と日本人が戦後背負ってきた(あるいは反日勢力によって背負わされてきた)重荷から解放してくれる希望であると信じている。


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2013年8月 4日 (日)

「麻生発言狂騒曲」が教えたこと ‐反日:朝毎 親日:産経 間抜け:読売‐

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(画像はmsn産経ニュースより)


先週大きく報道された麻生副総理による発言。以下、一連の動きを検証してみるので、少し長くなるがお付き合いいただければありがたい。

同氏は7月29日、都内で開かれた講演会で憲法改正について、「狂騒、狂乱の中で決めてほしくない。落ち着いた世論の上に成し遂げるべきものだ」と述べた。その上で、ドイツでかつて、最も民主的と言われたワイマール憲法下でヒトラー政権が誕生したことを挙げ、「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。(国民が)騒がないで、納得して変わっている。喧騒の中で決めないでほしい」と語った(7月30日付読売新聞参照)。

メディアなどの批判を受け、麻生副総理は8月1日、ナチスの権力掌握に言及しつつ憲法改正を論じたことに対し、文書で「憲法改正については、落ち着いて議論することが極めて重要であると考えている。誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい」と表明し、発言の一部を撤回した(8月1日付読売新聞参照)。

こうした一連の動きは、テレビ各局、産経新聞を除く全国紙等によって批判的に報じられた。麻生副総理の発言は、みんなの党党首・渡辺喜美氏に言わせれば「ナチス賛美」だそうだが(8月2日付朝日新聞参照)、本当にそうだろうか?まずは以下、少し長くなるが、同氏の発言詳細を記す(8月1日付朝日新聞参照)。


「僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。

そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持であったり、そうしたものが最終的に決めていく

私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。

この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。

しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。

そのときに喧々諤々、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。

ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない

靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。

何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。

僕は4月18日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。

昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね

わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪のなかで決めてほしくない」。


「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」という所だけを読むと、確かにナチスのやり方を見習え、と言っているように思える。

しかし全文を読めば、麻生副総理による発言の主眼は、「騒ぎ立てて感情的に憲法改正を議論すべきではなく、冷静にみんなで問題点を議論しよう」ということだと考えられる。この点については後で議論したい。

ここで各メディアによる今回の報道について振り返ってみたい。テレビ各局は、副総理がナチスについて言及した部分についてのみフォーカスし、総じて麻生発言を批判的に報道したように見受けられた。

特にテレ朝の『報道ステーション』、TBSの『サンデーモーニング』は相変わらず反日全開で、麻生叩きに精を出していた。

全国紙各紙は相変わらずの構図だったが、不謹慎な言い方をすれば、少し「面白い」展開があった。

まず毎日。毎日jp上で「麻生 ナチス」というキーワードで検索していただければよく分かるが、野党、識者、海外の人権団体など(毎日にとって都合のいい主張をする連中)総動員で麻生発言を批判するとともに、政権のダメージの大きさを強調。まぁ、同紙にとっては「通常運転」だと言えよう。

8月2日付社説では、「麻生氏ナチス発言 撤回で済まない重大さ」というタイトルで、「何度読み返しても驚くべき発言である。もちろん麻生太郎副総理兼財務相が憲法改正に関連してナチス政権を引き合いに『あの手口、学んだらどうかね』と語った問題だ。麻生氏は1日、ナチスを例示した点を撤回したが、『真意と異なり誤解を招いた』との釈明は無理があり、まるで説得力がない」と麻生副総理を批判。

「麻生氏はそんな『誰も気づかぬうちに変わった手口』を参考にせよと言っているのだ。そうとしか受け止めようがなく、国際的な常識を著しく欠いた発言というほかない。麻生氏は『喧騒にまぎれて十分な国民的議論のないまま進んでしまったあしき例として挙げた』」と弁明しているが、だとすれば言葉を伝える能力自体に疑問を抱く」と断じる。

8月3日付社説では、野党に対して、「麻生氏のナチスをめぐる発言については、国際的な疑念を払拭するためにも国会で質疑の場を設けてしかるべきだ」とけしかけている。

毎日の主張通り、問題とされている部分のみを読めば、国際常識が欠如した発言という結論に至るだろう。しかし上に記したとおり、全文を読めば同氏の主張が静かに憲法改正を議論しようという点にあることは明らかだと思うのだが。毎日には批判の対象になる部分しか見えていないようだ。

朝日はまさに「祭り」状態で、反麻生の一大キャンペーンを展開している。

8月1日付『天声人語』で、「ぎょっとした。麻生副総理が7月29日、ある会で改憲に触れて、こう述べたという。『気づいたら、ワイマール憲法がナチス憲法変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうか』」とした上で、同氏の発言の概要を示しつつ、「氏は『民主主義を否定するつもりはまったくない』と続けた。としても、憲法はいつの間にか変わっているくらいがいいという見解にうなずくことは到底できない」、「巨大な罪を犯した権力集団を、ここで引き合いに出す発想が理解できない。熱狂の中での改憲は危うい、冷静で落ち着いた論議をすべきだという考えなら、わかる。なぜこれほど不穏当な表現を、あえてしなければならないのか。言葉の軽さに驚く」と批判。

「麻生氏の発言―立憲主義への無理解だ」と題した8月2日付社説では同発言について、「普通に聞けば、ナチスの手法に学ぶべきだと言っているとしか受け止められない」、「いずれにせよ、だれも気づかないうちに憲法が変えられることなど、絶対にあってはならない。ましてやヒトラーを引き合いに出し、その手法を是と思わせるような麻生氏の発言は、撤回ですむものではない」と批判を繰り返す。

念の入ったことに、朝日新聞デジタルは「麻生副総理の発言」というページまで設けて「問題」の最大化を図ろうとしている。

麻生発言を自らの報道で十分に煽った上で米中韓などへ「ご注進」に及び、その反応を報道することにより、不必要に炎上させる。靖国参拝、歴史教科書、そして従軍慰安婦などでこれまで行ってきた「悪行」を迷うことなく繰り返す。その筋金入りの反日には、恐れ入る。

こうした朝毎に対し、産経は正反対の主張を展開している。

同紙は8月3日付社説で、麻生発言を「お粗末な失言であり、撤回したのは当然である」、「発言は日本のイメージや国益を損なった。麻生氏は重職にあることを自覚し猛省してほしい」と批判。その一方で、「発言の全文を読めば、麻生氏にナチスを正当化する意図がないことは明らかだ」、「麻生発言を捉え、憲法改正は反民主主義的といった曲解もなされている」と、朝毎とは全く異なる解釈をした上で、そうした曲解を行うメディアを暗に批判。

同日付『産経抄』では、上述朝日による天声人語での「ぎょっとした」という言葉を揶揄して、「久々にぎょっとした。朝日新聞など一部メディアが繰り広げている『麻生太郎副総理ナチス発言』祭りに、である。きのうの朝日新聞を見ると、1、2面と政治、社会面、それに社説まで動員しての大騒ぎである」と朝毎などを明確に非難。

「確かに字面だけをみれば、あたかもナチスの手法を称揚しているようにみえる」、「首相経験者であり、しかも政権の柱である副総理として軽率極まりない」としつつも、以下のように副総理の主張を擁護する。

「彼の肩を持つ義理はないのだが、前後の発言を詳しく点検し、当日会場にいた記者や傍聴者の話を聞くと、だいぶ様子が違う。討論者の一人として参加した麻生氏は『(憲法改正は)喧噪(けんそう)の中で決めないでほしい』と改正積極派が多い聴衆に向かって何度も繰り返している。『ナチス発言』も彼特有の皮肉な口調で語られ、場内に笑いも起きたという。ある傍聴者は、『ナチスをたたえているようにはとても聞こえなかった』と話す」。

そして、「朝日新聞などが、シンポジウム翌日に一行も報じていないのが何よりの証拠である。野党は召集された臨時国会で追及する構えだが、麻生氏はすでに発言を撤回している。麻生発言を奇貨として『改憲派=ナチス支持者』の印象操作をしようとしているのは誰か?ナチスが得意だったプロパガンダ(宣伝戦)に乗せられてはならない」と続け、反日メディアの意図を明確に批判している。

今回の経緯を一通り理解している「普通の日本人」にとっては、こうした産経による主張が最もしっくり来るのではないだろうか。

最後に読売だが、今回最も「間抜け」だったのがこの新聞だ。

8月2日付J-CASTニュースによれば、30日の時点で毎日を除く主要各紙(ウェブ版含む)がそろって麻生発言を報じたものの、朝日、産経では「ナチス」の部分は問題視しなかったのか、記事では一切触れていなかった。一方読売と共同通信は「ナチス発言」を大きく取り上げ、「ナチスの手口学んだら…憲法改正で麻生氏講演」(読売新聞ウェブ版、30日配信)などと報じ、騒動の引き金を引いた。その後、各社はこれを後追いする形で発言を報道、海外メディアも巻き込んでの「総攻撃」を浴びる羽目になった。特にユダヤ人人権団体などが批判を始めると、各紙は大々的に「麻生叩き」に出た。

ところが、騒動が広がった31日深夜ごろ、いち早く発言を報じた読売の上記記事の見出しが「改憲『狂騒、狂乱の中で決めるな』…麻生副総理」と訂正された(以下の画像参照)。


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(上:当初の記事 下:訂正後)


この点についてJ-CASTニュースが読売新聞グループ本社広報部に取材したところ、「個別の記事に関する取材活動や編集についてのご質問には、従来お答えしていません」との回答だったという。

ネットなどの情報を総合的に判断すると、読売は当初、おそらくは共同の配信に引っ張られて「ナチス」を強調した見出しを付けた。ところがその後、現場の記者から状況を聞き、麻生発言の全文を読んだところ、産経の主張と同様、麻生副総理の真意は憲法改正を「狂騒、狂乱の中で決めるな」という点にあることが分かり、慌てて見出しを訂正したのだろう。

そうでありながら、同紙は8月3日付社説において、「麻生財務相発言 ナチスにどう改憲を学ぶのか」というタイトルで、朝毎ほどではないにせよ、ほぼ同様の主張を展開している。察するに、読売内部にも反日勢力が存在するのであろうが、そうした連中の言い分を社の主張とするのであれば、見出しを訂正する必要などなかった。中途半端この上ない同紙の動きは、「間抜け」としか表現しようがない。もはや読売は、朝毎などの反日勢力と同様の存在であると見做すべきだろう。

今回の麻生発言に関して、ネット上でも様々な議論が展開された。朝毎の主張を盲信し、相も変らぬ反日思想に基づき麻生批判、安倍内閣批判を行う勢力。一方で、「全文を読めば麻生氏が喧噪のなかで憲法改正をすべきではない、と主張していることは明らか。同氏の発言はナチスを反面教師としろというものだ」と主張する保守勢力。

個人的には上述の通り、麻生副総理の発言の主旨は「騒ぎ立てて感情的に憲法改正を議論すべきではなく、冷静にみんなで問題点を議論しよう」ということに尽きると考える。社説を読む限り、朝日・毎日・読売には理解できないようだが、普通の国語能力を持つ日本人が全文を読めばそれは明らかだ。

加えて、副総理はナチスのやり方を「手口」と言っている。「手口」の意味は「犯罪などのやり方。また、その特徴」であって、この言葉を肯定的に使うことはまずない。その点からも、同氏がナチスの手法を批判的に捉えていることは明白だ。

あの発言がどうして飛び出したのかと考えると、橋下大阪市長が指摘している通り、「ちょっと行き過ぎたブラックジョーク」(8月2日付毎日参照)だったというのが真相ではないか。報道ステーションで発言を音声で聴いたが、同発言の後、聴衆から笑い声が上がっている。そのことを、欧米人のようにジョークを好む普段の麻生副総理の発言と併せ考えると、僕としてはそのような結論に至る。

いずれにせよ、反日メディアによる、麻生氏は心からナチスの手法を学ぶべきだ考えている、との主張は全くナンセンスだ。およそ現在の、少なくとも自民党の政治家で、ナチスを肯定する者など存在し得ない。あの発言の全体を聞き、あるいは全文を読んでいながらそのように解釈する程度の言語能力しかないのであれば、記者失格だ。まぁ、連中が反日のため曲解していることは明らかだが。

ただ、麻生副総理にも反省すべき点はある。野党も反日メディアも、安倍内閣に対する攻め手がない中、今回のような自民党による誤解を招く言動を鵜の目鷹の目で探していることは容易に想像できる。そんな中で不用意な発言を行えば、必然的に今回のような結果を招く。異常ではあるが、この国には日本の利益を棄損しようとするメディアが溢れていることは事実であるため、そんな輩に付け入る隙を与えないことが、安倍長期政権を成し遂げるための重要な要素のひとつだ。

今回の発言の中で、麻生副総理は靖国参拝に関してメディア批判を行っている。「(靖国神社に)昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ」。

「問題」とされる発言の中での副総理の指摘通り、一連の麻生発言「騒動」もメディアが不必要に騒ぐことによって拡大され、いつものシナリオ通り中韓が的外れな批判を行ったことは、同氏の発言の正しさを裏付けるとともに、反日メディアなど、日本が抱える「内なる敵」を改めて炙り出す結果となったことは、何とも皮肉な展開と言うべきだろうか。

「麻生発言狂騒曲」の中で、唯一肯定的に捉えられることは、ネットが偏向報道を防いだことかもしれない。ネットが存在しなければ、これまで通り反日メディアによる、発言の一部のみを切り取り、大問題であるかのような報道がまかり通っただろう。

しかし、おそらくはネットユーザーの調査能力ゆえ、朝日も麻生発言の全文を公表せざるを得なくなり、それを見た日本人は、全体として、同発言がどのようなものであったのかという全貌を知ることができた。

このような状況にありながらも、反日メディアはその姿勢を改めるつもりがないことを、今回多くの方が理解したことだろう。そうである以上、この「騒動」を奇貨として、既存メディアがどれほど恣意的な報道を行い、世論を操作しようとしているのかを再認識し、日本人の基本として、「メディアの報道はまずは疑ってかかる」というスタンダードを確立すべきだろう。

その方向性をさらに進めることができれば、今回麻生副総理が理不尽に反日メディアに叩かれたことも、決して無駄にはならないはずだ。


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2013年7月25日 (木)

上から目線で安倍首相に「説教」 NY Times ‐相変わらず朝日新聞NY支局 世界をもっと知れ!‐

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(画像はイザ!より)


The New York Times(以下Times)は7月22日付社説で、安倍内閣が参院選で勝利したことを伝えた。しかし、その内容が相も変らず上から目線、かつ反日思想に溢れたものだったので紹介しておきたい。 

同社説は、「安倍氏は選挙結果を、ナショナリスティックな第二次世界大戦の歴史の修正、強硬な中国への主張、そして独善的な軍事行動のための憲法改正など、必要以上に右翼的な外交思想への支持だと見なすべきではない。今回の選挙は経済が論点だったのだ」、「もし安倍氏が賢明であるならば、農業分野の補助金削減、あるいは小売業や労働市場の規制緩和など、数十年も日本の成長を妨げてきた、政治的に最も難しい課題に新たに持ち得た権力を使うだろう」と主張。

そして、あくまでアメリカの利益に適うように日本の市場構造を変革せよと迫った上で、「中国との経済関係を継続したいのであれば、安倍氏は第二次世界大戦の傷口を擦るような真似を止めなくてはならない。それは、問題の元凶である戦犯が祀られた靖国神社を参拝しないことであり、軍備増強のために予算を使わないことである」としている。

これを読む限り、人民日報の記事と見紛うばかりであることを、良識ある日本人であれば理解していただけるだろう。まぁ、よくもこれほど手前勝手かつ日本の利益を害するための論説を書けるものだ。これを書いた人物は、相当中韓ロビーの影響を受けていると断じざるを得ない。

前回の記事で書いたように、今回の選挙は「日本人対反日勢力の戦い」だったのだ。もちろん経済も主要テーマのひとつではあったが、それのみが論点であったかのような主張は、日本の事情を知らないアメリカ人をミスリードするものだ。

講釈師見てきたような嘘をつき」という言葉があるが、このTimesの社説はまさにその類だろう。意図的に安倍内閣の手足を縛ろうとしているのか、あるいは無知によるものなのか定かではないが、これまでの同紙の日本に関する報道を振り返れば、8割方悪意によるものだと考えるべきだろう。

本ブログでは、これまで何度かTimesの超反日的スタンスを紹介してきた。以下、以前書いた同紙の問題点を列挙する(詳細は記事下「関連記事」参照)。


・Timesは日本においては朝日新聞と提携しており、東京支局を朝日新聞東京本社ビル内に設けていて、朝日に「洗脳」されていると思われる。

・米NSCの元上級アジア部長マイケル・グリーン(Michael Green)氏は同紙について、「安倍氏を危険な右翼だと憎む朝日新聞や一部毎日新聞の見立てを輸入したものだ」と指摘。また以前Newsweekは、「Timesが日本関連の記事を書くときは、いつも好意的に書かないのに決まっている」と論評している。

・東大名誉教授・上野千鶴子氏からも、「米国が捏造する日本」、「米国だけが世界だなんて狭すぎる」と厳しく批判されている。


そして僕自身の見解として、「朝日というプリズムを通してしか日本を見ることができないTimesの記事など、少なくとも日本に関しては全く読むに値しない。それを『裸の王様・Times』は全く理解していないし、これからも理解することはないだろう」とコメントしていたのだが、予想通り同紙の反日姿勢は一切変わっていない。

同紙23日付OP-EDの、ダートマス大学准教授・Jennifer Lind氏による寄稿も相当酷い。

同氏曰く、「もし安倍首相が日本の近隣諸国を攻撃するような方向に踏み込めば、有権者から激しい反発を浴びる」のだそうだ。また、安倍首相が8月4日に20年を迎える河野談話をどのように扱うのか、終戦記念日に戦犯が祀られた靖国神社を参拝するのかどうか、中国や韓国がしっかり見ているとする。


そして橋下大阪市長による従軍慰安婦発言を批判し、「従軍慰安婦は騙されたり、強制連行されたりし、毎日何十人もの兵士にレイプされたことを研究者は明らかにしている。無数の従軍慰安婦が拷問され、殺された。生き残った人々はトラウマを抱え、慢性的な痛みや侮辱に苦しみ、子供も産めずにいる」と主張。

その上で、「安倍首相、あるいは他の日本のリーダーが8月に、もし戦中の残虐行為を否定したり、正当化したりすれば、日本の有権者や政治指導者は、橋下氏に対して行ったように、そうした行為の不当性を指摘するべきだ」と論じる。

まさに朝日・毎日による主張のカーボンコピーである…。

できればこういうことは言いたくないのだが、靖国神社を「戦犯が祀られて」いることによって批判しているが、ではアーリントン墓地には外国から見て「戦犯級」の人々は埋葬されていないのか。

一例を挙げれば、同墓地に埋葬されているベトナム戦争の米軍最高司令官だったクレイトン・エイブラムス(Creighton Abrams)氏。米軍がベトナムで行った「残虐行為」を考えれば、ベトナム側から見れば彼などは間違いなく人道に対する罪に問われて然るべき人物だろう。単にベトナム戦争後には、そうした罪を裁く法廷がなかっただけの話だ。

また、Lind氏は「従軍慰安婦は騙され、強制連行され、レイプされ、拷問され、殺された(the comfort women were often deceived or abducted, and then raped daily by dozens of soldiers; countless numbers were tortured and killed.)」
とするが、兵士に「レイプ」されたことは記述されているが、それ以外の行為は「誰に」よってなされたのかを一切明確にしていない。

この論説のタイトルは'The Limits on Nationalism in Japan'(日本のナショナリズムの限界)なのだが、その中身を見れば、同氏の日本研究の「限界」を痛感せざるを得ない。Lind氏について掘り下げるとまだまだ書きたいことは山ほどあるのだが、いつものように長文になってしまうので、今回はこのくらいにしておきたい。一つだけ、同氏は相当中韓ロビーから「研究費」を調達しているのだろう、という推測を加えておく。

OP-EDは、Timesからは独立したコラムニストによる論説なので、内容は必ずしも同紙の考えを反映したものとは限らない。ただ問題は、同紙はこうした反日の論説は頻繁に掲載するものの、それらと対立する、つまり親日的な主張を掲載することはほとんどない。そこにTimesとしての意図が窺えるわけだ。

最後に、Timesの他国に対する無知識、無神経ぶりを象徴する最近のエピソードを一つ。

テニスのアンディ・マレー(Andy Murray)選手は、今年のウィンブルドンでイギリス人としては77年ぶりの優勝を飾った。Timesはそれに関する記事を掲載し、それをツイッターでも発信した。ところが、その記事に関して批判が相次ぎ完全に炎上した(BLOGOS参照)。

Timesの見出しは「77年ぶりにマレーとイングランドが制覇(After 77 years, Murray and England Rule)」だったのだが、これが大きな問題となった。というのもマレーはイングランドではなくスコットランド出身だからだ。

少し説明させていただくと、日本語で「イギリス」と呼ばれる国は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4地域で構成されている。これらの地域は非常に独立性が高く、複雑な歴史を抱えている。よってスコットランド人にとっては、「マレーはスコットランド出身なのに、何でイングランドって書くんだよ!!」ということになってしまったわけだ。つまり、「イングランド」ではなく日本語で言う「イギリス(英語では'Britain')」と表現すれば何の問題もなかったはずだ。

日本人にとってはなかなか理解しがたいことだと思われるが、少しでもイギリスについて知識のある人間であれば、そのあたりの微妙な問題を理解しているので、Timesのような表現をすることはあり得ない。

アジアに関してであれば、欧米人は理解不足だという言い訳もできよう。しかしアメリカとイギリスは'Special Relationship'と呼ばれる堅い結びつきを誇る国同士。このタイムズの報道については「迂闊」、かつ「無神経」としかコメントのしようがない。

一番の盟友であるイギリスに対してすらこの程度の認識しか持たないTimesに、日本に関して正しい報道をしろというのは無理な話なのだろう。

話は若干逸れてしまうが、Timesのこの報道に見られる配慮の無さ、鈍感さはまさに国際社会におけるアメリカを象徴している。僕がこれまでの人生で出会った、数百人のアメリカ人以外の外国人の中で、「親米」と思える人は一人もいない。全員が例外なくアメリカに批判的だ。他者を顧みず自己中心的。それが世界(この場合の「世界」は日本のメディアが論ずるような数カ国の「世界」ではなく、本当の世界ですw)のアメリカに対する評価だということは断言できる。だからアメリカ人は嫌われる。

アメリカ人全体を批判するような話になってしまったことは申し訳ないが、それが世界の「現実」だ。そして、世界にその影響力を誇るTimesによる反日報道に比べれば、なんの力もない一人の日本人が、いわば「根拠なしに印象のみで」アメリカを批判することも、同紙にとっては受忍限度内のことだろう。

Hey, Times! It's none of your f*cking business! Shut up your f*cking mouth and never touch us!!


関連記事
安倍首相を「右翼の民族主義者」と呼ぶNew York Times ‐朝日に洗脳されたTimesに日本を論じる資格なし‐
New York Timesで「日本は尖閣を盗んだ」と主張 ‐「親中」ニコラス・クリストフの激しい「反日活動」‐


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2013年7月22日 (月)

2013参院選 反日勢力壊滅へと変わり行く日本 ‐「SNS世論」が一般世論に‐

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(今回の選挙後の参院勢力図・画像はWikipediaより)


昨日(7月21日)投開票の参院選は、自民・公明の与党が過半数を大きく上回る圧勝をみせ、2007年、前回の安倍内閣のもとで行われた参院選以降続いていたいわゆる「ねじれ」が解消された。

今回の参院選からネット選挙が解禁され、各党・候補者がSNSなどを利用した選挙戦を展開したが、ツイッターやFacebook(以下fb)上での世論が、見事なくらい選挙結果と整合しており、正直少し驚かされた。

例えば、本ブログでは前回の記事「ネット選挙でFacebook対決 ‐「党首力」の差歴然 海江田代表への「いいね!」数の惨状‐」で、安倍首相はfb上で熱い応援を受けている一方、民主党代表・海江田氏は徹底的に罵られ、「いいね!」の数も一般人レベルに過ぎず、「党首力」が決定的に違っていることを指摘させていただいた。

案の定、選挙結果も、自民党は改選数34を倍増に迫る65まで伸ばしたが、民主党は同44が17へと激減。党存亡の危機を迎えている。

またツイッター上では選挙前、そして選挙中と民主党に対する激しい批判ツイートが溢れた。象徴的だったのは、宮城選挙区で落選した岡崎トミ子氏に対する、以下のような画像つきの批判ツイートだったといえる。

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民主党政権下で国家公安委員長を務めた同氏が、かつて韓国で行われた反日デモに参加し、バツ印を付けられた日の丸の前で平然としているという「証拠写真」は、民主党政権の反日性を如実に表している。このような画像がツイッター上に溢れたことは、安倍内閣の中韓に対する毅然とした態度との対比において、民主党にとっては大きな痛手であっただろう。岡崎氏は激戦の末、みんなの党・和田政宗氏に敗れ、議席を失った。

こうした岡崎氏始め、民主党候補者や党に対するネット上での批判については、ネガティブ・キャンペーンだとし、ネット選挙の悪い側面が出たとの見方もある(7月22日付毎日新聞参照)。確かに候補者の人格を攻撃するなど、政治的論争を外れた批判を行うことはフェアではない。しかし、過去の言動、経歴などを詳らかにし、有権者の判断を仰ぐことは全く問題ない。既存メディアではそのような側面からの報道はほとんど見られなかったことを考えれば、むしろネット選挙によって投票行動を起こすに当たって、より多くの判断材料を与えられたのだと考える。

僕は党を問わず、様々な候補者のfbページやツイッターをフォローしてきた。一方で、特にツイッターでは、どちらかというと自身と考え方が近い保守的なツイートを行う方々をフォローしている。そのため、既存メディアが言うところの「ネトウヨ」の世論は、必ずしも現実の世論を反映しておらず、よって参院選の選挙結果も、我々が期待しているよりは自民党にとって厳しいものになるかもしれないと考えていた。それは、既存メディアが行った選挙直前の世論調査で、安倍内閣の支持率が低落傾向にあるという「事実」を踏まえてのものだった。

しかし実際は、そうしたメディアの「願望」通りにはならず、むしろ「ツイッター世論」を正確に反映した、自民圧勝、民主大敗という結果となった。加えて、社民党、生活の党、みどりの風など、伝統的な左翼思想を持った政党の衰退。つまりは、少なくとも今回の参院選に関して言えば、「ネトウヨ」の考え方が日本のスタンダードになりつつあるといっていいだろう。

考えてみれば、この傾向は不思議でも何でもない。これまでの既存メディア、とりわけテレビ各局、朝日新聞、毎日新聞などの報道は左に傾き過ぎていた。民主党政権を経験し、左翼が権力を握ることの恐ろしさを知った日本人が、政治の軸を左から真ん中くらいまで戻そうとするのは当然のことだろう。

今回の参院選でメディアは、脱原発、憲法改正、TPPなど、できるだけ自民党を勝たせないようなアジェンダ・セッティングを行おうと躍起になっていた。彼らにはこの選挙の本質が見えていなかった。

一方ツイッター上では、今回の参院選の本質は「日本人対反日勢力の戦い」としている人が多数見られた。僕も同様に考えていたし、投票に行った多くの有権者も、意識的か無意識かは別にして、そうした考えに基づいた投票行動を取ったと考えられる。

共産党の伸長(改選数3が当選者数8)は上述の流れと矛盾しているとの見方もあろうが、「ブレない」左翼は常に一定数存在するし、とりわけ今回のように投票率が低くなった場合、組織力のある共産党の獲得議席が相対的に増加するということは起こり得る。

付け加えれば、先の都議選、今回の参院選において、共産党の革命思想、天皇、あるいは自衛隊に対する考え方を理解せず、単純な権力批判として投票している層(おそらくは若年)が存在しているように思われる。この層は、東京選挙区で山本太郎氏を支持した層と類似していると推定される。

山本氏はテロ組織である中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)の支持を受け当選した。池田信夫氏は自身のブログで、中核派は「これまで内ゲバで革マル派や革労協などを50人以上殺してきた、日本最大のテロリスト集団である。彼らの支援する候補が国政に議席を得るというのは先進国では例をみない事態であり、日本の政治は世界から嘲笑されるだろう」と述べている。山本氏の当選を知った同氏は自身のツイッターで、「きょうは東京都民がバカだということを世界に宣言した日だった。都民やめたい」とツイートした。

池田氏が懸念していた通り、山本氏がどういう人物かを知らないで支持した人が多かったのだろう。彼を支援した「ボランティア」とされる人々、とりわけ若者たちを見ていると、戦後日本における左翼の暗部を理解しているのかどうか甚だ疑問だ。メディアは現在の政治状況を「右傾化」と騒ぐが、あまりに前時代的なテロリスト集団・中核派は問題ないのだろうか。山本氏一人では影響力が知れているとは言え、相当物騒な連中が政治の表舞台に登場してきたということを指摘しておく。

さて、昨日の選挙の結果を受け、ツイッターで交流のある伊阪ドン氏は、「保守陣営の方は、さあこれで憲法改正だ!と盛り上がっていますが、今後は戦後体制の総本山たる反日マスコミとの戦いだと思います」とツイートしているが、全く同感だ。

昨夜の開票速報で、TBSとテレ朝が明らかに落胆した空気に包まれていたのは非常に印象的だった。それぞれ関口宏氏、古舘伊知郎氏の表情が無念さを物語っていた。

関口氏は不機嫌な様子で安倍首相に憲法9条について尋ね、「多くの方々が我々の憲法改正草案についてご存じでないだろうと思います…」と首相が答えているところに割って入り、「そうでもないですよ。結構勉強されている方が多くてね、国家権力が強くなる、軍事力が強くなる。なんか昔の日本に返っちゃうんじゃないかって心配する声はたくさんありますよ」と反日勢力の主張を代弁。

それに対して首相が、「9条の一項、二項、どこを変えたかご存知ですか?」と質問すると、「はい、分かってますよ。サンデーモーニングでもしっかり皆さんで勉強しました」と切り返したところ、「一項については変えていません」と言われ急に目が泳ぎ、瞬きが多くなる。「
そして二項以降にさらに…」と首相が説明を続けても、どうやら既に戦意喪失したようで沈黙。同席していた岸井成格氏が話を変えて救われたが、批判のための批判を繰り返す美しくない反日勢力の薄っぺらさを象徴してくれた(以下の映像参照)。



古舘氏は、さすがに関口氏ほど露骨ではなかったものの、安倍首相に対しては追及口調で質問を繰り返したのに対し、山本太郎氏や共産党の当選者へのインタビューでは目に見えて笑顔になり、心から祝福している様子。ご覧になった方は、この二つの放送局の報道姿勢を明確に理解できたのではないだろうか。

新聞はどうか。朝日は7月22日付社説で、「安定した政治のもと、景気回復など山積みになった内政・外交の懸案に腰を据えて取り組んでほしい―」と安倍内閣に期待感を示す振りをしつつ、「有権者は日本の針路を丸ごと安倍政権に委ねたわけではない。首相は経済のほかは十分に語らなかったし、投票率も振るわなかった」、「首相が民意をかえりみず、数を頼みに突き進もうとするなら、破綻(はたん)は目に見えている。衆参のねじれがなくなっても、民意と政権がねじれては元も子もあるまい」と意味不明な主張。

投票率が低かったのは無責任な有権者、つまりは政治などどうなってもいいと考える民主主義に対する意識が極めて低い日本人が悪いのであって、そうした連中は考え方はどうあれ、結果として安倍内閣に日本の針路を白紙委任したに等しい。また、現在、そしてこれから
の安倍内閣の方向性を支持する、というのが明白な今回の選挙結果であり、「民意と政権のねじれ」などという主張は、それこそはっきり示された民意を曖昧にする言説でしかない。

毎日も同日付社説で、「外交も政権基盤が安定してこそ、中韓両国との関係立て直しなど中長期的な戦略が構築できる。長期政権の足がかりが得られた今こそ、内外の課題に取り組む好機である」、「首相や自民党にとって『参院選乗り切り』がこれまで政権の目的のようになっていた。圧勝の反動でタガがゆるみ、党の古い体質が頭をもたげたり、偏狭なナショナリズムが勢いづいたりする懸念はぬぐえない」などと、相も変らぬ中韓至上の主張、そして不要な自民党への「不安」を論じる。

ご心配なく。有権者はあなたがたのような、これまで日本と日本人を散々貶めてきた反日メディアと決別し、ネットメディアなどバイアスのない、テレビ、新聞に次ぐいわば「第三極」を選択しつつあるわけで、「守旧派」による要らぬ戯言など求めていない。

もちろんねじれが解消されたからといって、安倍内閣が数の横暴を行えば反発は当然あるだろう。しかし反日メディアが心配するほど、というか刷り込もうとするほど首相も自民党もバカではない。問題は安倍内閣が力を尽くして政治を動かそうとしても、そうはさせじと批判する彼ら自身だろう。

参院選の結果を受け、余程のトラブルがない限り、安倍政権が数年続くことは間違いない。経済再生、安全保障、外交など懸案は山積している。そうした事柄に腰を据えて取り組んでもらうため、我々有権者に求められることは、目先の経済の浮き沈みによって一喜一憂しないことだ。反日メディアは些細な事柄をさも大事のように報道し、あたかも安倍内閣の失政であるかのように批判することだろう。

確かに経済は重要だ。アメリカ大統領選挙などでも、どれほど実績があっても、その時の経済が安定していなければ、現職大統領はほぼ間違いなく落とされる。その傾向は日本でも同様だ。しかし他のどの内閣でもなく、安倍内閣に期待されること、それは様々な側面において「日本を取り戻す」ことだ。そう考えれば、最優先されるべきは、反日メディアを始めとする、これまでの日本を歪めてきた様々な勢力を一掃すること。そしてその大目的のためには、有権者は経済至上思考に陥らず、長い目で安倍内閣を見守るべきだ。

既存メディアに「ネトウヨ」のレッテルを張られていた人々の考えが標準化しつつある、つまり「SNS世論」が一般世論となりつつある現在、政治、経済、メディアなど、あらゆるものに対するこれまでのスタンスを打破すべきではないか。どの分野においても、短絡的思考を慎み、自らが積極的に参加することによってより良い方向性を目指す。そうした姿勢こそが、新しい日本を造る日本人のあるべき姿だと考える。

そのような時代にあっては、言うだけの民主党のような政党、また偏向報道によって自身の主張を押し付けようとするTBS、テレ朝、朝日新聞などのメディアは必要ない。有権者自身が主体的に様々な対象と関わる。その代りその結果についても責任を持つ。そうした観点から、今回投票に行かなかった人たちに一言。世界、とりわけ欧米では、発言しないことは意見がないと同様だと判断される。即ち、参政権を行使しないということは、現在の政治に何ら異議はないと考えられても仕方がないということだ。

「投票しても何も変わらない」、「投票したい候補者がいない」などと泣き言を言う前に、まずは参加してみるのが責任ある有権者の姿だ。反日勢力の妨害活動を抑えることができれば、今後日本は大きく変わっていく。そうしたダイナミズムの中に身を置くことができるのは、民主主義国家に生きる人間として最高の幸せではないだろうか。国政選挙はしばらくないと思われるが、言論活動など、政治に関わり合う方法はいくらでもある。下を向いている限り前の景色は見えない。顔を上げてみれば、広がっている世界は意外に素晴らしいものかもしれませんよ。

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2013年7月11日 (木)

ネット選挙でFacebook対決 ‐「党首力」の差歴然 海江田代表への「いいね!」数の惨状‐

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ネット選挙が解禁されて初めての選挙となる今回の参院選。自民党と民主党、それぞれの党首である安倍首相と海江田代表によるFacebook(以下fb)上での活動を中心に、ここまでの活用方法について分析してみたい。

本ブログでは、安倍首相によるfb活用の卓越性について何度か議論させていただいた(記事下「関連記事」参照)。同氏が優れている点は、既存メディアをバイパスして、直接有権者に働きかけるという、SNSの特徴を最大限生かしたコミュニケーション戦略であり、主要な政治家の中で、最もネット選挙解禁を味方にしている政治家だといえよう。

安倍首相はこれまで自身のfbページで、TBSによる印象操作を批判し(本ブログ「安倍総裁 印象操作問題でTBSに完勝! -露呈した大手メディアによる政治報道のアナクロニズム-」参照)、仙谷民主党副代表が昔ながらの手法で討論を呼びかけてきたことをfb上で暴露し、同氏を沈黙させ(同「自民党安倍総裁の効果的SNS活用術 -絡んできた仙谷氏を撃退などなど-」参照)、また、昭恵夫人に対する『女性自身』による中傷記事に対して反論(同「昭恵夫人を護る「男」安倍晋三 ‐『女性自身』の「捏造記事」に訂正を要請‐」参照)するなど、数々の「成果」を上げている。

それぞれの記事に記した安倍首相の主張を読んでいただければよくわかると思うが、首相は、時にユーモアを交えながらではあるが、敢えて強めの言葉遣いで自身の主張を文章にしている。これはインタラクティブなネットメディアにおいては、決定的に重要な要素だと考える。何故なら、そうした普段の首相とは違う姿をネット上で見せることは、ネットユーザーに対して「希少感」を与え、首相の存在をより身近に感じるからだ。

テレビ・新聞などの「守旧メディア」しかなかった時代、我々は一国の宰相の言葉を、メディアによって一方的に編集された文字、あるいは映像でしか知り得なかった。しかし、上述の事柄などについて、安倍首相は良い意味で感情的、というか喜怒哀楽を明確にした言葉をfb上で発している。それがネット上の有権者の心を掴む。

例えば昨年の自民党総裁選前、民主党の主張について、「そもそも政治家として『中道』を主張する人とはいったいどんな人物でしょうか?左側の人がより左に寄れば自分も少し左に移る。また右の人が右側に寄ればすっと右に身を寄せる。つまり『自分の信念も主張も無い人達』の事です。堕落した精神の、ひたすら大衆に媚びる姿がそこにあります。こうした人達には時代を切り開いて行く気迫も覚悟もありません」と痛烈に批判。また、最近では、毎日新聞に掲載された田中均元外務審議官による安倍内閣批判について、「彼に外交を語る資格はありません」と切り捨て(6月12日付投稿)、首相による田中氏への発言について批判した細野民主党幹事長については、「『民主党は息を吐く様に嘘をつく』との批評が聞こえて来そうです」とコメントしている(6月16日付投稿)。

再登板となった安倍首相は、すっかり「喧嘩上手」になったようだ。前回首相を務めていた頃はまだSNSなどが今ほど政治的な影響力を持たず、メディアでは安倍首相が無礼な質問などに対してムキになって反論する姿ばかりが報じられた。しかしネットメディアの普及、そしてネット選挙解禁は首相にとって相当な追い風になっていると思われる。

参院選に突入して以降の安倍首相のfb活用法は、まさに戦略的だと言えよう。日々、自身が応援に行った候補に関しての投稿を行い、その県についての思い、候補者の実績に触れたうえで、投稿の最後には必ずその候補者のウェブへのリンクを貼っている。そしてその合間に「秘書」氏が登場し、首相の食事の様子や補足情報をアップし、有権者に親近感を持たせるとともに、しっかり情報提供を行っている。

首相の投稿に対しては、常時7000以上、時には20000を超える「いいね!」が付き、「コメント」も数百に上る。しかもほとんどのコメントが首相に対して肯定的なものであり、首相は最大限ネット選挙のメリットを享受しているように思われる。

一方、民主党代表の海江田氏のfbページは相当「悲惨」な状態だ。民主党の不人気、同氏のカリスマ性の無さもさることながら、一番の問題は、同氏の主張に「魂」がこもっていないことだろう。上述のように、安倍首相は(おそらく)意図的に、ネットユーザーを意識した「感情的」な情報発信を行っている。それに対して海江田氏の投稿は、メディアの特性を考慮することなく、「守旧メディア」でコメントするのと同様なスタンスでfbを使っているだけで、ネット選挙で得られる利益を全く理解していない。予定調和的、無難なコメントなどネット上の誰をも刺激しない。

民主党ほどの組織であれば、超一流の「スピン・ドクター」を雇えるはずなのに、そうした容易なネット選挙対策を行うこともなく、党首を国民からのサンドバッグにしている現状に対して、メディアの専門家としては大いなる疑問を抱く。民主党の反海江田勢力が、同氏を徹底的に打ちのめそうとしているのかと。以下、具体的に海江田代表のfbページの状況を議論したい。

同氏の投稿に対する「いいね!」は、平均して20前後…。この数字がどれほど低いのか、fbユーザーの方にはよくご理解いただけるだろう。「友達」が100人程度の一般人が投稿しても、20程度の「いいね!」は容易に獲得できる。それにもかかわらず、野党第一党の党首の投稿へのそれが20前後というのは、普通に考えてあり得ない。どれほど不人気なのか。しかも、海江田氏の投稿全てを分析したわけではないので、定量的分析の結果とは言えないまでも、「いいね!」している面子がほぼ固定されている。つまり、熱狂的民主党支持者、あるいは同党の利害関係者、いわば「サクラ」が「いいね!」しているのであり、一般有権者の支持はほぼ皆無と言えるだろう。

同氏に対する「コメント」は数十程度はある。その数が安倍首相に対するそれの10分の1であることは、民主党にとっては大きな問題だ。あくまで一つの指標に過ぎないとは言え、「党首力」が10:1であるとも考えられるからだ。しかしそれ以上に問題なのは、それらのコメントのほとんどが同氏、あるいは民主党に対しての否定的なコメント、そしてそれに対する「サクラ」の反論であって、安倍首相のページで見られるような応援する動きもなければ、一般有権者の参加を喚起する「パブリック・フォーラム」的な場にもなっていないという事実だ。

7月11日付スポニチには、「民主・海江田代表FB『逆効果』批判コメント投稿で“大荒れ” 」と題した記事が掲載されている。

同紙は、「先月3日にページを開設。FBで積極的に発信する安倍首相に対抗するためだったが、意に反して『民主党は嘘つき』『また泣くのか?』など批判的なコメントが集中。かえってマイナスイメージを広める結果になっている。もともと(海江田代表は)ネット選挙への抵抗感を語っており、不得手な戦い。『ページは閉じないが、ひどい書き込みはブロックすることも検討している』と説明。『逃げた』などの批判が起きる可能性もあり、痛しかゆしの戦いを強いられている」と指摘。

実際、海江田代表のfbページのコメントを見ると、既に投稿が削除されたり、ブロックされているユーザーがいるようだ。

政治家としてSNSで情報発信を行おうとするのであれば、それがツイッターであれfbであれ、厳しい批判に晒されるのは当然だろう。インタラクティブであるのが、その大きなメリットのひとつなのだから。そうした批判を、「削除」、あるいは「ブロック」によって封じようとするのは、民主主義国家の政治家、ましてや大政党の党首としてあるまじき行為と断じざるを得ない。それほど批判が怖いのなら、fbなんて止めろと言いたい。

安倍首相がfbで絶大な人気を得たプロセスを真似れば、同じような人気が得られると考える浅はかさ。そうではなくても、ネット選挙が解禁された以上、必然的にそれに対応しなければならないと考えたところ、このような結果になってしまったのかもしれない。いずれにせよ、党首の「SNSリテラシー」の差が(と言うか、海江田氏をフォローするスタッフのレベルの低さが)、自民・民主の間に横たわる現実的な差を、ネット上でさらに拡大してしまったことは間違いない。

こう言うとこじつけになるかもしれないが、仙谷由人元官房長官に代表される左翼の隠蔽体質、陰湿さを持った民主党は、所詮ネット選挙という開かれた民主主義に対応できないということになるのだろう。

「党首力」によって、参院選の勝負は既についていると言っていい。鳩山氏、菅氏など首相経験者が反日活動を行う政党など(鳩山氏はもう党員ではないらしいが)、これからの日本には必要ない。彼らは十分、日本を「壊して」くれた。反日民主党政権による'scrap'の時代はもう終わった。こらからは親日安倍政権による'build'の時代に突入する。そのためのプロローグとして、「民主党消滅」というのは、真の日本人にとって「吉兆」だと言えるだろう。

Good‐bye 民主党, and we'll never see you!!


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2013年7月 4日 (木)

メディアが騒ぐ日韓関係 ‐「安倍路線」継続が正解 土下座外交の終焉‐

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7月1日、岸田文雄外相と韓国の尹炳世外相が、安倍内閣発足後初めての外相会談を行った。会談は約30分間行われ、岸田外相は「日本と韓国は基本的価値を共有する重要な隣国同士で、大切なパートナーだ。ぜひ関係を進展させたい」と呼び掛け、尹外相も「韓日の緊密な協力が地域の平和と繁栄のために重要だ。韓日関係の安定的な発展を望む」と応じた。

しかし同時に尹外相は、「歴史は魂。歴史問題は細心に取り扱われないと民族の魂を傷つける」と述べるとともに、新大久保などで行われている在日コリアン排斥を掲げた抗議活動について「表現の自由を超えている」と懸念を表明し、日本政府の適切な措置を要請した(7月1日付毎日jp参照)。

同氏の発言からは、相も変わらず自国自身の状況、歴史を顧みることなく、唯我独尊の主張を展開する韓国の姿勢が明確に読み取れる。このような主張は、所詮、反日国の戯言に過ぎないので注目するに値しない。しかし日本のメディアはこの国が気になって仕方がないようだ。

7月2日には読売産経の保守系紙がこの外相会談を社説で取り上げ、3日には朝日も社説でその主張を展開。毎日は切り口は若干違うが、2日3日と二日連続で対中韓外交を議論した。以下、各紙の論調を紹介させていただく。

朝日は「日本と韓国‐互いに向きあうときだ」と題した社説の中で、「おとなり同士、新しい政権が生まれたというのに、外交の責任者が会談できない。そんな冷たい空気が漂っていた日韓で、外相会談がやっと実現した。…ここまで事態が険悪になった責任は、日韓双方にあった」とする。

しかし、「韓国の歴代政権はこれまで、少なくとも発足当初は日本との友好を探った。だが、『外交は互いの信頼が最重要』という朴槿恵政権がまず直面したのは、日本からの数々の歴史認識発言だった。出ばなで安倍政権に大きな疑問符がついた」、「そんな現状について当の韓国の外交当局者も『日本の歴史発言が私たちと中国を必要以上に近づけてしまっている』と懸念する。この夏は、安倍首相らが8月15日に靖国参拝するかどうかに神経をとがらせている」と、 韓国側の主張を代弁。

一方で、「朴政権も、柔軟さに欠けるといわざるをえない」としつつも、日韓通貨スワップ打ち切り、日本から韓国への観光客が激減していることをもって、「日韓関係の停滞は、多方面に影を落としている」としている。いやいや、日本には何の影も落としていないのだが…。

毎日の二日に亘る社説は、参院選の論点としての中韓関係、及び外交を論じたものであるが、旧来の左翼メディアによる主張そのもので全く新味がない。

「韓国とは日韓外相会談が約9カ月ぶりに開催され、関係改善の兆しが出てきた。とはいえ、朴槿恵大統領は日韓よりも中韓関係を優先しているように見える」、「歴史認識問題への各党公約での言及は思った以上に少ない。確かに、政策として前向きなものではないし、党内で一致した見解を作るだけでも骨の折れる仕事であろう。ただ、この問題はいったん火がつくと国内はもとより、中国、韓国を中心としたアジア、ひいては欧米まで巻き込むグローバルな論戦となり、日本の外交・安保政策に多大な影響を与える。政策選択を問う上で重要な争点の一つに数えたい」。

以下で述べるが、朴政権が日韓より中韓を優先したとしても、日本にとっては何の問題もない。また、「歴史認識」が唯一安倍内閣を攻撃できる材料であると考え、それを必死で争点化しようとする毎日の「自己都合」の姿勢がありありで、「勝手に言ってろ」としかコメントのしようがない。

朝日・毎日が親中韓・反日であるのは、今や日本人にとって常識であるので、上述の社説に関しても特に驚くに値しない。しかし読売の劣化ぶりは目を覆うばかりで、もはやこの新聞を「保守系」と呼ぶことさえためらわれる。

同紙は2日付社説で、「日韓間には、竹島、いわゆる従軍慰安婦問題など領土や歴史認識をめぐる対立がある。尹外相は、歴史認識の重要性を強調し、『歴史問題を細心に扱えない場合、民族の魂を傷つける』と述べた。だが、両国が意見の相違を最小限に抑えつつ、北朝鮮問題などで実質的に協力することこそが、外交本来の役割のはずである」と主張する。読売はこの社説に「日韓外相会談 関係再構築へ双方が歩み寄れ」というタイトルをつけているが、竹島、従軍慰安婦で歩み寄ることは、日本が一方的に譲歩することに他ならない。

また、同紙主筆の渡邉恒雄氏が靖国参拝に反対していることを受け、「韓国は、米中両国との首脳会談などで日本との歴史認識の問題を持ち出すのは自制する。日本も、閣僚の靖国神社参拝で一定の配慮を行う」ことが日韓関係にとって肝要であるとする。

産経の主張も全く腰が引けたものであり、同紙のいつもの切れ味が感じられない。朝毎読と大差ない主張を展開している。

「北の核・ミサイル開発を阻止するには日米韓の連携が何より重要だ。日韓がぎくしゃくしていてはそれも機能しない」、「前回、日韓外相会談が行われたのは互いに前政権下の昨年9月だった。その後、北が12月に長距離弾道ミサイルを発射し、今年2月には3度目の核実験を強行した。日米韓への恫喝も繰り返した」、「尹外相は今年4月の来日を検討していたが、麻生太郎副総理ら閣僚が靖国神社を参拝したことに韓国側で反発が出て見送った。北をめぐり緊張が極度に高まっているときに、日韓が意思疎通を図れない状況は危うい」との主張を見ると、産経としては、対北朝鮮のためには、日米韓による堅い結束が最重要ということなのだろう。

上述、主要4紙の主張に共通しているのは、「韓国との関係改善は必須」ということと、「対北朝鮮のためには日米韓同盟が重要」、そしてそのためには日本がある程度譲歩しなければならない、ということだ。韓国がらみの話になると、右も左もなく、これ程腰砕けになるこの国の主要紙が信じられない。

新聞のみならず、日韓外相会談を受けてのNHK、あるいはテレビ朝日などの報道も同じような論調だった。どの番組だったか失念したが、元駐日米大使・シーファー氏による「日本が現在の視点から歴史を書き直すことも可能だ。しかしそれは決して日本のためにならない」という、戦勝国の傲慢さに溢れた発言を引用し、日本が歴史を見直すことをアメリカが許さないとの印象を強める報道もされていた。

自らの過去の罪に蓋をするため、日本人による歴史見直しを認めない、アメリカの自己中心的なスタンスには腹が立つが(もちろんシーファー氏の発言がイコール現在のアメリカ政府の考え方ではないが)、それはここではひとまず横に置くこととする。ここで議論したいことは、日本のメディアが声高に主張しているように、日韓関係がそれほど重要なのかという点だ。

メディアは政治的側面から、対北朝鮮のためには日米韓の連携が重要だと言うが、その主張自体に異論はない。三国が協調できる体制はひとつの圧力にはなり得るだろう。しかし、以前本ブログで主張させていただいたように、結局のところ、北朝鮮が「プレイヤー」として認めているのは、その庇護者たる中国、そして同国を壊滅させる力を持ったアメリカの二国でしかない。日米韓の連携は重要だが、それが絶対的なものかといえば、全くそのようなことはない。よって、それを理由に日本が韓国に譲歩することは、国際的にも国内的にも、一切日本の国益にならないことは間違いない。

また経済面を見ても、確かに韓国は、日本の輸出相手国としては中国、アメリカに次ぐ第3位の国である(JETRO日本の貿易相手国TOP10参照)。しかしそのシェアは、中国の18.1%、アメリカの17.6%に比べると極めて低い7.7%に過ぎない。その数字は、台湾5.8%、タイ5.5%と大差ない。反日国家韓国との貿易がゼロになっても、それは親日国である台湾、あるいは東南アジア諸国との貿易で十分賄える。つまり経済的に韓国との交流がなくなっても、一部韓国に投資している企業を除いては、日本にほとんど影響はなく、こちらから頭を下げて交流を求めるような対象ではない(対中はまた別の話ではあるが)。

さて、韓国の日本に対しての主張を聞くと、「なんじゃそりゃ」と思うことが極めて多い。率直に言えば理不尽極まりない。以下、いくつか例を挙げさせていただく。

まず上述、毎日ipの記事で韓国の尹外相は、「新大久保などで行われている在日コリアン排斥を掲げた抗議活動について『表現の自由を超えている』と懸念を表明し、日本政府の適切な措置を要請した」と記したが、韓国では日の丸や、天皇・日本の首相などの人形を焼いたりする反日デモが行われるのは日常茶飯事だ。そのような、日本での「在日特権を許さない市民の会」などが行う抗議活動などより数段「表現の自由を超える」デモを自国では容認しながら、一方で日本国内の反韓デモは一切許容できないとする発言は、常人には到底理解できない。まぁ、韓国の主張に論理的整合性を求めるなど、栓なきことであるのは承知しているが…。

次に、韓国は朝鮮戦争(1950~53年)の際、中国に侵略された。ところが、それより昔、戦前・戦中の日本による「侵略」に対してはいまだに「謝罪と賠償」を要求するにも関わらず、中国に対してその責任を問うことは決してない。

この点について、産経新聞ソウル駐在特別記者兼論説委員・黒田勝弘氏は以下のように論じている(6月29日付産経新聞【緯度経度】参照)。

「(中国の戦争責任を追及しないにもかかわらず)韓国は日本が公式に『謝罪と反省』を繰り返しているのに執拗に日本との過去史を追及し『謝罪と反省』を求めてきた。この違いは何なのか。韓中国交正常化の際、このことを韓国当局者に質問したことがある。回答は『中国の戦争責任と日本の植民地支配とは違う』といい、『日本の方が責任が重いから』といわんばかりのものだった」。

「今回、朴大統領訪中を前に、韓国マスコミの中国専門家を囲むセミナーでこれが話題になった。筆者の質問に対し彼は、中国に過去を追及しない理由として『中国と日本とは体制と価値観が違うから』といい、さらに韓中関係の基本として『求同存異』を挙げた。つまり、日本は自由民主主義体制の国だから『謝罪と反省』はちゃんとすべきで、かつしてくれるはずが、中国は体制が違うので要求しても応じないから、という趣旨の答えだった」。

「韓国は中国が侵略戦争責任を追及しても応じないと分かっているので黙っているのだ。とすると結果的に日本のように応じると限りなく追及される?韓国は中国とは朝鮮戦争の評価(侵略かどうか)を含む歴史認識がまったく異なる。しかしだからといって中国を非難、糾弾などしない。経済や政治など実利のためには中国と仲良くし、ご機嫌をうかがわなければならないからだ」。

要は、韓国による「言いがかり」など無視すればそれで済むものを、日本は必要以上の「謝罪と反省」を表明したがため、今日のような惨状を招いているということのようだ。これは、反抗しない者は徹底的にいじめ強者には媚びへつらう、典型的な卑怯者の所業としか思えない。

なるほど、そうした韓国の「思想」を反対解釈すれば、「自称」自由主義国家である自国とは体制が違う社会主義国家・ベトナムに対しては、ライダイハン問題などで謝罪も賠償も不要だということか。

個々の韓国人を差別・批判するつもりはないが、国家としてのこうした韓国の姿勢をみると、この国は日本人にとっては北朝鮮に勝るとも劣らない「ならず者国家」であると断じざるを得ない。

しかもこの国の醜悪さは政治に限らない。司法も相当なものである。長崎県対馬市の観音寺から韓国人窃盗団が仏像を盗んだ事件で、韓国の大田地裁は2月26日、観音寺がこの像を正当に取得したことが訴訟で確定するまで、韓国政府は日本政府に引き渡してはならないとの仮処分を決定した。韓国側の主張は、この像は倭寇によって奪われたものであるので、日本のお寺がそれを正当に取得したことを証明しない限り、像を返還する必要はないということだ。

日本側は文化財不法輸出入禁止条約に基づき仏像の返還を求めている。しかし、この窃盗団には6月28日、7人のうち6人に懲役1~4年の実刑判決が言い渡されたものの、韓国は仏像を返すつもりはないようだ(7月13日付JCASTテレビウォッチ参照)。同国においては、「反日」の前には国際条約すらどうでもいいようだ。

似たような事例で、2011年12月に靖国神社に放火し、韓国で拘束されていた中国人の男について、日本政府は犯罪人引き渡し条約に基づいて韓国政府に対して身柄の引き渡しを求めた。それに対してソウル高裁は2013年1月3日、「靖国神社には戦犯が合祀されており政治的象徴性がある」、「同神社への放火容疑には政治的目的との有機的な関連性が認められる」として、男を「政治犯」と認定し、日本への引き渡しを拒否した。

これまた国際条約無視の所業であり、このロジックに従えば、駐韓日本大使館に放火しても、また、極論すれば日本人を殺害しても韓国においては「政治犯」とされる可能性すら否定できない。

つまるところ、韓国においては「反日」こそが錦の御旗であり、その哲学に基づく限り、全ての行為が「超法規」足り得るのだろう。

上述の朝日が指摘しているように、幸い日本から韓国への観光客は減少しているようだ。政治的思想は抜きにして、それは犯罪回避の観点から良い兆候だと考える。既述の通り、韓国では「反日無罪」であり、しかもレイプなどの凶悪犯罪発生率はアジアでは突出して高い。個人的には、そのような危険な国にのこのこ観光に行く日本人の気がしれないが。まぁ、そこは自己責任の範疇なので、同国の状況を十分理解した上で判断されることを切に願う。

2002FIFAワールドカップ共催に至るまでの経緯、日本の国連安保理常任理事国入りへの妨害活動など、国際社会における、韓国による「日本憎し」の行動は枚挙に暇がない。最近では、東京オリンピック阻止の活動も行っている(7月2日付J-CASTニュース参照)。

国と国との関係においては様々な利害対立が存在する。双方とも自国の利益を最大化する責務があるので、それは当然のことだ。それでも、そうした懸案事項を乗り越え、良好な関係を構築することも可能だ。アメリカ、ほとんどのアジア・欧米諸国など、世界の多くの国は日本にとって友好国だと言って差し支えないだろう。しかし韓国は決して友好国ではない。反日を国是とし、国際社会で日本が行動を起こそうとすると、それがどのようなことであっても足を引っ張る。そのような国を信頼し、友好関係を築くことなど不可能だ。

これまでの日本政府は、韓国の理不尽な要求に屈し過ぎたし、メディアも日韓関係が日本にとって決定的に重要であるかのような誤った報道を繰り返し過ぎた。冷静に考えれば韓国との関係など、日本が頭を下げてまで「友好」を保つ必要のないものだということは明白だ。

その点、安倍内閣は、韓国と適切な距離を保とうとする姿勢が見られ、これまでの「土下座外交」を修正するという方向性が明確であり、そのスタンスは間違いなく日本の国益に適っているし、多くの国民もそれを支持している。

冒頭で紹介した日韓外相会談も、米中などで日本の悪口を言って回る朴大統領を日本側が無視し続けたため、韓国側が譲歩し行われたものだ。それは至極当然の成り行きだといえる。何故なら、繰り返しになるが、韓国との関係が冷え込んだとしても日本には何のデメリットもなく、困るのは韓国だということが今や「常識」だからだ。

最近の安倍首相は、中韓との関係が停滞していることについて質問された場合、「日中関係は切っても切れない関係。日本側は常に対話のドアを開けている」とコメントするが、韓国については触れないケースがほとんどだ。つまり、日中の経済関係は政府間の関係がどうであれ、まさに「互恵関係」にあるため何の心配もいらない。そして韓国の存在は、敢えて厳しい言い方をすれば、日本にとっては「誤差の範囲」と言っていいレベルのものでしかないので論評するに値しない、という首相のメッセージなのだと理解している。極めて妥当かつ合理的な判断だと考える。

これまでは、韓国からの「言いがかり」に対して、メディアが「隣国同士は仲良くしなければならない」という非論理的、かつ情緒的な主張を展開し、それに振り回された日本政府は譲歩を繰り返す、といういわば「負のスパイラル」だった。しかし安倍内閣は違う。

安倍首相は昨年の自民党総裁選の際、対中関係について、「(中国を)刺激しないというのは、まさに中国側のペースにはまるというか、友好第一主義の外交なんです。長い間、日中外交というのは友好第一でした。間違いですね。友好は手段なんです。目的は国益ですね。国益を削って友好を維持しても意味がないと思います」と語っている。

国益重視の安倍首相ならではの外交に関する哲学であり、全く同感だ。そしてこの考え方は対韓においても同様である。メディアが唱える「友好第一主義」は、まさに国益を削って友好関係を構築せよという誤った主張であり、ましてやそのような議論に政府が迎合するなどあってはならないことだ。

こうした「安倍路線」が継続される限り、民主党政権下で引き起こされた悲惨な「外交敗北」を心配する必要はないだろう。ただ、安倍内閣が肝を据えて対韓外交を行っても、国民がメディアの主張に乗せられて「友好第一主義」に与するようでは、日本の国益を守ることはできない。性善説を採る国民性とはいえ、この世界には、こちらがどれほど誠意を見せても、それを忖度できない人々も数多いるという現実を、我々日本人がきちんと理解しなくてはならない。

この国の在り方を大きく歪めた「土下座外交」など、もう必要ない。


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2013年6月18日 (火)

余禄 「安倍首相VS細野民主党幹事長」その後 ‐反日朝日が田中均を擁護‐

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(田中均氏・写真は朝日新聞デジタルより)

本ブログの前回の記事「安倍首相VS細野民主党幹事長 ‐最高権力者に表現の自由はないのか‐」で、毎日新聞に掲載された田中均氏による安倍内閣批判に安倍首相が反論し、それを民主党幹事長・細野氏が批判したことを紹介させていただいた。

細野氏は、安倍首相の反論にメディアが反応しないことに対して、「今のところ、最高権力者のこのような発信に対して厳しい報道はでてきていません。報道機関は、高支持率を誇る安倍総理の発言を正面から批判することを恐れているのかもしれません。意識的にか無意識かは別にして」と不満を述べていた。

その不満を解消するかのように、「安倍叩きは社是」である朝日新聞が本日6月18日付の社説で、「首相の反論‐異論受けとめる度量を」と題する安倍首相批判を展開した。内容は、見事なまでの細野氏支持、田中氏擁護。朝日新聞デジタルでは社説は翌日には読めなくなるので、以下全文を記す。

「彼に外交を語る資格はありません」

安倍首相がフェイスブック(FB)に書き込んだ一言が波紋を広げている。

「彼」とは、日本人拉致問題で北朝鮮との交渉経験をもつ田中均元外務審議官のことだ。

元外交官とはいえ、いまは民間人である。一国の首相がネットで個人攻撃を繰り広げる光景は、尋常ではない。

発端は毎日新聞に掲載された田中氏のインタビューだ。

田中氏は、河野談話や村山談話をめぐる首相の発言や、閣僚の靖国参拝、橋下徹・大阪市長の慰安婦発言などを挙げ、「(日本は海外から)右傾化が進んでいると思われ出している」と懸念を示した。

首相のFBは、これへの反論として書かれたものだ。ただし、右傾化問題には触れず、02年にあった田中氏との意見対立を紹介している。

北朝鮮から一時帰国した拉致被害者5人を送り返すかどうかをめぐり、当時、外務省で交渉当事者だった田中氏は「返すべきだ」と主張した。一方、官房副長官だった安倍氏は「日本に残すべきだ」と判断。結局、小泉首相の決断で日本にとどまることになった――。

安倍氏は「外交官として決定的判断ミス」と指摘し、田中氏に外交を語る資格はない、と決めつけた。

だが、この批判は筋違いだ。

田中氏は外交官として、政治家が決断するための選択肢を示したのであり、小泉首相が下した最終的な結論にはもちろん従っている。

そもそも、この問題と田中氏が指摘した右傾化問題とどういう関係があるのか。

安倍政権になってから日本を見る海外の目が厳しくなったという指摘は、首相にとって愉快ではなかろう。

だが、首相がこんな態度をとれば、耳に痛い意見は届きにくくなる。それで正しい判断ができるだろうか。

外交に限らず、政策論議は自由闊達(かったつ)に行う。民間の意見にも耳を傾ける。その上で最終決断は首相が下す。それこそ、民主主義国の強さだろう。

首相は5月の国会答弁で、特定の集団をおとしめたり暴力や差別をあおったりするヘイトスピーチ(憎悪表現)が増えていることについて「どんなときも礼儀正しく、寛容で謙虚でなければならないと考えるのが日本人だ」と語った。

異論も取り込んで政策の厚みを増していく。首相にはそんな度量がほしい

実に朝日らしい、安倍首相を叩くためなら論理もへったくれもない、素晴らしい「作品」だ。

突っ込みどころ満載なのだが取りあえず…。朝日は安倍首相のfb上でのコメントが「波紋を広げている」と言うが、波紋が広がっているのは反日メディアと細野氏などの反日勢力の間においてのみだろう(と言うか彼らが広めている)。また、田中氏は「元外交官とはいえ、いまは民間人である」と、細野氏と同様の主張をしているが、上述の記事で議論させていただいたように、彼は単なる一民間人ではない。それをあたかも弱者を首相が攻撃しているような論調で非難することこそ「尋常ではない」。

また、「右傾化問題には触れず」としているが、おそらく安倍首相が田中氏を批判した最大の理由は、田中氏が行った「異常な」北朝鮮との交渉を容認できず、そのような人物が安倍内閣による北朝鮮交渉を批判することが許しがたかったからだろう。つまり、首相が論点としたのは右傾化云々ということではなく、当時の北朝鮮交渉における田中氏の外交官としての適格性の問題であり、そのような人物が外交を論評するに値するのかという問題提起だ。しかも相手は言論活動を行っている、いわゆる「識者」なのだから、「個人攻撃」などいう表現は朝日お得意の「誇張」に過ぎない。

更に深読みすれば、「一国の首相がネットで個人攻撃」したことを非難しているが、首相による主張が大手メディアのインタビューなどによってなされたのであれば許容するけれども、「ネットごときで」で行うことは許されないという、相変わらず時流をわきまえない傲慢さが感じられる。

しかもこの社説は、上述のように首相が右傾化問題に触れていないことを非難しておきながら、「そもそも、この問題(拉致被害者をめぐる首相と田中氏との意見の相違)と田中氏が指摘した右傾化問題とどういう関係があるのか」と、あたかも首相が田中氏の指摘した右傾化の問題に対して、的外れな反論をしているかのように論ずる支離滅裂ぶり。首相は田中氏による右傾化批判については特にコメントしていない。「関係があるのか」も何も、朝日自身が指摘している通り、そもそも触れていないのだ。

記者の書く文章に名文がないのは当然としても、この社説を書いた論説委員は、日本語で首尾一貫した文章を書けるように勉強し直した方がいい。朝日なので日本語が母国語ではない人物が書いた可能性も否定できないが…。

話は若干逸れるが、外務省アジア大洋州局長として北朝鮮との交渉に取り組んだ田中氏の何が問題だったのか、簡潔に触れておきたい。

非常に分かりやすい指摘が、外交ジャーナリスト・手嶋龍一氏の手嶋龍一オフィシャルサイトに掲載されているので詳細はそちらをご参照いただきたいが、以下、概要を記す。手嶋氏は、田中氏と北朝鮮側の「ミスターX」との交渉を次のように批判している。

「北朝鮮は、田中均の性癖や交渉手法はもとより政界の人脈も知り抜いていた。一方の日本側は、北の独裁者が差し向けてきたこの人物について何のインテリジェンスも持ち合わせてはいなかった。英米の情報機関にも照会していない。この交渉チャネルをごく限られた者以外に知られまいとしたからだ」。

田中氏とミスターX両氏による交渉は、北京、大連などで30回以上に及ぶのだが、手嶋氏は「外交にあっては折衝の相手をひとりで抱え込んではならない。どちらかが人事異動で交代してしまえば、交渉チャネルはそこで途絶えてしまうからだ。加えて、第二の交渉チャネルも周到に用意しておくべきだろう。交渉の縦深性を保って相手に操られる危険を避けるためである。『ミスターX』との折衝は、こうした外交の常道をいずれも踏み外したものだった」とする。

また、両者の交渉の記録が、機密保持のためとして政府部内には一切残されていないことについて、「国家の命運を左右するこれほど重要な交渉の記録をわれわれは絶えていちども眼にしたことがない。それゆえ、今次の日朝交渉は、多くの問題を孕みながらも、いったい何が起こったのか、それを検証する手立てすらないのが実情だ。それゆえに、交渉当事者の恣意的な説明がいまもまかり通っている」という、平壌宣言に関わった外務省条約局の担当官の発言を紹介している。

その上で同氏は、「外交は公電となって初めて歴史に刻まれていく。たしかに公電にできないほど機微に触れる情報もある。だが志のある外交官なら、交渉の記録だけは残しておく。それは外交を国民から委ねられた者の責務なのである。それらの機密文書は三十年の後、機密の封印が解かれて史家の手に移り、歴史として記述される。そうして外交は歴史の公正な裁きを受けることとなる」とし、田中氏による交渉の異常性を指摘している。

つまり「秘密交渉」という名のもとに、どのようなやり取りがあったのか、正確には誰も知り得ない中で田中氏は北朝鮮に取り込まれ、その意向に沿って日本の国益に適わない外交を行おうとした。安倍首相はその経緯を理解しているので、そのような人物が外交を、とりわけ拉致問題を訳知り顔で論ずることが許せなかったのだろう。

朝日も田中氏と同類であることは間違いない。

2002年9月17日の小泉訪朝によって、拉致被害者8名が死亡したとの情報を受け、現在の朝日新聞社社長・木村伊量氏(当時政治部長)は、翌18日の朝刊一面で「痛ましい歴史、直視して 日朝首脳会談」と題して以下のような論説を行った(日本財団図書館参照)。

「痛ましい。やりきれない。わが子が、孫が、兄弟姉妹が、どこかで生きてくれていると信じて、拉致被害家族は長くつらい歳月を耐え忍んできた。そのかすかな望みは打ち砕かれた。無残な結末に言葉を失う。…こんな無法者の国と国交を結ぶ必要がどこにあるのか。拉致問題暗転の衝撃と憤りから、釈然としない思いに駆られる人も少なくないだろう。気持ちは理解できる」。

「けれども、冷静さを失っては歴史は後戻りするだけである。いかなる意味でも拉致は正当化できないが、そもそも日朝の不正常な関係は、北朝鮮ができる前、戦前、戦中の35年間にわたる日本による朝鮮半島の植民地支配に始まる。冷戦もあった。北朝鮮との間に残された戦後処理問題を解決し、大局的見地に立って関係を正常化することが、日本の国益にも北東アジアの安定にも資する。どの国も『負の歴史』をおっている。過去の日本がそうなら、北朝鮮もそうである。つらいことだが、歴史を乗り越えるには、それを直視するしかない」。

同氏の主張を分かりやすく解説させていただくと、日本人に同情するふりをしながらも、「全て日本が悪いのだから拉致による被害も当然だ。朝鮮を植民地支配した日本が偉そうに拉致問題を語る資格なんてないのだから、四の五の言わずさっさと国交正常化しろ」といったところか。

拉致問題みたいな「小さな」問題で国交正常化を遅らせるな、という点で、田中氏と朝日の主張は完全に一致している(少なくとも2002年時点においては一致していた)。現在の田中氏と朝日の関係はよく分からないが、田中氏が安倍内閣を批判する限り、利害は一致し続けるだろう。今回の「田中擁護」の社説がそれを物語っている。

さて、安倍首相にfb上で批判された細野氏は、それに対する反論を行っている(BLOGOS参照)。同氏が「自民党には戦争をやりたがっている人がいる」と述べたという首相による批判に対する反論は、事実関係が確認できないので何とも言えない。もし同氏の主張が正しいのであれば、首相もその点は訂正した方がフェアだと考える。

しかしこの御仁、相も変わらず表現の自由を自己流に解釈し、安倍首相による田中氏批判は不当だと主張し続けている。

曰く、「私が懸念するのは表現の自由についてです。幸い田中氏は発信を続けると言われているようですが、今後、発言が委縮する可能性があります。田中氏以外の人も、最高権力者である総理から名指しで反撃を受ける可能性を考えると、総理に対して批判的なことを言いにくい雰囲気ができてしまいます。最高権力者である総理には、表現の自由を実質的に確保するために、広い度量を持って頂きたいと思います」。

相変わらず意味不明だ。「表現の自由の実質的確保」の定義は何か。また、どのような言動によってそれが「実質的」に確保されなくなるのか。同氏の主張に従えば、最高権力者である総理に対しては、メディア等で自由に発言できる田中氏ですら、表現の自由を脅かされる弱者ということになる。そうであるならば、あらゆる政治家に対して一般人は弱者であるのは自明ゆえ、政治家は一般人に批判された場合、一切反論してはならないということなのだろうか。

「雰囲気」、あるいは「実質的」などの曖昧な言葉を使い、安倍首相に対して情緒的な批判を加え、逆に総理の発言を縛ろうとする意図が見え見えだ。そもそも、朝日や毎日の主張を紙面で代弁する田中氏のような「識者」が、総理や閣僚から批判されたからといって「萎縮」するはずがない。

参院選が近づいているので、安倍内閣に何とか絡んで、もう誰も相手にしていない民主党の露出を増やしたいのは分かるが、逆効果でしかない。自民党が大勝するのかどうかはまだ分からないが、民主党が大敗することは確実と言っていいだろう。老婆心ながら、安倍内閣の揚げ足取りをする暇があるのなら、民主党を立て直すための策を考える方が(万一それが可能であればの話だが)幹事長として重要な責務だと思うのだが。

最後に朝日新聞に一言。「異論も取り込んで主張の厚みを増していく。朝日新聞にはそんな度量がほしい」。無理ですよね、分かっています(笑)。

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安倍首相VS細野民主党幹事長 ‐最高権力者に表現の自由はないのか‐

追記(2013年6月19日):本日付産経新聞で、同紙編集委員・阿比留瑠比氏も細野氏、朝日新聞による安倍首相への「個人攻撃」との批判に対して反論していますのでご参照ください(阿比留瑠比の極言御免 )。

追記(2013年6月27日):こちらもご参照ください(だから田中均氏は信じられない:阿比留瑠比の極言御免)。


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2013年6月16日 (日)

安倍首相VS細野民主党幹事長 ‐最高権力者に表現の自由はないのか‐

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(画像は安倍首相fbページより)


安倍首相は6月12日、自身のfbページで、同日毎日新聞に掲載された元外務省審議官・田中均氏へのインタビュー内での発言を批判した。以下、首相の主張を引用。


「毎日新聞のコラムで元外務省の田中均氏が、安倍政権の外交政策について語っています。このインタビューを読んで、私は11年前の官房副長官室での出来事を思い出しました。

拉致被害者5人を北朝鮮の要求通り返すのかどうか。彼は被害者の皆さんの『日本に残って子供たちを待つ』との考えを覆してでも北朝鮮の要求通り北朝鮮に送り返すべきだと強く主張しました。

私は職を賭してでも『日本に残すべきだ』と判断し、小泉総理の了解をとり5人の被害者は日本に留まりました。予想通りその判断は毎日新聞や一部マスコミからも批判的に報道されました。

しかし、その後 田中均局長を通し伝えられた北朝鮮の主張の多くがデタラメであった事が拉致被害者の証言等を通じ明らかになりました。あの時田中均局長の判断が通っていたら5人の被害者や子供たちはいまだに北朝鮮に閉じ込められていた事でしょう。

外交官として決定的判断ミスと言えるでしょう。それ以前の問題かもしれません。そもそも彼は交渉記録を一部残していません。彼に外交を語る資格はありません」


安倍首相が何故、これほど強い言葉で田中氏を批判したのか。

それは上記インタビューでの、田中氏による「安倍晋三首相の侵略の定義や河野談話、村山談話をそのまま承継するわけではないという発言や、麻生太郎副総理らの靖国参拝、日本維新の会の橋下徹共同代表の従軍慰安婦についての発言などで、いわゆる右傾化が進んでいると思われ出している」、「(安倍内閣は)侵略の定義とか、村山談話、河野談話、憲法96条の改正などで現実的な道をとろうとしていると思う。しかし、あまりそれを繰り返すと、根っこはそういう思い(米国の利益にそぐわない歴史認識)を持っている人だということが定着してしまう」、「ロシアやインド、東南アジアとのパートナーシップを強化すること自体は正しい。だが、それを価値観外交と言えば、中国を疎外する概念になる。価値観外交と掛け声をかけることが正しいとは思わない。中国が将来覇権をとるようなことがないように共にけん制しようというのは、静かにやること。声を大にして『けん制しますよ』というのは外交じゃない。政治家は勇気を持って日中関係はいかに大事かを語らないといけない」などという発言。

とりわけ、「私が北朝鮮と交渉した時もそうだが、日本の課題があるから、すべてを他の国に相談してやっていくということではない。拉致問題は極めて重要で、日本が自ら交渉し解決していかなければならない。だが、核、ミサイルの問題は日本だけでは解決できず、関係国との関係を損なわないようにうまくやっていかなければならない。小泉純一郎元首相が常に言っていたように、拉致と核、ミサイルを包括的に解決するのが日本の政策なのだと思う。飯島さんの訪朝がスタンドプレーだとは言わないが、そう見られてはいけない」、そして「日本が自己中心的な、偏狭なナショナリズムによって動く国だというレッテルを貼られかねない状況が出てきている」とのコメントに憤りを感じたことによるものと考える。

彼が本当のところ何人なのかは知らないが、こうした発言は、中国・韓国・北朝鮮の利益を代弁していると思われても致し方ないだろう。

田中氏は(何故かは分からないが)日朝国交回復至上主義者であり、その妨げとなる拉致問題などについては、どうでもいいことだと考えていたようだ。

上述の安倍首相によるコメントを受けて、小泉内閣での拉致被害者家族担当の内閣官房参与・中山恭子氏の夫である中山成彬元国交大臣は6月13日、自身のツイッターで次のようなツイートをしている。


「かつて北朝鮮外交を担当していた田中均元外務審議官が安倍総理の外交姿勢を右傾化などと批判している。日朝国交回復という大義の前には拉致問題など小さいと言ってると妻から聞いて驚いた事を思い出す。五人の拉致被害者は帰さないと主張する中山参与に助け船を出してくれたのが安倍官房副長官だった」


つまり田中氏にとっては日朝国交正常化が大目的であり、そのためには国際犯罪である北朝鮮による拉致など大した問題ではなかったようだ。そして、彼の国益を損なう言動に異を唱えたのが、当時の安倍官房副長官だったのだという構図が見えてくる。そんな輩が、現在の安倍内閣を批判するのは誠に片腹痛いし、安倍首相が憤るのも当然だろう。

というのも、客観的にみて、当時の安倍氏は主権国家たる日本の国益という観点から(もちろん、同時に拉致被害者家族の方々の最大限の利益のため)北朝鮮による拉致問題を捉えていたのに対し、田中氏は国益云々より、まずは国交回復ありきと考えていたと思わざるを得ない。

以上の点から考えると、田中氏は、まさに外務省の官僚らしく国益などどうでもいい。それよりも、「日朝国交正常化」という歴史的「偉業」で名を残したいという名誉欲のみで行動した輩であり、一方安倍首相は、北朝鮮による究極の人権侵害たる拉致問題を絶対に看過せず、被害者家族の方々の利益を第一に考えていたと理解できる。

両者のつばぜり合いはよく理解できるが、これに「既に終わった」政党である民主党幹事長・細野豪志氏が「参戦」してきたのは、ホントもうどうでもいいのだが、民主党の存在感を主張するための「悪あがき」としか思えず、その主張の空虚さと相まって、沈みゆく政党の悲哀すら感じる。

同氏は自身のfbページで以下のようにコメントしている。


「安倍総理が、田中均氏について書いたFBを読みました。最高権力者のあり方、表現の自由について考えるところがありました。

田中均氏の北朝鮮外交については様々な評価があり、多くの論者がその是非を論じてきました。しかし、論じたのが最高権力者となると、次元の違う問題を生じさせます。

安倍総理は、エントリーの最後を『彼に外交を語る資格はありません』と締めくくっています。田中氏はかつて外務官僚でしたが、今は一民間人。当然、外交について語る『表現の自由』を有しています。最高権力者に『語る資格がない』と断じられた田中氏は語り続けることができるでしょうか。仮に、田中氏が最高権力者の言に逆らって語る勇気を持っていたとしても、メディアは彼の見解をこれからも伝えることができるでしょうか。そのことも私は危惧します。

今のところ、最高権力者のこのような発信に対して厳しい報道はでてきていません。報道機関は、高支持率を誇る安倍総理の発言を正面から批判することを恐れているのかもしれません。意識的にか無意識かは別にして。

最近の永田町、とくに表現の自由に対する制限を明確にした自民党の憲法草案や、日本維新の会のグロテスクな憲法観を見るにつけ、人権や民主主義という基本的な価値観が実は危機にさらされているのではないかと感じています」


率直に言ってこの主張は全く意味不明だ。仮に安倍首相が、僕のような何の権力も持たない一般人の発言に対して、「Mich Maruyamaという人物は信用するに値しない輩だ」と語ったのであれば、権力による表現の自由の圧殺と言えなくもない。何せ僕の後ろには誰も僕を支えてくれるような「権力」は存在しないのだから。

しかし田中氏は権力側にいた人物であり、現在も一定の肩書を持ち発言している人物だ。つまりテレビや新聞のコメンテイターと変わらないポジションにいると言っていいだろう。そのような人間が首相に対して批判的な論説を行い、それに対して首相が反論したからといって、それをあたかも僕のような一個人を首相が非難しているかのように議論するのは、明らかに「ためにする」議論であって、誰も彼に賛同しないだろう。しかも首相の反論を、抽象的に憲法論議と結び付けるのもフェアではない。

細野氏は確か京大法学部卒だったと思うが、彼は「表現の自由」という概念をきちんと理解しているのだろうか?その自由が保障されたこの国においては、現在の最高権力者たる安倍首相であろうと、一切権力を持たない僕のような人間であろうと、誰でも自由に自身の考えを主張する権利がある。

とは言え、上述のように権力者がそうでない人間の発言を握りつぶそうとするのであれば、それは表現の自由の過剰行使と言えなくもないが、首相の田中氏への批判はそういう次元のものではない。権力を持つ(あるいは持っていた)者同士の正当な議論だと言えよう。

安倍首相は本日(6月16日)ツイッターで、細野氏による批判に対して以下のようにコメントしている。


「ところで報道によると先日の田中均氏に対する私の批判に対し細野豪志民主党幹事長が的外れな批判をしているようです。よくあるパターンの攻撃です。

総理大臣が『一個人を批判すべきではない』と、中身ではなくその姿を批判するというスタイル。私の批判は、田中均氏が局長としと関わった『国民の生命と主権に関わる判断』と『公務員としとの記録を残す』との義務についての批判です。『外務省元幹部』としての肩書きで写真を大きく掲載する事も了解しての新聞でのコメントやテレビを活用した活動ですから『一個人』との認識は全く的外れです。

私の厳しく的確な(笑)反論を封じようとの意図でしょう。外交官として田中均さんの判断と行動について細野さんは問題ないと思っているのでしょうか。最初にそこはパス。そこから逃げて、あの時の自身の政治家としての行動に対する自省はまったく無い。…だからダメなんです。

かつて貴方はNHKで『自民党には戦争をやりたがっている人がいる』と言ってのけました。自民党、ひいては日本の政治の信用を貶めた人物です。私はその発言を出演者から聞き、街頭で貴方にこう質しました。『戦争したがっている自民党の議員とは誰ですか?公共の電波で民主党を代表する立場でそう発言した以上もちろん事実なんでしょうね。貴方が名前を上げたら私は直ちにその人物を除名します。もし名前も出せないいい加減な中傷で自民党を貶めようとしたのであれば責任をとるべきです』と。

あれから細野さん随分時がたちましたが、頬被りですか?『民主党は息を吐く様に嘘をつく』との批評が聞こえて来そうです」


民主党に対する安倍首相の強烈な「攻撃」が際立っている。

確かに民主党議員の発言は、具体的に誰の発言か分からないようなことを自民党に対する批判の手段として利用している。

例えば、2013年4月24日の参議院予算委員会で民主党の徳永エリ氏は、「(麻生氏らの靖国神社参拝により)拉致被害者の家族が落胆している」と発言した(以下の映像参照)

その発言に対して、安倍首相、古屋拉致問題担当相から「拉致被害者家族の誰が落胆しているのか?」と問われた徳永氏は何ら明確な答えもできず、曖昧に質問を終わらせた。

メディアが、例えば閣僚などの発言を取り上げて、「今後議論を呼びそうだ」などという表現を使うことがよくある。それは、誰もそんなことを問題にしないとしても、メディア自身がそれを問題化するという、いわば「宣戦布告」だと考えられる。つまり、メディアがそうしたアジェンダを設定することによって、国民は否応なくそれを問題視するようになってしまうという、メディアによる権力濫用、あるいは世論操作だ。

上述、細野氏、そして徳永氏の主張も、無責任なメディア同様、特に国民が問題と思っていないことであっても、彼らが声高に叫ぶことによって、どうでもいい事柄を問題化させる。そのスタンスは、本ブログでよく批判させていただいているような、問題足り得ない事柄を国際問題に仕立てあげる朝日新聞と同様の遣り口である。

権力者は、彼/彼女が持つ権力ゆえ、弱者を圧迫しないような配慮が必要であることは間違いない。だからといって、権力者の表現の自由が、細野氏が主張するような意味で限定的なものであるとするのは誤った考えだ。細野氏の主張は、(自民党の)権力者は黙って叩かれていろということのように思われる。「ふざけるな」と言いたい。

首相であろうと誰であろうと、自身への批判については自由に反論する権利がある。そうしなければ、それを認めているのだと思われることもあるからだ。表現の自由には批判する自由も含まれるが、当然、その批判に反論する自由も含まれる。そして事実に基づかない「表現」に関しては、法的措置を含め様々な対応をすることもまた自由である。それは権力者でも弱者でも同様だ。

率直に言って、細野氏はホント頭が悪いと思う。彼は安倍首相が田中氏を批判したことに関して、メディアによる批判がないことに対して、「高支持率を誇る安倍総理の発言を正面から批判することを恐れているのかもしれません」としているが、そうではない。田中氏が単なる「一個人」でないことをどのメディアも理解しており、それゆえ、安倍首相による批判は少しきつめの言い方であったとしても、「一民間人」への圧力でないことは分かっているのだ。

それを、「人権や民主主義という基本的な価値観が実は危機にさらされているのではないか」などと言う細野氏の主張は、社民党や共産党によく見られる全く時代錯誤の、批判のための批判である。

「最高権力者」の表現の自由を牽制し、同様に日本人による正当な抗議活動を「ヘイトスピーチ」などと称して制限を加えようとする、有田芳生氏など民主党議員による「反日活動」を我々日本国民はしっかり見ている。

安倍首相の発言を咎める前に、細野氏は足元の自党議員による日本人への敵対行為を心配するべきだろう。もっとも、細野氏自身がそうした連中の「統領」なのかもしれないが…。


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2013年6月14日 (金)

「河野談話」を乗り越えて 従軍慰安婦「問題」の根本的解決に向けて Part 3 ‐河野洋平・朝日新聞・福島瑞穂の証人喚問しかない‐

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(写真はWikipediaより)

前回の本ブログの記事「河野談話」を乗り越えて 従軍慰安婦「問題」の根本的解決に向けて Part 2 ‐「捏造」朝日と「反日」宏池会‐では、吉田清治氏の虚偽の証言、朝日新聞の(意図的と思われる)誤報、そして宏池会などの反日政治家が従軍慰安婦「問題」を生み出したことについて議論した。とりわけ「河野談話」は、欧米などからも日本がいわれなき非難を浴びることとなった元凶であることを指摘させていただいた。

この捏造された「問題」を増幅させた上記以外の当事者の一人が、現社民党党首・福島瑞穂氏である。

池田信夫氏は自身のブログの記事(2012年8月17日付)「慰安婦問題の『主犯』は福島瑞穂弁護士」において、福島氏ら、いわゆる「人権派弁護士」の悪行を糾弾している。以下、少し長くなるが引用させていただく。


「慰安婦問題の特異性は、日本人が創作した話だということだ。ふつう『私が犯罪者だ』と嘘をつく人はいないが、奇妙なことに戦争についてはそういう『詐話師』がいる。この問題の発端となった吉田清治がその最たるもので、彼の『私の戦争犯罪』には、済州島で『慰安婦狩り』をした様子が詳細に書かれているが、なんとすべて嘘なのだ。本人ものちに『フィクションだ』と認めた。

ところが吉田の話に目をつけて日本政府を相手に訴訟を起こそうとしたのが、福島瑞穂氏や高木健一氏などの弁護士で、彼らは韓国に渡って原告になる元慰安婦を募集した。そこで見つけたのが金学順で、彼女はNHKにも出演して『親に売られてキーセンになり、義父に連れられて日本軍の慰安所に行った』と証言した。この話をNHKに売り込んできたのが福島氏で、彼女はスタジオに立ち会って金にせりふを教えていた。目的は、軍票(敗戦で無効になった)で支払われた給与の賠償だった。

しかし朝日新聞の植村記者がこれを(吉田のストーリーにそって)『女子挺身隊として強制連行された』と誤って報じたため、福島氏らは訴状を『軍に連行された』と書き換えた(だから彼女は『強制連行』が嘘であることを知っているはずだ)。その原告団長は植村記者の義母だったが、のちに裁判費用を詐取したとして逮捕され、行方をくらました。

要するに戦争をネタにもうけようとたくらんだ旧軍人が『軍の性奴隷』という猟奇的な話をでっち上げ、それを政治的に利用しようとした日本の弁護士が韓国人をけしかけ、朝日新聞がそれに乗せられたという構図だ。したがって主犯は福島氏で、朝日は問題を拡大した共犯である。

この騒動で福島氏は『人権派弁護士』としてマスコミにデビューし、国会議員にもなったが、彼女のおかげで日韓関係はめちゃくちゃになった。今回の慰安婦騒動に彼女が沈黙を守っているのは、ここまで嘘がばれてしまうと取り繕いようがないからだろう。朝日新聞とともに彼女にも説明責任がある。国会で説明すべきだ」。


池田氏の主張は、従軍慰安婦「問題」を少しでも勉強している人間にとっては周知の事実であり、この事実は一人でも多くの日本人、とりわけ無党派層の有権者の方々には是非知っておいてもらいたい事柄だ。

もし公党の党首たる福島氏に一切やましいところがなく、ある程度影響力を持つ評論家である池田氏から、「従軍慰安婦の主犯」とまで名指しで批判されたのであれば、法的措置を含め、何らかの反論を行うのが当然だろう。しかし、福島氏は黙して語らず。これだけをもってしても、彼女はこの件について深入りしたくないのだろう、と考えるのが常識的な判断であると思われる。

また、池田氏の論説からは、朝日新聞のジャーナリズムとしての異常性が浮かび上がる。というのも、記者自身が利害関係者たる事柄の取材を行わせないということは、少なくとも「真っ当な」ジャーナリズムとしての常識である。ところが植村隆記者の義母は、金学順氏らが日本政府を相手とした慰安婦訴訟の原告団長だった。そのような立場にある植村記者がこの件に関して取材を行うことは、ジャーナリズムの倫理としてあり得ないことなのだ。

福島氏の「売名行為」、そして朝日が植村記者による「偏向報道」を許したことにより、何の証拠もない従軍慰安婦が国際問題化したことは、池田氏の指摘通りである。そういう意味では、池田氏による「主犯は福島氏で、朝日は問題を拡大した共犯である」という主張は、まさに正鵠を射たものであるといえよう。

本ブログの前2回の記事、「「河野談話」を乗り越えて 従軍慰安婦「問題」の根本的解決に向けて Part 1 ‐橋下「騒動」を検証‐」、「「河野談話」を乗り越えて 従軍慰安婦「問題」の根本的解決に向けて Part 2 ‐「捏造」朝日と「反日」宏池会‐」で議論したように、この「問題」は、少なくとも現在確認できる証拠のみに基づいて言えば、全くの「虚偽」としか考えられない。元従軍慰安婦と称している方々は、「私たちの証言こそが証拠である」と主張しているようだが、通常の裁判等において、他の証拠が一切ない中で、証言だけが唯一の証拠である場合、十分な立証がなされたとは判断されない。そうでなければ、「言った者勝ち」になってしまうからだ。

従軍慰安婦「問題」は、吉田清治氏という共産党員が「創造」し、それに朝日新聞が火をつけ、さらにそれに乗っかるかたちで韓国人「被害者」が出現し、その被害者を福島氏ら「人権派弁護士」がサポートするかたちで、全く火のないところに煙をたて、それを大火災にしてしまったというのが実態だ。しかも日本政府は、そうした荒唐無稽な事柄について韓国から責め立てられ、十分な調査を行うこともなく「河野談話」によって認めてしまった。それに関わった宮澤喜一氏、河野洋平氏ら、日本の国益を考えない政治家の罪も大きいということだ。

河野談話によって、世界各国は日本が従軍慰安婦の存在を認め、日本軍が強制連行したことを謝罪したのだと考えている。前回議論したように、政府高官はそれを意図していなかったとしても(宮澤氏、河野氏の真意は分からないが)、談話の中身はそう理解されて当然のものだといえる。それによって、アメリカ始め、世界各国(あるいはその国の地方議会等)から、日本は言われなき非難を受けている。

こうした現状を変えるために、まずは、日本軍が慰安婦を強制連行したのかどうか、つまり、橋下大阪市長が主張したように、戦時にはどの国も保持していた「慰安婦」を超えるような悪行を日本軍が行っていたのかどうか、明確にする必要がある。

そのための一番の近道は、国会に「従軍慰安婦調査特別委員会」を設け、強制連行を証言した元日本軍人、朝日新聞関係者、福島瑞穂氏など慰安婦側の弁護士、そして河野洋平氏などの政治家を証人喚問し、偽証を許さないかたちで徹底的に事実を追及することだ。

参考人招致程度のことでは、こうした連中に「真実」を語らせることは不可能なので、偽証罪を伴う証人喚問が必須だ。

日本がこうした動きを見せれば、必ずアメリカが圧力をかけてくるだろう。というのも、アメリカにとっては、従軍慰安婦だろうが南京大虐殺だろうが、その真偽など問題ではない。日本がアメリカによって植え付けられた自虐史観を乗り越え、戦中の真実に迫ろうとすること自体が問題なのだ。

日本人は朝鮮人とは違い、無辜の民が犠牲となった原爆投下についても、東京大空襲についてもアメリカに「謝罪と賠償」を求めるようなことはしてきていない。そうした主張は終戦直後GHQによって封じられ、今日に至っている。よって、その「おとなしい」日本人が、歴史認識に目覚め、アメリカによる非道な行為についても批判するようになることは、彼らにとってはあってはならないことだ。

アメリカは広島・長崎に異なる種類の原爆を投下しており、その威力を「実験」したのは間違いない。同じ白人に原爆を使うなど彼らにとってはあり得ない選択だったのだろうが、黄色の日本人は彼らにとっては「猿」程度の存在であったので、恰好の「モルモット」だったのだろう。

その人種差別思想は、戦中のアメリカ国内における、日系人に対する強制収容所への収容等による扱いが、同じくアメリカと戦ったドイツ系・イタリア系移民に比べ、不当に差別的であったことを考えれば自明だろう(Wikipedia参照)。

アメリカの現政権が本当に日本による、いわば歴史の「再定義」を、アメリカの国益を損なうものだと主張しているのだとすれば、それは、上述のような「不都合な真実」を蒸し返されたくないという考えからだろう(彼らにとってはアメリカこそが正義なのだから)。 特アのみならず、そのようなアメリカの存在を考えれば、上記「特別委員会」によって、日本が「造られた歴史」の呪縛から逃れようとすることに対しては、内外から相当な批判を受けることが容易に予測できる。

上述、池田信夫氏も自身のツイッターで、「私は河野談話を修正したほうがいいと思うが、それ自体がまた大事件になって、事態が悪化するリスクも大きい。安倍政権は修正をあきらめ、メア氏(ケヴィン・メア )は『意味がない』といい、田原(総一朗)さんも『無理だ』という。視聴者の87%は『見直すべきだ』というのだが…」とツイートしている。これは6月2日のニコニコチャンネルでの「言論アリーナ」を受けての、池田氏のコメントである(池田信夫blog「朝日新聞がまた『炎上』させる慰安婦問題、及び以下の映像参照)。



池田氏の主張は、日本人の多くは河野談話は虚偽であると認識しており、それは見直されて然るべきと考えている。しかし、20年も前に出され、しかも日本が従軍慰安婦の強制連行の事実を認めたと考えられる同談話を政府が撤回しなかったため、海外では韓国ロビーの影響でほぼ「事実」と認定されているので、それを修正することは相当なリスクを伴うということだ。僕も同じ認識だ。

しかし、遅きに失しているし、相当の軋轢が予想されるとはいえ、今やらなければ、日本の「無実の罪」は永遠に消えない「歴史的事実」となってしまうだろう。なにせ、韓国は大統領が「千年日本を恨む」と言っているのだから。

そのような状況にあっても、日本の名誉を取り戻そうとする動きも存在する。例えば、「新しい歴史教科書をつくる会」による、「『河野談話』撤廃を求める署名のお願い」という署名活動も行われている。そして何より、上記「言論アリーナ」では、池田氏も指摘している通り視聴者の9割近くが、河野談話を見直すべきだとしている(左翼の連中は、ネット上の番組を観る「輩」など「ネトウヨ」なので参考にならないと主張するのだろうが)。

河野談話の見直しに関しては上述のような反発が予想されるため、「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍内閣でさえ乗り気ではない。リスクの大きさを考えれば、それも致し方ないことなのかもしれない。

しかし、明らかな「冤罪」である従軍慰安婦「問題」は、日本という国の名誉の問題なのだ。諸外国、とりわけ同盟国・アメリカが怖いからといって、日本を守るために戦った先人に汚名を着せたままでいて、この国がこれから先、主権国家足り得るだろうか。

勝者のみが歴史を紡ぐのが世の習いとはいえ、敗者が敢えて異論を唱えなければ、歴史は間違ったまま紡ぎ続けられてしまう。先人の名誉を守るため、そして将来の日本人がいわれなき重荷を背負って生きることを回避するため、我々の世代こそが向う傷を恐れず、ありのままの歴史的事実を「証明」しなければならない。

そのためには、繰り返しになるが、日本を貶めた連中を証人喚問し、その結果得られた事実を世界に発信する必要がある。それに対して世界がどう反応するのかは、また別の問題だ。

それは短期的には、日本の国際関係をぎくしゃくさせるものであるかもしれない。しかし長期的にみれば、必ず日本のためになると信じている。僕らの世代は間もなく死に絶えるとしても、日本という、この美しい国は永続していくのだから。
(了)

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「河野談話」を乗り越えて 従軍慰安婦「問題」の根本的解決に向けて Part 1 ‐橋下「騒動」を検証‐
「河野談話」を乗り越えて 従軍慰安婦「問題」の根本的解決に向けて Part 2 ‐「捏造」朝日と「反日」宏池会‐


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2013年6月 5日 (水)

「河野談話」を乗り越えて 従軍慰安婦「問題」の根本的解決に向けて Part 2 ‐「捏造」朝日と「反日」宏池会‐

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いわゆる従軍慰安婦「問題」の起源をたどると、元軍人・吉田清治氏、朝日新聞、国益を考えない政治家、そしてその他反日勢力に行き着く。今回は歴史を歪めた吉田氏、朝日、政治家について論じたい。

「慰安婦」が存在したことは間違いない。ただそれは、前回の本ブログの記事「「河野談話」を乗り越えて 従軍慰安婦「問題」の根本的解決に向けて Part 1 ‐橋下「騒動」を検証‐」で論じたように、橋下徹大阪市長の主張通り、どの時代のどの戦争においても軍隊が「活用」したものであり、決して日本特有の問題ではない。

ではなぜそれが日本のみが世界中から非難される問題となったのか。発端は、吉田清治氏の著書、『朝鮮人慰安婦と日本人 -- 元下関労報動員部長の手記』(1977年刊行)、『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』(1983年刊行)である。特に後者において吉田氏は、1943年に軍から朝鮮人女子挺身隊動員を命令され、済州島で日本軍人らを引率し、若い未婚女性や赤ん坊を抱いた母親を駆り立ててあたりかまわずトラックで連行し、レイプした。あるいは、朝鮮人女性を205人強制連行し、従軍慰安婦ににしたとしている。

しかしこの主張に関しては、韓国側から虚偽であったと反論されている。「慰安婦狩り」の舞台とされた済州島からは反論が多数出た。現地紙の『済州新聞』(1989年8月14日付)は、済州島の住民が「慰安婦狩り」は事実無根であり、吉田氏の主張は虚偽である旨を語っていると報じた。例えば、当時85歳の島民は「250余の家しかないこの村で 、15人も徴用したとすれば大事件であるが 、当時はそんな事実はなかった」と語り、郷土史家の金奉玉氏も「1983年に日本語版が出てから何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨した。

吉田氏が何故、日本を貶めるための著作を発表したのかに関しては、金銭目当てだったのかもしれないし、同氏が共産党員であったため、戦中の日本を必要以上に「悪」としたかったのかもしれない。それは定かではないが、吉田氏の「捏造」については、上述『済州新聞』の報道によって決着していた。

ところが、そうした決着済みの共産党員による「反日工作」に再点火したのが、朝日新聞による報道だった。以下、朝日による反日記事を記す。

同紙は1991年5月22日付の大阪朝刊で、「従軍慰安婦 加害者の証言」として、吉田氏の証言を掲載した。同氏は以下のような証言を行っている。

「私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の一つは、従軍慰安婦を950人強制連行したことです。従軍慰安婦という制度は、日本軍がアジア各地、太平洋諸島へ侵略したとき、その駐留軍・海軍軍人たちの性的な相手をさせるための女性であったのです。占領直後の前線に、売春組織を陸・海軍の指揮のもの、直接の援助のもとに設置したというのは世界史上でないそうです。もちろん、あってはなりません。これが太平洋戦争における日本陸・海軍の最も大きな罪だと私は信じております。

この婦女子の韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、私たち実行者が10人か15人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道の警察部を中心にして総督府の警察官50人から100人を動員します。…殴る蹴るの暴行によってトラックに詰め込め、村中がパニックになっている中を、1つの村から3人、5人、あるいは10人と連行していきます。…(連行した女性を)釜山から…下関へ運んだのです。下関では74部隊といって陸軍の部隊がありましたが、そこの営庭で前線から受け取りにきている軍属に渡します。そしてご用船で中国、あるいは南方へ送るという業務を3年間やっておりました」(山際澄夫著『これでも朝日新聞を読みますか』)。

また、1991年8月11日付の記事でも、「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」(植村隆韓国特派員・ソウル発)と題し、元慰安婦の金学順氏(当時名前は伏せられていた)について「女子挺身隊の名で戦場に連行され」たと報道する(植村氏、金氏に関しては次稿で詳述する)。

そして、現在の従軍慰安婦に関する日本の不名誉の元凶となったのが、1992年1月11日付朝日新聞の報道。同紙は一面で、「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」、「政府見解揺らぐ」という見出しで、中央大学教授・吉見義明氏が慰安婦募集に関する日本軍の関与についての新資料を、防衛庁防衛研究所図書館で「陸支密大日記」などの資料の中から発見したことを伝えた。同氏はこの文書について、「軍の関与は明白であり謝罪と補償を」と述べている(Wikipedia参照)。また朝日は、従軍慰安婦の解説として「約八割が朝鮮人女性」、「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万とも二十万ともいわれる」とも報じた。つまり日本軍により、膨大な数の朝鮮人女性が強制連行されたと主張したわけだ。
※歴者学者の秦郁彦氏によれば、朝日が報じた「新」資料は研究者の間では周知のものであったという。

吉見氏が「発見」した「新」資料「陸支密大日記 昭和13年第10号 陸支密第745号」は、読んでみれば明らかなのだが、軍の強制連行を示したものではなく、むしろ悪徳業者に対して厳しく対処せよという内容となっている。

西岡力氏は本文書について、「日本国内で慰安婦を斡旋する業者が人さらい紛いのことをしているが、それは『軍の威信』に関わるから業者の選定を厳しくせよ、という『業者を取り締まる』内容です。軍は関与しているのですが、それは業者が軍の名前を騙って『強制連行』するな、といういわばよい方向に関与していたのです」と述べているが、普通に文書を読む限り、同氏の見解が妥当だと思われる(いわゆる従軍慰安婦について歴史の真実から再考するサイト)。

朝日による従軍慰安婦報道に関しては、吉見氏の「発見」は上述の通りであるし、吉田氏の証言は(既に済州新聞で否定されてはいたが)、秦郁彦氏らの現地調査で全くのでたらめであったことが証明されたが、朝日新聞は今日に至るまで、その誤報に関して明確な訂正、謝罪を行っていない。

今年5月14日付読売新聞は、「従軍慰安婦問題は1992年1月に朝日新聞が『日本軍が慰安所の設置や、 従軍慰安婦の募集を監督、統制していた』と報じたことが発端となり、日韓間の外交問題に発展した。記事中には『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した』などと、戦時勤労動員制度の『女子挺身隊』を “慰安婦狩り”と誤って報じた部分もあり、強制連行の有無が最大の争点となった」とし明確に朝日を批判している。しかし、何故か朝日はそれに対しての反論を行っていない。

朝日の反日報道は本件に限らず、戦後一貫して行われたものであるので、政府は事実関係を可能な限り綿密に調査し、その結果を公表すればいいだけの話であった。それが事実であろうとも捏造であろうとも。事実を隠蔽することが歴史に対する一番の罪であり、調査の結果、日本軍の「悪行」があったのであれば、それは日本人として厳粛に受け止めなければならない。ところが、当時の宮澤内閣による、政治的にも論理的にも意味不明な対応により、日本は世界から非難されることとなってしまった。

上述の朝日による記事等は、宮澤喜一首相の訪韓5日前に掲載されたものであったため、早期の事態収拾を焦った宮澤内閣は、事実を確認もせず、1月13日、加藤紘一官房長官が「お詫びと反省」の談話を発表。翌1月14日、宮澤首相は「軍の関与を認め、おわびしたい」という「失言」までしている。また、韓国を訪問した同氏は盧泰愚大統領に8回も謝ることとなった。この訪韓で宮澤首相は「真相究明を約束する」と語っているのだが、真相を究明する前に、何故、首相と官房長官とが雁首そろえて「お詫び」したのか。常人には全く理解できない。こうした媚韓の姿勢が、1993年、日本人にとっては屈辱的な「河野談話」を生み出すこととなる。

「河野談話」は日本の歴史上、最悪の「作文」であり、河野洋平氏は、敢えて大袈裟に言わせてもらえば、「国家反逆罪」にも値するほどの大罪を犯したと考える。

同談話は調査の結果、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」としている。当時の記者会見で河野氏は、「今回の調査結果は、強制連行の事実があったという認識でよろしいわ けでしょうか」との質問に対し、「そういう事実があったと。結構です」 と明言している。

しかし、「強制連行については公文書は見つからずそれで聞きとり調査をしたと理解してい ますが、客観的資料は見つかったのですか」との問いに対しては、「強制には、物理的な強制もあるし、精神的な強制もあるんです。精神的な強制 は官憲側の記憶に残るというものではない。しかし関係者、被害者の証言、それ から加害者側の話を聞いております。いずれにしても、ご本人の意思に反した事例が数多くあるのは、はっきりしておりますから」 という、極めて「不明瞭」な返答をしている。

櫻井よしこ氏は、当時の主要な関係者に取材を申し込み、「取材を一旦受けながら、直前に断ってきた宮澤首相を除き、河野氏、河野氏の前に官房長官を務めた加藤紘一氏、官房副長官の石原信雄氏、外務審議室長の谷野作太郎氏、武藤嘉文外相、駐日韓国大使の孔魯明氏、駐韓日本大使の後藤利雄氏」らから話を聞いた。そして、「その結果確認出来たのは、河野談話には根拠となる事実は、全く、存在せず、日韓間の交渉の中で醸成されていったある種の期待感と河野氏自身の歴史観が色濃 く反映されていたことだった。氏の歴史観、戦争に関する極めて、否定的な想いは、宮澤氏のそれと多くの共通項を有してもいた」という(いわゆる従軍慰安婦について歴史の真実から再考するサイト)。

また、産経新聞論説委員・阿比留瑠比氏による5月30日付の論説は、河野談話は一見「強制連行」を認めたように読めるが、事務方トップとして談話作成にかかわった石原信雄元官房副長官は「政府の意を体して、政府の指揮命令下に強制したと認めたわけじゃない」と断言している。一方で、談話が海外で「日本政府が公式に強制連行を認めたもの」と受け止められたのも事実であり非常に分かりにくい、としている。

それでは何故、「河野談話はそんな奇妙な書きぶりになったのか。結論から言えば当時の宮沢喜一内閣は、韓国を満足させるため『強制』を認めたかったのである」。「ところが、国内外、関係省庁と『八方手を尽くして調べた』(石原氏)にもかかわらず、その証拠は出てこない。そこでやむなく『強制性』を強くにじませたというのが真相だろう。石原氏をはじめ関係者の証言と談話の作成過程をたどると、そうしたゆがんだ実態が浮かび上がってくる」と同氏は指摘する。

つまり、談話発表の経緯は、まず韓国側から(日本軍による)強制性を認めることが問題解決に絶対必要との意向が示された。宮澤内閣は強制性について明確な判断をすることが必要だという政治的判断を行い、韓国の考え方に沿って強制性を認める発表をしたと考えられる。

日本政府が実施した調査では、「日本軍が慰安婦の強制連行を行なっていた」とする書類資料は発見されなかったが、河野洋平氏は「組織として強制連行を行っていても、無理にでも連れてこいという命令書や無理に連れてきましたという報告書は作成されることはないだろう」という見方を示し、強制を認めた根拠として「募集・移送・管理等の過程全体をみてであり、自由行動の制限があったこと」を挙げている。また、同時におこなわれた韓国人元慰安婦への聞き取り調査では、慰安婦の証言を記録するのみで、事実関係の検証は行われなかったという((Wikipedia参照)。

主権国家が海外から罪を問われている事案において、このようないい加減な調査結果をもとに、「罪状」を認めることがあっていいのだろうか。しかも客観的な証拠は全く存在しない。これでは誰が見ても、いかに河野談話がいい加減なものであり、始めに結論ありきの「偽証」だったのか理解できるだろう。

こうした「惨状」を招いた原因の一つは、人が善く、曖昧さを好む日本人の民族性。それは日本人の長所でもあるのだが、国際社会はそれほど甘くない。宮澤内閣は、ある程度韓国の顔を立てれば、それで問題は片付くと考えていたのかもしれない。しかし、特ア各国は日本の「配慮」など一切通じる相手ではなく、むしろ、一歩譲れば、二歩・三歩と譲歩を迫ってくる。現在の日本国民はそのことを理解しつつあるが、当時は朝日に代表される反日メディアの影響もあり、国民に十分な情報が与えられなかったのだろう。その結果、政治家がこの国を貶めた。ゆすり屋に一度お金を渡したら骨の髄までしゃぶられる。日本と特アの関係の歴史を、そのように表現しても間違いではないだろう。

二つ目は、大局的に国際情勢を見ることができず、将来の日本を考える知恵すらなかった愚かな政治家の存在。自虐史観にまみれた政治家たちが、日韓関係を平穏な状態にしておきたいという目先の利益(対韓関係が日本にとって「利益」と言えるのかすら疑問だが)と自己保身のために取った行動が、今なお国際社会における日本にとっての足枷となっている。

これは、以前本ブログの記事「自虐史観教育から子供たちを護れ!Part 2 ‐「メディアが作った」諸悪の根源『近隣諸国条項』‐」で論じた、「『歴史教科書』に関する宮澤内閣官房長官談話」と全く同じ構図だ。

これら日本の国益を大きく毀損した政治判断に関わった政治家たち。従軍慰安婦「問題」における宮澤首相、加藤・河野両官房長官。そして歴史教科書「問題」での鈴木善幸首相と宮澤官房長官。彼らは全て宏池会(現岸田派)の重鎮だ。宏池会は池田勇人元首相が創設した、保守本流の伝統ある自民党の派閥だった。しかし、以前も指摘したが官僚出身者が多く、「寝業」とは無縁な「公家集団」。リベラルを自任してはいるが、上述のような歴史を振り返れば、何のことはない「準反日」連中の集まりだということを理解していただけるだろう。

朝日などの左翼メディアや、共産党、社民党などが反日勢力であることは論を俟たないが、歴史教科書、従軍慰安婦、加えて靖国神社を国際問題化させてきたのが歴代自民党内閣だったことを考えれば、自民党にも「自称リベラル」始め、「特ア至上主義」の政治家がごろごろしていることを忘れてはならない。

最近の話題では、訪中した野中広務元官房長官が6月3日、「日中国交正常化(1972年9月)の直後、正常化交渉にあたった当時の田中角栄首相から、沖縄県・尖閣諸島問題の棚上げを日中双方が確認したと聞いた」、と発言したようだ(6月4日付毎日新聞参照)。同氏の経歴を見れば明らかだが、相変わらず反日活動に余念がないようだ。

同行した超党派の議員団のメンバーは他に、自民党の古賀誠元幹事長、山本幸三衆院議員(いずれも宏池会)、民主党の仙谷由人元官房長官、公明党の白浜一良参院議員会長、共産党の穀田恵二国対委員長。このメンツを見れば、先に中国を訪問した鳩山由紀夫元首相、河野洋平氏と同類であることは明らかだろう。

そうした「輩」の一人、古賀氏を6月4日付天声人語で朝日は礼賛する。曰く、同氏が共産党の機関紙『しんぶん赤旗』日曜版(2日付)のインタビューで、憲法96条改正について「私は認めることはできません。絶対にやるべきではない」と言い切ったことが素晴らしいのだそうだ。

「議員を退いた身とはいえ、自民党の重鎮が宿敵というべき共産党の求めに応じるとは驚きだ。古賀氏は幼いころ、父を戦争で失った。『戦争を知る世代の政治家の責任だと思ったから』だと話している。やはり戦争を知るOB、野中広務・元幹事長も『要件から変えるのは姑息(こそく)なやり方だ』と批判している。…穏健な保守の構えを貫く。よき伝統を引き継ぐ後輩は今の自民党にはいないのか」と、反日自民党員をだしに、安倍内閣批判を展開している。

野中氏、古賀氏が訪中しているタイミングでのこの主張。本ブログで何度も議論してきたように、朝日と反日勢力との連携は濃密であり、いまだ健在であることを象徴している。

話が逸れてしまい大変申し訳ない。ただ、今日一番の話題だったサッカーに例えて言えば、朝日と特ア、そして国内の反日勢力が互いにパスを繰り返し、日本の国益というゴールを脅かそうとしている事実は、従軍慰安婦問題始め、あらゆる歴史認識「問題」に関しての肝なので、その点ご理解いただきたい。

本稿が冗長となってしまったため、今回は結論までたどり着くことができなかった。議論が散漫になってしまっているが、次稿で何とかまとめたいと考えているので、今しばらくお付き合いいただければありがたい。

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